ケーキ食べさせる百合
おいしーい!!
六畳一間のワンルームに、黄色い声が響き渡る。
この声を聞きたかった。
私は腕を組み、満足してふぅと深く息をついた。
「今日のこれ、なんていうの?」
「ティラミス。食べたことないの?」
うん、とスプーンを咥えたまま頷く佐千子は、ご機嫌な様子でふんふんと鼻を鳴らしている。
ティラミスを食べたことない人っているんだなぁ。佐知子は食べることが好きな割に、いつも同じものばかり食べているようで、食に詳しくはない。
「いっぱい作ってまだ残ってるから、ご家族にもお土産に持ってっていいよ」
食べてもらえる人がたくさんいると作り甲斐があるし、と付け加える。
えぇ、美奈、ほんと、いいのぉ。佐知子は満面の笑みを振りまいている。
素直に感情を表す様は、まるで犬みたいだ。脳内に、ふさふさの毛並みのゴールデンレトリバーがぶんぶんとしっぽを振っている絵が浮かんだ。
佐知子は大学時代に知り合った、私の数少ない友人のひとりだ。
ひとりも知り合いのいない科目を履修した時、偶然グループワークで一緒になったのが出会いだった。
その前から、ひとり教室の最前列で黙々とノートを取る姿を見ていたので、なんとなく真面目な人なんだろうなと思ってはいたのだが、喋ったら案外抜けているタイプだったので驚いた記憶がある。
今は、抜けたまま何事も全力投球する性格だと知るほどに仲良くなり、卒業し就職してから3年経つ今も、月一度は休日に手作りのお菓子を振るまうという不思議な関係性を保っていた。
もともとお菓子づくりは好きだった。家に遊びに来た時に、たまたま作って残っていたパウンドケーキを出したのが始まりだった。シンプルな、変哲のないパウンドケーキ。
「美味しいねぇ!天才!」
一口食べた瞬間、突然叫んで絶賛してくれた。
何を食べても素直に美味しいと喜んでくれる佐知子の胃袋を、あの手この手で掴むのは楽しい。もともと料理が好きだった私のお菓子のレパートリーは、佐知子にお菓子を振る舞うようになってから5倍は増えただろう。食事と違って、それまでお菓子は量を作ってもひとりでは食べきれず、あまり頻繁に作る習慣は無かったからだ。
ごちそうさま。佐知子のよく通る声が、狭いキッチンまで響く。綺麗に平らげられたお皿を見ると、なんだか誇らしげな気分にもなる。作って良かったな、と素直に思う。
ご来店ありがとうございました。そう返しながら、次は何を作ろうかな、とお皿を手に取った。
佐知子にお菓子を餌付けする習慣も、1年くらい続いているのだろうか。
そう思い返しながら、お皿にカットしたチーズケーキを盛り付け、ホイップクリームも添えてから佐千子の目の前に置く。
きらきらと目を輝かせてチーズケーキを見ている姿がなんだか面白くて、にやつく口元を手で隠した。やっぱり、餌を前に待てをしている犬のようだ。
毎度のことながら、おいしいおいしいと言いながら食べている佐知子の横顔を見つめながら、ふと思う。
ちょっとふっくらしたな。
あごの下のラインが、なだらかな坂になっている。二の腕も少したぷっとしたようだ。もうちょっと、細かった気がする。
広い教室の最前列で、真剣な顔をして黒板を写す佐知子の後ろ姿を思い出す。半袖から、細く白い腕が伸びていた。やっぱり、記憶よりも確実に太くなっている。
私は、えい、と言いながら、ふざけて二の腕を人差し指と親指でつまんだ。
「やだー、やめてよぉ」
口とは正反対に、きゃーと嬉しそうに笑いながら、佐知子は「この二の腕美奈のせいだからね」と言った。
私のせいなのか。
彼女の身体を作っている、と思うと、胸のあたりがカッと熱くなった。
ただ、その時の私は、その感情が何であるか直視する前にそっと蓋を閉めた。
恋人が出来た。
確かにそう聞こえた。
チャイムが鳴り、玄関を開けた瞬間に、佐知子はそう言った。
その日は梅雨が始まったばかりの日曜日で、玄関の外は雨が降っていた。強い雨が屋根を打つ音が響く。
はっと声を出し、一瞬の沈黙を作ってしまう。「ほんとに…?」とつぶやく。
佐知子は、上ずった声で、ほんとに、ほんとう、と繰り返す。本当なんだろう。真剣でうっすらうるんだ眼差しが、まっすぐと胸を刺した。
数分前まで、私は本棚の本を綺麗に並び替えながら、佐知子が訪れるのを待っていた。
あ、さっき手に取った小説、新刊が出たんだっけ。あと、シャンプーがもう少しで切れそうだから、ドラッグストアに行かないと。現実逃避のように、別のことに思いを巡らせてしまう。
そっか。ぼそりとつぶやいた声に、重く不穏なトーンが乗ってしまい、思わずひやりとする。しかし、そんな私の表情や声のトーンも読み取れないくらいには、佐知子の気持ちは昂ぶっているようだった。
パッと笑顔が咲き、まるで子供のようにもじもじとして、恥ずかしいんだけどね、と前置きする。
「ぽっちゃりしてて、可愛いんだって」とぽつりとつぶやくなり、ふふっと声を漏らして照れたようにはにかんだ。
なんてことだろう。私は幼稚園生の頃、人生で初めて道に迷った時のように途方に暮れた。
彼女にたくさんのスイーツを振る舞った。
旬のみずみずしい苺を、宝石のように敷き詰めたババロア。
シュー生地を上手く行くまで何度も焼いて、生クリームとカスタードクリームをたっぷりと挟んだシュークリーム。
いつも私が手をかけて作り上げたそれらを、彼女はぺろりとたいらげ満足そうに笑うのだった。
美味しいものは、ストレートに伝えられず綺麗に形を整え捻り出した、私の愛だった。
だけれど本当はどこかで毒を盛っているような気持ちでいた。彼女が私の愛で太り、醜くなることを望んでいたのだ。
太っても痩せても彼女は私にとっては可愛い彼女のままだが、どこかで醜くなれ、誰も手を出さない姿になれ、と願った。
私は、手に入らないならば、彼女を檻に閉じ込めようと思ったのだった。
しかしそれが逆に翼となり、彼女は他の人のところへ飛び立ってしまったのだ。
一瞬で自分の本心が駆け巡り、すべてがわかった瞬間、すべて終わったのだと気付く。かわいた笑いが口から漏れてしまう。
「…おめでとう。お祝いと言ったらなんだけど」
そうだ、冷蔵庫にまだあるのだ。醜い私の心が。
いつものだけどさ、と言いながら、手をかけていた玄関のドアノブをぎゅっと強く握りしめる。
白くて四角く清潔な冷蔵庫の中では、青白い光に照らされカラメルをてらてらと光らせた、美しいプリンが2つきれいに並んでいた。
百合短編集 苦め 詩乃 @ma96n
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