第110話 おじさんとJK、旅立つ
「では、出発いたしますわよ。アルフレッド様」
「先導の方、よろしくお願いします。フランソワーズさん」
ふわふわとした紫紺の髪が麗しい姫騎士――領主マリーアン・テレボワ・ラーヴェルート親衛隊の長たるフランソワーズさんは、たおやかな手綱さばきで白馬を導き始める。
隊員のみんなも、馬や車で彼女の後を追う。
完全武装した華やかな美女達――領主親衛隊による直々の護衛。
どう考えても破格の対応だった。
僕は最後まで遠慮していたのだけど、マリーアン様は頑として譲らなかった。
「道中、チヅル殿の身に何かあってみろ。我は死んでも侘び切れぬ」
彼女の目は本気だった。
そしてひざまずいていた僕を立たせると、僕の右手を包み込むように握り、
「アルフレッド先生。子供が産まれたら……我も、顔を見に行ってよいだろうか?」
「もちろん。いつでも歓迎しますよ、マリーアン様」
「……楽しみにしているぞ」
僕の答えに、マリーアン様は満足げに頷いてくれた。
……こうして出発した、一介の魔法使いの移動にしては豪華過ぎる一団。
完全武装の騎士達に守られた最高級の旅客馬車で、僕は。
引き続き腰を抜かしていた。
「おとーさん、だいじょぶ? まだ立てない?」
「うう、ごめんよカレン……頑張ってはいるんだけどね……」
これがもう、笑っちゃうぐらいに動けない。
しかも外傷や病とは違うから、魔法では治療のしようがない。
昨夜は、酒場にいた冒険者に担いでもらってなんとか帰宅したものの、今朝になっても状況は変わってなかった。
自分でベッドを降りることさえできない。
本当なら荷詰めやらチヅルさんのサポートやら何やら、朝からフル稼働のはずだったのに。
親衛隊の一人――メンバーでは一番長身のジュリアさんに背負われて、病人よろしく馬車に運び込まれ。
綿が詰められた上等な座席の半分以上を占拠して、無様な姿を晒し続けている。
泣きたい。
カレンがいなかったら本当に泣いていたかも。
「でも、アル先輩が史上初かもしれませんねっ。告白されて腰抜かすなんて! 流石は先輩ですっ★」
更に辛いのは、僕が腰を抜かした理由をみんなが知っていることだった。
村のみんなはもちろん、親衛隊の面々にカレン達まで。
おかげで、昨夜からユーリィはずっとこの調子だ。
「もー、十年以上もエレナさんの気持ちに気付いてなかったなんて、先輩のうっかり屋さんっ★ そんなところもかわいいんですけどっ★」
いや絶対馬鹿にしてるでしょ。
完全にただの間抜けだと思ってるよね?
「違いますぅ。まあ、『あれ? 夏祭りのときのユーリィの告白、なかったことにされてない? あれれ?』とかは思いましたけどぉ」
あああああ、あの時とは状況が違うっていうか、その当時の僕は恋愛なんてまったく考えられない状態だったというか……
「……ごめん、ユーリィ。君は精一杯伝えてくれたのに、きちんと返事もせずに」
「いいんですよ。アル先輩が、そういうことを考えられる余裕ができたっていうだけで、ユーリィはとっても嬉しいですっ★」
ユーリィは、満面の笑みで言い切ってくれた。
彼女のこういうところ、本当に素敵だと思う。
「それに、ユーリィだって別に諦めたわけじゃ――」
不意に、外から声。
「お話し中のところをごめんなさい。ユーリィさん、ちょっと表に顔を出していただけます? 少し雪が多いので、処理していただけると助かるのですけれど」
「はーい、今行きますねっ。――それじゃ先輩、また後で」
フランソワーズさんに呼ばれ、ユーリィはひらりと御者台ヘ登っていった。
客室に残ったのは僕とカレン。
それから――チヅルさん。
「……あの。アルフレッドさん」
彼女は朝からずっと、思いつめた様子だった。
身重での長旅は不安だろうけど……チヅルさんのことだ、それだけじゃないのだろう。
「その。……例の、
「断りたい?」
「えっと……あの。はい」
やっぱり。
昨夜、酒場で何があったかを知ったら、チヅルさんは必ずそういうと思ってた。
「……エレナに遠慮してるから?」
「それもあります。でも……どう言ったらいいのか」
彼女は、不安なときはいつもそうするように、長い毛先を撫でるようにしながら、
「……あの。引かないで、聞いてもらえますか」
「うん。もちろん」
やがて、勇気を振り絞って。
僕の目を、まっすぐに見る。
「わたし、嫌なんです。この子を産むから、女神様から授かった特別な力があったから、っていう理由で結婚するのが」
夜色の瞳。
遠く空の果て、星の瞬きまで見えそうなほど。
「仕方ないから、責任があるから、便利だから、とか、そういうのじゃなくて。それじゃエレナさんにもユーリィさんにも申し訳ない、っていうか」
チヅルさんは小さく頭を振って、
「……チトセおばさんにも、カレンちゃんにも。胸を張って言えないし」
僕は寝転がったままの姿勢で、頷いた。
チヅルさんの言うことは、もっともだ。
結婚に対する考え方は人それぞれだけれど、少なくとも僕は、愛し合う二人がすることだと思っている。
義務感や責任を第一の理由にしてほしくない。
そんな経験を、チヅルさんにはさせたくない。
「だから。あの。……わたしも。アルフレッドさんに、わたしのことを好きになってもらいたいです」
……え?
「エレナさんより、ユーリィさんより……チトセおばさんより。もっと、ずっと。時間をかけて」
僕が考えてた結論とちょっと違う。
「な、あ、え……ごめん、どういうこと」
「アルフレッドさんが、わたしのことをどう思ってるかは知ってるつもりです。でも、わたしは……わたしにとって、アルフレッドさんはもっと特別な人なんです」
……あ。
またこの感覚。
扉が開く――たくさんの感情が溢れてくる。
「どしたの、おとーさん? 腰、痛いの?」
「いや、違う、ごめん、カレン……あの。お父さんは、ちょっとびっくりしただけ」
カレンが僕の顔を拭ってくれて。
僕は初めて、自分が泣いていることに気づいた。
「ご、ごめんなさいっ、アルフレッドさんっ、わたし、いきなり変なことを」
「そうじゃないよチヅルさん、君のせいじゃなくって……ごめん、あはは、君の前だと僕は泣いてばっかりだな、情けない」
とりあえず笑顔を作ってみるが、涙の方はどうも止まりそうにない。
そんな僕を見て、慌てるチヅルさんを見て、カレンは不安そうに眉根を寄せる。
「……おとーさん、チヅルおねーちゃんにフラれちゃったの?」
「ちっ、違うよっ、カレンちゃん!?」
「チヅルおねーちゃんは、カレンのおかーさんにならない? きょうだい、増えない?」
「あのっ、そうじゃなくて、えええ、どうしよう、あのね、結婚はしないけど家族ではいたいっていうか、その」
慌てるチヅルさんを、不審げな表情で見やるカレン。
「カレン、コラ、そんな顔しないで。あのね、お父さんは悲しくて泣いてるんじゃないんだ」
「……おとーさん、フラれてない?」
うーん、その軸で話すとややこしくなりそうだな……
というか誰なんだ、カレンにそういうことを吹き込んだのは。
「チヅルさんは……僕のことを、好きだって言ってくれたんだ」
「じゃあなんで、おとーさん泣いてるの?」
僕は手を伸ばして、カレンの頭を撫でながら、
「大人はね、嬉しいとき、涙が出ることがあるんだ」
「そーなんだ……変なの。チヅルおねーちゃんがおとーさんのこと好きなの、すぐ分かるのに。カレン、ずっと前から知ってたよ?」
ふふん、と鼻息をもらすカレン。
いやまったくその通り、面目次第もない。
「……色々理由があって、僕とチヅルさんは結婚しない。でも、チヅルさんはカレンの家族だし、産まれてくる子供もカレンの家族だよ」
「そっか。なら、オッケー!」
輝くような笑顔を見せたと思いきや、今度は首をひねり、
「あれ? じゃあおとーさんは?」
「ん?」
「チヅルおねーちゃんのこと、好きじゃないの? だから結婚しないの?」
カレンは本当に鋭い子だ。
常に問いを持って物事の本質を見極める力、いつまでも持ち続けて欲しい。
父はそう思っています。
「おとーさん、今、なんかごまかしてるでしょ」
「……カレンは、また一つ大きくなったみたいだね」
僕は咄嗟に視線をそらしたけど、それ以上のことは何もできない。
座席によじ登ってきたカレンは、僕の背中に馬乗りになって、
「もー! すぐカレンのこと子供みたいに言うー! おとーさんのバカ! セツメイブソク!」
べしべしと頭を叩き始める。
痛い痛い、どちらかと言えば頭より腰の方が痛い。
……それもそうか。この一年でまた大きくなったんだもんな。
振り返ってみれば、あっという間だった。
たくさんのことがあったけれど、カレンが今日も元気に笑っている。
僕にとっては、それだけで最高に幸せな時間だった。
そんな単純なことが、今になってようやく分かる。
「……カレンちゃん。ごめんね。新しいお母さんになってあげられなくて」
「なんで? チヅルおねーちゃんは、もうおねーちゃんなのに」
心底不思議そうに、カレンは続ける。
「おかーさんは、おかーさん。すーっごく美人で、やさしくて、カレンのことが大好きなの」
チヅルさんの手を取ると、
「チヅルおねーちゃんは、チヅルおねーちゃん。とってもかわいくて、おもしろくて……カレン、おねーちゃんのこと、大好き」
にっこりと笑う。
「だから、おかーさんじゃなくても、いいよ」
……結局のところ。
僕達が、勝手にあたふたしていただけだったのかもしれない。
カレンは色々なことを受け止められる子だ。
チトセに似て、器の大きい子なのだから。
「……ありがとう、カレンちゃん」
「えへへ。どういたしまして、チヅルおねーちゃん」
チヅルさんに抱きしめられて、カレンは照れくさそうに目を細める。
「――あのーっ、せんぱーいっ! アルせんぱーいっ」
またしても。
馬車の外から、呼ぶ声がした。
「どうしたの、ユーリィー?」
「ちょっと、先輩の力が必要なんですーっ」
僕の力?
今や現役最強の宮廷魔法士と言ってもいいユーリィがいるのに?
「ドラゴンですーっ、冬眠明けみたいでっ、機嫌が悪いのが二、三匹っ!」
えっ、嘘、ホントに?
それはマズい。
「なんてこった、すぐに行かな――痛てててて」
「急に立たないほうがいいですよっ、アルフレッドさんっ」
慌てて立ち上がろうとした僕を、チヅルさんが支えてくれる。
「ありがとう、ごめん。少し肩を借りててもいい?」
「大丈夫ですっ。これから、アルフレッドさんが必要なときは、いつでも貸しますからっ!」
決意を込めたチヅルさんの言葉が。
これほど心強く感じたのは、初めてだった。
果たして、この気持ちは。
(生徒の成長を喜ぶ教師の喜びなのか、娘の成長を喜ぶ父の喜びなのか)
それとも。
(……それは、この先、ゆっくり考えさせてもらおう)
今の僕には、やらなきゃいけないことが山ほどあるのだから。
「カレン! 御者台のジュリアさんのそばにいて! 危ないときは【
「はい、おとーさん! 気をつけてね!」
愛娘の声援に後押しされて、僕とチヅルさんは外へと踏み出した。
途端、耳をつんざくような甲高いドラゴンの叫び声、そして羽ばたきが生み出す強烈な旋風に弄ばれそうになる。
「先輩っ、北側の二匹はユーリィ達が引き受けます! 南東の一匹、いけますか!?」
ユーリィはすっかり準備を整えた様子で、指示も的確。
また一周り、頼もしくなっている気がする。
こんな人材が育っているなら、王立魔法研究所の将来は安泰だろうに。
モルガン師匠は適当なことばかり言う人だ。
「ああ、大丈夫だよユーリィ。それより、敵はワイバーンみたいだ。爪の毒には気をつけて、 引っ掛けられたら
「ユーリィ・カレラの名に懸けて、誰一人傷つけさせませんよっ★」
親衛隊の三名を引き連れて、ユーリィは勇ましく馬を走らせてゆく。
その背中を見守る暇はなく、僕は自分が撃ち落とすべきワイバーンを見上げる。
他の二匹より少し大きい。恐らくは群れのリーダーだろう。
「――ユーリィさん、すごくカッコよかったですね」
「だね。僕も見習わなきゃ」
アルフレッド・ストラヴェックの名に懸けて、この場にいる者は誰一人として傷つけさせない。
……やっぱりちょっと照れくさいな。
「チヅルさん。身重なのに申し訳ないんだけど……少しだけ、力を貸してくれ」
お腹の子と、カレンと、それからみんなを守るために。
「もちろんです。この子のためにも、頑張っちゃいますから!」
僕は頷き返してから、魔法の構成を編み始める。
これまでずっとそうしてきたように――確かな決意を持って。
いつか自分が納得できる、その日まで。
父として、夫として、魔法使いとして、生き続けるために。
【完結】パパは世界最強の魔法使い ~異世界女子高生と愛娘と過ごす幸せスローライフ 最上へきさ @straysheep7
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