第三話 猫と想いと継承








 俺、鷲尾一瑳の人生は平々凡々で幸せなものだった。


 家族は両親と姉の4人暮らし。


 病欠以外は必ず学校へ行き、学業に勤しみ、休日は本を読みふけったり、友人らに誘われて買い物したり遊んだりする、そんな有り触れた日々を送ってきた。


 小さい頃は体が弱くて病気もしがちだったけど、8歳になる頃には改善し、中学の時には180センチ超えの身長を活かしてバスケ部で活躍したりもした。


 家族が大好きで、誕生日は勿論、母の日や父の日も姉とお小遣いを出し合って必ず感謝と一緒に毎年プレゼントしていた。


 また時には反骨心が芽生えて先生や両親に刃向かったり、羽目を外して馬鹿やって叱られたりもした。


 そんな、ある程度の不幸や失敗を味わいながらも家族を愛し、友人を親しみ、環境に恵まれた本当に真っ当で幸福な人生を送ってきたのだ。



 ……でも、そんな日常を過ごす中で、心の何処かに穴が空いたような感覚を感じる時があった。


 それは何か大事なモノを失ったような正体不明の喪失感。それが、日常の隙間からひょっこりと顔を出す瞬間があって、時折俺の心を悩ませていた。


 だからだろうか、俺は失う事、目の前で人が傷つく事が怖かったのだ。


 周りの誰がが傷つくくらいなら、不幸になるくらいなら、俺が代わりにその傷を負った方が余計なストレスがかからない。


 そう普段から思ってしまう俺はだからこそ、身体が勝手に動いていたのだろう。



 ああ……………………そうだ。そうだった。



 今日起きた事柄の全てを思い出し、俺はハッと呆れたように笑みをこぼす。



「ごめん……ごめんなさい……」


 敵は倒したものの、二人とも意識があるのが不思議なくらいの瀕死の重傷。結末としては最悪に近い。猫耳の少女は身も心も傷つき果てて俺にひたすらに懺悔の言葉をかけている。


 お願いだ、謝らないでほしい。

 俺は懸命に戦う彼女の姿を見ていたからこそ、そう思う。

 俺が死にかけているのは自身の選択の結果だ。

 だから、傷つかないで、自分を許してあげてほしい。


 再度、彼女に言葉を掛けようと試みるが、やはり、口が動かずそれは叶わない。


「…………」



 浮上した意識が再び闇の中へと沈んでいこうとする。結局なにも救えなかった絶望を抱いて。



 ………………だが、その時、握り合う俺と彼女の手が蛍火のように淡く光始めた。



「っ……こ、れは………?」



 少女は驚いた様子でその光を見つめると何かに気付いたのか、ハッとした後に嬉しげに、でも仄かに悲しげにボソッと呟いた。



「そうなのですね……分かりました……」



 彼女はそうボソリと呟き手を握り合ったまま、体を俺の方に寄せる。そして、少し身じろぎすれば鼻先同士が触れ合いそうなほどに俺の眼前に近づいた。


「……ねぇ、キミは人でなくなったとしても生きたいか?」


 彼女は切なる願いが込められた声で尋ねてくる。

 だが、俺はその言葉にすぐに答えを返せなかった。


 もう意識も呼吸も、自分自身の存在すらも最早やあやふやで、彼女の言葉の意味すらも理解しきれなかったからだ。

 それに気づいた彼女は顔を強張らせ、俺の体を揺さぶり懇願する。


「キミ!……頼む、まだ意識を保ってくれ!返事を、返事をしてくれ……お願いだから……」


 しかし、俺は彼女の願いに応えられない。もう頼むから眠らせてほしいとそう思ってしまう程俺の思考は濁っていた。すると彼女は思いの丈を全てぶつけるかのように言葉を吠えた。思考ではない、俺の魂に直接訴えかける為に。



「……っキミには、いないのか!再会したい人が、想いを告げたい人が!幸せにしたい人が!!………死にたくないと望む心はこれっぽっちも無いのか……」


 彼女は言葉を紡げば紡ぐほどに瞳から大粒の涙を溢していく。それは彼女自身の願望なのではと感じるほど真剣な言葉。


 彼女の悲鳴にも似た訴えに魂が、心が震え、思考が再び冴え始める。


 そして、少し覚醒した思考でいちばん最初に思い浮かんだのは……家族と、そしてなにより星那の顔だった。


「……………………っ」


 冷え切った心臓がドクリと唸り、熱くなる。胸に籠るこの熱の正体を俺は知っていた。だってそれは俺が中学の頃から今まで育んできた大切な気持ちだったから。

 いつの間にか彼女が隣にいるのが当たり前になって、その心地よい関係を壊してしまうのではないかと恐れて言い出せずに閉まっていた心。


 それを自覚させられ、口を動かせ、生きるんだと本能が喚き始める。



「お……れ、…は……」



 夏休みは一緒にいろんなところに出掛けようって約束した。

 同じ大学に行こうって、少し気が早いけど卒業旅行も行きたいね、なんて約束した。

 松原に入らないでという約束は……自ら破いてしまった。


 もう一度彼女に会いたい。会って只管に謝ってこの胸に溢れる想いをなあなあになんてさせず、きちんと伝えたい。


 ……………………あの子を幸せにしてやりたい。


 それを少女に伝えるために死力を尽くす。何が喉を震わせる事も叶わないだ。死に際くらい死力を尽くせと己を奮い立たせる。


「お、れは……………好きだって、伝え、たい、子がいるんだ……まだ………………死ね、ない……………死にたくない………………」


 涙と鼻水が溢れて顔がグチャグチャになりながらも俺は少女に本音を伝える。

 ひどく不格好な宣言。だが、少女もまた顔を涙と鼻水で汚して嬉しそうに首を縦に振り俺の体を抱きしめた。


「……ボクにもね、好きって伝えたかった人がいたんだ……………だから妖になって人に化けれる術と言葉を覚えたんだけど……でも無理だった……………………」


 それは、聞いているだけで胸が痛くなるほどに悲痛に満ちた告白。彼女はそれをぽろりと零してから全身から新緑色の光を放ち始める。


「ボクの全てをキミにあげる……直ぐには無理かもしれないけど、キミはその子に想いを伝えてあげて………願いが叶わなかったボクに代わって願いを叶えてほしいんだ……………」



 温かな光りが視界を覆う。俺は反射的に瞼を閉じ、再び意識は闇の中へと引きずりこまれていく。


 そして、俺の意識が完全に闇に呑まれるその寸前。



「みんな、ありがとう……ご主人……ボク、やくそく、守れたかな……………」




 そんな言葉が聞こえた気がした。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

土地神アイビーハート~猫神なりてはニャアと鳴く~ 渕ノ上 羽芽 @UmemotoAkira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ