【screen.3】

また例のように、初老の紳士の元へと戻っていった。

ここは、不思議な場所で、時間の感覚がなくなったような気分になる。

外を見てみても、前の夜空と寸分も違わぬ空を呈していた。

周りをよく見回すと、時計が設置されていないことに気づいた。

普通、一つや、二つは設置するだろうに、一つも、跡形もない。

まるで、最初からなかったように、時計という存在がなかったかのように。

しかし、それも自然な流れのような気がした。

この場所に、時間というものは似つかわしくない。

時間に縛られない、自由奔放とした雰囲気が、この映画館には漂っていた。

いつしか、この場所にも馴染み始め、この状況を楽しむことができていた。

初老の紳士の元へとたどり着く。

「おや、何か楽しそうでいらっしゃる」

初老の紳士は僕に話しかける。

今は客もいないから、喋り相手が欲しいのだと言う。

「ええ、この場所、気に入りました。この映画館の落ち着いた雰囲気、ぼくに合っているのかな、なんて。他に行く当てもありませんし」

初老の紳士は少し表情を変えた。

ほんの少し、風に吹かれた石ころのように。

どことなく、嬉しそうだった。

「映画館はとても素晴らしい場所でしょう。暗いのに、人々の心は光り輝いている。恐怖など、微塵もない。人々に備え付けられた、本能。暗さに対する恐怖。それがないここは、どこか非現実的で、幻想的で、それが人々の目に魅力的に映るのでしょうなぁ」

初老の紳士が言うことは難しい言葉もあったりして、よくはわからなかったが、それでも伝えようとしていることはわかった。

何より、楽しそうに喋る初老の紳士の姿に、この映画館に対する愛着を感じられた。

ああ、いいなあ。

そう、自然と思うようになっていた。

心の中にそういった感情が沸騰した水のようにふつふつと浮かんでくる。

そして、突き動かされるように、感情に為すがままに、その言葉を放っていた。

「僕を、雇ってください」

初老の紳士は、驚いたような顔をした気がする。

それとも、最初からわかっていたような顔か。

「雇う前に、まずは映画をみて、勉強なさい」

初老の紳士は、またチケットを差し出した。

そのチケットには、【screen.3】と書かれていた。

「君は、この映画館の運命と共にある。焦ることはない。まずは、存分に楽しみなさい。楽しむことが、肝心だよ」

そう言って、例の如くいつのまにか列になっている僕の背後を一瞥し、吐き捨てるように、早口で「そこの窓口に行き、早坂さんに事情を話してそのチケットを渡しに行きなさい。まだ上映まで時間がある」と言った。

僕は初老の紳士に従い、窓口に向かった。

その窓口は、比較的簡素なものだった。

初老の紳士の小屋に比べ、移動式の、それでいて高級感漂う木材の少し小さな窓口だった。

そこにいた、1人の若い女性に声を掛けた。

「あの、早坂さんは、いますか?」

「私が、早坂よ。事情は聞いているわ」

と、いつのまにか事情を把握している。

いや、元から知っているような顔をしている。

やっぱり、この劇場は、不思議だ。

「あなたには、名前が必要ね。名前が無くたって支障はないけど、あれば、何かと便利よね」

そう言って、早坂さんは名札を渡してくれた。

「みつ…る?」

「そう、あなたは充。これから充として生きていくのよ。事情はスタッフ全員が把握してるわ。さ、いってらっしゃい。スクリーンへ」


充。僕は、充。

名前をもらい、少し嬉しくなった。

名前をもらう機会など、赤ちゃんの時にしかないだろう。

それを、今体験している。なんとも不思議な気分だ。

そういえば、僕にも赤ちゃんの頃があったのだろうか?

考えれば考えるほどぐるぐるとしてくる。

この感覚は、宇宙のことを考える時と似ている。

果てしなく続く輪廻に頭がブラックホールに吸い込まれるようだ。

モギリの男女の元に向かうと、「充くん、よろしくね」

と、言いながら3番スクリーンへといざなった。

みんなが、少し柔らかく感じられた。


3番スクリーンでやっていた映画は、お仕事の映画。

しかし、ただの仕事の映画ではない。

不祥事がどんどんと明らかになる、社会風刺が効いた映画だった。

やはり、この時も、前方に見覚えのある顔があった。

啓と呼ばれる人物がいた。

やはり、またいる。

今回はまた家族で見に来ていた。

あのファミリー映画の時から時間が経っているようで、親は少し老け、啓は背丈が伸びていた。

「この原作が、面白かったんだよね」

と、啓が言う。

「この原作、ページ数が多いのに、よく読んだね」

と、母親が褒めている。

なおも父親はぶっきらぼうにブスッと前方のスクリーンを一心不乱に見つめている。

「面白い本はすぐに終わっちゃうんだよ」

と、元気よく答える。

あの告白の時から立ち直れたようだった。

あの時からどれくらい経ったのだろう。

かなり背が高くなったような気がする。

しかし、まだ僕よりは少しだけ小さかった。

「ケータイの電源は切ったか?」

と、父親が2人に尋ねる。

ああ、変わらないな、と、少し嬉しく思った。

あの時の家族だ。

そして、映画が始まった。


映画って、不思議だ。

映像が、いともたやすく人々の心を動かしてしまう。

けれども、あかりがつくと、みんな我に返ったようにスタスタと帰っていく。

そんな姿がまるで、移りゆく心のようで、なのに、変わらないこの家族を見ると、なんだか、心が温まる。

懐かしい香りがする。

ああ、映画って、楽しいな。

screen.3に、幕が下りる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

cinemaster 三石 警太 @3214keita

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ