【screen.1】

ポツポツと生まれたての子鹿のように頼りないリズムでまわりをさまよっていると、そのフロアの角に怪しげな光を放つ場所があった。

入り口は大きくあけひろげになっていて、中はその入り口の何倍も大きい。

全体的に漆黒に包まれているのに、不思議と明るくまわりは明瞭だ。

上には看板が設置してあり、大きい文字が張り付いていた。

【時をかける映画館】と書かれたその入り口をくぐると脇に小さい小部屋があった。

"受付"と書かれたその部屋に佇む初老の紳士は朗らかに話しかけてきた。

「こんにちは。こちらをどうぞ」

初老の紳士は小さい、けれど少し厚い紙を手渡してきた。

「あ、えと、これは?」

「一番スクリーンになります。ごゆっくりどうぞ」

「え、買ってないんですが」

初老の紳士は僕の後方を一点の曇りなく見つめている。

「次の方、どうぞ」

いつのまにか、僕の後ろは列になっている。

僕は押されるようにこやから引き剥がされた。

初老の紳士は次の人にも同じような紙を手渡し、応対している。


僕は渋々、その小屋から離れ、一番スクリーンを目指す。

"1~7番スクリーンはこちら"

との文字を見つけ矢印に従い移動する。

若い男女2人組が2つの出口に立ち、紙を片側だけ回収している場所があり、矢印はその中を示していた。

「こちらでチケット拝見いたしまーす」

と、その若い男女は交互に口にしている。

初老の紳士に手渡された紙はよく見ると真ん中にミシン目が入り、手で切れるようになっている。

僕はおそるおそるその男女に話しかけた。

「あの、一番スクリーンはここですか?」

「はい。こちらでお預かりいたします」

僕はその男女のうち左側にいる男性に初老の紳士にもらった紙を渡した。

男性は半分にちぎり、"月刊 時をかけるシネマズマガジン"と合わせて渡してきた。

「ごゆっくりどうぞ。…大変お待たせしました。一番スクリーンですね、まっすぐいって左側になります。ごゆっくりどうぞ。」

と、手際よく客を捌く。


僕は一番スクリーンと書かれた看板の真下にある、重厚なドアをやっとの思いで開ける。

少し長い一本道を歩くと、予告編が流れているようで、サウンドがこちらに伝わってくる。

中は広く、複数のブロックに分かれ、席が配置されている。

「僕の席は、G列の2番か」

僕の席は真ん中の列の端の席だった。

スクリーンの見え方は奥の方が見にくいかと思いきや、全体像がはっきり見え、席とスクリーンの関係も計算されているのだなと実感する。

どうせ、何をすればいいのか、などわからないのだから、と現実に目を背いた結果、落ち着くことができた。

客の入りはまちまちで、そういえばこれがなんの映画なのかもわからず見ていることに今更ながら気づく。

そこに、1組の家族が入ってくる。

「景ちゃん、走ったら危ないわよ」

「わかってるよ!席どこー?」

どうやら3人家族のようだ。

かなり若い夫婦で、父親は厳格な雰囲気を漂わせている。

一方母親は朗らかなオーラが満ち満ちていた。

2人とも眼鏡をつけており、どこか、似ていた。

子供は小学校低学年、といったところだろうか。

はしゃいで自分の席を探している。

「景ちゃん、静かにしててね。約束よ?」

「うん!わかった!」

とはいうものの、一向に静まる気配はない。

いよいよ始まるというところで場内の電気はだんだんと暗くなり始め、父親が母親に聞いた。

「母さん、携帯電話の電源は切ったか?」

「はいお父さん、ちゃんと切りましたよ」

「そうか」

マメな父親だなあと思った。

口ぶりからして、このやり取りは何回かされており、慣れた受け答えのように感じた。

'映画の盗撮は懲役及び罰金に課せられます'

という注意喚起も終わり、いよいよ本編が始まった。

この映画はファミリームービーのようで、アニメになっていた。

美麗なイラストに壮麗な音楽。

ストーリーは、少女が主人公。

偶然迷い込んでしまった異世界で、どうにか生き抜くというストーリー。

その家族は映像に見入っている。

最初に少女が迷い込むシーンはすごかった。

ガラッと映像が変わり、一瞬でこれまでいた世界とは違うのだということがわかった。

この世界観を築き上げる才能は恐ろしいな、と監督に感心した。

エンドロールが始まり、ちらほら観客が席を立つ。が、あの家族はじっとエンドロールを見つめている。

僕も劇場内が明るくなるまで待った。

少し催しそうではあったが。

場内が明るくなり、父親が子供に聞いた。

「景、どうだった?」

「とっても面白かったよ!パパ!」

「そうか、それは良かった」

「お父さん、泣いてるじゃないの」

母親が父親に笑いかける。

普段無表情の人ほど、こういう場で溜まった感情を放出するのだろうか。

「感動した」

「私もですよ、お父さん」

家族は口々に感想を述べ会いながら、一番スクリーンを後にした。


ああ、ああいう家族はいいなあとしみじみと思った。

映画のいいところと言えば、同時に一つのものを鑑賞できるところであろう。

感想を述べあったり、内容を補完しあったり、そういうところが映画へと人を誘うのだなあと感じた。

観客が1人残らず出終わったところで、僕は劇場内でポツンと立っていた。

皆の感動がこだましているようだった。まだ熱気は残っている。

足元を見れば、誰かがこぼしたであろうポップコーンが、一列につき、一ヶ所か二ヶ所散乱していた。

清掃員の方が掃除を始め、いたたまれなく、一番スクリーンを後にする。

僕には帰る場所などないのに。

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