第2話

 一まーい、二まーい、三まーい……お皿が一枚足りなーい……

 野上君の家の大事なお皿を割ってしまった私は、離婚を余儀なくされた。それからと言うもの、夜な夜なお店に化けて出ては、お皿の数を数える毎日。しかしこのままでは営業妨害になると、どこからか陰陽師がやってきて……


「永井……永井!」

「はっ、野上君⁉」


 いけない。またつい変な想像をしてしまっていて、心ここにあらずだった。

 お皿を割ってしまった私を、野上君は怒ったりはしなかったけど、やっぱり申し訳なくて。洗い物が終わった後、カウンター席に座った私は、しょんぼりと項垂れていたのだ。


「……野上君」

「どうした?」

「成仏させられるのは全然かまわないんだけど、せめてお盆くらいは、お父さんやお母さん、お兄ちゃんに会いに帰って来ていいかな?」

「は?」

「私のお墓に、カフェオレをお供えしてくれる?」

「本当に病院行かなくて大丈夫か? 今年の熱中症は、質が悪いのか? まあ、それはそうとしてだ」


 そう言って野上君は、茶色い封筒を差し出してきた。


「ええと、これは?」

「今日手伝ってもらった分の給料。少ないけど、取っておいてくれ」

「えっ、でも私。お皿割っちゃったし……」


 手伝うどころか、邪魔しちゃって。それなのにお給料をもらうだなんて、あまりに申し訳ない。だけど野上君は、優しい声で言う。


「失敗なんて誰にでもあるんだから、気にするなって。それに、接客はちゃんとできてたんだしさ。永井が手伝ってくれてくれて、本当に助かった。だから、受け取ってくれ」

「野上君……ううん、やっぱりこれは受け取れないよ。野上君は良くても、私が納得できないの。これだけは絶対に、譲れないから」


 もしここで受け取っても、絶対に後でモヤモヤが残るだろう。これが自己満足だったとしても、やっぱり受け取るのは気が引けてしまう。

 野上君は困った顔をしていたけど、ふと何かを思いついたように。カウンターの奥にあった何かを手に取って、差し出してくる。


「それじゃあ代わりに、これだけでも受け取ってくれないか?」

「これは……」


 そこにあったのは、コーヒーが一杯タダで飲めると言う無料券。なのだけど……

 野上君は私が見ている見ている目の前で、その無料券にボールペンで何かを書き始める。そこに書かれた文字は……


「『無制限』? これって、どういう事?」

「見ての通りだよ。これがあったら、何杯でもうちのコーヒーをタダで飲めるから。おっと、永井の場合、コーヒーじゃなくてカフェオレでも大丈夫なようにするから」

「ええっ、何杯でもって。毎回カフェオレがタダになっちゃうってこと? そ、そんなの貰えないよ!」


 そう言ったけど、野上君は有無を言わさずにその券を握らせてくる。手が触れた瞬間、ゴツゴツしていて私の手とは全然違うその感触に、少しドキッとしたけれど……そうじゃなくて!


 この無料券。カフェオレを何回も飲んだら、お給料をもらうよりも価値が出るんじゃないの? 迷惑をかけたのに、当然こんな物を貰うわけにはいかないって思ったんだけど。野上君は返却拒否と言わんばかりの目で、私を見る。


「給料が受け取れないなら、せめてこれは貰ってくれ。俺も、これだけは絶対に譲れないから」


 さっき私が言ったのと似たような台詞を言ってくる。そんな風に言われたら、断れないじゃない。


「で、でも私。これから何回もここ来ちゃうよ。遠慮せずに何度もカフェオレ飲んじゃうかもしれないよ。カフェイン中毒になっちゃうくらいに。それでも良いの?」

「カフェイン中毒はともかく、飲みに来る分には構わない。むしろ、そうしてほしい。永井には何回だって、うちのカフェオレを飲んでもらいたいだけど……ダメかな?」

「な、何回も? これからずっと? そんなに何回も、ここに来ていいの? お皿割っちゃった失敗女なのに?」

「ああ。もちろん、永井が嫌じゃなければだけど」


 嫌だなんてとんでもない。むしろそう言ってもらえて、凄く嬉しい。


 何回もうちのカフェオレを飲んでもらいたい。一生俺のカフェオレを飲んでくれ。死が二人を分かつまで。野上君、確かにそう言ったよね?

 それって、もはやプロポーズ⁉ 何度も来てほしいどころか、いっそここで一緒に暮らそうって言う意味が込められちゃってる? この無料券は、もはや婚約指輪と言っても過言じゃないってことだよね⁉ ここ、とっても重要だから!


 いや、待って。落ち着け私。いくらなんでも、これはちょっぴり話が飛躍しすぎだよね。いくらなんでもこれは、ほんの少しオーバーだったかもしれない。

 気持を落ち着かせるために深呼吸をすると、野上君が覗き込んでくる。


「顔が赤いけど、平気なのか?」

「ち、近いー!」

「あ、悪い。けど本当に平気か? 体調が悪いなら、奥で休んでおく?」

「お、おうちの中に上がって良いの⁉ って、違う! 全然平気だから! ちょっと熱くなっちゃっただけで、心配してくれなくても大丈夫なんだから!」

「そっか、ならいいけど……暑いなら早速、飲んでおくか? アイスカフェオレ」

「えっ? あ、はい。頂きます……」


 思わずそう返事をしてしまった後、ハタと気づいて、手の中にある無料券を見る。

 注文しちゃった以上、もうこの券は貰ったって事になっちゃったのかな? 本当は受け取って良い物かどうか、まだ迷っていたんだけど。もしかしたら野上君、そんな私の心中を見越して、カフェオレを進めてきたのかもしれない。

 もちろんこんな事、本人に聞いて確かめるなんてできないけど。


「はい、お待たせ。よく冷えているから、ゆっくり飲むといいよ」


 あっと言う間に用意してくれた、キンキンに冷えたカフェオレ。もう今更、無かったことになんてできない。諦めた私は素直にそれを受け取って、コップに刺さっていたストローに口をつける。


「冷たい。それに、とっても甘い」


 もう何度も飲んできた味だけど、やっぱり美味しい。

 少しずつカフェオレを飲んでいく私を、野上君はカウンターで頬杖をつきながら、優しい目で見てくれている。


「どう、ちょっとは元気出た? 落ち込んでいる時は甘いものを飲んで、元気を出しなよ。笑っている永井の方が、俺は好きだから」


 屈託のない笑みで、そんなこと言われてしまい。カッと熱くなった頭を冷やすために、急いで残りのカフェオレを吸い上げる。


……カフェオレよりも、野上君の方が甘いよ


 きっと私はこれからも、このお店に通うに違いない。甘くて美味しいカフェオレと、もっと甘い夢の時間を求めて。



 ♪おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

喫茶店で甘い夢を見る 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ