第9話 公園

 次の日の夕方、ハカセがいない間に支度をして私の地元へと電車に乗って出かけた。なつかしさの残る駅で電車をりると、その足で高校のときに通っていた病院に行き、前にかかりつけだったお医者さんの先生に会いに行った。


 ハカセが話していたことが本当かどうか確かめに行くためだ。病気の診察しんさつだと言って口実こうじつをつくり、私がハカセから聞いたことを先生に話すと、息を飲んでおどろかれた。先生は「すまなかった、あのときは手術をする前に彼女の意思を確認をしたかったが、私の判断はあやまっていた。そのことが彼女の負担ふたんになってしまった」と言ってくれた。


 私の命を助けようとしてくれたのに、なんで謝るんですかと私は言って、「ただ真実かどうか確かめたかったんです。こちらこそすみません、突然こんな話をして。ありがとうございます。そこまでしてくださってるとは思っていませんでした」と感謝を伝えた。


 ねむりは先生に私にかんするあらゆることを話していたみたいで、私の私生活や学校での出来事を事細ことこまかに楽しそうに話していたそうだ。それを聞いて、なんでねむりは私なんかの友達でいてくれたんだろうと不思議に感じてしまった。私なんかの出来できそこないの人間より、よっぽど他の友達とのほうが楽しく学校生活を送れたに違いないのに…。


 私は病院から外に出ると、大きく深呼吸しんこきゅうをして歩き出した。さっき通った並木通なみきどおりをぬけ、歩道橋ほどうきょうわたり、ツカツカと無心むしんで歩き続けた。また、暗い気持ちで心が満たされ始めてるのを感じる。


 遠目に駅の一部分が見え始めた時、体が急に重たくなるのを感じた。病気のせいかねむりのことで悩んでいるからか分からない。私は一回実家に帰って休んでいこうかとも考えたけど、家族の悲しい顔を思い出すとその考えは消えていった。


 私は心身しんしんがきつくなる前に早く帰らないとと考え歩き出そうとしたとき、自分の鼻に違和感を覚えた。手で触ってみると指に真っ赤な血がべっとりとついていた。


 その途端とたん、私は恐怖を覚えた。ねむりが病気で苦しんでいるときも、鼻血なんかの出血がひどくなって、体が重たくなると言っていたのを思い出したからだ。私は急いで近くの雑貨店に入り、手洗い場へと向かった。血を水で洗い流しカバンからハンカチを取り出して顔をいた。


 かがみには白くて今にも消えてしまいそうな自分の顔が写っている。私は背後から逃げることのできない死が近づいてくるのを感じ、店から出ると家路の歩みを速めた。踏切を渡り駅のホームへ行くと、ちょうど出発待ちの電車が来ていて、乗り込んだと同時にドアが閉まった。


 動き出した電車の窓からは、オレンジ色からうっすらと暗くなってゆく街が見える。その景色を見ながら自分がどうしていかないといけないか考えを巡らす。きっと、これからキツイ判断をいくつかしないといけなくなる。それは大事な人たちを悲しませないためにけては通れない道。自分で決めるんだから気持ちがらがないようにしないと。私は手を握りしめて、さみしい感情がいてくるのをおさえた。


 駅のホームを出ると外はもう暗くなり、空には星がいくつか光っていた。町を行きかう人たちもどこか急ぎ足で、それぞれの家へ帰っていくように見える。私もハカセの家に帰ろうといつもの交差点の横断歩道を渡ろうとしたとき、「まいご」とどこからか声が聞こえてきた。


 声のしたほうを見ると、そこにはグレーのシャツにベージュのズボン姿のハカセが駅の方から歩いて来ていた。気持ちが落ち込んでいたせいか、いつも見ているハカセの顔を見たときホっとした感情を覚えた。


 「ハカセ。どうしたの、どこか行っていたの?」

「あぁ、単身赴任たんしんふにんで県外に行っていた友人が久しぶりにこっちに帰って来てると聞いて、会って話しこんでいた」

ハカセはいつも通り私に話すけど、表情はどこか沈んでるようにも見えた。


 人の流れにのって家の方へハカセと歩き、駅前の明るい街を抜けると、さわがしかった人達の声がだんだんと消えていった。どこか遠くで踏切ふみきりが鳴っているおtが聞こえるだけで、明かりも等間隔とうかんかくにぽつんぽつんとある街灯だけとなっていた。


 そんな道をスタスタと2人で歩くけど、会話は全然なかった。ハカセは昨日のことを気にしてるのか、目は遠くを見ていて考えこんでるよう。坂道をのぼり丘から街を見下ろすと、街の明かりが煌々こうこうと広がっている。いつも見ている風景なのに今日は特に綺麗に見えて、そしてなんだかせつない気持ちにさせられる。


 だめだ、やっぱり今日ハカセに話しておかないと。いつまでもこんな気持ちのままじゃいれない…。ハカセが黙っているのも、私と同じように重たい空気を感じているからだ。

 


 私は沈黙ちんもくやぶりハカセに話しかけた。

「ねぇハカセ、この坂道をもっと登ったところに街を見渡せる公園があったよね。今日ひさしぶりに行きたいんだけど、一緒に来てくれない?」

私はハカセのそでをつかんで笑顔で話したつもりだけど、ハカセのほうはもうなにかっしているようで、表情なくうなずくだけだった。


 ハカセの家へと向かう曲がり角を通り過ぎ、雑木林ぞうきばやしを横手に坂をどんどん登って行った。この丘の頂上付近ちょうじょうふきんに近づいてくると坂も急勾配きゅうこうばいとなり、歩くのが大変だ。雑木林の木のえだが歩道の方まで伸び空をおおっていて、夜に通るのは暗くて怖いかも。


 しばらく登って行くと雑木林がなくなり視界しかいが開け、小さな公園が見えてくる。ブランコとすべり台にいくつかのベンチしかない公園。他の誰かがこの遊具達で遊んでるのを見たことがないし、ちょっとすたれてしまってるって表現が当てはまる。でもその公園の奥に広がってる夜景はこんなに広く遠くまで街を見渡せる場所は他に無いくらい見晴らしが良い。ここから遠くの街を見ていると、まるで公園が宙に浮いてるよう。多分この場所を知らない人が偶然ぐうぜんここに来たら、きっと多少の感動は覚えてくれるかもしれない。


 私は久しぶりに見る公園の景色に見惚みとれていた。ハカセのほうを見ると、表情が少しだけゆるくなり、私と同じような気持ちになってるみたい。

 私は公園のブランコへとって、本当はすわる所に立って乗り、ブランコを軽くこいだ。


 「ハカセも来て、やっぱりここの景色いいよ」

私は街のほうを指差してハカセに声をかけた。

 空に浮かんでいる三日月が、ときおり雲に隠れながら夜をうすらしている。

ハカセは私のとなりのブランコにこしかけ、前の景色を一緒に眺めた。

「この公園に来るのはえらく久しぶりな気がする。前に来たのはいつだったかお覚えがない」

「前にハカセと来たのは4月ごろだよ。公園の桜を見ようってハカセが言い出したのに覚えてないの?」

ハカセは、頭の中を探りなんとか思い出そうとしているのか、目を細めてしぶい表情をした。

「そうだったか?」

「そうだよ。その時もココに来たのは今ぐらいの遅い時間だったかな。桜がぱらぱら舞っていて、それを見ながらハカセは学生時代の思い出話しを語ってたよ」


 ハカセは私のほうを見て笑い、驚いた表情をした。

「俺が学生時代の話をしてたのか?」

「夜中の学校のプールにお兄さんと忍び込んで遊んだとか、けっきょく後でバレてさんざんな目にあったとか、昔はやんちゃでしたばなしを楽しそうにしてたよ」

私はあきれたようにその時のことをハカセに言うと、不思議そうに私を見るだけでピンときてなかった。


 「そんなことを話していたのか、俺もよくしゃべるようになったもんだ。悪かったな、楽しくない話を聞かされて苦痛だったろ」

ハカセが笑いながらそう言うのを私は無表情で聞いた。


 「なんで忘れちゃうかな…」

私はひょいっとブランコから飛び降り、前へと歩いて行った。公園のはしには低い木製の柵がされていて、向こう側は急斜面きゅうしゃめんの崖になってる。でもその端に立つと、この町の中心に自分が立って全てを見下ろし、小さな悩みも消してくれそうな景色を見ることができる。


 「私はなんだって覚えてる。昔のこと、この町に来たときのこと、学校でのこと、友達のこと、もちろんハカセのことでもなんでも。アルバムみたいに頭の中でずっと残って、忘れようとしても消せない」

私は後ろのハカセの方は見ずに話した。


「たぶん、自分に終わりが近づいて来てることが分かってて、ココにいたんだっていう証拠しょうこを必死に残そうとしてるから、だから、他の人よりも思い出が鮮明せんめいに残っちゃうんだろうな、きっと」


 ハカセはしばらく黙ったまま何も言ってくれなった。風が草や木の葉をらす音が聞こえる。私は深呼吸をして、手をぎゅっとにぎった。


 「これから病気の症状しょうじょうがひどくなって、たえきれなくなるかもしれない。お店の手伝いもできなくなるし、きっとハカセに迷惑をかけちゃう。だから、そうなる前に離れようと思うの。できればもう少しココにいて、ハカセに料理なんかを教えて欲しかったけど、頼ってばかりじゃいられないし…」


 私は手が緊張きんちょうふるえているのがわかった。言えるかどうか不安だったけど、伝えたいことは話すことができた。気持ちは話しても暗いままだけど、正しい方へと自分が向かってるのは間違いない。なんか胸が苦しいな…。


 「…なぁ、まいご。昨日も話は聞いたが、家を出ていくしか選択はないのか?俺は病気のことを知ってしまったが、まいごが気にならないように前と変わらずにせっするさ。最初は違和感を感じるかもしれないが、そのうち忘れて元の状態に戻るはずだ。今までうまくやっていけてたんだ、大丈夫、これからもなんとかなる。」


 ハカセはいつもと変わらぬ口調くちょうで私に話した。なんでこうも私が言ってほしい言葉ばかりハカセは話してくれるんだろう。でも、とてもじゃないけどこのままハカセの家にいて、病気で苦しんでる自分の姿なんて見せられない。どうか、そのまま知らずにいて欲しい。


「大丈夫じゃない。大丈夫じゃないんだよハカセ…」

自分でも言いたくないのに言わないといけないのが本当につらい。どうにもならない状況でも希望の言葉を言ってくれる人がいるのに、それに答えることができないのがくやしくてせつない。


 私の言葉を聞いたハカセは小さくため息をついた。

「…そうか。できればウチにいてさわがしくしていて欲しいが、無理に引き止めはしない。だが、家を出るにしてもまた新しい場所を探さないといけないだろうし、時間がかかるはずだ。その間にここを出て生活をしていけるか考えてほしい。病気と付き合いながら誰かの助けを借りる必要があるはずだ。その考えがまとまるまでは出ていくか決めるのを先にばしてくれないか」

私は振り向いてハカセの顔を見た。肩を落としつかれた表情のハカセは私をまっすぐに見ていた。


 「うん…よく考えてみるよ」

自分の中ではもう考えは決まり変えるつもりはなかった。でも今のハカセにそれは言えない。私のことを思って言ってくれているのを知っていたから。




 「まいご、お前の話しは終わりか?もしそうなら、俺も少し話したいことがある」

私はまたブランコのほうへり、ゆらゆらと足でこいだ。

「え?終わりだけど。話ってどんな話?おもしろい?」

私はふざけてハカセに顔を近づけて言った。

「おもしろくはない」

「えー、暗い話ししたから、楽しい話が聞きたかったな」

私はわざとらしく肩を落とし、落ち込んだ姿をアピールした。



 「話と言うのは俺自身の昔の話だ」

「ハカセの昔の話し?」

「あぁ、昨日まいごに話したくなかったことをしゃべらせてしまった以上、俺自身のことも話しておきたい。イヤなこともすべてな」

ハカセは暗い表情のままだけど、何かを決心をするように私に言った。


「私のことなんて気にしなくていいのに。でもハカセが昔どんな人で何をしていたかは興味あるかな。あまりくわしく聞いたことなかったし」

「少し長くなるがいいか?」

「長話し聞くのはかたりのおかげで耐性たいせいついてるから大丈夫。何時間でも話していいよ」

「そこまではいかないが」

そのときハカセの口元がゆるんだのが分かったけど、すぐにもとの表情に変わった。



「まずどこから話そうか。そうだな、最初に俺の弟のことについて話をしていこう」




 それから、ハカセは弟さんやお兄さん、家族に起こった出来事をたんたんと私に話してくれた。その内容は私が想像していたものとはかけ離れていて、まるでどこか異国いこくの話を聞いてるように現実離れし、そしてとても痛々しいものだった。人が殺されたとかニュースで何度も見たことがあるけど、そのことを実際じっさい関係のある人の口から聞くと一気に現実味が増す。




 「これで俺自身の話しはだいたい終わりだ。あまり気分のいい話しじゃなくてすまない」

ハカセは話し終わると目線を落とし、昔の苦い出来事を思い出しているようだった。

「…私が想像してた話と全然違っていて、なんて言ったらいいか。大変だったんだね…」


 「もう何年も前の話しばかりだ。大変だったし傷ついたが、それも時間が解決してくれるだろう」

ハカセはなつかしさをかみしめながら私に言った。

「それと、まいご。今の話を聞いて、俺が人を傷つけて警察沙汰けいさつざたになったのはひっかからなかったか?」


急に質問を投げかけられドキっとした。

「そ、そうだね。そこは驚いたかな」

しどろもどろで私は答えた。ハカセはどうしても人の気持ちを読み取ろうとしてしまうクセがあるみたいだ。

「やった罪はなにをしても消えない。もし罪ほろぼしという言葉があるなら、周りからそういった人間だと偏見へんけんの目で見られ続けることがソレにあたるだろう。だからまいごが俺のことを怖がるのはあたりまえで、そのことについて気にすることはない」


 ハカセは私と目をそらし前の景色見ていた。

「昔、不思議に思っていたことがあった。俺と兄貴は小さい頃、顔や背丈せたけが同じで行動や考え方も似通にかよっていた。好きなスポーツや食べ物、本や服の趣味とあらゆる点で共通点が多かった。それを見て周りは俺たちによく似た兄弟だと何度も言っていた。だが、なぜか親父は俺たち兄弟のことを1度も似ていると言ったことがなかった。小さかったときの俺はそれが不思議だったが、今ならよく分かる。表面上は俺も兄貴と同じように当たりさわりのない人間に見えるが、俺の性格を形成けいせいしている根本的こんぽんてきな部分が兄貴とは全く違っていたことを親父は見抜みぬいていたんだろう。俺は感情がブレると自分を見失う。俺がしてきたことはさっき話したことだけじゃない。ほかにもいくつか…」

「そこから先は話さないでハカセ」

私はハカセの話しに割り込む形で言った。


 「何?」

ハカセは驚き私に聞き返した。

「今言ってくれたように、やってしまったことは消えなくて、それは私が聞いても同じなんでしょ?」

「それはそうだが…、俺はまいごが知られたくなかった事実を知った。だから、それ相応そうおうのことを俺も話さないと」

「じゃぁ今じゃなくて、もっと後になって話して。楽しく話せるようになってから。そんな眉間みけんにしわ寄せた顔じゃなくてね」

私はハカセの顔を指さして笑った。ハカセはその言葉が意外だったらしく言葉が出てこないでいた。

 


 ハカセの重たい話を聞いた後なのに気持ちが軽い。話せなかったことを言えたからかな。何も解決できてないし不安も消えないままだけど、今この時だけは心が安らいでる気がする。家を出て1人になると思うと、こんなふうに誰かと話してる時間がすごくいとおしい。




 「なら俺自身の話しはこれで終わろう。聞きたくない話を無理に聞かせるわけにもいかないしな。ただ、最後にどうしても伝えておかないといけないことがある。なぜ俺がこうまでしてまいごの病気のことを調べたかについてだ。その理由を言わせてくれ」

夜中の公園に私たち以外の人の気配はなく、ときおり遠くで車のエンジン音が聞こえるくらいだった。



 「昨日話してくれてた、ねむりの件で調べる必要があったからじゃないの?」

「確かにそれもある。だが、それだけならまいごに何も言わずに調べはしなかっただろう。実は昨日話したように、まいごが今望んでいることをしてやれるかもしれないと思ったからだ。そのためにはどうしても病気のことを確認する必要があった」

いったい何の話しだろう。ねむりの件は解決したし、病気のことを知ってもハカセが病気を治せるわけでもない。それ以外に私が望んでいることってあったかな。


 「私が望んでること?」

「あぁ、ねむりの件を俺に頼んだとき言っていただろ、『もう1度話したい』と」

私はハカセの言葉を聞き記憶をたどった。夜中遅くに起きて、リビングでねむりのことを初めてハカセに話したことを。そうだ、ねむりの探し物を見つけてほしいという前に、最初にハカセにお願いをしていた。でも、それはあまりにありえなくて、私も言ったことを記憶から消していた頼みごと。


 「ハカセ。でも、それって」

「前置きを話させてくれ。さっき俺自身の過去の話をしたが、俺の親父や今兄貴がやっている仕事が危ない状況をまねくことが分かったと思う。つまり、いま兄貴達が取りあつかってる情報はそれを知ることで、ときには命を落とすこともありえるんだ。俺も親父や弟が死ぬまではそんなに危険だとは思っていなかったが」

ハカセは頭を整理しながら話しているのか言葉をかみしめてる。


 「だから、こらから先もまいごに話すつもりはなかった。だが状況が変わった。病気であることがわかり、何年生きていられるか分からない状態の人間にそれらを隠し通す意味がないと、俺自身の中で答えが出た」

夜風が肌をすべるように通り抜ける。心がざわついてる。私はハカセの横顔を見続け、言葉を待った。


 「最後に確認をしておきたい。まいごの望みをかなえることはできるだろうが、それを知ることで危険がともなう。それでも俺の話を聞きたいと思うか?」

ハカセが私を見る。その目はどこか不安を宿やどした迷いの目。ハカセの言葉とは裏腹うらはらに私に危険がおよぶのが心配なんだろう。でも私の答えなんて初めから決まってる。私は小さくうなずいた。それを見たハカセはどこかあきらめた表情をして話し始めた。



 「なら少し語らせてもらうぞ。そう難しい話じゃないからかまえずに聞いてくれ。

 まずはじめに世の中の全体像を話させてもらう。

世界には多くの人たちがいるが、その一人一人に役割があり、歯車はぐるまの一つのように動き世の中が動いている。例えば俺のように食べ物を作る人間とかな。俺と同じようなヤツなら変わりはいくらでもいるだろうが、その中でもその人間しか役割をたすことができず、代わりがいないといったものが存在する。そうだな、政府機関といった国の中枢ちゅうすうで働いている人間、また、科学者や技術者といったところか。そういった人たちがいなくなり、死んでしまうのはその国、世界の動きを止めてしまうため、死を避けるべくある措置そちが全世界でとられた。それは、その人間たちに2つのことを教えるといったものだ」


 私は心の準備をしてハカセの話しに聞き入った。いったいどんな内容の話しなんだろう。自分自身こんなに何かを知りたいと思ったことはない。


 「1つは、進みすぎている医学だ。多くの研究者によって新しい医療いりょう方法や化学物質の発見がされているが、そのすべてを一般の人間におおやけにされているわけではない。多くの人が知らない間にも研究は続けられ医学は進み、その発展はとどまっていない。じつは今現在、医療いりょう技術は人間を不老不死にできる一歩手前まできている。俺自身はこれは良い事だと思っているが、そうじゃない人間もいるらしい。こういった医療が広まった場合、人が死なないことによって世界の人口が増加し、資源不足等の問題により結果的に多くの人が死ぬと言う意見が今ははばをきかせているようだ。ただ、人が死にたくないと思うのは当然とうぜんで、その命を守る医療によって人の生存が危なくなるなら、それは人間の運命だと俺は思っているがな」


 ハカセは持論じろんぜながら医学の話を続けた。

「その医学や医療の進歩とは具体的にどういったものかだが、コレがその1つだ」

ハカセはシャツのポケットから何かを取出し私に見せた。それは小さくて透明とうめい円柱状えんちゅうじょうの容器だった。その中にはなにやら黄色い液体が入ってるみたいで、容器の中で波をうっている。


「この容器の中に入っている液体は人間の血小板けっしょうばんから作りだされた薬品やくひんだ。この液体を体の傷にかけるだけで細胞を活性化かっせいかし、人間が本来持っている自己治癒力じこちゆりょくを最大まで引き出してくれる。簡単に言うと世界一よくきく傷薬だと思ってくれ。去年だったか少年が交通事故にあい怪我をしているところに通りかかったことがあっただろう」

私は一瞬にして、去年隣街のスクランブル交差点で血だまりに倒れていた少年の姿を思い出した。


「じゃぁ、やっぱりあのとき」

「あぁ、その少年が助かったのもコレのおかげだ。この薬品はさっきも言った人たちにしか渡されず、傷を負い命の危険を感じた時に使うように言われる」

すごい…、もう世界は想像を超えて、知らぬ間に大きくみ出し進んでいたんだ。感動を覚え心がときめいた。

ただ、私はハカセの薬品の説明を聞きながら心配になった。そんなに命の危機にさらされたりするんだろうか。


「…ねぇ、ハカセ。ハカセは自分にその薬品を使ったことがあるの?」

「これを?いや、あの少年に使っただけだ。これを自分に使うときには俺はこの世にいないだろう」

私はハカセが笑いながら言う怖い返しにふるえた。たぶん使うことがないからてて帰ろうとか、いつもの冗談を言ってなごませてよ。普段ふざけたことばっかり言ってるくせに。




 「そして2つ目は、負の質量とエネルギーを持つ物質が発見されていることだ」

私がぶつぶつと考え事をしているとハカセの話しは2つ目の内容へうつって行った。

 負の質量とエネルギー?あれ、どこかでその言葉を聞いたことがあるよな・・・。そうだ、たしか去年ハカセの部屋にこっそり入ったとき、机の上に散らばっていた資料の1枚にそんなことが書いてあった。じゃぁ、あの紙に書かれていたことが本当ってこと?とても信じられないけど…。


 「この物質の発見により長年不可能だと考えられていたことの1つが可能となった。それは、たぶん俺たちが生きているうちで、これ以上にない発見となるだろう、タイムトラベルの成功だ」


 ハカセの口からこんな非現実的な言葉を聞く日が来るとは思わなかった。いえ、もう現実になってる?ハカセは真剣に私に話してそうだけど、どうしてもハカセが『冗談だ』と言ってくることを身構みがまえてしまう。胸は高鳴たかなるけど、完全に信じきることはまだできない。


 「タイムトラベルって、まさか過去や未来に行ったりできるってこと?本当なのハカセ?」

私は興奮こうふんして声がちょっと大きくなってしまった。

「あぁ、タイムトラベルをするには理論上どしても重力に反発する負のエネルギーの物資が不可欠ふかけつだったようだ。だが、それらはいままで物理学でも存在を否定され、この世には無い物だと位置づけられていた。だが、十年ほど前にある科学者がその物質を見つけ出し、学者の間での常識じょうしきが大きく変わることになった。夢物語ゆめものがたりだったはずのタイムトラベルが現実味をび、研究が始まり、とうとう数年前にある海外の学者グループが負の物質と素粒子そりゅうしを使い擬似的ぎじてきなブラックホールを作る装置で、そこに入った音や光といった重さのない物を過去へと移動させることに成功した」


 私はハカセの話しに引き込まれていった。私の知らない世界ではもうおとぎ話しが現実になろうとしている。人の研究や技術の発達が極限きょくげんまで進んでいき、それは魔法としか言いようのないものに変わってしまってる。


 「この光と音を過去へ移送させれるようになったことで、これをある物に応用おうようすることができた。それは電話だ。普通の電話は声を電気に変えケーブルを通り、電話局の電話交換機でんわこうかんきという大きな装置そうちを通り、その電気が相手の受話器で声へ返還へんかんされてメッセージを伝える。その仕組みを利用して、こちらの声を変えた電気を過去の電話線へ飛ばし、何年も前の人間と会話をすることができるようになった。」


 理解力がない私だけど、ハカセの最後の言葉でよく分かった。私はあまりの嬉しさにハカセの二の腕のところをガっとつかんでしまった。

「痛いっ。なんだ?」

「ハカセ…、うそ。本当に?本当に電話ができるの?…ねむりと話すことができるの?」

私はハカセをつかんだ手を放し、うそでないようにと願いながらおそるおそる聞いた。


「そういうことだ。そんなに驚くのか?まいごが言いだしたんだろ、ねむりと話せないかと。薄々うすうす感づいてたんじゃなかったのか?」

「あの時はもしかしてと思ったけど。落ち着いて考えるとやっぱりありえないし、まさか本当にできるなんて…」

なんだか頭がクラクラとしてくる。心臓の鼓動こどうが聞こえそうなくらいみゃくを打ってる感覚がする。ねむりと話せる、そう思うだけで今抱える悩みや不安がなくなっていくようだった。




 「2つのおおまかな説明はこのくらいだ。何か質問はあるか?」

私は急に話を振られてハッとした。聞きたいことはたくさんあるけど、どうにか頭の中で1つにしぼりハカセに聞いた。

「この話って、たしかごく1部の人たちだけしか知らないんでしょ?ハカセはどうしてこんな話をしってるの?それともハカセのお父さんやお兄さんが知ってたの?」


「さっきも言ったように、この話は国や世界の重役の人間にしか教えられておらず、俺はもちろん兄貴もその人たちの仲間には入れてもらえていない。だが、今話した措置はどうやら親父が死んだ事件がきっかけで行われたようで、その事件に関わりがある俺たち兄弟には教えてもらえた。こういった事件がり返し起きたときに俺たちを守るためか、犯行グループと遭遇そうぐうする確率が高く、犯人を特定するのに俺たちが役に立つためかは分からないが、特別待遇とくべつたいぐうでだ」


 ハカセがこのことを教えてもらえたのにも事情があるみたい。でも、ハカセが無理に誰かに聞きだしたとかではなくてホッとした。


 「あと、糠喜ぬかよろこびをさせないために先に言っておきたいことがある」

私はその言葉を聞き急に不安になる。まだ何かあるのだろうか。

「そんな不安な顔をしないでくれ。ねむりとは必ず話せる。ただ、この過去への電話には話せる回数と時間に制限せいげんがある」

「制限?」


 「あぁ、この電話で過去の人間と話すというのは過去へ干渉かんしょうするとても危険なものだ。電話ひとつで現在や未来を大きく変えてしまうこともできる。そのため、予防よぼうとして電話に制限がかけられた。

 1つは通話時間の制限だ。電話の相手によっては世界の歴史を変えられるものだが、そうするためには顔の見えない相手にこちらが未来から電話を掛けていることを説明し信じさせなければならず、そのうえで要件ようけんも話すとなると、かなりの通話時間がかかる。その時間を減らす目的で、電話で話せる時間は10分だけとなっている。

 もう1つは電話できる回数の制限だ。同じ相手と何度も話されてしまった場合、1つ目の通話時間の制限が意味を無くす。そのため、電話をかけることができるのは1回だけだ。同じ相手に2度電話することは出来ない。

 つまり、この電話の存在をしっており、なおかつ命の危機を回避する要件だと知っている相手にしか実質じっしつ電話をしてもあまり意味が無いように予防策よぼうさくがされている」




 ハカセの説明を聞いてとてもショックだった。ねむりと1度しか話せないなんて…。気持ちが沈んでくる。でも普通は亡くなった友人と話すことなてできなかったはず。それを考えると、本当に素晴らしいこと。数分だけだっていい、ねむりの声さえ聞ければ。


 「あと、これは兄貴から聞いた話だが、この電話を使ってまいごと同じように亡くなった家族や友人に電話した人も何人かいる」

私は目を大きくさせた。

「話せたの?」

そう聞くとハカセはうなずいた。


「ちゃんと話せたさ。ただ、亡くなった人間と直接会話をするというのは、どうやら距離が近づきすぎるようだ。人は誰だって亡くなると悲しいものだが、時間とともにその悲しさもうすまって行き、その人間がいない状態じょうたいになれてくる。だが、この電話で会話をすることで、その人間が生きていた状況を思い出し、電話が切れた後に孤独こどくやさみしさが大きな反動はんどうで来るらしい。中には電話をしたことを後悔した人もいたようだ。ここまで話しておいてなんだが、電話をするかしないかはまいごの自由だ。これは必ずしないといけないものでは…」

「する!するする。もちろんそういった副作用ふくさようはあると思うけど。しない後悔よりはきっといい」

私は手をにぎりしめて、力説するようにハカセに向かって言った。ハカセはそんな私を見て、どこか納得してくれたような表情をした。わたしの決心が固いのが伝わったのかもしれない。


 「そうか、分かった。ならねむりに電話をする日にちを決めてくれ。いつねむりに電話をしたい?悪いが普通の携帯電話ではねむりに電話をすることはできない。日が決まったら教えてくれ。電話の仕方なんかの続きはそのとき話そう」

いつ?私はそういったことはまるで考えていないかった。それっていつでもねむりに電話を掛けられるってこと?そんな、電話をする日にちなんて決まってるじゃない。私は公園から立ち去ろうとするハカセの服を引っ張った。


 「ハカセ、今日電話したい」

当然だけど、ハカセは振り向き驚いていた。

「今日って…、今から電話をするのか?」

「ねむりが亡くなって、最後にねむりと話せなかったことをずっと後悔してた。私もいつ死ぬか分からないのに、もう1秒だって待てないよハカセ」

私は今どんな表情なんだろう。たまっていた思いのせいで、感情をハカセにぶつけるように言ってしまっていた。ホント私はハカセやみんなに迷惑をかけてばかりだ。


 「今日はダメ?」

私はハカセの顔をのぞきこんだ。

「…ごめん、ねむりと話せると思うと気があせっちゃって」

私ははやる気持ちを落ち着かせ言葉をつづけた。ハカセは私の話しを聞くと携帯電話を取り出して何かを調べている。いったい何を見てるんだろう?


 「いや、電話をすることはいつでもできる。だが、今日でいいんだな?電話を1度でもしたらもう話せない。伝え忘れがあっても2度と話すことはできない」

ハカセはケータイ電話の画面を見ながら私に話した。

「うん、大丈夫。ねむりに、本当に伝えたいことなんて1つだけだから。言うことはちゃんと決まってるから心配しないで」

ねむりと話せると思うだけで声も元気になっていってることが自分でも分かった。まるでねむりは私の体の1部分のように、今でも思い出として生き続けてる。やっぱり私にとってねむりは変わりなんているはずのない親友なんだろう。


 「過去への電話だが、最初にさっき話したタイムトラベルのための装置がある研究施設に電気が送られ、送られた電気は現在から過去の発信元はっしんもとの電話の近くに移動する。このときに電気が移動する場所は正確に定めるのはまだ難しいらしい。過去へと移動した電気は非常に不安定で、ケータイ電話の電波を無線基地局むせんきちきょくに飛ばしてるやり方だと障害物しょうがいぶつ邪魔じゃまをされうまくいかないそうだ。だから、過去へと移動させた電気はまず電話線へと送るのが1番いい方法となる。つまり、電話線でつながっている固定こてい電話でしか過去への電話は使えない。また、現在から過去へと電気が移動する一瞬だけだが、その時に電波の障害となるコンクリートやガラス、水や生き物がいない場所がより良いとされている。田舎の他人の電話を借りるわけにはいかないと考えると、人口の少ない場所に設置してある電話ボックスが最適さいてきという結果になる」


 私はハカセがせかせかと指を動かしているケータイ電話の画面を見た。なにやら地図のようなものにいくつもの赤いしるしがつけてある。ハカセが自分でつけたしるしなのかな?

「県内にある公衆電話の数は6000あまり、ケータイ電話の普及ふきゅうで数はかなりったが、最低限の通話手段の確保かくほ災害時さいがいじ緊急通話手段きんきゅうつうわしゅだんとして完全に無くなることはないそうだ。ここから、人口の多い場所に設置せっちしてある電話ボックスを消していくと100ほどが残る。さらにその中でもとりわけ過疎地かそちにある電話ボックスとなると、これがそれだ」


ハカセがケータイの画面を私に見せてくれた。どうやら地図にえがかれた山のマップのようで、帳山とばりやまという名前がでている。その山の一つに赤いピンのようなマークが刺さった箇所かしょがあり、それがハカセの言う電話ボックスのようだ。


 「ここはバブル期に多くのログハウスの別荘べっそうが建っていたが、バブルがはじけた後は人がどんどんと減って行き、今ではその多くの建物が廃墟はいきょに近い状態になりつつある。池はなく、噴水はあるがその水も今は枯れているそうだ。つまり、人が少なく障害物もほんとんどない、俺たちが電話するにはうってつけの場所ということだ」


 いや…、ほんとにハカセがいると心強い。ここまで調べてくれてたなんて。この1件が終わったら、なにかハカセにお礼をしないと。でも、とばりやまって聞いたことがないかも、ハカセは県内にあるみたいなこと言ってたけど。


「とばりやまって聞いたことがないけど、県のどこにある山なの?」

「ここから南に下り、ちょうど県境けんざかいにある山だ。ただそんなに秘境ひきょうのようなところじゃないから心配しなくていい」

県境けんざかい…、それって遠いんじゃないの?どうやって行くの?」

私はまさか電話をするだけなのにそんな大変なことだとは思わず、今日電話をしたいとお願いしたことを後悔した。


 「どうって俺の車だ。まさか電車やバスを乗り継いで行く気なのか?さすがにそれだと着くのは明日の朝だ。車なら1時間と少しで着くはずだ」

くるま。そうだ、ハカセが車を持っていることをすっかり忘れていた。お店の買い出しなんかも歩いてすぐのところにスーパーがあるし、ほとんど使わないから私の頭のなかで存在が消えてしまっていた。たしか黒塗りの古い感じの車だったような気がする。店のうらにひっそりと止めてあり、風景ふうけいの1部になってる。


 「ただ、少し話しすぎたようだ、夜もかなり遅くなっている。準備ができ次第しだいすぐに出発しよう。話は終わりだ、1回店に戻って支度したくをしてくれ」


 ハカセは公園の出口へと歩きだし、私はその後を小走こばしりでついていった。でも少し歩いた後になんだか後ろが気になって振り返る。そこにはさっきまで私たちがいた景色の良い公園があって、なんだかセピア色がかかっているようになつかしい風景へと変わっていた。この公園に来ることもなくなるのかな。私はなんだかせつなくなり、またすぐにハカセの背中を追いかけていった。

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