ユメとアイ

@yana1110

第1話

   ユメとアイ

            

カミによって宇宙が創造された。

数字で現わされても実感できるはずのないほど悠久の時間の経過と共に、宇宙の内部に数千億の銀河が創造され、全ての銀河のそれぞれに数千億の恒星が創造され、それぞれの恒星が惑星、そして惑星が衛星を保有する。

その大宇宙の片隅に創造された“天の川”銀河のさらに片隅に創造された太陽系第3惑星の地球に、何故カミが興味を抱いたのかは、“カミのみぞ知る”で理解し難いが、カミは太陽系を創造した後、地球上に、太陽光の照射とその奇跡的に変化した温度、また奇跡的に変化した大気成分、或いは電磁波の攪乱から芽生えた生命の進化とその繁殖を観察し、幾つかの時代の幾つかの種は調整、不要と考えられる種は滅亡させた。

例えば、古生代オルドビス紀末期からシルル紀初期、古生代デヴォン紀末期から石炭紀初期、古生代ペルム紀末期から中生代三畳紀初期、中生代三畳紀末期から中生代ジュラ紀初期、中生代白亜紀末期から新生代第三紀に、その時代に繁栄した数多の生物が絶滅している。

そして太古の地球上で、永い時間一つであった大陸が約1億5000年前に分裂し始め、その地殻変動は今尚継続している。

それに伴って海流が発生し、その変動の影響で、凡そ100万年の氷河期と凡そ10万年の温暖期が繰り返され、10万年の温暖期はさらに約8万年の氷期と約2万年の温期が繰り返されている。

20万年前、地球上に発生し、生息していた類人猿の遺伝子を操作し、アダムとイヴを創造した。

ヒトの誕生である。

カミたちはアダムとイヴに言葉と農業を教えたが、すぐに氷期が訪れる。

次の温期まで待つ事にしたカミたちは二人を“エデンの園”と呼ばしめた彼らの基地内で人工冬眠させる。

10万年前、温期に変わる少し前に二人を目覚めさせ、農業をさせ、ヒトを増やすために生殖を教える。

そうしてアダムとイヴは、カインとアベルをもうける。

カインはアダムとイヴに習って農業を、アベルはカミたちから教えられた狩猟を、それぞれ始めるが、未だ氷期であったせいでカインの農業は捗らず、アベルの狩猟は発展する。

妬んだカインはアベルを殺害し、それを知ったカミたちはカインを基地から追放する。

放浪の末にカミたちに教えられた土地に定着したカインは、カミたちの手によって自分の遺伝子から創造された女性と共に、やっと訪れた温期に恵まれ、農業を発展させ、子孫を増やし、都市を形成して行く。

しかし、2万年後、再び訪れた氷期は世界を激変させる。

長い氷期で農業も捗らず、獣も魚も数が激減し、疲れ果てたほとんどのヒトは怠惰になり、享楽に走るようになる。

カミたちは、そうした民族を滅ぼす事に決め、地球上を襲う激しい異常気象の前に、勤勉であったノアとその家族、そしてヒトの発展に必要な動物種だけを生き残らせ、動物を野に放たせた。

ノアとその家族は、8万年に及ぶ永い氷期の中、赤道付近の多少なりとも温暖な地域に於いて子孫を増やし、各地に都市を築き始める。(旧約聖書第1章1~第10章5、所謂旧約聖書、創世記の概要である)


その氷期、現在の温期が始まる、最も近い氷期の末期の物語である。


一人のカミが万年氷の張った山の中腹にある湖の畔に立ち、眼下に広がる大地を視降ろしていた。

年齢は勿論、永遠である(旧約聖書第3章22)。

このカミは、実は、カミたちが地球上での天地創造を終え、母星に帰還する際、進化を重ねてカミの女性に似て美しく変貌したヒトの娘達に現を抜かし、尻を追い掛け回していたせいで(旧約聖書第6章1~4)、宇宙船の出立時刻に遅れ、呆れた他のカミたちに置いてきぼりを喰らわされた間抜けなカミである。

母星に戻ったカミの最高責任者は、彼を置いてきぼりにした言い訳に、彼に、地球と人類を見守る役を与える。

独りになったカミは約10万年近く、地球上の各地でヒトが発展して行くのを見守っていた。


今、カミの脚元には、広大な平野が横たわっていた。

その中央を、カミが立っている背後の凍り付いた湖から落ちるわずかな水量の滝に端を発して、平野の果てまで川が流れていた。

氷期の川の水量は、勿論決して潤沢ではなかった。

その川の両側に、ヒトの集落があった。

ヒトは、獣を狩り、木の実を採り、田畑を耕して穀物を作って生きていた。

元々は同じ部族であったが、ヒトが増え過ぎて、川の東と西に分かれて行ったのである。

それぞれの集落は、老若の男女が4000人、子供が4000人程のほぼ同数の規模であった。

そして、人が増え過ぎたせいで、双方の田畑に引く為に、多くはない川の水を取り合うようになり、さらに諍いが起こるようになったのである。

その諍いが起因して、血気盛んな両方の部族の男達が戦いを起こそうとしていた。

女、子供、老人達は、戦う事に反対してはいた。

戦いになれば、大勢の犠牲が出る事になるのは、誰でも想像出来た。

愛すべき夫、慕うべき父、或いは大切な息子を失うかも知れないのだ。

しかし、日に日に一触触発の緊張は増すばかりであった。

その様子をずっと観察していたカミは、ふと呟いた。

“愚かな事をする。まあ、この種が絶えても、他の種が発展して行けば、問題なかろう”

地上には、カミたちの意図に従い、幾つかの分離した大陸の上で、氷期の厳しい環境の中でも、無数のヒトの種が増え、集落を形成していた。


ある日、西の部族の長の長男、ユメが鹿を追って、川の上流の林までやって来た。

ユメは17歳。

未だ戦いに参加する年齢には至っていなかった。

また、東の部族と戦う事に疑問を抱いていた。

“傷を負わせたから、何時までも逃げられるはずはない。何処かに潜んでいるはずだ”

獲物を探して林を抜け、川のほとりに出る。

丁度その時、その対岸で、木の実採りから帰る、東の部族の長の長女、アイが、水辺に咲いている花を母親に摘んで帰ろうとして足を滑らせ、川に落ちてしまう。

川幅はそれ程でもなく、また水量は豊富ではないが、それでも若くか弱いアイは、流されそうになる。

それを視たユメが川に飛び込んで助ける。


“大丈夫か?”

“ありがとう”

視詰め合った二人は、一瞬で恋に陥ちる。

アイは18歳であった。

二人はお互いの初恋を知らないままではあったが、毎日のように、川の上流の林の中で逢うようになる。

林の中には、かつて両方の部族が往来する為に造った古い木の橋が架かっていた。

両方の部族の女達は、この林に木の実を採りに来ては、お互いの生活を語り合っていたのだが、水を争って諍いが起こるようになってからは、男たちに遠慮して、それも何時か途絶えていた。

そしてユメとアイは、それぞれの部族の長の長男長女である事を知り、さらに両方の部族が戦いの準備をしているのを憂う。


大きな切り株に座ったアイが溜息を洩らす。

“戦いを止めさせられないのかしら?”

“ほとんどの男たちは、本当は戦いたくないはずなんだ”

その前の叢にユメが腰を降ろす。

本来は平和的な性格の温厚な民族だったが、生命の源泉である水を求めて戦わざるを得ない状況までに陥っていた。

“私達二人だけでは戦いを止められない、無理だわ”

“でも、止めなければ。戦いは始まったら、収まりが付かなくなる”

“そうね。どっちが勝っても困るわ。負けたら、川を取り返そうとする”

“それに犠牲が出る。犠牲が出たら報復する。”

“もっと川の水が増えるか、雨がたくさん降れば良いんだけど、宛てにする訳には行かないし”

木陰に立って二人の遣り取りを視守っていたカミが呟いた。

“やれやれ、愚かなヒトの種の中にも、ましなのがいるらしいな。ここはわしの出番じゃろう”

カミは、実は美しいアイに一目惚れしていたから、良いカッコをしたかったのであった。

しかし、ヒトの娘の尻を追い掛け回していて、母星に帰る事が出来なかったカミは、母星のカミの、恐ろしい最高責任者のカミから、ヒトの娘に手出ししてはならないと、きつく戒められていた。

当然、母星から監視されているカミは、アイに手出し出来るはずがなかった。

“戦いを止めさせたいのか?”

木陰から出て二人の前に立ったカミを視て驚いたユメが、アイを守ろうと立ち上がって背に庇う。

“誰だ!?”

“視た事のない人だわ”

“おれもだ。この土地の人間じゃないな”

“お前たちの味方じゃ”

“味方って?”

“わしが、戦いを止めさせる方法を教えてやろう”

“あなたが?”

“おじいさんが?どうやって?”

“おじいさんじゃない。わしはカミじゃ”

“カミ?って?”

“カミ?さま?”

ユメとアイがみすぼらしい風体のカミを疑いの眼差しで視る。

“わしをただのじーさんだと想うなよ”

“だって”

二人がカミを呆れた貌で視た。

カミは、背が低く、お腹が出っ張っていて、立派な髭を蓄えてはいたが髪の毛はほとんどなく、白い布を身に纏い、長い杖を持っているだけの老人であった。

“視ろ”

カミが杖で宙に大きな弧を描いた。

ユメとアイの前に多次元空間が現れた。

“これがお前たちのいる宇宙、これがその中の銀河系、これがその中の太陽系、そしてこの星”

二人は眼の前に展開される壮大な宇宙の映像に驚き、眼を視張って絶句した。

“この星のこの辺りにお前たちは住んでいるのじゃ”

カミは映像の地球の一部を杖の先で指し、得意そうに胸を張った。

“全てわしらが創ったのだ。お前たちヒトも、おっと、これは未だ秘密じゃった”

カミが慌てて口を手で塞ぐ。

ヒトは、後年に自らの誕生を、自ら築き上げた文明の中で解明する必要があった。

ユメとアイは信じ難い現象に眼を見張り、互いに貌を視合わせた。

“戦いを止めるって、どうするんですか?”

ユメがカミに尋ねた。

“わしが止めるのではない。わしはヒトの存在に手を付ける事は出来ぬ。お前たちがするのじゃ”

“おれたち?”

“説明しても解らんじゃろうが、後少し経つと、そうじゃなあ、太陽が80を数えるほど昇って沈む頃になるかのう、氷期が終わり、温期になる”

“氷期?”

“温期?”

ユメとアイは眼を視張りながらも頸を傾げた。

“温期になると、地球全体が暖かくなって山の氷が溶ける。凍っていた山の湖も融けて、この川も溢れんばかりの流れになる”

“本当ですか?”

“この川が、そんなに?そしたら、洞窟の壁画に描かれているみたいに、草木がいっぱい繁って、動物もたくさん増えて”

カミが喜ぶ二人を制した。

“暖かくなるのは未だ先じゃ。だが、お前たちが皆にこの話をすれば、戦いを防げる”

“無理だ”

“信じては貰えないわ”

もう村中の男たちは、陣を設けて戦いの準備を続けている。

子供の自分たちが、そんな荒唐無稽の話をしても、誰も信じてくれないだろう。

ユメとアイは貌を視合わせて、項垂れたが、すぐに貌を上げた。

“あなたが、皆に話して下さい”

“そうよ。おじいさんが”

しかしカミは貌を横に振った。

“いや、わしはヒトの前には出ない事にしておる”

“でも、私たちの前には現れたわ”

カミが躊躇しながら応えた。

“お前たちが真剣に戦いを止めようと悩んでいたからじゃ”

カミは、アイが可愛いから、良いカッコしたかったのだったが、そんな事を正直に言えるはずがない。

“わしはヒトが繁栄発展、逆に衰退滅亡して行くのに、直接関わってはならない事になっておる。あくまでもお前たちの力で解決するのじゃ”

“でも、どうやって?”

“解らないわ”

二人がまた貌を曇らせた。

“えーい。乗り掛かった船じゃ。教えてやろう”

“本当ですか?!”

“教えて!”

二人がまた貌を輝かせた。

“戦いは何時始まるのかの?”

“新しい月が沈む朝に”

“後7日か。ぎりぎり間に合うかのう”

カミは頷いた。

“湖の出口、滝の上を塞いでおる大きな氷塊を溶かすのじゃ。そしたら湖の底の凍っていない水が滝から流れ落ちるじゃろう”

“あの氷の山を?”

“あんなに大きな氷を?どうやって?”

子どもの頃から視慣れた滝の上の氷塊は、高さも幅も二人の背丈の10倍は優にあった。

“ここから西、太陽が沈む方角に、3度太陽が昇って沈むほど行けば、深い草原の中に草木が一本も生えてない小高い丘があって、その中腹に洞窟がある。その中にある白い岩を取って来るのじゃ。二人で抱えられる限りたくさん。そうじゃのう。細かく砕いて、最低でも羊の皮袋に5つ。それを持って戻るのじゃ。やってみるか?”

二人が貌を視合わせて頷いた。

“その白い岩が氷塊を溶かす力を持っているのじゃ。戦いが始まる、その7度目の太陽が昇るまでに、その白い岩を持って、必ず戻って来い。一つだけ忠告しておく。その白い岩は、持ち帰るまでに、絶対に雨と水に濡らしてはならぬ。良いな”

“はい、必ず”

“やってみます”

二人がそれぞれの集落に帰って行った。

二人の後ろ姿を視ながら、カミは頭を搔いた。

“アダムとイヴの誕生以来、20万年近く、ずっとヒトを視続けて来て、わしの感情がヒトに近くなったかのう”


その夜。

ユメが母親に、旅に出る事を伝えた。

しかし、カミに言われたように、カミの事と白い岩の事は、話しても通じないと考えて、伏せておいた。

“アイとは、東の集落の長の娘なのですか?”

“はい、二人で必ず戻って来て、戦いを止めさせます”

母親は日に日に逞しく成長して、言動も大人びて行く我が息子を信じていた。

“何か考えがあるのですね?あなたが旅に出る事は父さまには内緒にしておきます。尤も父さまは、戦いの事で毎日毎晩集会所に入り浸りだから気付かないでしょう。あなたの馬2頭を連れて行きなさい。何かの役に立つでしょう”

“ありがとうございます。行って来ます”

優しく微笑む母親にユメは深々と頭を下げた。

同じ頃、アイも、ユメと同様に、母親の承諾を得ていた。


太陽の先端が地平に視え始める頃、林で待っているユメの元にアイが駆け寄った。

馬を連れて行くなら白い岩をもっとたくさん持って帰る事が出来ると考えて、羊の皮袋8枚、二人の母親が用意してくれた6日分の食料を馬の背に積む。

“よし、行こう”

二人は馬に跨がり、頷き合って出発する。

二人とも旅に出るのは初めてであった。

前途は全くの未知。

二人の心の隅に恐怖も宿っていたが、二人は強い信念を抱いていた。

昇る朝日を背に二人はただひたすら馬を駆って西に向かった。

村に戻るのは早い方が良い。

草原を越え、川の浅瀬を渡り、カミが告げた岩山を探して西へ。

陽が沈むと、岩場の崖を背にし、肉食動物に襲われないように焚き火を前にして交代で休む。

“ユメ、先に眠って。私が視張ってるから”

“判った。何かあったら起こせ”

ユメが石ヤリ、石オノ、弓矢を傍に並べて横になる。

“でもあの人の言う事は本当かな?”

ユメがぽつりと呟く。

“私は信じるわ。だって、本当も何も、今の私たちはあの人の言う事を信じるしかないわ”

アイがユメを諭す。

“そうじゃ。アイは良い娘じゃ”

カミは結局二人いや、アイが心配で二人の後を着いて来ていた。

朝を迎えて二人は出発する。

太陽の位置で方角を確かめながら馬を駆り、砂漠を越え、山を迂回して、西へ。


そして、太陽が3度目に昇った頃、ついにカミが告げたような、深い草原の中に草木が一本も生えていない小高い丘に行き当たる。

横手に廻ると中腹に洞窟があった。

廻り道をして、緩やかな傾斜を選べば、馬も連れて斜面を登れる。

中腹にある洞窟に辿り付くと、火をかざして中に入る。

それほど深くはない洞窟の奥近くに差し掛かると、岩肌全体が真っ白になった。

“あった!”

“これだわ!”

ユメが石オノで削り取った白い岩を、アイが傍に転がっている石で砕いて皮袋に詰める。

8つの皮袋をいっぱいにして、二人は帰途に就こうと洞窟の外に出る。

しかし、夢中で作業をしていて、時を忘れていた。

外は既に太陽が沈み、漆黒の闇に包まれていた。

二人は、早く帰りたかったが、闇の中を歩く訳には行かない。

翌朝出立する事にする。

“この洞窟で焚き火をしていたら獣も襲って来ないはずだ。今夜は一緒に眠ろう”

焚火の傍で、横になった二人が視詰め合った。

ユメが手を伸ばし、初めてアイを抱き寄せた。

アイはユメに寄り添い、胸に貌を埋めた。

そして二人は結ばれた。

アイが好きだったカミはがっかりしたが、元よりどうしようもなかった。

愛し合う二人を視ないように洞窟の外に出て岩に腰掛け、自分たちが創った“天の川”銀河を眺めていた。 


翌朝、昇る太陽に向かって出発する。

帰り道は判る。

皮袋4個ずつを馬の背に積み、自分たちは馬を曳いて歩く。

早く戻って戦いを止めなければ。

二人の脚が無意識に速くなる。

しかし、重い荷物を乗せた馬の脚取りは遅くなっていた。

その分、集落に戻るのが遅れるが、仕方がなかった。

馬が歩けなくなったら、万事休す、である。


5度目の太陽が昇って暫くして、空が真っ黒になった。

“雨が降るわ。どうしよう”

“これを濡らしたらいけないんだ”

カミが忠告した事だった。

草原の真っただ中、雨が降って来たら、二人が雨を避ける場所はない。

雨の一滴が、二人の頬を濡らす。

二人はせめて馬の背から革袋を下ろし、二頭の馬を並べてその腹の下に置き、さらに二人でその上に覆い被さる。

雨が降り始めた。

二人の躰の隙間から革袋に雨が当たる。

“だめだ。濡れる”

“いやー。カミさま、助けてー”

アイが、無意識に、脳裏に浮かんだカミに助けを求めた。

アイが叫んだ瞬間、雨雲が一気に拡散し、青空が現れた。

“どうしたんだろう?急に”

“判らない。でも、良かったわ。濡れなくて”

二人が貌を視合わせて微笑んだ。

カミが、低気圧の中心で、高気圧を発生させ、低気圧を崩壊させたのだった。

カミは、アイが自分に助けを求めた事が嬉しかった。

しかし、自分が雨を止めた事にアイが気付いていない事にがっかりした。


二人の旅が続く。

そして。

もう少しで、という処で7度目の夜が明け始める。

洞窟に辿り付くのは早かったが、重い石を背負わせた馬の歩みが遅くて、帰途に時間が掛かり過ぎたのだった。

太陽が昇ると、男たちの戦いが始まる。

ユメが1頭の馬の背から皮袋を全部降ろした。

“アイ、馬を走らせて帰れ。村中の女子供、年寄りを全部集めろ。おれの村もだ。1番林に近い家がおれの家だ。母上がいる。女子供を集めさせろ。女子供、年寄りの願いで、おれが帰るまで戦うのを待たせろ”

ユメは具体的に、どうしたら女子供で男たちの戦いを止められるか、判っている訳ではなかった。

しかし、現在、男たちの戦いを止められるのは、カミと自分たち以外に、女子供、年寄りしかいなかったのを、瞬時に判断したのであった。

男たちが何故戦うのか?

水の為だ。

水は?

生きる為。

生きる?

愛する妻、子供、親の為。

ならば、妻、子供、年寄りが全員声を挙げて反対すれば。

男たちは戦わない?

それ以外に方程式はなかった。

“ユメは?”

“皮袋6つを馬に、2つはおれが担いで帰る。おれが着くまで戦いを始めさせるな”

アイはどうやって戦いを止めるか、判らなかった。

しかし、このまま二人一緒に馬を牽いて帰っても間に合わない事は、明白だった。

“判ったわ。何とかやってみる。気を付けて、早く帰って来てね”

アイが馬の背に跳び乗り、全速力で走って村に向かった。

ユメが重い皮袋を2つ担ぎ、6つを背にした馬を牽いて歩き出した。

白々と明けて来る風を切って草原を直走ると、しばらくして、アイの眼に、西の集落が遠く映った。

そのまま東に向かって馬を全力で駆る。

川を挟んで武器を手にした大勢の男たちが向かい合っているのが視えた。

“両方の村の女子供、年寄りを全部、東と西の山に登らせるのじゃ”

馬を駆けさせるアイの耳元で、いきなりカミの声がした。

“えっ?!カミさま?はい。判りました”

何故視えないカミの声が、全速力で馬を駆っている自分の耳元で聴こえるのか、アイは不思議に想えたが、今は考えている場合ではなかった。

アイは橋を渡って東の村に到着すると、自分の家に跳び込んだ。

“母さま。村中の女子供、お年寄りを東の山に登らせて。急いで”

“判りました”

アイの母が家を奔り出て、近くにいた数人の女たちに声を掛けた。

“手分けして村中の全員を東の山に登らせて”

アイはすぐに川の上流に向かい、林を駆け抜け、橋を渡って西の村のユメの家に跳び込んだ。

“ユメの母さま。東の村のアイです。すぐに村中の全員を皆集めて全員で西の山に登って下さい”

“はい。すぐに”

ユメの母も大急ぎで村中の女子供、年寄りを山に登るように手配し始めた。

カミの指示通りを皆に伝えたアイが、自分は何をすれば良いのか判らなかった。

ユメが戻れば、あの白い岩で滝の入り口を塞ぐ氷塊を溶かして、戦いを収められる。

問題は、ユメが戻るまでだ。

“カミさま。私は?どうしたら良いの?”

アイは、傍にいてくれているはずの、視えないカミに尋ねた。

“お前は滝の頂上の大きな氷の岩の傍に立て”

やはり、カミは傍にいてくれた。

“はい”

アイは再び馬を駆って迂回しながら滝の頂上に辿り着いた。

東と西の山にそれぞれの村から女子供、年寄りたちが登る行列が出来ていた。

視降ろす平野に大勢の男たちが集結して向かい合い、川の浅瀬では既に小競り合いが始まろうとしていた。

一触即発!

“止めなさい”

アイが無意識に叫んだ。

そのアイの声が山々に反射して、平野全体に響き渡った。

今や戦いを始めようとしていた男たちはもちろん、山に登っている女子供も、驚いて脚を止め、アイを視上げた。

“私の声が?”

アイ自身も驚いた。

自分の声が、こんなに大きく、こんなに遠くまで響くとは。

“続けるんじゃ”

またカミの声が耳元でした。

カミが空気を振動させてアイの声を増幅したのだ。

“戦うのを止めなさい”

アイの声が再び平野全体に響き渡った。

アイの立ち姿は、まるで天から降り立った天使のようであった。

“戦うのは止めて”

“戦わないで”

山に登って平野を取り囲んだ女子供、年寄りたちも叫び始めた。

4000の男たちを、10000以上の女子供、年寄りが取り囲んで視降ろし、大合唱が始まった。

男たちはただ、滝の頂上に立ったアイと山の尾根に立ち並んだ村中の女子供、年寄りを唖然と視上げていた。

~碧く澄んだ空~

アイが歌い始めた。

アイの歌声が平野全体に響き渡った。

女子供、年寄りも一緒に歌い始めた。

やがて男たちも一緒に歌い始めた。

~翠深き峰々 花に埋もれる草原 私はこの地に生まれ育った~

皆歌いながら泣いていた。

それは、子供の頃から歌い聴かされて憶えた歌で、古の昔から歌い継がれた歌であった。

何時か東と西に分かれ、そして現在は水を争って戦おうとしてはいても、元々は同じ民族である事を、今更のように、皆想い出していた。

“争ってはいけないのだ”

男たちの心に平和が宿った。

そしてついに、ふらふらになりながらユメが滝の頂上に辿り着いた。

カミが二人の耳元で告げた。

“氷塊の根元に白い岩をバラ撒くんじゃ”

ユメが馬の背から降ろした皮袋を開け、砕いた白い岩を氷塊の下に撒いた。

その瞬間、氷塊の根元の白い岩に触れた部分が湯気を立てて溶け始めた。

“全部撒くんだ”

ユメがもう一つ皮袋を開けて白い岩を撒いた。

アイと、傍にいた二人の母が一緒に他の革袋の白い岩砂を氷塊の根元の周囲に撒く。

氷塊が根元から溶け出し、噴き出す大量の湯気が氷塊を包み込む。

氷塊の根元全体に撒き終わって間もなく、氷塊の溶けた部分から崩れ始め、氷塊が傾いた。

“危ないから避けて”

ユメとアイが平野の男たちに向かって叫んだ。

傾いた氷塊が滝を転がり落ちた。

その後を追うように、カミが話した通り、凍っていなかった湖の底の湖水が、飛沫を立てて滝を流れ落ちて行った。

大歓声が上がる。

男たちも武器を捨て、水が流れ始めた川に入って水を掌で掬って飲み、貌を洗った。

女子供たちも山から転がるように平野に降り、川に入って自分たちの夫、父親と抱き合って喜び合い、水を飲んだ。

大歓声は何時までも止む事がなかった。


それから70度ほど太陽が登って沈んだ頃、カミが告げたように、温期が訪れた。

村を救ったユメとアイは結婚し、二人が東西の集落を併せて国王王女となった。

アイのお腹には新しい命が宿っていた。

二人はそして、助けてくれたカミに深い感謝を込めて神殿を建立して、国中の民と共にカミを崇める事に決めた。

宗教の始まりであった。

照れ臭がりのカミは、その後二人の前に姿を現す事はなかった。

二人はカミの助けを借りる事なく、立派に国を発展させたからでもあったが、大好きなアイがユメと愛し合うのを視ているのが、悔しかったからである。

                                 (了)



“ユメとアイ 梗概 中島康信”

 宇宙に数千億の銀河を創造し、それぞれの銀河に数千億の太陽系を創造したカミは、その一つである宇宙の片隅の“天の川”銀河の、そのまた片隅の、太陽系第3惑星である地球にその環境を整えて生命を発生させ、生命は進化に進化を重ねさせられ、ある時代のある種はカミによって滅亡させられながら、約20万年前、類人猿からヒトを創造される。

 また約1億5千年前頃から、一つであった大陸が地殻変動を起こして分裂し始め、それに伴って海流が発生し、海流は地球上に気候変動を発生させる。

 その影響で、地球上では、凡そ100万年の氷河期と凡そ10万年の温暖期が繰り返され、10万年の温暖期は約8万年の氷期と約2万年の温期を繰り返す事になった。

 現在に続く温期の端緒、最も近い氷期の末期、あるヒトの種族の物語である。


凍結した巨大な湖から滝となって流れ落ちるわずかな川の水を争って、川の東西に分かれた部族が、水を争って、戦おうとしていた。

ある日、西の部族の長の長男であるユメと東の部族の長の長女であるアイが出遭い、二人は毎日のように、川の上流の林の中で逢い、東西の部族が戦うのを止めさせようと話し合っていたが、自分たちの力ではどうしようもないと、悩んでいた。

その二人の前に、地球上に於けるヒトの種の発展を監視する為に地球に残っていたカミが、可愛いアイを助けようと現れ、西方にある洞窟の中の白い岩を持ち帰るように教える。

戦いを止める手立てが他にない二人は、カミの言葉を信じて、白い岩を求め、2頭の馬を駆って旅に出る。

3日の朝、二人はカミの告げた洞窟に辿り付き、洞窟の奥にあった白い岩を削り取り、8枚の羊の皮袋に詰め終え、朝になってから戻る事にしたその夜、二人は結ばれる。

順調であった旅の途中で雨に遭い、“白い岩を濡らしてはならぬ”とカミに戒められていた二人は必死に雨から革袋を濡らさないように守ろうとするが、二人を視ていたカミが高気圧を発生させて低気圧を破壊して二人を救う。

もう少しで村に戻る、という処で戦いの始まる朝が明け始め、ユメはアイを先に帰らせて、戦いが始まるのを遅らせようとする。

アイは帰る途中で受けたカミの指示に従って、東西の村中の女子供、老人達を山に登らせ、

戦いを止めるよう叫ぶが、そのアイの声は、カミの力に拠って空気を振動させ、地平の果てまで響き渡る。

 そして、古の昔から伝わる民族の歌をアイが歌い始め、女子供、老人達も続いて歌い始め、その大合唱が戦おうとしていた男達の心に平和をもたらせる。

 そこへ、やっとユメが戻って来て、二人と、二人の母親の手で白い岩を、湖の水を堰き止めていた巨大な氷塊の下部に撒くと、氷塊は激しい水蒸気を上げて、溶解し始める。

 崩れかかった氷塊が滝の上から転がり落ち、それに続いて、凍っていなかった、湖底の水が流れ出し、川を豊かな水量で充たし、部族全員が歓喜して川に入り、水不足が解消した事と戦わずに済んだ事を喜び合う。

 ユメとアイは結婚し、部族をまとめて国王王女となって部族を発展させ、カミに感謝して神殿を建立するが、アイに恋していたカミは、二人が愛し合うのを視るのが嫌で、二度と二人の前に姿を現す事はなかった。

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ユメとアイ @yana1110

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