山の魔女と影の兵

仁藤 世音

山の魔女と影の兵

 いつの時代のことなのか、どこの国のお話なのか、それは分かりません。ただ、そこには煌びやかなお城があって、そこから馬を二十分走らせた先に木々の生い茂る山があったのだそうです。


 さて、その城に影の兵と呼ばれる男がおりました。男は要領が悪く剣の腕前もいまいちで、ただ編み物が趣味なので兵長の目を盗んでは編み物をしていました。戦闘訓練でも仲間の影に隠れがちだったせいか、気付けば『影の兵』なんて揶揄されるようになったのです。(望んで兵士になったわけじゃない、だからいいんだ。友人もいれば、お金もある)なんて、思ってはいてもプライドは傷付いてしまうものです。男はだんだん、自分も周りも信頼できないようになっていました。

 そんな折、ある噂を耳にしました。「裏の山に面白い魔女がいる」というのです。はて、一体何のことなのか。てんで分かりませんでしたが、男はどうもこの噂が気になって兵長の目を盗んで夏空の下、山まで馬を走らせたのでした。

 麓まで着くと、何やら小さい人だかり。もしやと思い人影から首を伸ばすと、ウィッチハットを被った小柄で幼さの残る女性が高い枝に腰かけて、行商人たちとお話をしているようです。何も特別なことはありません。ただ取り留めもない話をしているだけ、だけなのに。子連れの商人も、また別の商人も、笑顔で言葉を交わしていました。彼女の明るさが広がって、伝わって。笑顔を生み出していたのです。


 やがて商人たちが城へ荷馬車を走らせると、影の兵とウィッチハットの女性だけになりました。

「えっと、あなたが魔女なのですか?」

「はい、そうなんです!」

 はつらつとした笑顔で応えて、朗らかに空気を揺さぶってくるのです。ですがそれは魔法ではありません。

 兵と魔女はしばらく、下らないお話をしました。次の日も、また次の日も、男は馬を走らせて。魔女に会いに来るたびに見知らぬ顔がいて、みんなとっても楽しそうでした。


 そんなある真夜中、星空の下馬を走らせました。日中は抜け出せない程忙しくて、太陽のあるうちに山へ行けなかったのです。とは言え、こんな真夜中でも魔女がいるとは流石に思っていません。いたとしても、影のような自分を見つけてはくれないだろうと思っていました。

 いつも魔女が腰かけている木に、やはり彼女はいません。男は馬をその木に繋ぐと、木を登り、いつも魔女が腰かけている枝に座りました。そして、誰が聞いてくれるわけでもないのにその日あったことや、影の兵と後ろ指を指される自分のことを話しました。

 やがて話すことも無くなり、もう帰ろうかと下を見降ろすとなんとそこに魔女がいました。

「あなたは! いつからそこにいらしたのですか?」

 魔女はクスリと笑って

「最初からいたんですよー? いないと思っていたせいで、私が見えなかったんじゃないですか?」

 綻ぶ口元を左手で押さえると、透き通るような肌と優しい笑顔が月光に照らし出されました。それはまるで白く光っているようで、眩しかったのです。それから二人、またなんてことないお話をしていました。


 そろそろ空が白みだそうかという頃。

「なぜ、あなたはいつも山に居るのですか?」

「この山が私の家だからですよー」

「なら、城下町で僕たちと暮らしませんか? ここよりもっと楽しいはずです」

「……私は魔女ですから。ほとんど魔法が使えなくっても、もう迫害されてなくっても、普通の人たちと暮らすのは怖いんです。みんな、私を魔女として見ますから」

 初めて、少し困ったように微笑む顔を見たのでした。影は必死に言葉を探します。

「ここに来るみんなは、僕だって、あなたを慕っているのですよ。きっと、そんなことを考える必要は……」

「嫌だなぁ、分かってますよー。分かってるんです。みんながとっても優しいことくらい。でもね? 私が、私に優しくなれないんです」

「っ…………」

 開いた口からは、もう何も出てきませんでした。自分のことを慕ってくれる人がいる事実を、他ならぬ自分自身が受け入れられない。その気持ちが分かってしまう影の兵に、魔女を人間にする言葉は無かったのです。魔女は一瞬俯いてから顔を上げると、ふわりと浮かび上がりました。

「いつもと違うお話が出来て、楽しかった! さようなら、いつも来てくれる影の兵士さん! ……あ、そうだ。お名前は何て言うんですかー?」

「……マルク」

「いい名前ですね! 私はニャッキっていうの、覚えてくれたら嬉しいです!」

 もういつもの笑顔を湛えて、悲しむ様子もなく魔女・ニャッキは去っていきました。


 次の日から、影の兵は山へ行かなくなりました。何も言ってあげられなかった自分が怖かったのです。月光のような笑顔に差した影が、さようならと言う魔女の声が、彼を臆病にしていました。その様を見て仲のいい兵がこういうのです。

「最近明るくなってきたと思ってたのに、またどうしてそんな暗い顔してんだい?」

「いつもこうだったろ?」

「馬鹿にしてる? それなりに長い付き合いなんだ、誤魔化すなよ。お前の編み物は正直だぞ。いつにも増して女々しくて流石に見るに堪えないんだ」

「……。出来ないことをしようとして、うまくいかなかったんだよ」

「ハハ、そりゃあお前らしい。でも、そんなに落ち込むくらいなら大丈夫だな」


 何が大丈夫なのか、マルクにはわかりませんでした。



 月日は流れ、毛皮の手放せない冬がやってきました。雪は降っていなくても、一つ風が抜けるたび、あぁ冬なんだと思うのです。その日も行商は山の魔女の話をしていました。

「とっても明るい魔女の娘と話したおかげで、なんだか元気になれたんだ!」「おいらの下らねぇ愚痴も聴いてくれてよぉ。うっかり発注されてた毛皮プレゼントしちゃったよ」「嫁いだ娘と話してる気分だったわ! また会いにいかなきゃね!」

 陰口をたたかれるマルクとは雲泥の差です。これでも、彼女は怖がっているのかと思うといたたまれないのでした。


 その日の夜深く。なにやら外が騒がしくて、マルクは目を覚ましました。外へ出てみると、夜中なのに遠くが紅く明るく……。

「山火事だ!」

「乾燥してたからなぁ」

 そんな他人事な声が聞えてきます。マルクの脳裏にはニャッキの顔がよぎりました。

「いけない……。行かないと」

 寝具では冬の夜風は寒いはずなのにそんなの気付く余裕も無くて。マルクは馬を叩き起こして全力で山へ走らせました。赤々と燃える山が大きくなるに連れ、蹄の音が鼓動と重なって、マルクは今度こそ怖くてたまらなくなりました。


 猛火に包まれる山にたどり着くと、マルクは必死でニャッキを探しました。しかし見つかりません。泣きじゃくりながら何度もニャッキの名前を呼びましたが、返事はありません。地面に落ちた枝が何度も腕や足に刺さります。もうダメかと思ったその時遂に、うつ伏せに倒れているニャッキを見つけたのです。全身が爛れていましたが、辛うじてまだ息はありました。


◆ ◆ ◆


 その後のことをマルクは覚えていないようですが、目が覚めたときには城内の医務室にいました。起き上がろうにも、看護婦に止められてしまいます。なんでも肺に軽い火傷を負っているらしいのです。ニャッキの事を聞くと、全身の火傷と足に骨折があるものの何とか命は助かって、今は眠っていると言うことです。マルクは安心して、ベッドでまた眠るのでした。


 それから数か月、外はポカポカしてきましたがマルクの心は氷のように冷たくなっていました。ニャッキが普通に歩いて、ご飯を食べて、おしゃべりをして。それが出来るまでに回復したそうなのですが、人前に姿を見せようとしないのです。ずっとお医者様の家に籠りきりで、マルクが何度訪ねても医者づてに「会いたくない」と告げるのです。そのたびに、マルクは手編みの春服やハンカチ、小物を送ったのでした。

 難しい顔をするマルクに彼の友人が話しかけました。

「おいマルク、それじゃ影って言うより闇だぞ?」

「そうかも。でも似たようなものだ」

「違うって……。あの魔女さんのことだろ、お前が助けてきた。さっき次の街へ出た小麦売りの親父もすげぇ心配してたよ。っていうか、この城下町のやつは全員そうだ。行商連中がこぞって噂したせいで、町の連中は大体一度は山に足を運んでるからな。かくいう俺も」

「お前が? それは知らなかった」

「当り前よ。誰にもばれねーように行ったからな! 知ってるか? 王様も、あの魔女のとこ行って話したらしいぜ? しかも、治療にかかるお金は自分が出すからって、医者に言ったらしい」

 マルクは静かにほほ笑みました。


 次の日また医者を訪ねると、何も言わずに中へ通してくれました。そして、ニャッキのいる部屋に案内したのです。布団を覆いかぶさったまま何も言わないニャッキに、医者はこう言いました。


「信じなさい」


 そうして、ニャッキとマルクだけになりました。部屋にはこれまで贈った編み物が綺麗に飾られています。

「えっと、助かって良かったよ。あのお医者様、本当に腕がいいんだ」

「……」

「ごめん。あの夜の日から、会いに行けなくて」

「……」

「あの、」

 そこでバサッと布団を払って、今にも泣きそうな、そして――――火傷の痕が色濃く残る顔が出てきました。そしてマルクの顔を見て笑顔を浮かべるのです。

「どうですか!? ひ、酷い、酷い顔でしょう! 手も! 足も! お腹も! 背中も! どこもかしこも、こんななんですよ! ……笑っちゃい、ました」


 笑顔がだんだん崩れてきて


「お医者様も看護婦さんも、みんな私を憐れんだ目で見るの。何も言わないけど、目が言うの。『かわいそう』って。私そんな風に……思われたくない……」


 クシャリと握った布団に涙が零れて


「あなたもそういう目をしてる。こんなの……。治療だってとても苦しい。痛みとお薬が、私の有りようを否定するの。『これがお前だ』って。私、何も悪いことしてないのに……! もう、綺麗になることも出来ないんです。普通になれない、普通の女の子じゃない。魔女だってこともそう。私が一体何をしたって言うの? ずっと……――はぁーあ! ねぇ、なんで私を助けたの?」

 乾いた震える声は、マルクを責めていました。


 その声と視線を受け止めたマルクは唾を飲み、ニャッキのベッドの前に膝をつきました。そしてゆっくり、優しく抱きしめたのです。

「助けたいと思ったから。ニャッキは僕を助けてくれたから。明るくて、どうでもいい話を聞いてくれて、こうなれたらなって何度も思った。だからあの日、ニャッキの疑心を壊せなかったことをずっと後悔して、僻んでいた。魔女だって、火傷を負ってたって、関係ない。ニャッキはニャッキだ! だから! ……だから顔を上げて下さい。自分のペースで良いんです、言葉を交わしてほしい……。少しでも目を上げてほしい……」


 精一杯でした。それが精一杯だったのです。しばらく二人は黙っていました。


「……名前、憶えていてくれたんですね。でもねマルク、ダメなんです。気持ち悪いものは気持ち悪い。誰も私とは居てくれないよ。私だって、こんな全身腫れあがった人といたくないもの。それに、多分これは治らない」

「確かに、最初は、驚くかもしれない。でも、ニャッキに惹かれた人はとっても多くて、みんな君に会いたがってる。話したいと思ってる。火傷痕なんて、きっと気にしない。少なくとも僕は、もう気にならない。それだって、まだ諦めるには早いよ」


(自分の言葉は勝手だ、言わないほうが良いかもしれない、きっと、必要なのは言葉なんかじゃないんだ)と、マルクは思うのです。それでも、言わずにいられなかったのでした。

 気持ちだけは届いたのでしょうか。ニャッキの頬を涙が伝いそして、ゆっくりマルクの肩に手をかけました。ニャッキは首を振ります。


「ありがとう、慰めてくれて。ありがとう、励ましてくれて。私はこんな自分が嫌ですけど……それでも私を慕ってくれる人がいるなら、もう少しだけ頑張ってみますね!」


 それは弱々しい声に混じった、ほんの少しの光でした。


「そだ、言い忘れるところでした。編み物、ありがとうございます。あんなに可愛いもの作れるなんてすごいです。ずっと、大事にしますね」

「うん……、そんな大層なもんじゃないけど」


 その日から、ニャッキはお見舞いに来た人を拒まなくなりました。色んな人が彼女を訪ねて、たくさんお話をして。みんなが果物や野菜や、置物や家具まで置いていくものだからお医者様の家はモノだらけになっていて、それを見るとクスリと笑えるのです。人の足は途絶えることなく、むしろ増えていて。


「生きていてよかった!」、「またお話出来て良かった」、「やっと城下町に来てくれた!」「あたしの方が面白い話出来るのよ!」、「おねーちゃん、おはなししてー」。気付けば、彼女にこれまで会ったことの無かった人も彼女に惹かれていたのでした。

「きっと治す薬を買い付けてくるから安心しな!」、「マルクに惚れたんじゃないだろうね!? 俺も悪くないよ!」なんて人まで。ニャッキを救った英雄として、マルクの評判も上がっていたのです。


 さて、ニャッキは自分の見た目のことを気にする時間がどんどん無くなって、ふと思い出すたびに悲しくなりましたがその回数はとても減りました。(気にすることも無いのかな)と思える瞬間が生まれたほどです。

 勿論、マルクも何度も足を運びました。ニャッキの笑顔がだんだん自然になっていくのが嬉しくて、何度も。


◆ ◆ ◆


 それから二十年も経ちました。ニャッキは今も城下町で暮らしています。善い薬のおかげで火傷痕は見違えるほど良くなって、もうみんな、自分自身も火傷のことなんて忘れていました。魔女であることなんて、言うまでもありません。

 そんな夏の日、山にある大きな木の根元でニャッキとその息子と娘が遊んでいると、息子が一つの古びたハンカチを指して聞きました。

「この古いのいつも持ってるけど、新しいのに変えないの?」

「えーだめー! あたしこれ好き。可愛いもん!」

 

「こらこらっ! じゃあー昔話をしましょうか! 遠い世界に逝ってしまった、お母さんの親友のお話です」


 そうして何か懐かしむように、青空を仰いで語りだしました。


「いつの時代のことなのか、どこの国のお話なのか、それは分かりません。ただ、そこには温かい人たちが暮らす城下町があって、そこから馬を二十分走らせた先に、独りの女の子が住む山があったのだそうです。さて、その城に影の兵と呼ばれる男がおりました――

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