天葬 3

 相変わらず海は穏やかだった。私がここに来てから嵐というものを見たことがない。

 茶褐色と黄色のひわ鳥に変身した私は昨日と同じ辺りへ飛んでいった。

 飛べるようになったからには、そろそろ「幻」を見るのも終わりにしなくてはいけない。


 私は高く上昇した。蒼空あおぞらんでどこまでも広い。

 風が味方してくれる。しかしどんなに高い場所へ飛んでも、雲より上、天の楼閣ろうかくには届かない。

 ぐるりを海に囲まれている。「あの日」と同じだ。私は目蓋まぶたを閉じた。


 目をつむった世界は暗く、わずかに昼の光の名残で赤く染まっている。やがてすべて静かになり、風と波の音だけが聞こえるようになると、私は身体の力を抜いて、重力に任せて海へ落下した。


 鳥目では夜の星を観測するのは難しいと知った時はだいぶ心がしおれてしまった。私が知っている星はこちらの空には昇って来ないことも。村の誰もが冬の三つ星を恋しがった。


 今は新しく加わる星に祈りを捧げる

 私たちの体は星から生まれ、星へ還る


 鋭い風の音を聞きながら、私は闇の中にあの日の夜を映し出す。満天の星。

 冷たい海へ入る瞬間、逆さまに見えた紺天の空さえも海のようだと思った。


 憧憬しょうけい。眼下に星の海をのぞみながら、私は上昇、あるいは墜落ついらくする。


 どぷん


 小さな音、小さな水柱


 そして、


 …………キリリリリ……


 鈴の音が聞こえてくる


 黄色い小鳥は海からちょこんと顔を出して、素早く羽ばたくと陸へ飛んでいった。



「おかえり」


 浜辺に黒髪の少年が立っていた。やはり私たちは昨日と同じような場所にいた。エクリプスが埋もれていた砂山の跡がそのままになっている。


「星になるんじゃなかったの?」

「……瞑想めいそう

「へんな趣味」

「まあね」


 二人で砂浜に腰を下ろす。小さなかにがチョロチョロと走っていった。

 しばらく遠くの水平線をながめながら、私は昔の話をした。こよみはないから何年経ったのかわからない。でもまだおぼえている。


「私の村は戦で焼かれてしまった。子供だと思われて、女性と一緒に荷馬車に詰め込まれ、船に乗せられた。真夜中、不安で浅い眠りにまどろんでいる時、急に何者かにかつぎ上げられて、そのまま船から冷たい海へ投げ入れられたんだ。叫ぶひまもなかったよ」

「そいつを殺したいと思った?」

「わからない。顔も見ていないから。ただ、かなしい気持ちをずっと抱えてる。自由になりたい、そう思って私はここに辿たどり着いたんだろうね」

「星になったら救われる?」

「……といいけど」


 絶え間なく打ち寄せる波。虚無きょむからやって来て、無限の時間を行き来する。

 エクリプスは風にあおられる黒髪を手で抑えながら、ぽつぽつと自分のことを話してくれた。今の彼は翼を納め、人間の姿に戻っている。

 エクリプスは手首の傷痕きずあとをじっとにらんでいた。彼もまた、生きたまま犠牲ぎせいとなった少年だった。


「ぼくは、誰よりも強くなりたい。もっと獰猛どうもうで、凶暴な鳥になりたい。みんな嫌いだ」

「飛鳥は、星になるための術なんだよ」

「救われなくていい。強くなりたい」


 私がエクリプスの髪をでてやろうと手を伸ばすより先に、彼の方から私に抱き付いてきた。ほおれている。

 エクリプスは力をこめて私を地面に押し倒した。あわてて名を呼ぼうとしたけれど、すでに腰の帯が解かれ彼の温かな手がなかに入ってくる。

 砂浜に落ちたふたつの影はひとつになり、なげきは潮騒しおさいにかき消されていった。



 一番星が昇る頃、砂をはたいた服を整えていると、私は初めて見るその光が何であるかを悟った。

 老師の星だと直観した。師匠の魂と私の魂は結ばれている。私も星になれば二人は線でつながり、星座に加えてもらえるかもしれない。


 つ、と涙がこぼれた。


「飛鳥の先生?」

「うん……」


 エクリプスはズボンをいただけの半裸の格好で、私の背中を撫でてくれた。

 優しく手を動かしながら、口を寄せて、そっと耳元でささやいてくる。低い声だった。


「ねえ、あなたが欲しいと思っている星天そら、ぼくが見せてあげようか」

「…………?」


 例の口説き文句だろうか。甘い言葉でどれだけとりこにしたのだろう。


「私の故郷ほしを知っている、て?」

「ぼくたちの魂は結ばれている。あなたの星も知ってる」


 短く言って、エクリプスは私から身体を離した。目で追いかけると、少年は黒髪を風になびかせて背を向け、黄昏たそがれの海の向こうを見つめていた。

 沈みかけた夕陽の逆光で彼は黒いシルエットになる。


 メリ……


 大木に裂け目が入ったような音がした。

 誰か鳥の鳴き声かと思ったけれど、そんなことはなかった。

 エクリプスの背中が裂けたのだ。


「エク……」


 穏やかだった海が騒ぎはじめた。


 少年の背骨の位置に縦一線の亀裂きれつ。血はき出ない。

 裂け目をこじ開けるように内側から黒いものが飛び出してきた。翼が生えてきたのか?

 薄闇に異様な光景が生まれ、私は寒気がした。

 ザッと風が吹いた。


 見れば少年の腕もいくぶんたくましくなっていて、それは鳥というより爬虫類はちゅうるいの脚を思わせた。太くなった手先から凶暴な爪が伸びている。


「!? だめだ、エクリプス! 君は鳥になってはいけない!!」


 私は考えるより先に少年に向かって叫んでいた。声は荒波にさらわれて届かなかった。


 少年は変身していく。からすなんてただのかしこい鳥ではなく、もっと巨大な何か、生まれてから十余年、その手に抱き続けてきた悪意が形になる。


 太古の鳥は背中の裂け目から一枚の羽根を吐き出した。だいだい色に染まった西の水平線へ鮮やかに舞う、ひとひらの瑠璃るり色の羽根。

 あの女の子だ……。


 砂浜に落ちた羽根を拾う。目玉のような模様は、私と同じ恐怖の色をしていた。

 ハッとしてエクリプスの背を見上げると、開かれた裂け目から、黒い翼のようなものがうごめく向こうに、暗い世界が広がっていた。


「ぁ……」


 見えたのは小さな光のつぶ。星空だった。

 幻を何度も見た。私の最期の記憶がそこにあった。


 一瞬身を乗り出した時、黒い翼だと思っていたものが突然無数の腕になり、いっせいにおどりかかってきて私の体をつかまえた。


 星の明滅めいめつのようにほんの刹那せつなの出来事だった。

 黒い蝕手しょくしゅは私を常闇とこやみの底へ引きずり込んだ。






おわり

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