天葬 2

 家に帰ると、少年を抱いたままでまず外の洗い場へ連れて行った。大きなたらいに水を張る。少し冷たいだろうが、今は夏だし我慢してもらおう。


「お湯をかしてくるから、先に水浴びしておいで。一人でできるかい」


 少年は回復も速く、よろよろ立ち上がって服を脱ぎ始めた。私に背を向けて翼を器用に使いながら上衣うわぎぐ。しかし砂としおでべたついた肌に張り付いてうまくいかない。


「手伝うよ」


 私は弟のような少年のそばについてやった。

 首が細くてまだ成長途中だ。まだ若いのに……などと悲しんでみると、自分の享年きょうねんも同じようなものだと思い出した。


「人間に戻らないのか」

「………………このままでいい」


 彼はようやくぽつりとつぶやいた。


「翼の腕では、食事をする時に困るだろう?」

「…………いらない……」

「まあ、食べなくても、すぐどうにかなるわけじゃないけど……」

かすみを食べる……」

「うん? はは、そうか。それもいいかもね」


 たどたどしくもユーモアのある受け答えができるので、とりあえず心配するようなことは無さそうだ。体力があるのならあとは食べて寝るだけでいい。


「君、名前は」

「……エクリプス」

「エクリプス。……しょくだって? あの、日蝕とか月蝕とかいう?」

「蝕の日に生まれたから。ぼくはわざわいの子だって」

「ふうん……」


 深くはたずねないでおく。今夜は温かいスープを作ってやろう。


 ざばあーっ


「ひえ……」


 おけにくんだ水を頭からかぶった少年は、さすがに身をちぢめた。

 れた髪を軽くしぼってやる。あらためて見る細い背中には、何本か赤い線が走っていた。暗がりでよく見えないけれど、縄目なわめのようなものが見える。しばられていたのか。


「エクリプス……君は、」

「……いけにえ」


 私が声をひそめたので、言わんとしていることが彼にはわかったらしい。

 一瞬ぞっとしたが、私は口をへの字にして「ふん!」と鼻を鳴らすと、後ろからエクリプスの頭にぽんと手を乗せた。


「綺麗な翼だ。君の飛鳥を教えてくれるかい」

「ひみつ」

「そうか」


 会話は終わった。私はタオルを持ってくるために家に入った。

 エクリプスは遠い三日月を見上げて洗い場にたたずんでいる。くしゃみをすると、両腕を広げて黒い翼をふるわせた。水気を切ってもわずかに羽根からしたたるしずくに、ほんのり周囲の明かりが映る。

 美しい人だと思った。彼に飛び方を教えてくれた師は誰なのだろう。



 つい最近まで私と師匠は一緒に暮らしていた。師の部屋は空になってしまったけれど、ベッドなどは残してあるのでエクリプスにゆずることにした。

 水浴びをしてから少年は一言もしゃべらず、床につくと三分もかからず眠りに落ちた。翼は胸の上で交差させている。身を守るように。

 ちなみに彼は食事の時だけ、体を人間に戻してスプーンを手に取ったのである。手首にも赤いいましめの傷痕きずあとが見えた。


 私のお古の服を着て眠るエクリプスは、ただの少年だった。窓から入ってくるやわらかな月明かりが形のい唇を浮き上がらせる。

 私はランプを片手にじっと彼の寝顔に見入っていた。ふいに手を伸ばすと、浜辺で出逢った時のようにほおに手を添えて、親指で乾いた唇をなぞる。魅入られて顔を近付けた時、ハッと我に返った。

 頭を振って邪念を払うと、私は忍び足で部屋を出た。見せかけの心臓の鼓動が速い。



 翌日はエクリプスを寝かせたままにしておいた。昼近くになって起き出した彼は温かいおかゆと薄く切ったバナナをすっかり平らげると、再び横になった。


 空いた時間は近くの広場に行って小さな教室を開く。師から受け継いだ飛鳥の術を次の人へ教えるためだ。

 蓬来ほうらいは平和であるが、星になれなかった者の無念は消えない。だが、どこにも行けないなげきに翼を与えるすべはある。


 生徒といってもほんの二、三人で、今日は女の子や中年男性が集まってきた。一日で覚えられるものでもないので、気ままに時間を使いながら私たちは語り合った。ほとんど雑談だったかもしれない。過去の栄光、残してきた恋人のことなどを聞かせてもらった。


 小腹が空いた所で解散となり、私は家具職人をやっていたという男性にイスを一脚作ってくれないかと頼んでみた。師匠の使っていたイスはガタガタ揺れて安定しないのだ。


 今日も天気の良い一日だった。

 はちに刺されたという十歳くらいの女の子は孔雀くじゃくになりたいと言っている。あの見事な扇形おうぎがたを見せるのは繁殖期のおすだけなんだよと教えてやるとしょんぼりしていたが、すぐに男の子はずるい! と言ってふくれてしまった。何と言ってなぐさめてやればいいのか……。


「あ、あの子。だあれ?」

「ん?」


 女の子がパッと顔を上げて私の後ろへ声をかけた。

 両腕の代わりに黒い翼をまとっている少年、エクリプスだった。昨日よりしっかりした足取りでこちらへ歩いてくる。黒の上衣に帯紐おびひもは白。モノトーンですらりとした出で立ちである。


「エクリプス? もう外に出ていいのか」

「うん。戸棚のお菓子食べちゃった」

「かまわないよ。私はもう帰るけど、村を見て行くかい」


 うなずいて、エクリプスは私の隣でもじもじしている女の子に視線をよこした。

 彼は挨拶あいさつ代わりに翼を広げてみせる。女の子が欲している鮮やかな飾り羽は少年の翼には無かった。

 女の子は陽を浴びて艶々つやつや光る漆黒しっこくに見とれている。


「綺麗な翼……。瑠璃るり色の羽はないの?」

「ないよ。黒一色でも強そうだろ?」

「うん。すてき」

「君の鳥は?」

「……まだなの。孔雀がいいんだけれど」

「この世界なら女の子でもできるよ。飛び方を教えてあげようか」


 おや。エクリプスの奴、なかなかどうして……。

 私はくすりと笑って、一組の男女から数歩下がった。


「エクリプス、私は海へ行くから。夕飯には帰っておいで」

「うん。ぼくも後で行くよ」

「ごゆっくり」


 手を振って私は広場を出る。南へ向かった。

 半分鳥の姿で村を歩き回っても、少年を気にめる者はいなかった。ひゅうーと朱鷺ときが視界のすみを横切っていく。淡紅色の翼が愛らしい。


 鳥は様々な種類があるが、飛鳥の術を覚えた者は間もなく北の山へ昇るため、さえずりや色とりどりの羽で村がにぎやかになるということはない。

 蓬来にはいつの間にか人が増え、気付かないうちにいなくなる。


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