土地神と巨人と戦闘『終』


 





 夢を見た。



 それは土地神になる以前、そして妖として化けて出るようになる更に前のただの飼い猫として生きていた頃の記憶を基にした夢。



 その頃のボクは、ご主人の事が大好きだった。



 ご主人の膝の上はボクの特等席。家にいるのを見つけたら、直ぐに近寄って膝の上で丸まって寝る。そうすれば、ご主人は嬉しそうにボクの頭や背中を優しい手つきで撫でてくれるのだ。


 武道を習っているご主人の手はタコだらけで硬く厚くゴツゴツしていたけど、猫のツボを全て理解しているような撫で方が格別だった。


 母君の水仕事で荒れた手の優しい撫で方も、幼い弟君の柔らかな手の不慣れでも愛の感じる撫で方も好きではあったが、やはりご主人には敵わない。

 天国はご主人の手の中にあるなんて事を本気で信じて疑っていなかった。



「ハルは相変わらず俺の膝が好きだなぁ」


 

 ご主人はボクが膝の上に乗ると、いつもそう言っていたが、正直言葉を聞くたびにボクは少しムッとしていた。


「ボクが好きなのは、膝じゃなくてご主人だよ」


 そう伝えたかったけど猫と人間では完璧な意思の疎通は難しい。

 此方が幾ら懸命に訴えようと、ご主人にはボクがニーニー愛らしく鳴いてる様にしか映らないので、せめてもの親愛と不服の表現として、ボクは自らご主人の手に頭を擦り付けに行き、「もっと撫でて」とよく催促していた。


 そうやって気ままに戯れているとご主人は思いの丈を零すように、よくボクに対して話しかけてくれた。

 とはいえ、内容は猫の身では理解が難しい物ばかり。

 やれ政についてだ、国際状況がどうだ、国防がどうだとと云々かんぬん、そんな妙ちくりんな事をまだまだ年若いくせに大人の真似をして机に紙束を広げて顰めっ面で延々ツラツラと話しかけてくる。


 勿論、ボクにその言葉の意味が理解できない事はご主人も百も承知だ。結局この行為自体は自問自答の延長線、自身の考えを纏める事が目的なのだ。


 しかし、それならば猫も役に立てる。


 悩める主の声色や表情を見計らい、時に鳴いて、時に体を擦り寄せて、偶に手を舐めたりしてみるのだ。

 そうしていれば強張ってるご主人の顔がみるみる和らいでいき最終的には「ハル、ありがとう」と言って、お礼に台所から肉や魚の切れ端をちょろまかしてきてくれた。



 ご主人がいて、家族がいて、屋根と壁のある場所で暮らせ、更に美味しいご飯にもありつける。


 あの頃はこれ以上ないと思っていたほど毎日が幸せだった。



 ………でも、ある日の朝の事。ご主人がボクを神妙な顔で持ち上げ抱き寄せてくれた後。


「ハル……みんなの事、お願いしてもいいかい?」


 そう茶目っ気七割、本気三割の笑顔でボクにお願いしてきた。

 最初は何事かと思ったが、まぁご主人の頼ならば断る要素は何も無い。

 だから「任せておけ」とニーと鳴いて返すとご主人は再びボクを優しく抱きしめてくれた。


「……いってくる、俺がみんなを守るから」


 ご主人はそう決意を込めた顔でボクに言い残して家を出て…………そして、二度と帰ってこなかった。


 最初はすぐに帰ってくると思っていた。でも、何度季節が移ろいでもご主人は帰ってこなかった。


 それでも、ボクはいつかは帰ってくると信じて、主人が何時何時戻ってきても出迎えられる様に寝床を玄関先に移し、只、直向きに帰りを待った。


 それから暫く時が経ったある日、みんなが集まりご主人の写真を座敷に飾って泣いたが、それを不思議に思いながらも帰りを待った。

 季節は変わり、時は過ぎ、年老い足腰が弱り果てても、それでも夜になれば持ち場を動かず帰りを待った。


 だって、ご主人に会いたかったから。

 会ってもう一度抱きしめて欲しかったから。

 感謝と敬愛を、ちゃんと伝えたかったから。



 そうしてご主人との再会が叶わぬままボクは病気で死んでしまったけど、それでもあの人に会いたい一心でこの世にしがみつき、妖として夜な夜な化けて出るようになった。


 それから更に時が過ぎたある日の事、ボクは先代土地神のショウヨウ様に出会い、その後は彼女に仕えるようなり様々な事を学んだ。



 人間の常識、松原町の事、妖魔の事、この国の歴史、そして、主人が帰って来れなかった理由と、ご主人が守りたかったモノを。


 

 だから、ボクは誓ったのだ。



 ご主人が眠っていない墓の前で、ご主人が守りたかったモノを、ボクが代わり守るのだと。





 独りよがりかもしれないけど、もう一度そう固く強く誓ったのだ。





 ◇






 魔物はハルの胴体を真っ二つに斬り捨てた後、まるでハンガーに掛けていたコートの内ポケットを探るように、ハルの体に手を突っ込いた。


 断面からは血が吹き出し、臓物が垂れ、生々しい音が雨音でも掻き消せないほど辺りに響いている。


 酷く悍ましい光景だか、魔物本人は至極真剣な様子で『何か』を探していた。



 すると、その時、ハルの口から何か言葉が溢れた。



「…………………ったん……………だ……」


「?」


 「まだ意識があったのか?」耳が無いが、何かしらの方法でそれを聞き取った魔物がつまらなそうに首を振った。


 「首を絞める力が足りなかったか」魔物は集中を乱された事に少しばかりの怒りを滲ませ完全に喉を潰そうと手に力を込める。


 だが、その直後、魔物の胸部に強い衝撃が走る。


「!?」


 魔物を強襲したモノの正体、それは、ハルの愛刀。ハルが何かしらの手段で刀を引き戻して無防備となっていた魔物肉体を貫いたのだ。


 「どうやって?」魔物は僅かに体を震わせ驚愕する。


 何せ魔物は気兼ねなく松原の土地神の力を調べる為そして、の為に妖力の制御を妨害していた。


 彼女に反撃の手段など無かった筈なのだ。


 「原因はなんだ」魔物はハルを見上げ……そして、彼女の瞳が涙に濡れ新緑色の光を湛え爛々と輝いているのを見てその理由を察する。


「………誓ったんだよ」


 ハルは奥歯を噛み締め、酷く苦しげながら必死の咆哮を上げる。



「ご主人に……町を!!みんなを!!守るって!!!!」



 彼女は魔物の胸から突き出た切先を握しめる。


「爆ぜろ!!!」


 そして、限界の限界のその先にある最後の力を振り絞り刀へと流し込んだ。


「…………………………」


 魔物は感心した様子で拍手を送るかのように左腕で右腕を叩き……その上半身は内側から弾け飛んだ。





 血と肉片の混じる雨が下半身を失い倒れ伏すハルに降りかかる。

 魔物は死んだ。だが、保護対象もハル本人も最早、死に際。

 それは勝ちとも誓いを守れたとも断じて言えない光景だった。



「ごめんなさい……ご主人…………」



 溢れ出すのは悔しさ、哀しさ、怒りなど様々な感情の入り混じる涙。


 辛い、もう何もしたくない。このまま無力感に苛まれながら命が尽きるのをただ待ちたい。

 そう思えど胸の内に宿る土地神としての責任感がそれを許してくれない。



「す、まない……ぜんぶ、ボクのせいだ。ボクがもっと!強ければこんな事には……」



 ハルは命の灯火が消えゆくのを確かに感じながら、死に行く少年の隣へ行くため這いずり向かうのだった。

























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