第10話 第三次ヴァリダーナ会戦〈下〉


 ルミエルド聖暦六百四十五年四月二十三日。ヴァリダーナ回廊西部にて、遂にアルザーク帝国・ヴェルランド聖王国両軍は本格的な武力衝突に至った。それから数時間が経ち、午後四時頃のことである。総勢二万三千余の聖王国軍は、総勢一万二千余の帝国軍に対して優勢に立っていた。—―――見かけ上の、優勢に。


 二時間前。聖王国軍の指揮官ギュイテーヌ公シャルルは諸侯の統制を今一度取り戻すと、元より企図していた戦術を実行した。すなわち、帝国軍中央の歩兵隊に対しては弓兵隊の援護を受けつつ歩兵隊をぶつけ、両翼の騎兵隊に対しては迂回路を断つように騎兵隊を進撃させる……。簡単に言えば、敵の布陣に合わせて同様の兵科を投入するという単純な一手。シャルルに特別な戦略を練れるような資質も経験も無かったことは確かだが、これ自体はごく自然な手だった。元より戦力は二倍。帝国軍が奇策を用意してこないのであれば、正面から当たって数的優位を存分に生かすのが定石。

 聖王国軍歩兵およそ八千を中央に展開すると、狙い通り帝国軍歩兵隊は騎兵用の戦術であるパイクブロックを解き、突撃からの白兵戦という古典的な戦術へと切り替えてこれに応戦。加えて聖王国軍は弓兵三千弱を以て歩兵隊の援護に当たらせた。そして聖王国側から見た右翼・海岸側と左翼・山脈側にはそれぞれ騎兵二千ずつを進撃させ、全ての戦線において数的優位を作り出すことに成功した。これで後は数で押し切ってしまえば、聖王国軍の勝利となるはずだったのだが……。

 しかし。

 この時点で既に、聖王国軍のが決定していたとしたら? 

 勝利でも、優勢でも、劣勢でもない。

 これからどんな手を講じようとも揺らぐことの無い、敗北である。


 その所以を知る数少ない一人が、前線から遠く離れた地にいた—―――。




「聖王国軍の敗因は……。他にも色々あるが、一番はこれだ」


 断ずるように言い放ったのは、傭兵隊長ジグムント。平原を吹き抜ける風に赤毛をなびかせながら、今まさに本軍同士の戦いが行われている回廊の西を正視している。その隣には同じく傭兵団を束ねる立場にある若き女、ヘルガがいた。昨日の夕方にゲルトも合わせて三人で行った話し合い。それが大雨で中断されたので、再び今日の昼頃にジグムントとヘルガが都合を付けて集まったのである。人払いは既に済ませており、周囲には全く人がいない。後背には天幕、眼前には草原が広がっている。

 さて。二人は今朝から今まで、後詰の野営地から一歩も足を踏み出すことは無かった。それはつまり、本軍同士の衝突が始まっても帝国軍が崩壊の色を見せず、第一陣と第二陣のみで聖王国軍の攻撃を耐え凌いでいるということだ。

 防衛側にとってこの状況は間違いなく良いものではあるが、戦いはまだ初日。決着はまだまだ分からない戦況だ。それなのに彼は堂々『敗因』などと宣ったのだ。

 腕を組んで自慢げに表情を崩す男に、薔薇髪の女は心底不思議そうに尋ねた。


「そろそろ聞かせてもらいたいもんだね。あんたがどうして、そこまでの自信があるのか。そして実際どうして今は帝国軍が勝てているのか。……あの坊ちゃんが一番知りたいだろうに、肝心な時にどこ行ってるんだい?」


 今までは伝え聞いた聖王国軍の戦力情報を共有していたところだったが、それが終わると唐突にジグムントは先ほどの言葉を放った。敵軍の特徴を総括する目的で発したのだろうが、どうにも違和感のある、前々から用意していたような言葉だった。


「ゲルトには遠くで見張りをさせてる。この話はアイツに聞かせたくないもんでな」


 そしてジグムントはそう言いながら、後頭部をぽりぽりと掻いた。まるで、自分がこれからする話に何か不都合なことがあるかのように。「それって、どういうことだい」とヘルガが声を出す前に、間断なくジグムントは話し出した。


「とは言っても、俺には詳しい戦術がどうとかは分からん。前の団長が死ぬ、つい三か月前まではただの傭兵だったんだからな。……けどな。その先代が生前に一つだけ俺に教えてくれたことがある。戦術云々以前の話さ。何だか分かるか?」


 ヘルガは分からない、と肩をすくめる。意気揚々と青年は告げた。


「『戦う前に最大限の準備ができた方が勝つ』ってな。その場の戦術程度じゃひっくり返せないぐらいの戦力を事前に準備し、盤面上に揃える。そうすれば、滅多なことでは負けねぇって寸法さ。戦う前から勝負は付いてるってわけ」


「それを言うなら、聖王国軍の方が良い準備ができていたんじゃないのかい? 兵力は帝国軍の二倍以上で、正戦がどうだの言って士気も高いって言うじゃないか」


「甘いな。初動にあれほど失敗すりゃ、二倍だろうが三倍だろうが一生帝国軍には勝てないだろうさ。それに士気なんてものは水物、助けにはなるが当てにはできねぇ」


 どこか教えを説くような得意げな表情を隠さないジグムントの言葉に、ヘルガは半分は納得してもう半分は納得していないといった顔を見せた。


「初動……騎兵隊が単独で突っ込んで来たことかい? けど、それからは時間を追うごとに聖王国軍の統制は戻っていったじゃないか。向こうもいい加減、無力なには愛想を尽かして大諸侯の指揮下に入ったってことだろうね」


「言ったろ? 戦う前の準備が最重要だって。誰が最終的な指揮権を握るのか、その隷下に誰がいて、どれくらいの裁量で指揮を任せるのか。……もっと言うなら。命令違反をしたら具体的にどんな罰が課されるのか。それを決め切れていなかったから、敵軍の一部は独断専行に踏み切った。そのおかげで、帝国軍はを得た」 


 確かに、聖王国軍の指揮系統は開戦直前までずっと不透明なままだった。諸侯に兵力拠出を求めたのは聖王アルフォンスだが、彼自身に諸侯をまとめる力は無く、軍議はギュイテーヌ公を中心とする諸侯の合議によって為された。とはいえ、完全にギュイテーヌ公の指導下に入るのを拒む諸侯もおり、その筆頭がモンス・ネメッソス司教だったというわけだ。すると、ヘルガは「勝ち筋?」と青年の言葉を反芻した。


「騎兵隊だけでの単独突撃、それに続く散発的な諸侯軍の攻撃……。これで帝国軍は悟ったのさ。敵軍は大兵力を統率できず、明らかに混乱してるってな。だとすれば、勝つためにやるべきことは一つ。とにかく耐え凌ぐことさ」


「耐え凌ぐ……って。帝国軍は元から守備側だったんだから、当たり前じゃないか」


「耐え凌ぐって一言で言っても、簡単なことじゃねぇ。この平原には砦や城の一つもありゃしねぇんだ。つまり二倍以上の敵に対して、ただ籠城して縮こまる戦術も取れない。だから必要なのは……奴らに数的優勢を忘れさせるような、理不尽の一発さ」


 ジグムントの頭の中にあったのはつい数日前の帝都での盗賊狩り。あの時も、ジグムントとゲルトは盗賊たちに対する数的劣勢の中で、それでも防戦一方になることなく、大剣ツヴァイヘンダーによる回転斬りという理不尽な一撃をお見舞いした。

 この戦いにおける帝国軍もそうだ。数に勝る聖王国軍に対して明らかに質において優れ、『理不尽の一発』をお見舞いできる戦力があった。それは。


「……魔導士。本軍第一陣に残っていた、ザリエルン大公の魔導軍……!」


 ヘルガは、いつもは妖艶に細まった目を大きく見開いた。昨夕の話し合いで存在を知った、先鋒の帝国魔導士四百以外でこの戦場に布陣していた二つの魔導軍の内の一つだ。その総数は二百。全戦線に分散させても十分に脅威となる数だ。

 補足すると、グレンツェ魔導伯率いる先鋒魔導軍は弾幕戦の末に魔力切れが頻発したため一旦前線から離れ、現在はこの傭兵軍の野営地近くで待機していた。


「対する聖王国軍魔導士は弾幕戦で元々先鋒にいた七百に加え、二百の増援も巻き添えで撃破されたんだ。おかげで壊滅状態だが、まだ帝国は精鋭魔導士を二百も残してる。だから、初戦でパイクブロックに引き込んだ騎兵隊を魔導弾で焼き殺すなんて贅沢な使い方ができたわけさ。……それが、より大軍に向けて使われればどうなるか」


「今でこそ統制が効いていて士気も高いけど、結局は諸侯の寄せ集め。目の前で指揮官が魔導弾で撃ち落とされなんてしたら……。直属の上官を失った兵士たちは命欲しさに、後続がいるなんて気にせず退却し始めるだろうね」


 ヘルガは心なしか、恐ろしさを誤魔化すように笑って見せた。

 戦力的に不利であるならば、一時的に退却することは必ずしも悪いことではない。しかしそれが、直属の指揮官を失ったことによる戦意喪失からのものならば話は別。後方で再合流などすることもなく、散り散りになって戦場を後にするだろう。


「ゲルトは何度か貴族同士の小競り合いに参戦したことがあるくらいで、今回みたいな魔導士が参加するような大規模な戦いは初めてなんだ。魔導士の恐ろしさってヤツを知らねぇ。だから今と同じ話をしても、アイツにはピンと来ねぇだろうな」


 ジグムントは肩をすくめて言った。そしてヘルガと顔を見合わせて微かに笑った。

 それはけして面白いからではない。魔導士という、この大陸における圧倒的な存在を改めて思い知り、その恐怖から笑うしかなかったのだ。

 本軍が衝突する前に両軍の魔導士隊が先鋒として弾幕戦を行い、双方の魔力を。非魔導士が首を突っ込むことなど許されない、正真正銘の魔導士同士の戦い。この戦いが無ければ、魔力を十分に残した魔導士たちが互いの一般兵たちを虐殺し合うという地獄絵図が生まれてしまう。そのためこの時代、魔導戦力を保有する軍隊同士の会戦では、弾幕戦を行うことが絶対的な不文律となっていた。

 しかしこの戦いでは、帝国軍魔導士隊は二倍以上の敵軍魔導士を弾幕戦で撃破した上に、隠し玉として本軍にも魔導士を二百も温存しておいたのである。

 保有する魔導士の圧倒的な力量と、皇帝から上意下達の一貫した指揮系統。

 ルミエルド大陸において、時にアルザーク帝国が覇権国家と称されるのはそのような所以があるからであった。そうはいっても、これは帝国が他の大陸諸国に比べて明らかに異常な国家体制を形成していることにも由来するのだが……。

 そのことはまた後に言及することになるだろう。すると、ヘルガは少しずつ綻んだ表情を元に戻すと、薔薇の一刺しが如き鋭い言葉を放った。


「でも、それがあの坊ちゃんに聞かせたくなかった理由じゃないんだろう? 昨日からずっと思ってたんだ。—―――あんた、どうしてそこまでの情報を知ってるんだい? 私たちみたいな傭兵には、友軍の情報すらまともに入ってこないってのに」


 彼女の疑念はもっともなものだった。昨日の話し合いの時に、地面に描いていた帝国軍の配置図。非常に簡易的ではあったが、各諸侯軍の戦力がいくつでどこに布陣するのかといった情報が詳しく分かっていないと描けないものだった。

 ……まるで、事前にから知らされていたように。


「……帝都からの道中で色々と盗み聞いた、ってのは通用しねぇか。へっ、ちょっと油断して喋りすぎちまったかもなぁ」


 ジグムントは後頭部を掻くいつもの動作をしながら、不穏な雰囲気を纏いながら笑みを浮かべた。その並々ならぬ様子に、ヘルガは思わず腰のナイフに手を掛けた。


「おっと! お前に何か危害を加えるつもりはねぇよ。別に誰かに聞かれたところで、大して損する話じゃねぇしな。……ゲルトには聞かせたくねぇだけで」


 少し驚いたような顔を見せ、そしてまた狂気的な笑みに、それから少し哀愁と悔恨を込めたような表情へと。今までとは明らかに違う青年の様子に、女傭兵の内奥に走る緊張は高まっていく。だが、次に発せられた彼の言葉は予想外のものだった。


「それと関わる話なんだが……。アンタ、災厄の皇子って知ってるか?」

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