第10話 第三次ヴァリダーナ会戦〈転〉


 ルミエルド聖暦六百四十五年四月二十三日。ヴァリダーナ回廊西部にて、遂にアルザーク帝国・ヴェルランド聖王国両軍は本格的な武力衝突に至った。それから数時間が経ち、午後四時頃のことである。総勢二万三千余の聖王国軍は、総勢一万二千余の帝国軍に対して優勢に立っていた。—―――見かけ上の、優勢に。


 二時間前。聖王国軍の指揮官ギュイテーヌ公シャルルは諸侯の統制を今一度取り戻すと、元より企図していた戦術を実行した。すなわち、帝国軍中央の歩兵隊に対しては弓兵隊の援護を受けつつ歩兵隊をぶつけ、両翼の騎兵隊に対しては迂回路を断つように騎兵隊を進撃させる……。簡単に言えば、敵の布陣に合わせて同様の兵科を投入するという単純な一手。シャルルに特別な戦略を練れるような資質も経験も無かったことは確かだが、これ自体はごく自然な手だった。元より戦力は二倍。帝国軍が奇策を用意してこないのであれば、正面から当たって数的優位を存分に生かすのが定石。

 聖王国軍歩兵およそ八千を中央に展開すると、狙い通り帝国軍歩兵隊は騎兵用の戦術であるパイクブロックを解き、突撃からの白兵戦という古典的な戦術へと切り替えてこれに応戦。加えて聖王国軍は弓兵三千弱を以て歩兵隊の援護に当たらせた。そして聖王国側から見た右翼・海岸側と左翼・山脈側にはそれぞれ騎兵二千ずつを進撃させ、全ての戦線において数的優位を作り出すことに成功した。これで後は数で押し切ってしまえば、聖王国軍の勝利となるはずだったのだが……。

 しかし。

 この時点で既に、聖王国軍のが決定していたとしたら? 

 勝利でも、優勢でも、劣勢でもない。

 これからどんな手を講じようとも揺らぐことの無い、敗北である。


 その所以を知る数少ない一人が、前線から遠く離れた地にいた—―――。




「聖王国軍の敗因は……。他にも色々あるが、一番はこれだ」


 断ずるように言い放ったのは、傭兵隊長ジグムント。平原を吹き抜ける風に赤毛をなびかせながら、今まさに本軍同士の戦いが行われている回廊の西を正視している。その隣には同じく傭兵団を束ねる立場にある若き女、ヘルガがいた。昨日の夕方にゲルトも合わせて三人で行った話し合い。それが大雨で中断されたので、再び今日の昼頃にジグムントとヘルガが都合を付けて集まったのである。人払いは既に済ませており、周囲には全く人がいない。後背には天幕、眼前には草原が広がっている。

 さて。二人は今朝から今まで、後詰の野営地から一歩も足を踏み出すことは無かった。それはつまり、本軍同士の衝突が始まっても帝国軍が崩壊の色を見せず、第一陣と第二陣のみで聖王国軍の攻撃を耐え凌いでいるということだ。

 防衛側にとってこの状況は間違いなく良いものではあるが、戦いはまだ初日。決着はまだまだ分からない戦況だ。それなのに彼は堂々『敗因』などと宣ったのだ。

 腕を組んで自慢げに表情を崩す男に、薔薇髪の女は心底不思議そうに尋ねた。


「そろそろ聞かせてもらいたいもんだね。あんたがどうして、そこまでの自信があるのか。そして実際どうして今は帝国軍が勝てているのか。……あの坊ちゃんが一番知りたいだろうに、肝心な時にどこ行ってるんだい?」


 今までは伝え聞いた聖王国軍の戦力情報を共有していたところだったが、それが終わると唐突にジグムントは先ほどの言葉を放った。敵軍の特徴を総括する目的で発したのだろうが、どうにも違和感のある、前々から用意していたような言葉だった。


「ゲルトには遠くで見張りをさせてる。この話はアイツに聞かせたくないもんでな」


 そしてジグムントはそう言いながら、後頭部をぽりぽりと掻いた。まるで、自分がこれからする話に何か不都合なことがあるかのように。「それって、どういうことだい」とヘルガが声を出す前に、間断なくジグムントは話し出した。


「とは言っても、俺には詳しい戦術がどうとかは分からん。前の団長が死ぬ、つい三か月前まではただの傭兵だったんだからな。……けどな。その先代が生前に一つだけ俺に教えてくれたことがある。戦術云々以前の話さ。何だか分かるか?」


 ヘルガは分からない、と肩をすくめる。意気揚々と青年は告げた。


「『戦う前に最大限の準備ができた方が勝つ』ってな。その場の戦術程度じゃひっくり返せないぐらいの戦力を事前に準備し、盤面上に揃える。そうすれば、滅多なことでは負けねぇって寸法さ。戦う前から勝負は付いてるってわけ」


「それを言うなら、聖王国軍の方が良い準備ができていたんじゃないのかい? 兵力は帝国軍の二倍以上で、正戦がどうだの言って士気も高いって言うじゃないか」


「甘いな。初動にあれほど失敗すりゃ、二倍だろうが三倍だろうが一生帝国軍には勝てないだろうさ。それに士気なんてものは水物、助けにはなるが当てにはできねぇ」


 どこか教えを説くような得意げな表情を隠さないジグムントの言葉に、ヘルガは半分は納得してもう半分は納得していないといった顔を見せた。


「初動……騎兵隊が単独で突っ込んで来たことかい? けど、それからは時間を追うごとに聖王国軍の統制は戻っていったじゃないか。向こうもいい加減、無力なには愛想を尽かして大諸侯の指揮下に入ったってことだろうね」


「言ったろ? 戦う前の準備が最重要だって。誰が最終的な指揮権を握るのか、その隷下に誰がいて、どれくらいの裁量で指揮を任せるのか。……もっと言うなら。命令違反をしたら具体的にどんな罰が課されるのか。それを決め切れていなかったから、敵軍の一部は独断専行に踏み切った。そのおかげで、帝国軍はを得た」 


 確かに、聖王国軍の指揮系統は開戦直前までずっと不透明なままだった。諸侯に兵力拠出を求めたのは聖王アルフォンスだが、彼自身に諸侯をまとめる力は無く、軍議はギュイテーヌ公を中心とする諸侯の合議によって為された。とはいえ、完全にギュイテーヌ公の指導下に入るのを拒む諸侯もおり、その筆頭がモンス・ネメッソス司教だったというわけだ。すると、ヘルガは「勝ち筋?」と青年の言葉を反芻した。


「騎兵隊だけでの単独突撃、それに続く散発的な諸侯軍の攻撃……。これで帝国軍は悟ったのさ。敵軍は大兵力を統率できず、明らかに混乱してるってな。だとすれば、勝つためにやるべきことは一つ。とにかく耐え凌ぐことさ」


「耐え凌ぐ……って。帝国軍は元から守備側だったんだから、当たり前じゃないか」


「耐え凌ぐって一言で言っても、簡単なことじゃねぇ。この平原には砦や城の一つもありゃしねぇんだ。つまり二倍以上の敵に対して、ただ籠城して縮こまる戦術も取れない。だから必要なのは……奴らに数的優勢を忘れさせるような、理不尽の一発さ」


 ジグムントの頭の中にあったのはつい数日前の帝都での盗賊狩り。あの時も、ジグムントとゲルトは盗賊たちに対する数的劣勢の中で、それでも防戦一方になることなく、大剣ツヴァイヘンダーによる回転斬りという理不尽な一撃をお見舞いした。

 この戦いにおける帝国軍もそうだ。数に勝る聖王国軍に対して明らかに質において優れ、『理不尽の一発』をお見舞いできる戦力があった。それは。


「……魔導士。本軍第一陣に残っていた、ザリエルン大公の魔導軍……!」


 ヘルガは、いつもは妖艶に細まった目を大きく見開いた。昨夕の話し合いで存在を知った、先鋒の帝国魔導士四百以外でこの戦場に布陣していた二つの魔導軍の内の一つだ。その総数は二百。全戦線に分散させても十分に脅威となる数だ。

 補足すると、グレンツェ魔導伯率いる先鋒魔導軍は弾幕戦の末に魔力切れが頻発したため一旦前線から離れ、現在はこの傭兵軍の野営地近くで待機していた。


「対する聖王国軍魔導士は弾幕戦で元々先鋒にいた七百に加え、二百の増援も巻き添えで撃破されたんだ。おかげで壊滅状態だが、まだ帝国は精鋭魔導士を二百も残してる。だから、初戦でパイクブロックに引き込んだ騎兵隊を魔導弾で焼き殺すなんて贅沢な使い方ができたわけさ。……それが、より大軍に向けて使われればどうなるか」


「今でこそ統制が効いていて士気も高いけど、結局は諸侯の寄せ集め。目の前で指揮官が撃ち落とされなんてしたら……。直属の上官を失った兵士たちは命欲しさに、後続がいるなんて気にせず退却し始めるだろうね」


 ヘルガは心なしか、恐ろしさを誤魔化すように笑って見せた。

 戦力的に不利であるならば、一時的に退却することは必ずしも悪いことではない。しかしそれが、直属の指揮官を失ったことによる戦意喪失からのものならば話は別。後方で再合流などすることもなく、散り散りになって戦場を後にするだろう。


「ゲルトは何度か貴族同士の小競り合いに参戦したことがあるくらいで、今回みたいな魔導士が参加するような大規模な戦いは初めてなんだ。魔導士の恐ろしさってヤツを知らねぇ。だから今と同じ話をしても、アイツにはピンと来ねぇだろうな」


 ジグムントは肩をすくめて言った。そしてヘルガと顔を見合わせて微かに笑った。

 それはけして面白いからではない。魔導士という、この大陸における圧倒的な存在を改めて思い知り、その恐怖から笑うしかなかったのだ。

 本軍が衝突する前に両軍の魔導士隊が先鋒として弾幕戦を行い、双方の魔力を。非魔導士が首を突っ込むことなど許されない、正真正銘の魔導士同士の戦い。この戦いが無ければ、魔力を十分に残した魔導士たちが互いの一般兵たちを虐殺し合うという地獄絵図が生まれてしまう。そのためこの時代、魔導戦力を保有する軍隊同士の会戦では、弾幕戦を行うことが絶対的な不文律となっていた。

 しかしこの戦いでは、帝国軍魔導士隊は二倍以上の敵軍魔導士を弾幕戦で撃破した上に、隠し玉として本軍にも魔導士を二百も温存しておいたのである。

 保有する魔導士の圧倒的な力量と、皇帝から上意下達の一貫した指揮系統。

 ルミエルド大陸において、時にアルザーク帝国が覇権国家と称されるのはそのような所以があるからであった。そうはいっても、これは帝国が他の大陸諸国に比べて明らかに異常な国家体制を形成していることにも由来するのだが……。

 そのことはまた後に言及することになるだろう。すると、ヘルガは少しずつ綻んだ表情を元に戻すと、薔薇の一刺しが如き鋭い言葉を放った。


「でも、それがあの坊ちゃんに聞かせたくなかった理由じゃないんだろう? 昨日からずっと思ってたんだ。—―――あんた、どうしてそこまでの情報を知ってるんだい? 私たちみたいな傭兵には、友軍の情報すらまともに入ってこないってのに」


 彼女の疑念はもっともなものだった。昨日の話し合いの時に、地面に描いていた帝国軍の配置図。非常に簡易的ではあったが、各諸侯軍の戦力がいくつでどこに布陣するのかといった情報が詳しく分かっていないと描けないものだった。

 ……まるで、事前にから知らされていたように。


「……帝都からの道中で色々と盗み聞いた、ってのは通用しねぇか。へっ、ちょっと油断して喋りすぎちまったかもなぁ」


 ジグムントは後頭部を掻くいつもの動作をしながら、不穏な雰囲気を纏いながら笑みを浮かべた。その並々ならぬ様子に、ヘルガは思わず腰のナイフに手を掛けた。


「おっと! お前に何か危害を加えるつもりはねぇよ。別に誰かに聞かれたところで、大して損する話じゃねぇしな。……ゲルトには聞かせたくねぇだけで」


 少し驚いたような顔を見せ、そしてまた狂気的な笑みに、それから少し哀愁と悔恨を込めたような表情へと。今までとは明らかに違う青年の様子に、女傭兵の内奥に走る緊張は高まっていく。だが、次に発せられた彼の言葉は予想外のものだった。


「それと関わる話なんだが……。アンタ、災厄の皇子って知ってるか?」


「は、災厄の、皇子? ……ああ、帝都のどこかに住んでるっていう。私の傭兵団はクローステンが拠点でね、ザリエルン大公のお膝元ってこともあって、住民は随分と嫌ってるみたいだね。皇族なんて会ったことも無いし、私はよく知らないけどさ」 


 ジグムントの口から唐突に飛び出した単語にヘルガは困惑しながらも自分が知っている限りのことを話していく。言葉は違うものの、同じ質問をゲルトにした時とほぼ同じような答えだ。拠点こそあれ一か所に長く留まらない風来坊が如き傭兵たちは、良くも悪くも土地に染まらない。その土地の領主にも、だ。

 彼女が言った通り、クローステンKlostenは帝国南部に大所領を持つザリエルン大公が居城を構える大都市である。ザリエルン大公家は数百年前にグリューネヴルム帝室から分派した家門であるが故に、家長は帝国唯一の大公位を戴いている。そんな事情があるため、帝室から追放された〈災厄の皇子〉に対する風当たりは帝都と遜色ないほど強い。帝都からそう遠くない土地柄もあって、ヘルガの耳にも入ったのだろう。

 彼女の口ぶりからは、そもそも知識が無いということもあってかあまり〈災厄の皇子〉に対する敵愾心が感じられなかった。恐らくジグムントが帝都で出会った時と同じように、彼女も大して抵抗無く〈災厄の皇子〉と話ができるだろう。

 それはともかく、青年の話の切り口があまりにも想像の斜め上だったので、ヘルガは再び本題へと戻ろうとして言葉を紡ぐ。


「けど、それが今の話と何の関係が……」


 が、青年は女傭兵が言い終わるのを待たず、ぽつりぽつりと語り出した。


「俺は一週間前、ゲルトと一緒に災厄の皇子が住む街区へと足を踏み入れた。街区に棲み着いた盗賊狩りのため……そういうでな」


「……は? 一体、何を」


「俺はその日の朝、市庁舎に呼び出しを食らった。するとある筆頭役人が、団員共の酒乱騒ぎのツケを払うために盗賊狩りをしろなんて命令してきやがった。俺はそんなダルいことは御免だと突っぱねたが、付け加えてアイツはこう言ったんだ。

 『盗賊狩りの騒ぎを大きくして〈災厄の皇子〉をおびき寄せ、ヤツと共闘しろ。それで油断したヤツの口から、を引き出してこい』ってな」


 ジグムントは無表情のまま、自らが盗賊狩りに行った経緯を淡々と話していく。その黒き瞳は眼前のヘルガを映し出してはいたが、どこか遠いところに意識が向いているようだった。その姿はまるで自分の過去を追想しながらも、それに対して沸き上がる感情を押さえつけているような印象を与えた。

 ただ、急に押し寄せた情報の濁流に、女傭兵の困惑は更に深まった。


「ま、待ちなよ。何が何だか……。だいたい、その言質ってのは何なのさ?」


 そこまで詳しくは知らんが、と前置いてからジグムントは長く語り出した。口の端は全く動くことなく、後頭部を掻くような挙動も見せず。段々と、ヘルガは彼が時折見せるその癖の意味が分かってきたような気がした。


 十日前のことだ。

 〈災厄の皇子〉の従士二人と司祭一人が、帝都の教会堂にて口論の末に刺し違えて命を落とした。だが、市の役人共はその真偽を疑っていた。何たって、死体を発見したとある貴族が、損壊の激しかった死骸をそのまま教会の墓地に埋めたなんて怪しい話さ。市当局はすぐに死骸の調査をしようとしたが、その時はもう帝国軍の出陣が間近でそれどころじゃなかった。帝都やその近郊に住む帝国下級騎士ミニステリアーレの多くが帝国騎士団の一員として出征するから、より多くの人員を治安維持に割かなくちゃならない。戦となれば、ただでさえ人手はいくらあっても足らねぇ。宮廷に呼び出しを食らう役人も多く、何にしてもたかが殺人事件の調査なんて後回しさ。

 ただ、あの役人……ホルストって男は、最初からそれが〈災厄の皇子〉の仕業だと決めつけているかのようだった。さしずめ、騎士と僧侶殺しの罪をヤツに被せてにでもしようとしてるんだろうさ。〈災厄の皇子〉がいくら嫌われてるからって、それはやり過ぎじゃねぇかって思ったがな。ともかく、ホルストは自分たち役人が動けない代わりに、俺に依頼をしてきた。盗賊狩りのついでにヤツと接触し、ヤツのを引き出してこいってな。治安維持にも一役買えて、一石二鳥ってわけさ。役人共の好きに使われるのは癪だったが、ホルストは破格の条件を提示してきやがった。多額の報奨金と……この戦いにおける〈紅の狼グラナヴォルフ〉傭兵団の後方配置。

 ついでに帝国軍全体の布陣図や、大まかな聖王国軍の数も教えてもらったってわけだ。なんせ出征前だ、敵の具体的な数は分からずじまいだったがな。それにしたって、どうして市の筆頭役人如きがそんな情報を握ってたのかは分からんが、そこまで都合の良い話なら呑まないワケにはいかねぇ。俺は事情を知らないゲルトに盗賊狩りとだけ伝え、ヤツが住まう街区に赴いた。そして命令通り騒ぎを大きくして〈災厄の皇子〉を釣り出して共闘した。その後、俺はヤツの同情を引くために自分の身の上話をした。そしたらヤツは自分の凶器をポロッと白状したのさ。


『あれは、禁忌魔術。聖教会から異端認定されている、私が唯一扱える魔術だ』


 なるほど、と腹の中で合点がいったね。あんなガキがどうして魔術を扱える聖職者や騎士を殺せたのか分からなかったが、俺は盗賊狩りの時にその魔術の威力を目の当たりにしていた。殺意に関しては微妙なところだったが、そこらへんは魔族の血が流れた呪われし廃太子のことだ、内なる狂気に駆られて身近な人間にでもしたんだろうさ。そこまで辻褄を合わせときゃ、俺の仕事は終わり。

 後は適当に皇子との会話を繋いで、ホルストたち役人共が死体を回収しに来ることを待った。幸いなことに禁忌魔術を食らいたての死骸を回収できたから、次はそれと教会に埋められてる騎士共の死骸の外傷を見比べりゃ良い。それらが一致すれば〈災厄の皇子〉は紛うことなく三人の上流階級を殺した大罪人。八つ裂きだか火刑だか知らねぇが、そりゃあ群衆の前で盛大に処刑されるんだろうさ。


 ジグムントは帝都で自分がやったことの一部始終を語り終えた。その表情は、誰かに事の真相を吐き出すことができて清々としているようにも見えた。

 だが、ヘルガはそれとは反対の神妙な面持ちで、青年に問うた。


「……それじゃ。あんたは、その皇子をの為に売ったってことかい?」


 青年の体が、一瞬だけ完全に静止した。

 ふっ、と表情も強張って、無となった。

 しかしすぐに肩を震わせながら顔貌を酷く歪め、低く告げた。


「そうさ。全ては自分の為、金の為なら何だってやる。それが、傭兵だろ?」


 ジグムントは力無く、そう告げたのだ。

 その、刹那。


 ――――——二つの刃が、交錯した。

 

「……どこから現れやがった、爺さん」


 咄嗟にジグムントが鞘から振り抜いたナイフと。

 疾風の如く現れた一振りの刃剣メッサーが、火花を散らしたのである。

 一瞬の内に繰り広げられた攻防に、遅れて土埃が舞い上がった。

 いったん後方へ退き、ジグムントが自身の敵がいる方を力強く見据える。

 平原を吹き荒ぶ西風に土煙が晴れていくと、敵の姿が露わになった。

 青藍のローブに、純白の髪と髭。老いを感じさせない、引き締まった体躯。

 その男はジグムントを鋭く睨みつけながら、堂々と名乗りを上げた。


「我が名は、レイナード・フォン・ヴァルトブルク。傭兵よ、名を名乗れ。我が主君を亡き者にせんとする輩を、私は決して逃がしはしない……!」


 〈純白の賢者〉レイナード。この戦場では傭兵軍と共に、後詰に配置されていた百のルードリンゲン魔導伯軍を率いる高名な魔導士。距離を取って二人の様子を窺っているヘルガにも、その名は重みを持って受け止められた。


「俺は、ジグムント・ウィルクスキ。紅の狼グラナヴォルフ傭兵団長だ。……我が主君? なるほど、アンタが災厄の皇子の新しい従士ってワケか。で、俺たちの話を盗み聞きしてたってことかよ。どう嗅ぎ付けてきたか知らんが、それで俺をどうする気だ? 殺して、俺の首を主君の墓前にでも手向けんのかよ?」


 青年は名乗りながらも、冷静にレイナードの意図を類推する。それから軽薄で余裕そうな表情を浮かべた。たとえ今、老爺が自分を殺したとしても何の意味も無いことを知っていたから。すると、レイナードは低い声音のまま言った。


「ディアーク様はまだ死罪になったわけではない。戦時の治安維持に腐心している今、役人は死骸の調査に乗り出すことはできぬ。それは、貴様も知っているだろう」


「まあな。だが、それならすぐにでも帝都に戻って、危機にある皇子をお護りしなくちゃならないんじゃねぇか? 俺なんか相手にしてないでよ」


 ジグムントは薄く笑った表情を崩さないままだ。

 それに対して、老爺は真剣な面持ちで刃剣を構え直した。


「私はディアーク様の従士である前に、皇帝陛下の従順なるしもべ。戦いが終わるまで、陛下より与えられしこの陣地を離れることはできぬ。しかし今の話を聞いた以上、貴様をタダで帰すわけにはいかぬのだ。捕縛し、貴様のを問いたださねばならぬ」


「はぁ? 真意だと? 俺の話に嘘があるってのか?」


 青年は困惑の表情を浮かべたかと思うと、すぐさま捕縛という言葉に警戒心を強めた。殺意は無いらしいが、何にしても戦いは避けられないらしい。


「そうではない。……貴様が皇子に初めて接触し、言葉を交わし、そして抱いた印象。本当にそれは『災厄の皇子』だったのか。私は、ただ……それを知りたいのだ」


 レイナードが悲痛そうに、呟くように発した言葉。ジグムントはすぐにはその意味に見当が付かなかった。完全に部外者となって傍観しているヘルガにとっては、当然分かるわけも無い話だ。しかしそんな彼女にも分かることがあった。

 〈純白の賢者〉は明らかに青年へと刃を向け、それに呼応して青年も背負っている大剣ツヴァイヘンダーに手が伸びているということ。二人の決闘が、間近であるということ。


「何を言ってるのかさっぱり分からんが……。話より、決闘が先らしいな」


 ふと、ヘルガは両者が睨み合っているはざまに焦点を合わせた。

 傾き続ける太陽によって微かに茜色を帯びた西空。その様は、ここからでは分からない。西方では戦闘が続き、黒煤と褐色土が混ざり合った煙が昇り続けているから。そんな前線から遠く離れたこの地でも、新たな戦火が生まれようとしているのだ。

 すると、心なしか吹き続けていた風が少しずつ止んでいくように思えた。

 それに合わせて二人の間に走る緊張も高まっていく。

 得物を握る両者の腕により力が入る。そして。

 遂に、風が止んだ――――。


 ところが、二人は全く動かない。

 二人、そしてヘルガの耳にも思わぬ情報が飛び込んできたからである。


! 敵襲ーーーーッ!』


 最初は、遠方から。

 そして段々と近くから聞こえるようになったその声は、全くもって予想外のもの。

 敵襲? ……から? 

 敵、聖王国軍が攻めてきたとしたら、もちろん西方からだ。そうだとすると、帝国軍は敗走したということになる。しかし敗残兵の一人もこちらには来ていない。それに遠き西の空では猛然と黒煙が舞っているではないか。仮に敵軍が帝国軍戦列の一部を食い破ったのだとしても、他に残る帝国軍を残して遥々遠い後詰まで進撃してくるはずもない。と、なれば。

 聖王国軍が迂回路を用意して、予想外の方向から奇襲をかけてきた?

 現状としてはそれ以外に考えられないだろう。


「爺さん、決闘は後だ。俺達は部下を動かさなきゃならねぇ」


「……私もしょうの一人だ。敵軍をこれ以上通すわけにはいかぬ」


 ジグムントが自らの大剣から手を離しながら言うと、レイナードもマントの中に刃剣を引いた。そして二人の視線の交錯が終わり、互いに自身が率いる部隊の野営地の方へと向き直る。あまりの切り替えの早さと息の合った動きに、ヘルガの口から称賛と冗談が混じり合ったような言葉が出てきた。


「あんたたち、意外と相性良いのかもしれないねぇ」


 二人はヘルガの方にチラリと一瞬だけ目線を送ってから離すという、半ば無視するような態度を取った。もちろん冗談だということは二人とも分かっているが故だった。だから彼女も気を取り直して、自軍の野営地へ向かおうと一歩を踏み出す……。

 その時、野営地の方からゲルトが息を切らしながら走ってくるのが見えた。ジグムント、ヘルガ、レイナード、またも三人の予想を裏切るような言葉を発しながら。


「ジグムント、西を見ろ! 北西の森から襲撃だ!」


 彼の言葉に三人は一斉に北西の方向を見た。本来ならば青空が広がっているはずの方向、しかし彼らの瞳には忌々しき戦火と煙が映っていた。傭兵たちの野営地まではまだ距離がある。しかし友軍が襲われていることには相違ない。帝国軍の後詰野営地は南北に広がり、北側にはクルーヴェン伯軍の歩兵隊五百が駐屯していたのだから。

 ……北西、だと? ならば、やはり聖王国軍が迂回してきたということか。しかしその考えを否定するように、続いて聞き慣れない言葉が耳に飛び込んでくる。


「襲ってきたのは……だ!」


 それに対し、真っ先にヘルガが反応する。声を詰まらせながら問うた。


「なッ……。フィネッサって! それ、本当ホントかい? ゲルトの坊ちゃん」


「何だ、ヘルガの姉さんもいたのか。……てか、そこの爺さんは?」


 自分の上官だけに伝えに来たつもりが、後詰の主要な指揮官が他に二人もいる姿を見て、ゲルトは少し訝し気な表情を浮かべて言った。もちろんレイナードのことは名前だけしか知らないので、少年からはただの小ぎれいな老爺にしか見えていないが。

 しかし、ジグムントとしてもこの特殊すぎる状況を一から説明している余裕は無い。青年は、少年の方の話を急かした。まずは戦況を確認するのが先だ。


「それより、早く状況を説明してくれねぇか? 蛮族だと?」


「……ああ。奴らが現れたのは、一時間前のことらしい」


 ゲルトは緊張感を取り戻しつつ、そう切り出した。

 —―――約一時間前。野営地の北東方面を警邏けいらしていたクルーヴェン伯軍の斥候が、東へ向かう騎馬の一団を遠方に視認した。北西の森林地帯から突如現れた遊牧民二百が、皇帝本陣がある東方へと進路を取っていたのである。

 その報を受け取った後詰の帝国貴族〈クルーヴェンKluvenルトガーRutger〉は傭兵軍への伝令を飛ばすことも無しに、単独で自前の歩兵隊に遊牧民たちへの追撃を命じた。予想外の事態とはいえ、本陣に敵軍が到達することは何としてでも避けたかったのだろう。行軍準備ができた部隊から他の部隊を待たずに駆け足で追跡を強いられ、結果的に出撃した伯軍の歩兵隊三百は遊牧民たちの脚を止めることに成功したのだった。止めた、といっても元より遊牧民たちは常歩なみあしでゆっくりと進んでいたのだ。足並みを揃えずに強行軍すれば追いつくことは容易ではあった。

 しかし、足並みを揃えていなかったことこそが致命的だった。長槍パイクを携えた歩兵たちの間延びした戦列は、開けた草原にあっては自らの死を招いているも同然。両側面から幾らでも攻撃できてしまうからだ。戦列の前方にいたルトガー伯爵は即座に密集陣形を取るように命じたが、これも縦に長くなった戦列の端から端までは情報伝達に時間がかかり過ぎる。行き当たりばったりな伯軍とは対照的に、遊牧民たちは迅速に隊列を転換して二又に分かれた。伯軍の戦列に対する、両翼からの襲撃である。細い一筋の糸のようになっていた伯軍は、左右からの絶え間ない突撃によって食い破られ、五分と経たないうちに細切れの繊維が如く崩壊した。ルトガー伯爵は騎乗していたため早々と僅かな従者と共に遁走し、その後は行方知らずになっている。

 辛うじて退却した者以外の伯軍歩兵を残らず屠った後、遊牧民たちは進路を東から南へと変えた。伯軍の進路を辿って、付近の帝国軍の様子を偵察しようとしたのだろう。その一方、野営地に残っていた歩兵隊二百も先遣隊からの連絡が途絶えたことを不審に思い、隊列を組んで北路を進んだ。これもまた傭兵軍には一切の相談なく行われた単独行動であった。それはともかく、伯軍と遊牧民たちは野営地の北方にて互いに意図せぬ形で顔を突き合わせることになり、そのまま衝突に至ったのである。


「……で、今になって伝令が俺達の方に情報を入れやがったってワケかよ。ザマァ無いぜ。勝手に藪を突っついて蛇が出たら、退治を他人に縋るようなもんだ」


 あらましを聞き終わって、ジグムントは吐き捨てるように言った。

 確かに、ルトガー伯爵が傭兵軍の方にも増援を要請してから出撃すれば、無様に遊牧民たちに敗れ去るようなことは無かったかもしれない。クルーヴェン伯は後詰の

総指揮権を握っていたこともあって、傭兵軍との連携不足は伯爵の指揮官としての力量不足を端的に物語っていた。正論なだけに、ゲルトは力なく応えた。


「それはそうだけどよ……。けど、このままじゃ」


「ああ、分かってる。確か北側の野営地にはグレンツェ魔導伯軍が待機していたはずだ。その蛮族共を野営地まで通しちまったら、魔力切れの魔導士なんざ一たまりもねぇ。ルトガーの失態とはいえ、責任追及されて報酬はお預けなんて笑えねぇ冗談さ」


 ジグムントはそう言って、背に戻していた大剣を再び鞘から引き抜いた。それから常人にはとても扱えない得物を高々と片手で掲げ、刃に映る自身の相貌を一瞥する。彼の眼は、来たる戦いに胸躍らせる餓狼のそれだった。青年は続いてゲルト、ヘルガへと視線を移して、最後にレイナードに目線を合わせた。


「今日は、決闘なんかより蛮族狩りの気分なんだ。分かってくれよ?」


 〈純白の老爺〉の表情は、ピクリとも動かなかった。


 


「—―――な、なんだ……ありゃ」


 ジグムントは声を漏らして、困惑を表出させた。

 いつもならそんな呟きに応えてくれる相方ゲルトが、今は彼の隣にいない。

 青年たち傭兵軍が救援のために戦支度を終えて集結する直前、ゲルトには伝令としての任務を与えたのだ。生死不明のルトガー伯爵を探し出し、生きていれば野営地まで連れてこい、と。何しろ現在の帝国軍後詰は指揮官不在の状況、傭兵軍はともかく伯軍歩兵隊の士気は著しく低い。残存部隊すら逃走して、傭兵軍がそのツケを払わされるのは御免というわけだ。それに、身勝手に動いて戦う必要の無い敵を刺激し、今の状況を作り出したのもルトガー伯爵だ。逃走して戦いが終わるまで隠れて、責任は有耶無耶なんてのは将兵にとって後味の悪い話だ。ゲルトには馬で伯爵を捜索させ、生きていればそのまま野営地まで誘導するように頼んだ。ただし陽が沈むまでに見つけらない、または死体を見つけた場合はそのまま何事も無かったように野営地に戻るようにと。わざわざ死体を運んでやる義務は傭兵には無いし、指揮官の死亡を悟らせることで将兵に更なる混乱が生じるのも避けたい。……それに。


「ジグムントの旦那ぁ! あんなな格好の奴ら、すぐ追い払いましょうや!」


 青年の思考を一旦遮るように威勢よく話しかけてきたのは、配下の傭兵の一人。鎖帷子の上から皮の胸当てを付け、長剣を手に持った中年の男。

 珍妙、か。その感想はジグムントやこの男、更には帝国軍の誰もが目にすれば抱くものだろう。青年たち傭兵軍が戦場に到着した時、灰色交じりの黒き彼の瞳にはが映っていた。この大陸では一般に不名誉の象徴とされるその色を基調とした、見慣れない衣装を纏った騎馬兵が二百近く。増援が来たことに気付いたのか一旦距離を取って再集結し、遠巻きに様子を窺っている。あれが〈フィネッサ蛮族〉か。

 一体どのような綴りなのか分からない、聞き馴染みの無い言葉だ。それに、彼らの特異性はその衣服の色だけではなかった。彼らが掲げる、旗。白地に緑の体色を持った大蜥蜴おおとかげが描かれている。長い頭と鋭き牙を併せ持ち、いわゆるドラゴンを想起させるが、その背には翼は無い。帝国ではリントヴルムLindwurmとも呼ばれる伝説上の生物だ。とはいえ似たような伝説・伝承はどの地域にもある。彼らにとっては一体何の象徴だというのか。大蜥蜴の周りを囲む、文字か記号なのかも分からない黒の印も不吉に感じられた。心の微かな震えを糊塗するように、ジグムントは振り返って後方に控えるレイナード率いる魔導軍の姿を目に捉えながら、笑みを交えて応えた。


「ああ。だが、こっちには魔導軍が付いてる。追い払えば良いだけなら、レイナード殿に魔導弾幕を張ってもらった方が俺らの損害も最小限に済むだろうよ」


「そりゃあ駄目さ旦那! 俺たちゃずっと戦場に出てなくて腕がなまっちまってるんです。ここいらで鬱憤を発散といきたいんでさぁ!」


 傭兵はそう言って、剣を持っていない自身の肩を回しながら笑った。やはり傭兵は血の気が多い連中ばかりだ。まあ俺もだがな、とジグムントは心中で嗤った。

 すると少し東の方から、男の大きな声が聞こえてきた。どうやら伯軍の歩兵隊の生き残りらしい。増援に気付いてから、蛮族と呼応するように右方の草むらあたりに退却したようだ。疲れ切った顔、ぼろぼろの服装で声を必死に張り上げている。


「おい、貴様ら! 逃げろーッ! 奴らとまともにやりあってはならん!」


「ああ!? 馬鹿伯爵の貧弱歩兵隊はすっこんでろっ! 俺たちゃ紅の狼グラナヴォルフだぞ!」


 青年の隣の傭兵を筆頭に、多くの兵士たちが嘲るように声を上げた。

 だが残った伯軍の歩兵隊はたった二百で、同数の騎兵と戦っていたのだ。苦戦を強いられるのは当然だし、むしろよく今まで持ちこたえていたというべきだろう。だからこそ直接やり合った彼らは蛮族を恐れ、こちらに警告しているのだ。とはいえ、救援として駆け付けたこちらの戦力はジグムント率いる〈紅の狼グラナヴォルフ〉傭兵団三百に、ヘルガ率いる〈魔迅の弩手フライシュッツェ〉傭兵団が二百とレイナード麾下きかのルードリンゲン魔導伯軍が百。合わせて六百余りだ。普通にやり合えば負けるわけが無い。伯軍が臆病風を吹かせていると感じるのももっともなことだ。

 罵詈雑言ばかりが返ってくるのに辟易としたその歩兵が目線を蛮族の方に移すと、途端に顔を青ざめさせてひと際大きな声を上げた。


「—―――お、おい! 奴ら突っ込んでくるぞ! 本陣の方に逃げろぉぉぉッ!」


 その一声を皮切りに、草むらで身を潜めていた生き残りの伯軍兵士たちが飛び出して逃げて行った。その数は三十にも満たない。ほぼ壊滅状態だ。その言葉通り、蛮族の方は突撃準備を終えて、一斉に帝国軍の方へと進撃してきた。二手に分かれ、五十ほどが東へ逃走する伯軍の方へ、残りの百五十ほどが傭兵と魔導士の混成軍の方へと突撃してきたのである。土煙を上げ、各々が剣や槍を携えて突っ込んでくるその姿は見慣れていない分だけ帝国や聖王国の騎士隊よりも恐怖を喚起させる。が。


「ハッ、腰抜けどもが! おおい、弓傭兵共! 援護射撃を頼む!」


 紅の狼傭兵団の野郎どもは一切恐れることなく、騎兵に対する最初の対処手段を実行する。まだ戦列に突っ込んでくる前に飛び道具で応戦し、少しでも数を減らす。それをヘルガの傭兵団へと要請する。団長であるジグムントの命令や統制など必要ないらしい。それとも、団長としての初陣である青年のことを不器用ながらも慮ってくれているのだろうか。まったく、大した仲間たちだ。ジグムントとゲルトも含め全員、かつては帝国の東方……今はリッセルバッハ騎士団によって統治されている地に住んでいた、ルミエルド聖教がいうところの〈蛮族〉の末裔だ。それが傭兵団として集まり、かつて敵だったアルザーク人の手先となって〈蛮族〉と戦おうとしている。

 それは不思議な感覚で、世界の不条理のようにも思えて。けれども今、かけがえのない仲間たちと共に敵を迎えようとしていて。彼らを束ねるのは、自分で。

 だから、絶対に彼らを戦場から生きて帰らせてみせる。

 ジグムントが握る大剣に、自然と膂力りょりょくが大きく込められた。

 その時。


「ッ……駄目じゃ! 奴らに、矢弾など……ッ!」


 ジグムントの耳に、思いがけず入ってきたその声はミヒャエルのもの。普段は寡黙な彼が、目をかっぴらいて叫んだのだ。先ほどまでは傭兵たちの中に混じって佇んでいたのが記憶にあったので、すぐにジグムントは振り返って彼に目線を向けた。しかし、彼の言うことは全くもって意味不明だ。矢弾が……なんだと?


「撃てッ!」


 青年が理解できぬまま、後方ではヘルガが堂々と最前で指示を執って、曲射を開始した。二百の弓傭兵によって放たれた同数の矢弾が上空へ打ち上がり、精度良く蛮族たちの頭上を捉えんと降り注ぐ。予想以上の精度だ。あれならば、帝国騎兵と比べれば遥かに軽装な蛮族を相当数撃破できるかもしれない。しかし。


「—―――は?」


 確かに蛮族の身体や馬体を貫くはずだった矢弾の数々は全て、。蛮族たちは全く動じることなく、何やら聞き取れない言葉を叫びながら突進を続ける。

 彼らの前方・上方を護るように展開しているのは、れっきとした

 薄い黄色を帯びたその魔導障壁は、蛮族たちの衣装と相まって少し同化している。弓傭兵たちはなおも正確無比な射撃を続けるが、無情にもことごとく弾き飛ばされていく。その間にも蛮族はどんどん、ジグムント達との距離を詰めていく。

 傭兵軍全体に動揺が広がっていくのが分かる。恐怖の伝播だ。

 嗚呼、そうか。ミヒャエルが叫んだ所以は、これか。術者の周囲に集まる魔力の微細な流れを感じ取れる、あの老爺の力。もう少し早めに気付いてくれれば良かったが……まあ良い。絶望している暇はない。それに、いくら魔導障壁を展開できるといっても、実際に武器を使って攻撃する際は魔力への集中を止めざるを得ない。狙うとすれば。こちらに突っ込んで来て、得物を振るう。その瞬間が勝負だ。

 

「てめぇら、臆すんじゃねぇぞ! 白兵戦で、俺達が劣るわけがねぇんだ!」


「ッ……。そうだ! ジグムントの言う通りだ!」

「飛び道具なんて使わず、正々堂々と斬り合おうじゃねぇか!」


 ジグムントは決意を新たにして、傭兵団員に発破を掛ける。それに呼応して威勢良く傭兵たちが口々に叫ぶ。迫り来る敵を前にして、意気揚々と傭兵たちは活気付く。

 やはり最高の仲間たちだ。ジグムントは改めて思う。

 だからこそ。団長として、俺はこいつらを死なせない……!


「来るなら来やがれ! 俺はジグムント。紅の狼グラナヴォルフを束ねし東方の戦士だ!」


 ジグムントは傭兵たちの最前で、大剣を構えてそう名乗りを上げた。あと瞬きを数回すれば蛮族が突っ込んでくる、そんな眼前の距離で。

 まるで決闘を申し込む時のように。彼にとっては、まさにその心持ちだった。もはやこれは、蛮族狩りではない。強大な敵に立ち向かう、まさしく決闘なのだ。相手がレイナードから、目の前に迫る一人の蛮族へ。剣を振りかぶり、目を剥いた平坦な顔立ち、黄色く塗られた皮鎧に茶色の皮帽子、少し小柄だが軽快そうな馬に乗った兵。

 眼前の一人の兵だけを注視し、その一挙手一投足をつぶさに眼へ焼き付ける。

 そして。


「うおらぁぁッ!」


 蛮族が自身に向かって剣を振り下ろす、その刹那に。

 ジグムントは馬体へとその大剣を横凪ぎに振ったのである。

 だが。

 一瞬、戦列の最後方で、老爺が嗤った気がした。


「――――な」


 青年の一振りは、未だに展開し続けるによって蛮族の手前で防がれる。火花が大きく散る。薄っすらと大蜥蜴の紋章が浮かび上がる黄色の障壁の向こう側で、蛮族がニタリと笑っているのが見えた。……馬鹿な。いくら大剣を軽々と振り回せるジグムントの膂力を以てしても、一向に破砕される気配は無い。幸いなことに、想定外に青年が粘ったことで機を逸した蛮族の剣は空振って、僅かな時間ができた。しかしこのままでは、騎馬に吹き飛ばされて無様に死ぬだけだ。


「ッ……!」


 すると、青年は咄嗟に魔導障壁を両脚で踏み込み、斜め後方への宙返りで距離を取った。超人めいた動きだが、彼はついでに動体視力も優れていた。故に、宙に在った時、瞳に捉えてしまったのだ。隣にいたあの傭兵が蛮族共の魔導障壁に絶望し、吹き飛ばされ、無数の蹄鉄を以て踏みにじられていく。一瞬にして仲間が人ならざるものへと変わり、血肉だけとなった抜け殻が大地へとぶちまけられる。その様を。

 仲間を絶対に生きて帰らせるって、誓ったのに。

 ジグムントは心を乱されながらも、何とか着地に成功して顔を上げた。斜め後方に飛び退いたので後続の騎馬に踏みつぶされることはなかったが、それでも立ち上がっていない兵を彼らが逃してくれるはずもない。俺の斜め前方を通過せんとしていた蛮族。騎兵槍ランスを手にしている。——俺の方を見た。退くか、武器を取るか。

 しかしいきなりの宙返りに脚は痙攣しているし、咄嗟に手を離した大剣はすぐ近くにあるものの競り合った際の反動が大きすぎた。両手は指の先から二の腕の筋肉まで震えていて、まともに武器を握れそうにない。四肢の異常に気付いてやっと、自身の口腔内を占拠する鉄の味にも意識が行った。飛び退く時に思い切り舌を噛み切っていたのだろう。思わず唾を吞むと、その不味さに内奥の狂騒は加速する。

 嗚呼、蛮族が構えた騎兵槍が俺の方へと切っ先を向けている。そしてそれが俺の方へと突き出される。これが、俺の団長としての初陣で、最期なのか……!?

 俺は何も護れないまま、死ぬのか。――――なぁ、ゲルト。


 刹那。

 一筋の光が、俺の眼前を掠めた。


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乱世に吠えし災厄よ 未翔完 @3840

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