第8話 回答

 ハカセの家に着いたのは夜中の12時過ぎだった。いつもはただいまと言いながら玄関の戸をあけるけど、ハカセが寝ているかもと思い忍び足で家に入って行った。すると、リビングから光がれているのが見えた。ハカセはときどきお店の厨房ちゅうぼうで遅くまで料理の仕込みをしていることがあるから、今日も忙しくて仕事が終わらなかったのかもしれない。やっぱりハカセ1人にお店を任せるんじゃなかったな…。


 私はリビングの戸を開け、顔だけひょこっとだして、小声で「はかせ、ただいま」と笑顔で言った。ハカセは椅子に腰かけテーブルに肘をつき、片手かたてで顔をおおうようにしていた。何か疲れているような印象を受け、そんなにお仕事がきつかったのかなと不思議に思った。


 「あぁ、まいご帰ったのか。今日は遅かったな」

私に気付くと、ハカセはつかれをぬぐうようにいつもの表情を作った。

「そうなの、大学でスピーチの準備を遅くまでしてたんだけど、帰り際にかたりに会っちゃって、話し込んでたらこんなに遅くなってしまったよ」

「かたり?あぁ、あの陽気ようきな子か。それは苦労だったな」

ハカセは笑いながら、同情してくれた。


 かたりは何回かハカセのお店に連れてきたことがあり、もう顔を知っている仲だ。2人が話してるところを見てると、どうやら気が合うみたいで、この前も楽しそうに『もしお店にテレビの取材がきたら』という架空かくうの話しで盛り上がっていた。


 「最終バスに乗る直前まで話してくれてたよ。でもおかげですごく元気もらうことできたし、今日は大学に行って良かったかも」

私はかたりと大学で話していたことを思い返しながら、カバンを椅子に置いて、冷蔵庫からお茶を取り出した。ハカセに「飲む?」と聞くとうなづいていたのでコップを2つ用意し注いで持っていった。


 「ハカセのほうはどうだったの?お店忙しくなかった?」

私は椅子に座ってお茶を飲みながら、今日の感想をハカセに聞いた。

「それなんだが…、実は用があって今日は店を3時に閉めたんだ」

それを聞いて驚どろいた。さすがに徹夜あけで働いてくれていたから、お休みは取った方がいいと思っていたけどハカセにしては意外だった。


 「まいご、今日時間はあるか?話したいことがあるんだ。もちろん明日でもいいが、できれば今話しておきたい。でないと、俺は安心できずに寝ようにも寝れない」

ハカセがいつにもなく疲れた表情で私に話した。もうこんな時間だし私も明日の準備をしたいけど、ハカセのいつになく真剣しんけんな表情に圧倒あっとうされて断ることはできなかった。


「大丈夫だよ。」

そう言うと、ハカセは若干じゃっかんの落ち着きを取り戻しうなずいた。

「そうか、良かった。さっきまでまいごが早く帰ってこないかと時計ばかり見て待っていたんだ」

思っていなかった言葉に口元がゆるんだ。

「そんなに私を待っててくれたの?ごめんね…、私がいけないんだ、私がモテすぎるから」

「…まぁ、そんなところだ」


 私の冗談を簡単に受け入れるところを見ると、かなりまいっているようだった。お店を早く閉めたりと、今日はいつものハカセじゃないみたい。

「実は今日。午後からある仕事があったんだ。内容は簡単に言うと、土地の権利関係でのめ事の仲裁ちゅうさいだ。難しい仕事じゃないから、そちらはすぐに終わらせることができた。」

普段、お菓子やケーキを作ってるハカセしか知らないから、こういった弁護士ふうのセリフを聞くと新鮮しんせんに感じる。


「話したいのはその仕事じゃなく、仕事の場所だ。実は今日行ってきたのは、まいごの地元の隣町だったんだ。タイミングよく昨日まいごの友人の話を聞いてたんで、そこで俺の推測すいそくが正しいか確かめることにしたんだ。黙っていたのは悪かったが、どうしても1人で調べる必要があった。」


「え?私の地元に行ったの?なんで言ってくれないのよ!私が道を案内しながら一緒に探したほうが効率こうりついいじゃない」

私の地元に行くには車でもここから1時間ちょっとかかるはず。そんなところまで行ってたから、私が帰ってきたときひどく疲れてたわけだ。


 「いや、これは個人的事情ってやつだ。べつに向こうでまいごや友人の名前を出したりはしていないから心配しないでくれ」

「それは別にかまわないけど…」

ハカセがよく何かを隠すことは知ってるけど、この件をお願いしたのは私なんだし、ねむりのことくらい全部話してくれてもいいのにと思った。



 「今からその友人の探し物の件で話していきたいんだが、説明をしやすくするために、会ったことのないその友人を俺もねむりと呼んでもいいか?」

「ええ、好きに呼んで」

ハカセは変なところで律儀りちぎだ。まじめと言われればそうなんだけど。


 「昨日まいごからねむりの手帳を借りて読み、今日はねむりの地元まで調べに行ったが、おかげで多くの確証かくしょうを得ることができた。結果から言うと、ねむりの探し物はほぼ見つけることができたと言っていい」

私は息を飲んだ。昨日ハカセに話し、まさか今日までに見つけてくれるなんて夢にも思わなかったから、ホント?と言って驚いた。


 「あぁ、見つけることはできたが、まだ完璧じゃない。ほぼ、というのは最後にまいごの確認を得る必要があるからだ。そこを理解しておいてくれ」

私はうなずいた。とうとうねむりが探していたものが何だったのか分かる時が来た。私1人では見つけることができなかったのは残念だけど、見つけられないまま終わるといったことはけられそう。


 「ねむりの手帳を読んで最初に注目したのは、ねむりが探し物を探している場所だ。商店街や街中、学校行事で言った直売所や、学校の中でも探している。その中でのポイントは学校だ。店で買えるものとなると特定するのは難しいが、学校となるとかなりしぼられてくる。売店で何かを買うくらいしかできない学校で探せるもの。そして、毎日行くような売店なんかに売ってるとは考えられないものだ」


 私はハカセの推理を聞きながら、自分でも少しだけ思考をめぐらせて考えた。

「学校で売店に売ってないもの…。それってお金では買えないってこと?学校に置いてある物って授業で使う用具とかいろいろあるけど、まさかそれらを買いとろうとしたの?ねむりが盗みをするとは思えないし」

「いや、買い取るなんてできないはずだ。まいご達がいた学校は国公立こっこうりつで、学校の用具なんかの所有者は県や市町村。授業ができなくなるリスクを犯してまで、ねむりに学校用具を売る許可を与えるとは考えずらい。そうなると売店でも学校に置いてある用具でもないもの、つまり自然にどこにでもあるものだと考えられる」

「自然にあるもの?」


 私はもっと教えてとハカセに訴えた。

「草木花といった植物や土石や水といったところか。お金で買えないというよりはタダでも手に入るものと言った方がいいだろう。

一応生き物も手に入れられるだろうが、それだと直売所なんかで探すには似つかわしくない。」

そっか、それなら学校のどこかにあってもおかしくない。

「そして、次に注目したのがねむりが書いていた『もうすぐ探すことができなくなる』という言葉と、ねむりが探し物をしていた日記の日付だ」

日付…。そういえば日付なんて全然気にしてなかった。文章にばかり目がいってた。でも日付と探し物って関係あるのかな?


 「最初日記を読んだとき、『もうすぐ探すことができなくなる』という言葉は、病気のため体力的に無理なのかとも思ったが、この探し物のことが最後に書いてある月から入院するまでに2ヶ月。体力的にあきらめるにせよ、そらから全く日記に書かれなくなったのに違和感があった。人に頼んで探してもらうことだって出来たはずだ。つまり、探せないのは、むしろ探し物自体が探せなくなる、無くなってしまうと考える方が妥当だとうだと考えた。もちろん体力的に探せなくなった線も最後まで捨てずに調べてはいたがな」


 なるほど、ねむりは探すのを自分でやめたんじゃなくて、探し物自体が無くなりやむなくやめたわけね。

「じゃあ、探しものがある期間が決まってたってことね」

「そうだ、さっき言った自然にあるもので探せる期間が決まってる物という要件を当てはめると、ここでほぼ植物だと推測すいそくできる」

植物か。それならねむりがお店で探していたのも納得がいく。


 「ねむりが探し物をしていた日付は4月から6月。この期間に生える植物に絞られる。そして、最後に注目したのは『探すのに苦労しそうにない』という言葉と、ギリシャ神話の2点だ。日記に探し物がギリシャ神話と関係していると書いていたが、ギリシャ神話には多くの植物が出てくる。ハーブやオリーブや多種の花といったものが物語の節々ふしぶしで登場する。だが、4月から6月の間にこの日本で簡単に探すことができ、学校の校庭にもある可能性があるもの。また、普段は見つかるのにこの年ではやけに探すのに苦労していたが、調べて見るとその年はかなりの猛暑日だったそうだ。つまり暑さに弱い植物だろう。そう考えると、おのずと1つの植物に特定できた。それはカンパニュラというキキョウ科の花の1つだ」

ハカセの説明を聞いて、どこにでもある花にしてはあまり聞き覚えのない花の名前だと感じた。


 「カンパニュラ?ちょっと聞いたことがないけど、そんなどこにでも生えてる花なの?」

「カンパニュラは釣鐘つりがねを意味するラテン語の名前だ。和名だといろいろあるが、有名なのはリンドウやフウリンソウ、モモバギキョウといったところか」

「それなら、名前だけなら聞いたことあるかも。どんな花って聞かれるとこまっちゃうけど」

植物に詳しくない私は、花が好きなお母さんからときどき季節の花を教えてもらったりしてるけど、全部同じに見えて覚えられない…。


 このカンパニュラだが、種類は300種と多く、分布範囲ぶんぷはんいも広い。ねむりが簡単に見つけることができると考えたのも無理ないだろう。俺は最初、この300種類という多さに戸惑った。しかし、この花を探していたのが高校生のねむりだと考えると、探していたのはこの中でも有名な部類の花だろう。だが、ここで自分一人で考える限界が来てしまった。そのため、まいごの地元に行き、商店街の花屋をまわり、3年前にその花を買おうとした高校生がいなかったか聞き込みをしに行った」


私はそれを聞いて驚いた。

「いくらなんでも、3年も前に誰とも知らない高校生が花を買おうとしてたことなんて覚えてる人いるの?」

「あぁ、そうだな。それが人口の多い都会ならそうだが、人の少ない町だと、近所のつながりで、花屋が知りあいの可能性もあると思った。しかも高校生が1人で花を買いに来ることはめずらしく、その子が亡くなったとなれば、誰かしら覚えているかもしれないと俺は考えた」


「うーん。それでも難しいんじゃない?人の記憶なんてあいまいで、花屋の人がこの花ですって言っても間違ってる可能性も十分高いと思うし」

私はめずらしく、ハカセの考えに刃向はむかってみた。

「確かにこの調べ方は正確でもなく補足ほそくになるとも思えない。だが、この調べたことが正しいかを確認する方法はちゃんとある」

「確認する方法?」

「あぁ、それはまいご、お前自身だ」


 私はハカセから急にそんなことを言われ、頭の中に『?』マークが浮かんだ。

「私?なんで私が確かめる方法になるの?」

「まいごは、ねむりが探していた花がどれか知っているはずだからだ」

ハカセの言っている意味がよく分からなかった。探し物が見つからなくてハカセにお願いしたのに、私が知ってるはずないじゃない。いったいどういうことなの。

「ちょっとまって、ハカセは何か勘違かんちがいしてるのかもしれないけど、私は何も知らないわよ。じゃないとハカセにねむりの探し物を探してなんてお願いするわけないじゃない」


  ハカセは首を横にふった。

「いや、知っているはずだ。まず、この花だが、ねむりは花を見つけることができていた」

私はハカセの言っていることが理解できない。

「ねむりが花を見つけてたって、どうしてそんなことが言えるの?そんなのねむりに聞かないと分からないじゃない」

必死になんでという思いをハカセにぶつけた。


 「いや、見つけたことはまいごにちゃんと話してたんだよ。言い方は違うがな。まいごが聞いたねむりの最後の言葉を思い出してほしい」

「最後の言葉?ねむりが私に話したいことがあるから病院に来てって言ってたこと?」

「そうだ。話したいことがあるなら、なぜあのとき電話で話さなかったんだ。自分がもうすぐ死ぬかもしれないというときに、なぜわざわざ病院までまいごを呼んだんだ。それは話すだけでは済まない用事あったから。つまり、ねむりはあのとき、まいごに花を渡そうとしていたとしか考えられない」


 「そんな…」

私は何か胸に詰まるものを感じた。あの時の言葉がよみがえり、その意味を知ることで、その言葉が突き刺さるような感覚がした。

「ネット社会の今では時期に関係なく全国、全世界から花を取り寄せる事が出来る。日記には出来れば自分の手で探したいと書かれていたが6月が過ぎて自力で見つけることは出来なかったんだろう。もし、今日俺がまいごの地元に行って調べて来たことが正しければ、ねむりが入院していた病室の花瓶かびんに、まるで誰かがお見舞いのために持ってきた花のようにこのフウリンソウという花がさっていたはずだ」


 ハカセはそう言うと、ケータイの画面を私に見せた。そこには見覚えのある青紫あおむらさきかねの形をしたかわいらしい花の画像が写っていた。

「その花知ってる…。そう、いつもねむりの病室に飾られてた。あの頃は全然気にもめなかったけど、ねむりが自分でしてた花だったなんて」


 病室でいつも笑って私の話を聞いてくれていたねむり。ねむりは何もその花のことなんて話してくれなかった。私のために探してくれていた花を花瓶かびんしたまま、なんですぐにわたしてくれなかったの。ねむりの探し物がやっと分かったのに、ずっとモヤモヤしたものが消えてくれない。見つけることさえできれば、ねむりの考えが全てわかると思っていたのに、よけい分からなくなってしまった。せっかくハカセが探し物を見つけてくれたのに、どうして私はこんなにねむりのことを理解できないんだろう。ここまで来てもまだ足りないなんて…。




 「言っておくが、俺の推理はここで終わりじゃない。ここまでは序章じょしょうにすぎない。本題はここからだ」

私の気持ちを見抜くようにハカセはそう言うと、コップのお茶を飲んでため息をついた。私はそれを聞きホッとし、まだ分からない部分を説明ししてくれるハカセに期待きたいいた。


 「ねむりの探し物の件でこれからまた、俺の推理したことについて話していくが、少しまいごに聞いておきたいことがある」

いつになく真剣なハカセだけど、その目はなぜか暗くて落ち込んでいるような気がした。いったい、私に聞きたいことってなんだろう。


 「何?なんでも聞いて」

「正直なことを言うと、ここからこの話をしていくのはあまり気が進まない。それは、話の内容が気分のいいものではないからだ。それでも聞きたいか?」

私はそれを聞いて少し怖くなってしまった。なにかねむりのことで良くないことが分かったんだろうか。でも、私がねむりのことについて聞かないという選択肢は初めからなかった。


 「ええ、聞きたい。ねむりのことについては悪い話も全部聞いておきたい」

ハカセはそれを聞くと何か悩んでいる表情をした。

「それが、まいごが隠していることについても話さないといけなくなってもか?」

私は驚いて返事に困ってしまった。


「私が隠し事?いやいや、いつも何かと隠し事をしてるのはハカセでしょ。いったい私が何を隠すことがあるのよ。したってすぐバレるし、私にメリットないでしょ」

「俺の間違いならそれでいいんだ。ただ、もしそうなったときの場合にことわっておく必要がある」

いったいハカセは私をどうな人間だと思ってるんだろうか。うたがい深いハカセのことだ。また、なにか悩みすぎてあらぬことまで考えてるんだろう。


 「ええ、私のことならなんでも話して。私も正直に答えるから」

「…そうか、分かった。なら、ねむりの件での話を続けていく」

ハカセは背もたれにつけていた背中を起こし、部屋の空間の1点を見ながら話しだした。


 「さっき話した推理ではねむりの探し物を特定とくていすることはできたが、まだねむりがまいごにこの花を渡したかった理由が謎なままになっている。まいごからは探しものを探してほしいとだけ言われたが、俺の独断どくだんで理由まで考察こうさつすることにした。もし、まいごがこれ以上の情報はいらないと思えばここで終わりだが、理由のことまで話していいんだな?」

私は小さくうなずいた。


 「まず、このねむりの日記を読んで最初に分かったことがあった。ねむりが探していた物は病気にまつわるもので間違いないということだ」

「ちょっとまって」

私はハカセの説明に割り込み異議いぎ申立もうしたてた。

「それはおかしいわよ。わたしもねむりの日記を全部よんだし、今も繰り返し読んでるけど、病気の話しなんて書かれてなかった。ほとんど友達と話したり、普通に生活してることを書いてただけ。病気の話しが書いてある部分なんてなかったはずよ」

私は早口になってしまっていた。さっきからねむりことで私が知らなかったことを次から次へと話され、少し気がブレてしまってるのかもしれない。


 「あぁ、書かれていなかった。不自然ふしぜんすぎるくらいにな」

「…え?」

「変だと思わないか?ねむりは白血病という命を落とすほどの重病だったんだ。そのことで悩んだり苦しまないわけがない。そのことに全くれないのは普通ありえない」


 そう言われれば確かに変だ。日記は毎日書かれており、そのページ数は300を超えている。そのどれにも自分の病気のことを書いてないなんて、言われてみればねむりがあえてやったとしか思えない。


 「そこの部分を気にしながら読んでみたが、その病気のことを書かないというのは細かな部分でもしっかりとけて書かれているのが分かった」

「でも、なんでねむりはそんなことをしたの?」

私は表情をくもらせているハカセに聞いた。

「あぁ、思うにねむりは病気のことを書かなかったのではなく、書けなかったんだ。自分がもうすぐ死ぬかもしれないという恐怖と向き合うことなどできるはずもなく、目をそらし、考えないようにしていたんだろう」

私は、それを聞いて胸を締め付けられる思いがした。悲しさから表情がけわしくなってしまっていた。


 「そんな…」

「そうだ、ねむりの日記にはしっかりと記されていた。病気が苦しく日記にさえ書くことができないでいる恐怖が、あえて書かないことでしめされていた」

私はねむりのことを理解することができていなかった。ハカセがいなければそれが永遠に分からなかったかもしれないことがくやしくなり、自分をうらんだ。


 「この病気のことを書いていないというのは、ねむりの日記を読むうえで大事になってくる。つまり、何かを書いていない事柄ことがらはイコールで病気にかんすることというしきり立つ。そうなると、この探し物が何かを書かなかったのは、病気をあらわしたり、連想れんそうさせることにつながってくるため書いていないという結論けつろんになる。ここまではいいか?」


 なるほど、それでハカセはねむりが探しているものがすぐに病気に関するものだって分かったのね。わたしはうなずき、理解をしめした。

「ねむりのさがしていたフウリンソウ、別名カンパニュラを調べて、病気に直接関係することを見つけることはできなかったが、ねむりが伝えたかったメッセージとしてとらえると、これだろうというのを2つ見つけることができた。1つは日記にも書かれていたギリシャ神話の物語、そして、もうひとつは花言葉だ。まずこの花言葉だがフウリンソウには多くの花言葉があり1つに特定するのは難しい。だが、これにギリシャ神話の物語を合わせることでねむりが伝えたかったメッセージが現れてくる」


  ハカセはそう言うとケータイを手に取って画面を操作そうさしだした。

「そのギリシャ神話の話を少しさせてくれ。話をするといってもネットで調べたことを読み上げるだけだがな。さすがに海外の昔話まで俺の知識の中にはない、ゆるしてくれ」


 私はドキドキしながらハカセの話しに耳をかたむけていた。ねむりが私に伝えたかったことが本当にわかるんだ。あれから年月がってしまい、私もあの頃の面影おもかげがなくなり始めてるけど、やっとねむりからの言葉を知ることができる。


 「そのギリシャ神話は下級女神の話しだ。その女神の名前はカンパニューラ。オリンポスという果樹園かじゅえんの番人で、1人で果樹園を守っていたそうだ。

 ある日、1人の兵士が果樹園に侵入しんにゅうしたため、カンパニューラはすぐさま危機を知らせる銀のすずを鳴らして助けを呼んだ。しかしその助けは届かず、兵士に命をうばわれ亡くなってしまう。その死を花の女神がいたみ、死んだカンパニューラをかねの形をしたカンパニュラの花に変えたといういうのがこの物語の大筋おおすじだ」

あの花にそんな悲しい物語があったんだ。私も少しはねむりと一緒に神話の物語を読んであげればよかったと今になって思い返した。



 「そして、ここからが大事なんだが、この物語によってカンパニュラという花は『守れなかった命の花』と言われるようになったそうだ。この『守れなかった命』というのがねむりが伝えたかったメッセージの1つ目。そして、このメッセージに続くに相応そうおうしい花言葉を探していく。

 カンパニュラの花言葉の中で有名なのは、感謝や誠実などだが、『守れなかった命』というネガティブな言葉に続くであろう『負』の言葉に限定していくと『不安』と『後悔こうかい』の2つだけが残る。

 『不安』は将来起こる出来事での感情、『後悔』は過去に起こった出来事での感情。1つ目のメッセージで『守れなかった』という過去形の文が入ってることを考えると、2つ目のメッセージは『後悔』で間違いないだろう。

 つまり、がねむりがまいごに花を渡して伝えたかったメッセージは、『命が守れず後悔をしている』になる。これがおれの見解けんかいだ。」




 私はハカセの話をずっと聞いていたけど、正直しょうじきピンとこなかった。

「命が守れず後悔…、それって、ねむりが自分自身が亡くなって私にあやまってるってこと?私を残したまま亡くなったことに対して後悔してるってことなのかな…」


「いや、そんなひねっているものとは考えにくい。そもそも、ねむりの死は治療した結果の不可抗力ふかこうりょくだった。守れなかったという、防ぐ方法があったような言葉はおかしい。まいごへこの花を渡そうとしていたのだから、これは全て、まだ高校生のねむりからの、素直すなおなストレートなまいごへのメッセージだ。つまり、守れなかった命とはまいご、お前の命だ。ねむりはまいごの命を守ることができずに後悔をしていると伝えたかった、そして謝りたかったんだ」



 私はそれを聞いて、理解できず呆気あっけにとられてしまった。私の命?ねむりが私の命を守る?ハカセはいったい何を言ってるんだろう。それとも、国語のテストみたいに、1つの言葉に意味がいろいろあるとか?

「ハカセ何言ってるの?ねむりがわたしの命を守れなかったって、そもそも私生きてるじゃない。それとも私幽霊だったの?知らなかった!早くハカセが教えてくれればすぐ成仏じょうぶつできたのに。」

私は戸惑とまどって、冗談を言いながら少しムキになって反発した。



 「『まいごの命を守れなかった』だと伝わりにくいか。なら、『まいごの病気を治せなかった』と言い変えれば伝わるだろ」

伝わるどころか、どんどん理解から遠ざかっていく。いったいハカセは私に何が言いたいの?

「病気を治す?病気だったのはねむりでしょ?なんで私まで病気になるのよ?もう話が飛びすぎて全然わからない。ちゃんと分かるように教えてよ」

早くこの謎ばかりの状態から抜け出したい思いから、ハカセにせまった。でもハカセは黙ったまま私を見続けてる。そんな目で私を見ないでって心の中でつぶやいた。


 「…、もう分かっているんだろ、まいご…。お前は病気のはずだ。しかも、ねむりと同じ白血病という重病。今もその治療でどこかの病院に通ってるというのが俺の大方の予想だ。もし完治していたら俺にも病気のことを話しているだろうからな」

私はその言葉に黙ってしまった。なんだか空気が重くなり、冷たいものが肌に吸い付くような寒気を覚えた。


 「ねむりの日記を読んでいて、変に思ったところがあった。まいごがよく用事があると言って、ねむりを置いてすぐに帰ってしまう箇所かしょだ。この用事の内容だが最初はただ書くのが面倒なため書いてないのだろうと思った。だが、手帳を読み進め、何度もまいごが早く帰って行くシーンが繰り返し書かれているのに、その用事が何なのかは最後まで書かれていなかった。また、病気で亡くなるかもしれない親友のねむりを置いて、まいごがすぐに帰って行くのもおかしい。そこまでして早く帰らないといけない用事とは何か。考えれば考えるほど、お前が病気をわずらい、病院に通っているとしか読めない。」


 静かな夜で、車の音や人の歩く音さえ聞こえてこない。まるで、何メートルも下にもぐった海の底のように、暗くて冷たい。


 「ここで引っかかってくるのが、ねむりは親友の病気のことまで書かないとは思えなかったことだ。あれだけしたっていた友人が病気で苦しんでいるのに、何も心配していないような文章が書けるのは、人の心を持っていないようにしか見えない。だが、これには例外がある。それは友人の病気を書くことが自分の病気を書くことになるとき。つまり、まいごがねむりと同じ白血病の場合だ。そう考えるとねむりの日記に書いてあった『用事があるから早く帰る』というあいまいな文にも納得がいく。病院に通っていることを示唆しさするようなこの文は、病気のことは書けないが、親友の病気を心配しているというメッセージだ。だから、なんどもまいごが早く帰ってしまうことを繰り返し書いたんだ。たぶん自分が死んだとき誰かがこの手帳を読み、その内容がまいごの耳にとまったとき、また今この時のようにまいごが手帳を読んだとき、自分が友達思いのない人間などと思われたくなかったんだろう。」


 私は黙ってハカセの説明を聞いていた。こんなに人の話を真剣に聞いたことってあったかな。なんだか、今日は本当に長い1日だ。


 「なぁ、まいご。返事を聞かせてくれ。俺の推理は憶測おくそくいきしていない。間違いだったなら素直に受け止める。俺の推理はここまでだ。だが、もし当たっているなら、病気のことを打ち明けてくれるなら、今お前が1番望んでいることをしてやれるかもしれない。答えてくれ」


 私は口元を笑わせた。その笑顔の半分は苦しさからくるもの。でも、もう半分は本当に心から笑ってしまった。

「ほんと、ハカセにはかなわないよ。まさかこんなに早くバレちゃうなんて。けっこううまく隠してたつもりだったんだけどな。薬を飲むところも見られてないし、病院へも大学に行くフリでいけると思ったけど、ハカセの目はごまかせないか」

ハカセは私の顔を沈んだ目で見ていた。


 「いや、うまく隠していた。ねむりの日記を渡されなかったら最後まで気付くことはできなかっただろう。俺はどうやらまいごを甘くみていたようだ。そんな重い病気をしているそぶりなど欠片かけらも感じなかった…」

ハカセの悲しい顔。まただ、また私は人を悲しくさせている。なんでいつもこうなっちゃうんだろう。みんなに笑っていてほしいだけなのに、みんな悲しい顔をする。



 「1つ分からないことがある。なぜ今、家族の近くで暮らさずに、俺の家の部屋を借りて県外の大学に通ってるんだ?ここなんかより地元の方がよっぽどまいごの病気を理解してくれる家族や友人がいるだろう。できれば理由を聞かせてくれないか?」

たぶん指摘してきされるだろうなと思っていたことをハカセに言われた。さすがに私の感情まで読み取ることはできなかったか。でも理由なんて単純たんじゅんで、わがままなものだ。ハカセががっかりする姿すがたが目にかぶ。


 「やっぱり変だよね。普通は家族や友人の近くで暮らしていくほうがいいに決まってる。病気で、生活していくのもままならないのに親元を離れるなんて。でも、これには理由があるの。わがまま理由だけどね」

ハカセは私の話を黙って聞いている。なんだか頭が重たい。黒いもやが頭の中を埋めくしているように過去がよみがえってくる。


 「私が白血病だってわかったとき、家族はとても悲しんでくれた。家族だけじゃない、友人も知人も私が知っている人たちはみんなかわいそうだと言ってくれた。そして、それから私の周りの人たちはすごく私に優しくなった。今でも本当に感謝してる。何回ありがとうと言っても足りないくらい。私はとても恵まれてた。

 でも、なぜかわからないけど、普通なら嬉しいはずのその優しさから、病気のせいで『死』を感じてしまうようになったの。みんなが優しくしてくれるのは私がもうすぐ死ぬからだ、私が短い人生で終わるのがかわいそうだから、あわれだから優しくしてくれるんだっていうゆがんだ考えが頭から離れなくなった。ホントに失礼だしバカな考えだってのは分かってる。でも、普段ふだんと違う優しい家族と接するたび、もう私が死ぬことが決まってるように感じてしまうの。私はまだ死にたくないってもがいてるのに、周りは私の死を受け入れてるように感じてしまって…。

 だから、大学では家族から離れて暮らすことを決めたの。すごく悩んだけどね。できれば、普通の生活をして、私と同じ歳の子のように最後まで楽しんで生きていたいっていう、私のすっごくわがままな考えが今ハカセの家で暮らしてる理由かな」



 私が長々と自分の話をした後、ハカセは「そうか…」と言って言葉を続けてくれなかった。「質問があったら今だけ受け付けるよ」とハカセに行ったけど、「いや、大丈夫だ」と返事するだけで、「ホントにー?後から聞いても答えないからね。」とおどけても反応がにぶい。私が一番避けたかったことが起ころうとしてる…。


 「でも、ねむりが私の病気を治すってどういうこと?ねむり自身の病気も治らなかったのに私の病気を治す方法なんてあるわけないし、それが普通の高校生ならなおさら。」

私は話を変える意味でも気分を変えるためにも、ハカセに推理の続きを聞かせてと言った。


「あぁ、普通なら何の医学的知識いがくてきちしきもない高校生が白血病を治すことなどまずできない。しかし、あのときのねむりにはそれができたと俺は考えている。偶然ぐうぜんかさなり、一種いっしゅ奇跡きせきが起きてな。」


「奇跡?」

「ねむりがまいごの病気を治すことができた方法を考えた時、不可能な選択肢せんたくしけずっていった結果1つの方法でしか治すことはできないという考えに行きついた。

ここで1つまいごに聞いておきたいことがある。今、まいごは移植手術のドナーを何年も前から待っているんじゃないのか?」

私はドキっとした。確かにドナーを待ってはいるけどどうして分かったんだろう。ドナーに関することなんてハカセと話したこともない。


 「えぇ、病気を治すのに骨髄移植こつずいいしょくの手術をしないといけなくて、私に合う骨髄こつずいのドナーを待ってるけどそれがどうかしたの?」

そう言うとハカセは小さくうなずいた。

「移植手術をするための臓器ぞうきには患者かんじゃにあった臓器かを計る適合性てきごうせいがある。HLAというA座、B座、C座、DR座という4座の8抗原こうげん、これが一致いっちしないと臓器を移植しても拒絶反応きょぜつはんのうが起こってしまう。これらがすべて合うドナーは兄弟姉妹間だと25パーセント、父母だと1パーセント以下。そして、家族のなかに自分に合ったドナーがなかった場合、ドナーバンク等の非血縁者のドナーに頼らなければならない。そのドナーが患者に合う確率は数百~数万分の1と言われている。これはまいごのほうがくわしとは思うが一応自分が整理するために説明させてもらった。」

ハカセは私のほうを見て同意を求めた。


 「うん、私もお母さんやお父さんが自分たちの骨髄こつずいが私に合ったものか調べてくれたけどダメだった。だから、自分にあったドナーを提供ていきょうしてくれる人がいないか今も待ってるけど、なかなか難しいみたい。」

私はため息をついた。高校生のときドナー登録者とうろくしゃは何万人もいるって聞いてたから大丈夫だろうと思っていたけど、現実はそんなにやさしくなかった。ドナーが見つかるまで何年も待たなければならず、最後まで見つからずに亡くなってしまう患者さんも少なくない。



 「そのドナーを使った移植手術だが、前にねむりもやっていると言っていたな。」

「ねむり?ええ、高校1年生くらいの時かな、手術をしてその後しばらくは病状が落ち着いてたけど、それがどうかしたの?」

ハカセは腕を組んで空虚くうきょを見つめていた。

「その手術だが、ねむりがまいごを助けられるのは、ねむりがその移植手術をしたタイミングだったと俺は考えている。」

私はハカセの言葉を聞いても、まだいまいち答えが見えてこなかった。


 「移植手術がどうかしたの?なんで私をそのとき助けることができたの?」

ハカセは見るからに話すのに気がのっていないのが分かる。でも話してもらわないと私だけでは到底とうてい分からない。


「さっきドナーの適合性の話しでHLAが合わなければ手術できないという話をしたが、ねむりの移植手術で使われたドナーのHLAはたぶん、まいごが今待っている手術するために必要なドナーのHLAと全く同じだった可能性がある。」


 私はそのときやっとハカセが話そうとしていることが、だんだんと分かってきた。それと同時にあまり続きを聞きたくない感情もわいてくる。

「どうゆうこと…?」

「それでしか、ねむりがまいごを助ける方法を思いつかない。他にあるならだれか教えてほしいくらいだ。」

静かな部屋にきざむ時計の針の音がやけに大きく聞こえる。私は頭の中が真っ白になってくる。ねむりの探し物は自分が思ってもいなかった事実をしらせてきた。


 「もし、俺が医者で2人の患者が同じドナーを欲しがっていることを知っていたとして考えてみた。片方かたほうの患者にはドナーが提供されるが手術をしても助かる見込みは低い。しかし、もう片方の患者は手術をすればおそらく助かる。そして、ドナーが提供された患者から、親友のことが大切で早く病気から治って欲しいといったことを聞かされていた場合、医者はどういった行動に出るか推測すいそくした。」

たんたんと話すハカセを私は息を飲み、じっと見ていた。なんだか息苦しい。部屋の空気がうすい感じがする。



 「たぶん医者はねむりにこう言ったんだろう。『君のドナーを友達にゆずれば、友達を助けることができる』と。医者は間違っている行動だと理解しながらも、2人の患者が両方死んでしまう結果だけはどうしても避けたかった。だから、その子にけたんだ、命を救うために。だが、あたりまえだが自分の命を捨ててまで他人を救う勇気があるやつなどいない。ましてやまだ高校生のねむりにそれはできなかっただろう。」


 私はハカセの説明を全部聞き終わると、目の前がにじんでぼやけてくるのがわかった。私のせいでねむりをそんなに悩ませていることを知って、胸が痛んだ。本当に私という存在はどうしてこうも人を不幸にしていくんだろう。どうして人を悲しませるんだろう。私が生きてる理由ってなんなんだろう。なにもかも分からなくなる。



 「…俺の推理はこれで終わりだ。最初に話したが今話したのは俺の推測すいそくの話しだ。真実かどうか確かめるのはまいごしかできない。地元の病院に行ってかりつけだった医者にまいごが直接聞いて確かめるしかない。じつは今日はまいごの地元に行った本当の目的は、どうにかその医者と話ができないかと思っていたからだ。まいごが病気かもしれないと知って、どうしても真実を知りたかった。そのときはまいごが病気のことを打ち明けてはくれないだろうと思っていたからな。だが、当然だが医者が他人の病気の話をするなど許されていないため、取り合ってさえくれなかった。」

ハカセは今日午後の行動の経緯いきさつを私に話してくれた。



 「それと、まいご。もし俺の推理が正しかった場合なんだが。医者の行動は確かに間違っていたかもしれない。ただ、その医者が思っていたとおり、ねむりは亡くなり、まいごは今も病気で苦しむ結果になってる。

医者もお前を助けようと必死だったんだろう。俺が話したことを病院へ確認に行く場合は…」

「わかってる」


 私はハカセの話を途中でさまたげた。気づくとぼろぼろと涙がでていた。

「誰も悪くない。みんな私を思ってしてくれたこと。悪いのは私だけだ。私さえいなければこんな悲しことにはならなかった。誰も悩むことなんてなかった。私がいるせいでみんな不幸になる。自分でもどうにかしようとしてみたけど、どうしようもできない。悲しませないように離れていったって、新しい場所でまた人を悲しませる」

今までおさえていたことが、次から次へと言葉となってあふれ出した。まっていた気持ちがおさえきれない。


 「まいご、何を言いだすんだ…」

ハカセは驚いて、戸惑とまどいながらも私をなだめようとしていた。

「ごめん、ハカセ。もうここにはいられない。病気のことを知られた以上、前みたいに普通に生活できない。本当にいろいろとありがとう。今は混乱しててちゃんと話せないけど、落ち着いたらしっかり話すから」

 私は席を立ってリビングの部屋を出ると、そのまま2階にある自分の部屋へと戻り服も着替えずにベットに倒れこんだ。頭が重くて痛く、嫌な感情ばかりでてきて止まらなかった。

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