第5話 惨状
バイトの間、まったく集中できなくてみんなに怒られまくった。いやもう『自宅に置いてきた魔王の娘が何かやらかしてないか心配で』とか言い訳できるはずもない。そして今、仕事が終わって自宅の玄関前まで帰ってきたところだ。
「すー、はー」
深呼吸をして覚悟を決め、玄関に鍵を差し込んでガチャリと回す。
「ただいま……」
恐る恐る扉を開けて中に入れば、そこはしんとして恐ろしく静かだった。
「な……、何があったんだ……?」
思わず変なことを呟いてしまったが、普通何もなければ静かなはずだ。だがしかし、あのやかましかったプリメイアを思い出すと、何もなく静かに過ごしているというイメージがさっぱり湧かない。
それがこの静けさである。
短い廊下を抜け、ひとつしかない我が家唯一の部屋へと続く扉を開けると。
「――さぶっ!?」
すげー寒かった。
「ナニコレ!?」
プリメイアが俺のベッドで寝ている。しかも唯一着ているワンピースの肩がはだけていて、ちょっと見えそうになっている。そしてなぜかエアコンがガンガンに効いていた。リモコンを見てみると、冷房で10度設定だった。
もう速攻で冷房を切ってやった。
「何やってんの!?」
季節は春、四月の半ばである。まだ肌寒い日もあるが、つけるのであれば暖房で、断じて冷房を入れる季節ではない。というかプリメイアは寒くないのか。
というかテレビもつけっぱなしだし、炊飯器の蓋は開けっぱなしだし、テーブルの上には
「んあ……」
俺の叫び声が聞こえたのか、ベッドの上から家を荒らした犯人の声が聞こえてきた。
「あー、帰ってきたんだ。おかえり」
これが普通の人間の女の子なら、『おかえり』と言われて嬉しかったかもしれない。だが家の惨状を見るに、まったくそういう気分にはなれない。例えワンピースの襟ぐりから谷間が見えていたとしてもだ。
「……ただいま」
大きくため息をついて荷物を置くと、脱力しながらソファへと倒れ込むように座る。むくりとベッドから起き上がった犯人が、何やら鼻をクンクンさせながらこっちに近づいてきた。
「何かいい匂いがするわね……」
俺の目の前までくると、中腰に屈みこんでそのまま顔を胸元まで近づけてくる。襟ぐりから見える景色が谷から二つの丘になったが、あまり凝視するわけにもいかない。ってか無防備すぎるこいつもなんとかしてくれ……!
「なんでアンタからいい匂いがするのよ」
訝し気に眉をしかめるプリメイアが、中腰から直立の姿勢に変わる。景色が見えなくなって非常に残念だが仕方あるまい。
「……そりゃまぁ、バイトが飲食関係だからじゃないか。……それよりもだ」
「何よ。あたしお腹すいたんだけど」
それより大事なことでもあるの? と言いたげな口調で不満を漏らされても知らん。とにかく俺が言いたいのは一言だ。
「まったくもって大人しくできてなかったな」
部屋の惨状を見回し、全然できていなかったことを強調して言葉にする。プリメイアも自覚はあったんだろうか、目を逸らしてあさっての方向を向いている。
「さ、さぁ、何のことかしら? ……家が家の形を保ってるんだから、大人しかったと思うんだけど?」
なんだよそれ。大暴れしたら家ぶっ壊れんのかよ。
「家の中がすげー散らかってるんだけど?」
「……最初からこんなんだったわよ?」
「んなわけあるか!?」
あくまで白を切るプリメイアにさすがに声を張り上げる。リビングに入って目についた、「バイトに行く前と変わっているところ」をひとつひとつあげ連ねていく。どれも覚えがあるのか、徐々に勢いがなくなっていくプリメイア。
「……悪かったわね」
ようやく認めたことに一応満足しつつ、すぐそばに置いてあったクッションへと手を伸ばす。
「――あ」
だがしかし、プリメイアの言葉と同時に、空気の抜けた風船がごとくクッションが萎んだ。裏を見るとでかい穴が空いている。
「床に散らばってる白いやつは、これの中身か……」
またも大きくため息をつくしかなかった。
しばらくお互いに無言が続く。家に帰ってきてからのほうが疲れた気がする。なんでだろうなぁと遠い眼をしていたら、目の前から沈黙を破る音が聞こえてきた。
「……お腹すいた」
どうやらプリメイアの腹の虫らしい。時計を見ればもう21時を回っている。俺もずっとバイトで晩飯は食っていない。
「メシにするか……」
呟いて立ち上がると、目を輝かせたプリメイアが視界に入る。説教をしたいところだが、俺も腹が減っている。何か残り物があったかと冷蔵庫に近づいていくと、なぜか目の前にプリメイアが立ちはだかってきた。
「ちょっとどいて欲しいんだけど」
「えーと、こっちには何もないよ? ……ほら、ご飯なら前にもらったアレがあるじゃない?」
何を焦ってるのかわからないが、ちゅーるは猫用だ。
「何言ってんだ。人間用の食材は冷蔵庫に入ってるんだよ」
言いながら冷蔵庫を指さすと、プリメイアの焦りがさらに増していく。
やっぱり嫌な予感しかしねぇぞ。
「腹減ったんじゃねぇのかよ」
「うっ……」
怯んだ隙に横を通り抜けると、躊躇せずに冷蔵庫を開ける。と、冷蔵庫の扉から何かがぼたぼたと零れ落ちてきた。なんだこの白い液体は。よく見ると牛乳パックに穴が空いている。
「いやいや……」
卵は割れてあちこちに黄身が飛び散っており、昨日の残り物のおかずにかけてあったラップも切り裂かれて穴が空いている。タバスコのキャップが開いたまま横に転がっていて、中身もこぼれている。
その惨状に、俺はもう膝から崩れ落ちるしかなかった。
捨て猫を拾ったと思ったら家出した魔王の娘だった m-kawa @m-kawa
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