第9話 第三次ヴァリダーナ会戦〈承〉


 ルミエルド聖暦六百四十五年四月二十三日 午前八時頃

 ヴァリダーナ回廊西端 帝国軍先鋒


「帝国旗を掲げよ! 教皇の犬どもに皇帝陛下の御威光を見せつけるのだ!」


 回廊の西端。小高い丘になっているその地に、翠のローブを纏った男たちが整然と隊列を成していた。そして時折放たれる怒号に合わせて編隊を組んで移動したり、グリューネヴルム帝室を表す〈帝冠を戴く双頭の翠鷲グリューン=ドッペルアドラー〉が描かれた赤地旗を数人の旗手が掲げては翻す。呆然とした瞳、機械的な動きを繰り返すだけの体躯。あたかも操り人形のように自らの意志無く命令通りに動く彼らの眼は、遥か前方で同じように隊列を組む聖職者然とした恰好の男たちに向けられている。

 距離にしておよそ二マイレmeile(約三・二キロ)。聖王国側は帝国側よりも数は多く、それに合わせて隊列もやや横長になっている。ルミエルド聖教会における下級聖職者がよく着用するアルバという白い貫頭衣で服装は統一されている。そして澄んだ瞳で、ミサなどでよく合唱される聖歌を高らかに歌い上げていた。

 対照的な両者の間に横たわる平原にはあちこちに焼け焦げたような跡があり、昨夜の大雨のせいか乾き切っていない水溜まりも散見される。

 帝国側に再び目を移すと、中央の隊列最後方には指揮官らしき男がいた。腕を組み、この時代では非常に高価な眼鏡を装着している。藍色の髪を長く伸ばし、眉をひそめた表情が神経質な印象を与える。年齢は四十代前半といったところか。暫くの間、彼は何かを待っているように貧乏ゆすりを繰り返していた。

 すると突然絶え間なく動いていた彼の脚が、止まる。

 代わりに微かな身震いを起こすと、細まっていた目が力強く開かれる。


「…………! ……皇帝陛下より開戦が宣告された。弾幕戦だんまくせんを開始する」


 男はローブから右腕を前に出して、周囲の兵に命令を下す。彼の手首には紫の手甲が嵌められている。ローブ、更に手甲。その服装は彼が魔導士であることを示す。

 命を受けた周囲の男たちは全体に細かく指示を与えていき、再び隊列は組み直されていく。おおよそ四百人が八つの集団に分けられ、更にそれぞれ約五十人の集団が三列横隊となる。各集団は三ケッテkette(約六十メートル)程の間隔を空けて着陣する。

 その様子を遠巻きから確認した聖王国側は聖歌の合唱を止めて、同じように戦闘準備を始めた。数は七百ほどで、やはり帝国側より横に薄く広がったような陣形になる。やがて両軍の配置転換が終了すると、平原には静寂としたざわめきが満ちる。

 東から吹き抜ける風。揺れる木々や草花の音。野鳥のさえずる声……。

 牧歌的な光景が広がる中で、二つの陣営が相対す。そして帝国側の第一列に並んだ男たちは右腕を突き出して、紅色の魔術陣を顕現させる。

 心地よい沈黙。しかしそれらは、男が頭上から九十度に振り下ろした右腕と。

 

「—―――放てッ!」


 グレンツェ魔導まどうはくエレンフリートEhrenfriedの指令によって、耳をつんざく沈黙へと変貌したのである。魔術陣から同時に発現した巨大な百余の炎弾。

 帝国軍第一列の魔導士、約百三十による先制弾である。轟音と共に打ち上がり、弧を描いて聖王国の陣営へと襲い掛かる。蒼白く煌めきを放ち、細長く尾を引いた魔導弾はまるで流星群の如き勢いである。しかしとうの魔導士たちは自らが撃ったそれらをまじまじと見つめることはなく、既に後列に下がっていた。第二列の魔導士たちに最前を譲る為である。戦いが始まっても、魔導士たちの表情はピクリとも動かない。

 さて、聖王国軍の戦列に次々と襲来する炎弾。勿論当たれば一たまりも無い。しかしその殆どは文字通りに着弾することは無いのであった。


たちよ、恐ることなかれ! デウスから賜りし聖なる衣を顕現させるのだ!」


 聖王国軍後方から飛ばされる檄に呼応し、第二列の魔導士たちは『おおーッ!』と叫びながら、自らの両腕を前面に押し出して空色の魔術陣を展開させる。炎弾群は聖王国魔導士の頭上三エーレelle(約二・七メートル)ほどでに阻まれて爆散した。

 空中に確かに展開されていた透明なそれは、外部からの攻撃に反応して初めて目に捉えることができる。聖王国軍の戦列全体を半球状に囲っている防御魔術陣だ。微かに青みを帯びた半透明の障壁が迫り来る火球を幾度も弾き飛ばすと、無数の火花が散った。生まれたすすが魔術障壁の外形に沿って地へ滑り落ち、煙は天へと立ち昇る。

 まさに黒の世界。

 だがそれを一瞬にして吹き飛ばすは第一列の魔導士たち。全員たがわぬ意匠の魔術陣を顕現させ、大風を以て全てを掻き消したのである。迅風魔術の一斉射だ。

 〈斜十字鍵に祝福されし聖宝珠サンスフェア=スュール=ソトワール〉と呼ばれる荘厳な紋章が刻まれた魔術陣を一様に浮かび上がらせるルミエルド聖教の尖兵たち。拓けた視界の先には、幾つか魔導弾の狙いが外れて着弾したことで凹み、焼け崩れた地表の露出面が見える。あれがそのまま直撃していたらどうなっていたことか。彼らは顔を幾ばくか引きつらせたが、反撃の機を逃すような愚者の集まりではない。

 着弾した直後は、粉塵と黒煙を利用して身軽な魔導士たちが移動する可能性がある。帝国軍も魔力の無駄撃ちは避けたい為、迂闊に二次攻撃はしてこない。故に、霧が晴れて移動していないことが分かった今この瞬間に聖王国軍が反撃できなければ、永遠に敵の攻撃を浴び続けることになる。初撃への対応が、全ての明暗を分ける。


「魔の力に魅入られし者達に負ける道理は無い! 聖火で焼き尽くすのだ!」


 聖王国軍第一列の魔導士隊はその声に追随するように、魔導弾を撃ち放った。帝国軍の攻撃とそう見た目は変わらない、投槍ジャベリンを思わせる蒼白い火球が打ち上がる。その数は帝国軍が放ったものの二倍近く。しかしその精度は拙劣と言わざるを得ないもので、帝国軍戦列の手前や左右に着弾するもの、上空を通り過ぎるもの、はたまた見当違いの方向に飛んでいくものも多い。とはいえ数の暴力と表現すれば良いのか、相当数が帝国軍の陣営に着弾する。そして敵軍がしたように、帝国軍第二列の魔導士たちも防御魔術陣を展開させてそれらを防ぐ。まるで水面にほんの少しだけミニウムの顔料を溶かしたような、そんな淡い紅色を帯びた大障壁が姿を現した。


「……流石に初撃で瓦解するほどやわではないか、聖導士とやらも」


 帝国軍先鋒、計四百の魔導士を束ねる指揮官エレンフリートはそう独り言ちた。

 彼は帝国西方・ヴェストアール地方に領地を持つグレンツェGrenze魔導伯爵である。帝国に三人しか存在しない魔導伯爵の一角を占める男で、後詰として参陣しているかつてのルードリンゲン魔導伯爵レイナードとも見知った仲である。

 彼の一言は帝国軍が最初に放ったほぼ最大出力の攻撃を凌ぎ切った聖王国軍を褒め称えると同時に、『聖導士』という言葉の響きを皮肉っているかのようだった。

 魔導士は、その名の通り『魔を導く兵士』を意味する。魔……すなわち、六百年以上前に突如として大陸を襲った〈魔族〉のことだ。

 〈魔族〉はそれまで大陸に存在していなかった魔術を人々にもたらした。もちろん未知の魔術に対して、大陸の人々は恐れ慄いた。しかし〈魔族〉との長き抗争の中で魔術に適性を持つ人々が現れ始め、またそれを専門に習得して軍事的奉仕を行う魔導士が誕生した。過去に存在した諸国家群、そして多大なる人命を代償として……。

 ルミエルド聖教を受容はしているものの、皇帝に対する崇拝と尚武の機運が強い帝国では、魔術は積極的に体系化し統御する対象となった。魔導伯爵軍を中心に精強な魔導士隊が組織され、重要な戦いには皇帝の命を受けて必ず動員されたのである。

 しかし聖王国においては聖教会が強い権勢を誇り、その宿敵たる〈魔族〉に由来する魔術は忌み嫌われた。特に禁忌魔術は異端認定されたのである。しかし軍事的には帝国の魔導士隊は常に脅威であり続け、それに対抗する為の魔導戦力は不可欠であった。そこで生み出されたのが『聖導士』という方便。扱う術は全て魔術に他ならないが、使い手は全員が教会や修道院付きの聖職者。故に彼らが扱う術は魔術などではなく『聖術』であるという言い訳が立つ。『魔を導く』ような帝国の忌々しい魔導士に対抗する、『聖を導く』ルミエルド聖教の聖導士……。戦意高揚には持ってこいの謳い文句であった。ただ、エレンフリートが皮肉るのはそれだけではない。


「前進しつつ徐々に弾幕の密度を増やせ! 二ファローン約四百メートルまで接近し続けろ!」


 土煙を吹き飛ばし、次弾を撃ち込んだところでエレンフリートの命が下る。帝国軍先鋒魔導士隊四百は一糸乱れぬ隊列移動を行いながら、じりじりと聖王国軍との距離を詰める。第一列が前面に防御魔術陣を展開させ、第二列は水平方向に魔導弾幕を形成し、第三列は仰角を付けた曲射を継続。曲射はかなり精密な目測が必要であり、かつ牽制の為のものであるから、放たれる間隔はまばらである。しかし直射の魔導弾幕は敵軍の魔導障壁を破砕する目的で形成され、とにかく大量の魔導弾をばら撒き続けることが必要になる。魔導障壁はある一定以上の応力を蓄積させることで破壊できるからだ。一定以上といっても感覚的なもので、一人の人間が保有している魔力量なども数値化できるようなものではない。どれだけの火力をどこに集中させれば効率的に防御魔術陣を突破できるか、それは魔導士各々の経験が大いに試されるところだ。


『くそ、なんて精密な魔導弾幕だ。これでは常に後手後手ではないか……!』

『後方から至急援軍を求む! このままでは押し切られるぞ!』


 聖王国魔導士が次々に浮かべる苦悶の表情は、彼らの経験を帝国魔導士のそれが上回っていることを示す。それも元より四百対七百の戦いなのだ、圧倒的に上回っていると言わざるを得ないだろう。最初の示威目的で放たれた最大火力の魔導弾を防げたのは、数的優位を生かした結果。戦いが長引けば不利になるのは聖王国の方だ。

 曲射される蒼白い炎弾とは異なり、魔導弾幕として各々が速射するのは翼を広げたような紅蓮の火球。両軍の間には半ば幻想的ですらある紅の世界が創造された。

 帝国軍魔導士は一分間に二十発、聖王国軍魔導士は一分間に十発ほど。帝国軍は二倍の戦力差を埋める連射速度であると共に、集中的に狙われている箇所では流水魔導弾を多用して防戦に努めるなどして適切に対処している。


「第二列は魔力の枯渇次第、第三列と速やかに交代せよ! 弾幕を絶やすな!」


 極めつけは巧みな配置転換だ。幾ら訓練された魔導士であろうとも無尽蔵に魔力を保有することなどあり得ない。一旦魔力切れを起こした場合、十分な休養を摂らなければ死に至ることもある。かといって魔導弾幕を途切れさせると敵軍を勢いづかせる可能性もある上、魔導障壁を破砕するのに更に時間がかかってしまう。だから速やかな魔導士の交代は必須である。帝国側はエレンフリートの一元的指揮の下で命令が統一されているが、聖王国側はそれぞれの集団が恣意的に動き、果ては勝手に後退する集団と後方から援軍に来た魔導士部隊が混じり合って混乱状態に陥っている。

 宗教的情熱など所詮はそんなものかとエレンフリートは胸中で独語した。統制無き熱狂など諸刃の剣でしか無いのだ。そんな彼の耳に更なる吉報が届く。


「—―――敵右翼二個集団並びに左翼一個集団、魔導障壁をうしなって瓦解!」


 既に両軍の距離は二ファローンfulornまで近づいており、エレンフリートの目視でも聖王国軍の様子がある程度明瞭に見える。彼の視界には、集中する魔導弾を相殺しきれず、硝子が弾け割れるように破砕された幾つかの防御魔術陣も映っていた。


「……逃げる敵を狙え! 聖職者など捕虜にしても金にならぬ!」


 非情な彼の命令にも、魔導士たちは眉一つ動かすことなく指令を遂行する。魔導弾が来なくなった、つまり撤退している敵がいる方に火球の一斉射をお見舞いする。火球同士の度重なる衝突で焼け焦げた平原を超えて、聖王国魔導士たちに次々と火球が直撃した。魔導士たちは呻きを漏らしながら火だるまになって地面を這い回り、やがてこと切れていく。すぐ近くで起こる惨劇に、もはや聖王国軍は戦意を喪失していった。今のところ魔導障壁を維持している部隊もそろそろ限界だったのだろう。魔力切れを起こした味方に肩を貸したり、最低限の防御魔術陣を展開しながら、一斉に後退していく。追撃できれば絶好の好機だが、エレンフリートはそのような命令は下さなかった。この弾幕戦の目標は既に達成されたからである。


「こちらの残存魔力もほぼ限界だろう。……敵軍撃破に重きを置き過ぎたか」


 エレンフリートは「ああも脆いと、つい撃破してしまいたくなる」と皮肉を漏らしながら笑った。帝国魔導士とは斯くあるべしとまで言われた男の、冷徹な微笑だ。

 掲揚され、風になびく数多の帝国旗。勝利を祝うときの声。

 魔力切れで疲労困憊になりながらも、それでも隊列を崩さぬ魔導士たち。

 眼下に広がる燎原の炎。それに巻き込まれ、灰燼かいじんと帰すは敵魔導士の屍。

 先鋒同士による弾幕戦は、帝国魔導士の圧倒的優越を示す形で幕を閉じた。




 ヴァリダーナ回廊西端において、帝国・聖王国両軍の魔導士隊による弾幕戦が始まってから約一時間後。四百の帝国魔導士隊は、聖王国魔導士隊を撃破。元より布陣していた七百に加え増援として参戦した二百の魔導士すら敗走したため、この時点で聖王国軍は動員した魔導士のほぼ全てが無力化する事態に陥った。ただしグレンツェ魔導伯エレンフリート率いる先鋒でも魔力切れが頻発し、戦闘継続は不可能となった。

 こうして先鋒同士の弾幕戦が終わりを告げると、いよいよ本軍が戦場に姿を現した。正午を迎える少し前、開戦の口火を切ったのはむろん攻め手たる聖王国軍だ。陣形を組んで待ち構える帝国軍第一陣の歩兵隊列に対し、正面からそれを打ち破らんとする聖王国騎兵隊。これがこの会戦における、初めての本軍同士の衝突である。


『進め! 一番に戦功を挙げるのは我らぞ!』

デウス御名みなを呼び求めよ! されば聖なる光が敵を滅するであろう!』

『教皇猊下げいかの為に戦うのだ!』


 青地に〈斜十字鍵に祝福されし聖宝珠サンスフェア=スュール=ソトワール〉が描かれた多数の旗印を掲げ、板金鎧プレートアーマーを纏った一千もの騎兵が平原を駆けていく。三エーレ(約二・七メートル)を超える長さの騎兵槍ランスを脇に抱え、土煙を上げながら。兜を被った彼らが真っすぐに見据える先にいるのは、騎兵槍よりさらに長い長槍パイクを携えて隊列を組む帝国歩兵隊である。

 その時。遠方から幾条もの煌めきが見える。それらは上方へ撃ち上がり、中天に達しようとしている日輪の影となってから騎兵隊へと降り注ぐ。数百もの矢弾である。正確に言えば、帝国軍歩兵隊列のやや後方から弓兵隊が曲射で援護しているのだ。しかしすぐ前方に歩兵隊がいて遮蔽物になっている状況で、騎兵という動体を曲射で捉えることは至難の業だ。実際、放たれた矢は精度を欠くものばかり。


「狙いはバラバラだ! 恐れずに直進せよ!」


 運悪く防具が付けられていない馬体に矢が当たって落馬する兵もいるが、集団的な騎馬突撃そのものを阻止するには至らない軽微な損害だ。士気、それに速度も全く衰えることなく歩兵隊列に向かって一直線に突っ込んでいく。

 帝国軍第一陣として布陣している歩兵の数はおよそ四千。聖王国軍が手始めに狙ったのは、その隊列の中央。功を急いた先駆けの指揮官が無謀にも中央突破を狙っていると見るべきだが、帝国側としてはそう楽観視できるような状況ではない。

 この大陸において、人馬一体となった騎兵による突撃は歩兵に対して少なからぬ優位を築いていた。歩兵隊が騎馬に恐れを為して少しでも隊伍を乱せば、その間隙を突いて衝撃を加え、容易に潰走へと導くことができたからである。いくら数的には優位であるとはいえ、帝国歩兵に与える騎兵隊の心理的圧力は計り知れないものだ。


「突撃せよぉぉぉぉぉッ!」


 指揮官らしき男がやや後方から叫ぶと、更に騎馬の駆ける勢いは強くなる。まるで一陣の風とすらも同化したような人馬の群れ。彼らは最前列から次々と帝国軍の隊列に突入し、そのまま歩兵たちを蹴散らし、中央を突破する……。

 ことはできなかった。彼らの眼前に現れるは、無数にぎらぎらと光る槍の穂先。

 敵が突入してくる直前に、帝国歩兵隊は一斉に長槍を前面に突き出した。六エーレ(約五・四メートル)以上の長さを誇る槍の数々が所狭しと並ぶ。第一列だけでなく、第二・三列からも槍が突き出たその陣形は、相対する騎兵たちにとっては針鼠が如き様相。しかし後続に押される中で、とどまることは許されぬ。

 そうなれば、待っているのは一つの生き地獄だ。


『ぐぁぁぁッ!』

『クソッ、近づくことも叶わぬ!』

『正面突破は無謀だ! 回り込めぇぇッ!』


 怒涛の勢いで迫った騎兵隊に対し、全く狼狽えることなく槍衾やりぶすまを形成した帝国歩兵隊。彼らは結束強く連帯し、絶対にここは通さぬとばかりに隊伍を乱さない。そして騎兵が襲い掛かる度に、一度下げた槍の切っ先を突き上げるようにして次々と騎馬を攻撃していく。上下に動かすことで長槍の穂先の速度が増幅され、刺突攻撃の威力が増すのである。聖王国騎兵隊は騎兵槍が届かない遠距離から一方的に攻撃され、あえなく血飛沫と共に崩れ落ちていく。一時離脱し、側面から陣形を脅かそうとするのは当然の理だ。前方の兵たちが無惨な姿に変わるのを横目に踵を返し、歩兵隊列同士の間にできた多くの空隙から帝国軍の側面へと入り込む。

 ところが、聖王国軍の兵士たちはある違和感に気付く。何故、騎兵隊が侵入できるほどの間隙ができているのか? 普通ならば横一面に隙間なく歩兵たちを並べ、なるべく手薄な側面を突かせないようにするのが定石だというのに。と、すれば。

 —―――誘い込まれている?


「ッ……まさか四方で槍衾を形成しているというのか!?」


 一人の兵士が叫んだ。やがて、他の騎兵たちも悟る。

 正面からは分かりづらかったが、帝国軍歩兵隊は各々およそ五百人を一つの単位として巨大な直方体の隊列を組み、長槍パイクの壁を全周に作り出していたのだ。

 パイクブロックと呼ばれる戦術である。四方八方から槍が突き出ており、いかなる方向からの騎馬突撃も意味を為さない。この時代、騎兵に対しては最も有効な一手だが、口で言うほど簡単な戦術ではないし、どんな局面でも有効というわけでもない。


「弓兵隊の援護があれば容易に崩せるであろう! 増援はまだか!」

「増援!? 馬鹿な、我らは誰よりも先んじて突撃したのだぞ!?」


 騎兵隊は一度入り込んでしまった以上、どうにかして直方陣の一角を切り崩そうと何度も突撃を繰り返すが、ことごとく押し返されてしまう。その状況を苦々しく思った兵の一人が増援を叫ぶが、それが場当たり的な発言であることはすぐ近くにいる兵にも分かった。一番に戦功を挙げようと抜け駆け的に本陣を後にしたのは我らではないか。それなのに、風向きが悪いとなればすぐに援軍を求める? 笑止千万だ。

 しかし、パイクブロックが矢弾などの飛び道具に弱いというのは確かだ。なにしろ槍兵がぎゅうぎゅうと肩を寄せ合って集まっているのだ。移動するにしても足並みを揃えて牛歩の如き速度で進むしかない。そもそも騎兵に対する迎撃戦術であり、移動することはもちろん上方からの攻撃など対策しているはずがないのだ。そうは言っても、今の聖王国軍にはその弱点を突ける駒を盤面上に用意できていない。全軍からすると小規模であるとはいえ、一千もの騎馬隊が独断専行したからである。

 士気や軍勢の規模はともかく、明らかに統制が取れていない聖王国軍。それに対して決して統率を乱さずに陣形を維持し続ける帝国軍。好対照を成す両者の状況を更に決定づける出来事が起きる。それは、およそ半数にあたる五百余りの騎兵がパイクブロック同士の間に侵入してからすぐのことであった。残りの兵は帝国軍正面から少し離れながら、突撃の機会を窺っているような格好だ。その時、側面へと回り込んでいた騎兵の一人が帝国軍隊列の中に紛れ込む幾つかのみどりに気が付いた。


「ま、魔導士がいるぞッ!」


 そう叫んで、間隙から抜け出そうと手綱を繰った兵はすぐに勘付いた。何の為に自分たちを誘い込んだのか、その意図を。そしてまたも即座に悟った。

 もはや時すでに遅し、と。


『に、逃げろぉぉッ! 焼き尽くされるぞ!』

『前方の奴らは何をしている!? 何故なにゆえ前に進めんのだ!』

『駄目だ! 逃げ道が……防御魔術陣で蓋されている……ッ!』

 

 パイクブロックの間に、意図的につくられた空隙。そこから退避せんと先ほど通ってきた道を逆進する騎兵隊だったが、そこで待ち受けていたのは十人ほどの魔導士と彼らを覆うように隊列を組んだ数十人の歩兵たち。翠のローブに身を包んだ彼らはグレンツェ魔導伯麾下きかの魔導士たちのように虚ろな瞳で、手甲を嵌めた右手を前に出して防御魔術陣を展開させていた。騎兵たちも必死で突撃を繰り返し、槍を突き立てて障壁を破砕しようと藻掻くが、あえなく弾き返される。あまりの堅牢さに騎兵槍の先端が割れ飛び、その破片に躰を傷付けられた馬から振り落とされる兵も出る始末だ。

 もたもたとしている間にも後ろから続々と兵が集まり、騎兵の渋滞という異様な状態が生まれる。その状態は勿論、帝国軍によって意図的に作りだされたもの。騎兵たちが前方に活路を求めて足掻く中で、左右からは……絶望が迫る。

 聖王国兵は確かに目で捉えた、隊列の背後で紋章を展開させる魔導士たちの姿を。

 刹那。魔術陣より出でし数多の轟炎がぜ、騎兵隊へと降り注がれたのである。


『—―――ぐぁぁぁッ! み、水をぉぉ……』

『助けてくれぇぇッ! 金は幾らでも出すからぁぁっ!』

『頼むぅ……もう止めてくれぇぇッ!』


 前方の退路を塞がれた上に、左右からの魔導士隊の一斉射撃によって、生き地獄ならぬ生き煉獄とも呼べそうな惨禍へと、聖王国軍は引きずり込まれた。帝国側に飛び火しないように隊列側面にも魔導障壁が張られているが、広がる炎に逃げ惑う兵たちはもはや組織的抵抗力を失っており、障壁を突破せんとする気概も無い。ごく弱い魔力が注がれる魔導障壁を維持するのに要するのはごく少数。そして残りの大多数の魔導士は容赦なく炎弾を撃ち込み続ける。近距離にいる、聖王国兵たちの下へと。

 火を大敵とする馬から殆どの兵は振り落とされ、それから板金鎧を纏ったまま想像を絶する灼熱に身を焦がされる。それも、ただでさえ周囲が熱い中で三方は魔術陣で囲まれており、更には鎧の中で熱が籠ってしまう。直接に炎弾を食らっていない兵士も極度の脱水症状に陥り、肌は酷くただれ、昏倒して死に至る。火球にその身を抱かれた者がどうなるかは、言うまでもないことだ。

 水を求め、命乞いをして、終いにはただ泣き叫ぶ。騎士を捕虜とすれば返還する際に身代金を得ることができるが、帝国側は一切そのような素振りを見せない。全く手を緩めることなく、聖王国軍を殲滅する為だけに炎弾を放ち続けた。

 帝国軍歩兵隊列の中央、およそ五百人のパイクブロックが四つ形成された、その間隙に誘い込まれた聖王国軍騎兵五百は斯くして全滅したのである。


「アウィトゥス司教殿、ご決断を!」

「くッ……。全軍、退け! 退けぇぇぇっ!」


 その有様を遠巻きから恐怖と共に目の当たりにした指揮官はようやく、残存する三百余りの騎兵隊に撤退命令を下した。土煙を上げて全軍が引き返していく。

 この会戦における本軍同士の衝突、その初戦は弾幕戦に続いて帝国軍の勝利という形で終結した。しかしこれはまだ戦いの、ほんの序曲に過ぎないのであった。




 同日 午後二時頃 ヴァリダーナ回廊西端 聖王国軍本陣


「アウィトゥスの奴め……。戦功欲しさに勝手に攻め込みおって!」


 金髪を肩まで伸ばし、髭を立派に蓄えた壮年……ギュイテーヌGuytaineシャルルCharlesは地図が置かれた机に拳を突き立て、そう激昂した。彼は聖王国南西部に広大な領地を持つ大諸侯であり、今回の遠征においては五千もの兵力を動員したことから軍全体の主導権を握る立場である。その彼の傍に立つのは、短い銀髪が特徴的な貴族らしき男。


「モンス・ネメッソス司教殿の独断専行により、我が軍は虎の子たる騎兵を七百余り

失いました。しかも帝国軍が捕虜を取らず包囲した騎兵隊を全滅させたことで、我が軍全体が浮足立っております。更に悪いことには、司教殿は既に残存兵を抱えてそのまま戦場を離脱したとのこと。これでは全軍の士気に関わります」


 彼はシャルルに対し、冷静に状況を分析した。一見すると副官のように見えるが、実のところ彼はセルナンSerninトロザTolosaレーモンRaymondと呼ばれる聖王国諸侯の一人である。ギュイテーヌ公領ほどではないが聖王国南部にそれなりの大きさの伯爵領を構え、聖王国軍においてはシャルルに次いで指導力を持つ男だ。

 レーモンの指摘を受け、眉を更に深くひそめるシャルル。それも当然のことだ。

 昨夜、聖王国諸侯を集めて行われた軍議では、まず中央の帝国歩兵隊に対しては同じく歩兵を以て当たり、弓兵隊の援護も受けるということが話し合われた。更に、側面に回り込まれることを防ぐために両翼に騎兵隊を配置し、数的優位を生かして圧倒するという基本戦略で諸侯の合意を取ったはずだった。

 しかし、つい数時間前に早速その戦略は綻びを見せた。

 他の諸侯が戦支度をしている隙に、モンスMonsネメッソスNemessos司教アウィトゥスAvitusは身勝手に軍を動かした。自軍の歩兵一千を残して、騎兵隊一千のみで突撃を敢行したのだ。彼の身分は聖職者だが、聖王国における司教の権勢は帝国におけるそれより遥かに大きい。ヴェルランド中南部に位置する都市モンス・ネメッソスに留まらず、その周辺領地までも司教領に組み込み、強い俗権を手中に収めている。そんな彼が更なる名声と栄誉……そして、からの信頼を得ようと衝動的に動いても不思議ではない。

 しかし問題なのはその帰結だ。結果的に司教軍の騎兵隊は半数以上が討たれ、その残虐なさまが本陣に伝えられると、聖王国軍は軽い恐慌状態に陥った。かろうじてアウィトゥス以外の諸侯軍が退却するのは抑えられたが、かえってなし崩し的に攻撃を開始する諸侯の動きは止められなかった。結果的に当初思い描いていた通りの用兵ができなくなったことは、シャルルにとって痛手であった。


「レーモン殿……聖王国軍は明らかに統制を欠いている。彼らを導くべきは誰だ?」


 声音が段々と低くなる様は、シャルルの怒りがひとまず収まったことをレーモンに悟らせた。しかし額に幾筋もの汗を浮かべて唇を嚙む彼の姿は、どうにも自身を信じ切れていないように見えた。同時に、あと少しだけ背中を押してほしいと懇願しているようにも思えた。レーモンは迷わずに応えた。


「無論、シャルル殿でしょう。口だけの聖王に、誰が付いていきましょうか」


 この遠征、そして正戦の開始を宣言したヴェルランド聖王アルフォンスではなく。

 大諸侯とはいえ、貴族の一人に過ぎないシャルルが聖王国軍の実質的な大将であると断言するレーモン。しかし、その答えを待っていたと口の端を上げる公爵。

 レーモンは言葉を続けた。


「我ら南部諸侯にはさんざん出兵を煽っておいて、戦場に連れてきたのはたった三百の騎士に五百の傭兵隊……。それも陣頭に立つことなく、我らの後方で高みの見物を決め込んでいるのです。誰も総大将と認めるわけがありません。デウスが味方し、が認めるのはシャルル殿、貴方しかいないでしょう」


 諸侯にとっては主君であるはずの聖王を苔にするような物言いだが、言っていること自体に虚偽は無い。この戦場に参陣した聖王国諸侯の中で、聖王の為に戦おうなどという者は殆どいない。出兵したのは聖王の要請によるものだが、報いようとするあるじデウスを除けばただ一人。『あの御方』の為だ。……それはともかくとして。

 レーモンは自分でも乱暴な言い方をしていることは分かっていた。しかしそんなことよりも、シャルルが奮起するように言葉を選ぶことを優先したのだ。


「……うむ。そう、だな。私こそがこの軍勢を率い、勝利をもたらすのだ」


 その努力が実を結んだのか、シャルルは吹っ切れたように顔を再び強く上げた。

 眼前にいるのは、多くの騎士と騎馬。二人の指揮官に背を向け、友軍が帝国軍と戦っている方へと目線を送っている。昨日まで、静寂の中で地平線まで緑が覆いつくしていた平原には地面が削れた跡が直線上に続いていて、向こうでは濃い土煙が上がっていた。直接聞こえなくとも、あの先には剣戟けんげき蹄鉄ていてつの絶え間なき音、そして兵士たちの歓声や怒声……数え切れない程の怨嗟えんさの声が満ちていること、騎士たちには容易く想像できた。彼らの後ろにいる二人の指揮官が想像できたかは分からない。

 何の為に戦うのか。幾ら御託を並べたところで、実際に戦うのは兵士なのだから。




 戦は刻一刻と進み、一時間後。

 シャルルとレーモンが本陣にてせわしなく指揮を執っている一方で。その西方一マイレ(約一・六キロメートル)のあたりにも、本陣と同じように天幕が幾つも張られていた。ヴェルランド聖王アルフォンス……後世に言うところの〈アルフォンスAlphonseⅡ世〉がおわす聖王直属軍の野営地である。およそ八百の騎士と傭兵が駐屯している。

 しかし戦場から遠く離れたこの地では未だ軍靴の音はまばらで、ゆっくりとした時が流れている。その奥ばった所にある天幕の中で、一人の男が佇んでいた。


「ギュイテーヌ公が果敢に兵を動かし、全方面において我が軍が優勢……か。どうせレーモン辺りがシャルルの重い尻を上げさせたのであろう。単純な奴だ」


 王冠を近くの木机の上に置いたまま、嘲るような笑いを浮かべたのはアルフォンス王その人である。その見た目は豪傑というのが最も相応しい。幾度も戦場を駆け抜けたことを思わせる、顔にできた幾つもの古傷。身長はそれほど高くないが、青を基調としたマントや衣服の上からも分かるがっしりとした体躯は他を圧する。

 彼は机の上に置かれた回廊の地図を眺めながら、筋骨隆々とした腕を組んだ。


「とはいえ、シャルルに用兵の才は見えぬ……。いつまでも有効打を打てぬまま悪戯に兵力を減らすだけならば好都合だが、決定的な敗北につながる采配をしでかす可能性は無視できぬ……。だとすれば、穴になるのはここか……」


 滔々とうとうと語られる言葉の数々。天幕のきわには何人か小間使いや従士が控えているが、彼らはずっと口をつぐんだままである。もちろん彼らに向けられた言葉ではないから返す必要も無いのだが、かといって王の言葉は完全なる独り言というわけでもなかった。アルフォンスはヴァリダーナ回廊の大まかな全体図に時折指を差しながら、また暫く言葉を紡ぎ続けた。すると突然腕を組むのを止め、顔を上げて言い放つ。


「今まで話したのを聞いていたであろう。……おぬしはどう思う?」


 机を挟んでアルフォンスの正面には、鎧を纏った一人の青年がいた。二十歳ほどの若々しく整った顔立ちで、程々に伸ばされた銀髪が特徴的な男だ。白銀の板金鎧プレートアーマーに、蒼き閉鎖兜アーメットを右腕に抱えたその姿はまるで騎士のようだ。


「……聞いてはいましたがね。俺は一介の傭兵、それも今は伝令ですよ? 仰っていたことはさっぱり分かりません。戦うしか能が無い猪武者なもんで」


 聖王への返答にしては随分と粗野な言い方に、周囲の従士がぎろっと青年を睨みながらいた長剣に手を掛けた。アルフォンスは「構わぬ」と片手を上げて、彼らを制止した。傭兵にしては上等な装備に身を固める青年は、つまらなそうな顔でその様子を傍観していた。そんな彼の表情を花開かせたのは、聖王が次に放った言葉だった。


「なるほど。ならば戦ってもらおうではないか。その為におぬしは今ここに存在しているのだからな。……ルイ・ヴェルディエよ」


「そうこなくっちゃ。貴方がどうして俺なんかを買ってくれてるのか分かりませんが、とにかく俺を戦場に出してくれるっていうんだ。どんな命令でも聞きますよ」


 顔貌を狂喜に歪めながら、傭兵ルイはそう言った。

 嗚呼、ようやくだ。ようやく戦場に出ることができる。

 夢にまで見た、あの戦場に……!

 期待と興奮に胸を高鳴らせる青年の姿を見つめる聖王の瞳には、端から少しずつ黒みを帯びていく銀髪が映っていた。

 

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