空に花 不機嫌な夢

無月弟(無月蒼)

ハナとユメ サマーラブ

 夏の長い日照時間が終わり、辺りが暗くなってきた頃。アタシは大勢の人が行き交う中で、履き慣れない下駄をカランコロンと言わせながら、足早に歩いていた。


 最悪、最悪、最悪!

 不機嫌なのは、暑さのせいじゃない。着ている浴衣は、通気性がよくて涼しいけれど。焦っている私の背中には、嫌な汗が流れている。

 だけど誰のことも責められない。だってこんなに急がなくちゃいけない原因を作ったのは、他ならぬアタシなんだから。


 今日は町の花火大会の日。毎年友達と一緒に見に行っているんだけど、今年はちょっと事情が違う。

 いつもは大勢で行くことが多いけど、今日は私と幼馴染みの男の子、ユメと二人きりでの花火見物……ううん、少し訂正するね。幼馴染みの男の子じゃなくて、今は彼氏の男の子、それがユメなの。

 家が近所で、小学校の頃から一緒。お互いのことを、『ハナ』、『ユメ』って呼び合う仲の私達。そしてユメは、アタシの初恋の男の子。


 ずっと好きだったんだけど、中々気持ちを伝えられなくて。だけど高校生になって、モテだしたユメを見て焦って。勇気を出して告白して、OKをもらったのが少し前。まだまだ新米のカップルだけど、これから少しずつカレカノらしくなっていきたいなって思って、二人きりで花火大会に行こうって話になったんだけど……


 ドーンと言う音と共に、空に大きな花が咲いた。もう始まっちゃったんだ、まだユメと会えていないのに。


 焦っていた理由は、待ち合わせに遅刻しているから。本当はもっと早く合流して、打ち上げが始まる瞬間を、二人で見るつもりだったのに……アタシのバカ。


 遅れてしまったのには訳がある。せっかくのデートなんだから、綺麗にしていこうと思って、普段はやらない化粧をしてみたんだけど……これがいけなかった。

 慣れない化粧は、思っていたよりも難しくて、全然思うようにいかなくて。

 更に、暑い部屋で化粧をしていたのがいけなかったのか、時間をかけていたら汗で崩れてきて、いよいよ思うように進まなくなってしまったのだ。


 失敗した。化粧なんてほとんどしたことないのに、一人で何とかしようとするんじゃなかった。友達やお母さんに頼ろうかと、考えなかった訳じゃないけど。ユメとのお出掛けに、気合い入れすぎだって思われるのが嫌だったから、頼めなかった。


 結局上手くいかないまま、待ち合わせの時間が迫ってきたからあえなく断念。やっぱり、慣れないことはするもんじゃない。しかし、諦めたは良いけど、そこからがまた長かった。

 中途半端に化粧をした顔を洗って、浴衣に着替えようとしたものの、それも中々上手くいかずに。化粧にばかり気をとられていて、浴衣の着付けが簡単じゃないってことを、すっかり忘れていた。


 これにはお母さんを頼ろうとしたものの、タイミングが悪いことに丁度出掛けていて。一人で頑張ってはみたけれど、上手く着れずにヨレヨレににっちゃって。

 そうして悪戦苦闘しているうちに帰ってきたお母さんの手を借りて、どうにか着替えることはできたんだけど。もうすっかり時間は押してしまっていた。


 せっかくのお出かけなのに、遅刻しちゃうなんて本当に最悪。

 こんなことなら、ユメにはうちに来てもらえばよかった。アタシ達の家はすぐ近くだから、最初はどちらかの家で合流してから出掛けようかって言ってたんだけど、話し合って、現地集合にしていたんだ。

 まあ、アタシが言い出したんだけどね。だって待ち合わせした方が、その……デートっぽいじゃない。だけど自分から言い出しておいて遅刻だなんて、本当に笑えない。


 一応遅れるってメールしておいたけど、ユメ、怒ってなかなあ? 普段は物静かで、怒った所なんて私でもそんなに見たことは無いけれど。待ち合わせに遅れたのなんて初めてだから、どうしても不安になってしまう。

 早く行かなくちゃ。慣れない下駄で、それでも急ぎながら。花火を見る人でにぎわう商店街の中を足早に歩いて行く。


 だけどどうやら、今日はつくづく厄日らしい。

 横断歩道の前で信号待ちをしていたら、誰かにポンと肩を叩かれて。もしかしてユメ? そう思って振り返ったのだけど……


「ねえ君、ちょっといいかな?」

「えっ?」


 そこにいたのは、アタシより少し年上と思われる二人の男性。いったい何なんだろう、急いでいるのになあ。


「ねえ、駅ってどっちにあるか知ってるかな? 俺達地元の人間じゃないから、分からなくてさ」

「駅ですか? それならこの道をまっすぐ進んで……」


 ここからだと少し離れているから、説明が難しくなってしまう。なんとか道筋を教えたものの、やはり分り難かったのか、彼らはピンと来ていないような顔をしている。


「うーん、ごめん。よく分からないや」

「君、悪いんだけど案内してくれないかな?」

「え、でもアタシ、待ち合わせをしてて……」

「大丈夫、そんなに遠くないから」

「えっ、ええっ⁉」


 駅の場所が分からないって言っていたのに、どうして遠くないって分かるんだろう? だけど今問題なのはそこじゃない。この人達には悪いけど、一刻も早くユメと会わなくちゃいけないの。だけど彼らは、よほどアタシを逃がしたくないのか、肩に手を回して逃げられないようにしてきて……


「ハナ!」

「あ、ユメ!」


 有無を言わさずに案内をさせられるかと思った矢先、聞こえてきたのは馴染みのある声。振り返るとそこには、さっきまで探していた人物、ユメが立っていた。

 いつもの洋服姿とは違って、アタシと同じく赤茶色の浴衣を着ているユメ。普段とは違うその姿に、一瞬ドキッとしてしまったけど。すぐにそれどころじゃないと悟る。

 だってユメ、明らかに不機嫌なんだもの。ジトッとした目でこっちを見ちゃってるし。どうやら遅刻したことを、よほど怒ってるみたい。

 何て言って謝まればいいかな? 誠心誠意謝罪したら、許してくれるかな? そんな事を考えていたけど。


 ユメは何を思ったのか、何も喋らないままズカズカとこっちにやってきて、強引に私の手を取って引っ張った。


「え、えっ⁉」


 アタシは呆気にとられてしまったけれど。予期せぬ人物の登場に困惑しているのは、道を尋ねてきた二人組も同じ。いきなりアタシをとりあげたユメに、何か言いたげな様子だけど、言葉が見つからなくて困っているみたい。その代わり、ユメがそんな二人をキッとにらんで一言。


「この子、俺の彼女ですから」


 夜空にドーンと言う花火の音が響いて、同時に私のハートはズキューンと撃ち抜かれた。

 か、彼女って。ユメったら、どうして急にそんな、彼氏アピールしちゃってるの? 自慢の彼女ですよーって、見せつけたいとか? ううん、そんなはずないよね。自分で言うのもなんだけど、アタシってそんなに可愛くないし。

 ああ、でも「俺の彼女」って言ってくれたのはとても嬉しい。スマホで録音しておけば良かった!


 そんな事を考えていると、ユメがそっと、アタシの手に自分の手を重ねてきて、思わずドキッとする。

 急な手繋ぎにドキドキしたけど。ユメは相変わらず少し不機嫌な顔をしながら、強い口調で言ってくる。


「行こう、ハナ」

「う、うん。あ、でもあの人達、駅の場所が分からないって言ってて……」

「いいから! さっさと行くよ!」


 問答無用と言わんばかりに、手を握って引っ張って行くユメ。

 普段はこんな風に話も聞かずに連れて行くなんてこと、絶対にしないのに。もしかしてこれは、相当怒ってる? アタシが遅刻しちゃって、待ちぼうけをくらってたから、鬱憤がたまっちゃってるの?


 ああ、何だか急に、嫌な汗が出てきた。きっと手汗も書いちゃっているだろうけど、その手を今、ユメが掴んでいると言うこの状況はどうしたものだろうか。汗をかいてる手を握られるだなんて、恥ずかしいから放してほしいって思うけど、無理やり振りほどくなんて出来るわけ無いし。


 焦りと不安で心臓がどきどきしてきて、あんなに大きかった花火の音が、やけに遠くに感じる。さっきまでと、距離は変わらないはずなのに。

 そうしてしばらく足早に歩いていたけど。少し人の少ないところまで来たら、ユメはようやく手を放してくれて、真っ直ぐこっちに向き直った。

 だけど何か言うわけでも無くて、沈黙がとても怖くて。これは、アタシから何か言えって事なのかな? そうだよね、遅刻しちゃったんだから、まずはちゃんと謝らなくちゃいけないよね。


「ユメ……ごめん、遅れちゃって。待ちくたびれてたよね。本当にゴメン!」


 大きく頭を下げてみたけれど……何だかユメってば、複雑そうな顔で溜息をついちゃった。


「遅れた事なんてどうでもいいよ。ちゃんと連絡もしてくれたんだし。それよりハナ、さっきのアレはいったい何?」

「さっきのって、道を聞かれていただけだけど」

「……ハナ、それって本気で言ってるの? あんなのそう言うフリをしただけに決まってるででしょ。適当なこと言って、ハナを誘おうとしたんだよ」

「アタシを? ははっ、まさかー」


 ユメが言おうとしていることは分かったけど、そんなの考えすぎだって。だって今まで、そんな風に誰かから声を掛けられたことなんてなかったし。並中の並みの容姿をしたアタシを誘って、何の得があるって言うのさ。

 だけど、ユメはそんな風に笑うアタシを、ジトッとした目で見てくる。


「真面目に聞いてよ。ハナはそう言う事に、無防備すぎるんだから」


 苛立った口調で、不機嫌そうに言うユメ。マズい、どうやらこれは、本気で怒っているみたい。

 何かフォローしないと。だけど口を開くよりも早く、ユメは素早く肩に手を伸ばしてきて、アタシを抱き寄せてきた。


「ひゃん⁉」


 ユメはそんな体格がいいわけじゃないけど、それでも男の子。抱き寄せる力は強くて、がっしりと掴む手は、アタシを逃してはくれない。嫌じゃないんだけど、いきなりこんな事をされて、心臓が凄くドキドキ波打っている。


「ユ、ユメ……」


 頭一つ分くらい高い所にあるユメの目を見ると、何か言いたげにじっと見つめ返している。

 澄んだその目で、熱を持った視線を送られて、またもドキドキ。というか、近い! 近いよユメー!

 密着するくらいに抱き寄せられて、恥ずかしいのに逃がしてはくれなくて。向けられる視線に耐えられずに、思わず目を逸らしてしまったけれど。ユメはそんなアタシに顔を近づけてきて、耳元でそっと囁いた。


「少しは可愛いって自覚を持ってよ。でないと心配で、放したくなくなる」

「―—ッ⁉」


 耳に当たる息がくすぐったくて、思わず身を震わせる。

 いけない、このままだと死んでしまう。半ばパニックになったアタシは、目を回しそうになりながら早口で答える。


「わ、分かったから。ちゃんと可愛いって自覚持つし、変な人に声を掛けられた時は逃げるし、これからはユメの事だけを考えて……あ、これは元からか」


 まあ、そう言うわけですから。そろそろ解放してはくれませんか。いつまでもこうしていると、本気で意識が飛びそうなんです。

 顔を上げて、そう目で訴えると、ユメは満足してくれたのか、肩に回した手の力が緩んで、ようやく少しだけ距離を開けることができた。


「分かってくれればいいよ。ハナはいつも心配ばかりかけるんだから、少しは俺の身にもなってよね」

「……はい、ごめんなさい」


 まだ熱を帯びている頭を冷ましながら、フウッと息を吐く。

 いったいユメの目には、アタシはどんな風に映っているんだろう? 本当はやっぱり少し、心配し過ぎなんじゃって思うけど、こんな風に想っていてくれるのは、素直に嬉しかった。


 その時、空にひと際大きな花火が上がって、アタシ達は思わずそっちに目を向ける。

 夏の真っ暗な夜空に、色とりどりの花が咲いて。アタシ達は並んで立って、それを眺めた。


 ふと、左手に柔らかな感触がある。

 見るとユメの手がそこにあって、アタシはそれを握り返す。さっきみたいに近すぎるのは困るけど、これくらいなら、いいよね。せっかくの……デートなんだから。


「あ、そうだ。そう言えばもう一つ謝らなきゃいけない事があったんだ。さっきも少し言ったけど、ゴメン。待ち合わせに遅れちゃって」

「ああ、そのことね。本当に別に怒っていないけど、珍しいね。ハナが遅刻するだなんて。何かあったの?」

「それが、その……ちょっと化粧をやってみようって思ったんだけど、上手くいかなくて。モタモタしてたら遅くなっちゃった」


 恥ずかしい理由だけど、迷惑かけた以上はちゃんと話さなくちゃいけない。するとユメは、可笑しそうにくすくすと笑った。


「何その可愛い理由。化粧したハナが見れなかったのは残念だけど、まあいいか。今だって十分に可愛いんだから。その浴衣も、とてもよく似合ってる」

「それを言うならユメだって。あんまり……ドキドキさせないでよね」


 照れるアタシと、微笑むユメ。そんないつも通りのアタシ達だけど、今日は特別に感じるのは、どうしてかな?

 まるで真夏の魔法にかかったような、甘い空気を感じながら。アタシ達は花火を眺めてるのだった……








「あ、あのさユメ」

「何?」

「手、そろそろ放しても良いかな? このままだと手汗かいちゃいそうで、恥ずかしいんだけど。何だか心なしか、さっきから色んな人に見られているような気もするしさ」

「え、うーん……」


 ユメは少しだけ考えた後、悪戯っぽく笑った。


「ヤダ。ハナは無防備すぎるんだから、今日はずっと繋いでる」


 さっきまで不機嫌だったせいか、ユメはちょっとだけ意地悪になっていたのでした。




 ♪おしまい

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