異世界裏同心~黒鐘滅魔隊第4班、羽崎班~
黒鐘 蒼
第1話 終わりは始まりでもあり、出会いを導く。
「ようやく、僕はこの世から消えられる」
彼はそう言った。
時間は午後十一時と言った所か。太陽が沈み五時間は経っているので間違いない。
要するに彼は日が沈んだ頃からずっとここに居る。
もう四月にもなるというのに、辺りには白い雪が所々に残っている。吹き付ける凍てつく風は彼の身体を容赦なく冷やす。
辺りは海。彼は海岸の突き出した崖の先端に立っているのである。
時折強く吹いた風が彼の長く白い髪をうならせ、前髪が目にかかる。
凍てつく風は時が進むにつれてその強さを増している。
彼は上下共に青色のジャージで身を包んではいるがこの状況下では暖をとることは出来ない。
時間に比例して体温は奪われていくのだがそんなことにかまうこともなく、彼は深刻な表情で白く散る荒波をじっと見つめている。
こんな場所であるので辺りには人は一切居ない。彼はただ一人、崖の先端に立っていた。
この崖は自殺の名所として有名な場所であり、彼の思い詰めた表情を見た所、彼もまたここで自殺しようとしているようだ。
しかしあと一歩を踏み出すだけの勇気がないようで、あと一歩さえ踏み出せばそこは奈落。そんな状態で彼の足は止まっていた。
死ぬ事というのは、誰にでも怖いことだ。
しかし、彼にはそれ以上に苦痛である事が起こっていた。死ぬ事以上に苦しい出来事がこの現実世界で。
風は ビュウビュウと音を立て、彼の耳の横を過ぎていく。
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それから三十分が過ぎてもなお、彼は一歩を踏み出せないでいた。
ずっと海の方を見ていても怖くなるだけだ。星でも見て心を落ち着かせようと、瞬く星を見上げたその時、急にその強さを増した風が彼の身体をすくった。
よろけた彼は、右足を踏み出したがその足がつくべき地面はそこには無い。
そのままに彼の身体は黒くうねる荒波の待つ海面へと落下を始める。
その目は恐怖で光を失っていたが、口元が微かにあがっていた。
やっと、消えられるのだから。
仰向けになり落ちていった瑶太は着水すると同時に、その意識を失った。
最後に彼の目に映ったのは、瞬く星々だった。
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覚えているのは、海に落ちた瞬間の後頭部への強い衝撃。
落ちた場所の真下には岩があり、それに強く頭を打ち瑶太の意識は飛んだ。
即死だったようで、痛みは全くもって無かった。
なのに、なのに何故僕の思考は停止しないんだ?瑶太はそう、疑問を抱く。
瑶太は確実に死に絶えたのだ。なので身体の感覚などもちろん無い。
しかし、その脳内の思考のみは未だに停止していないし、停止する様子もない……。
これが死後の世界なのか……。思考だけは残るものなんだな。などと、自分なりに考察をしていた瑶太だったが、しばらくすると身体の感覚が戻ってきた。
もしかすると、死ぬのを失敗……したのか?と思った彼だったが、そうではなかった。
彼が再び目を開くとそこには生まれてこの方、見たことも無いような風景が広がっていた。
まず、彼が踏みしめている地面……。
これが、小さな砂の粒からなる、いわゆるそれではなかった。
雲だった。現在彼は雲の上に両足を降ろしている。
ここは……天国?彼はそう、推察した。
彼はあれほど高い崖から落ち、生命の要となる脳を納める頭を強く打った。
そのことから考えて自分が死んだことは彼にとって当然のことであり、自ら死を求めていた彼にとってはそれは喜ばしい事だった。
そして死んだ後来た場所。
ここは天国であるに違いない。
ここは天国であるとして、これから自分の行うべき事は何であるかなど瑶太にはわからなかったし、自分が生きていた世界の人々が描いていた天国というのは、宗教により色々と異なり、そもそも、瑶太は無宗教の人だったので、今の状況は彼にとって天国であるほかに何もわからないぞ?だった。
が、分からないという状況は知るという行為で解決することができる。そう考え、瑶太はおもむろに、どっちともつかず、歩き始めた。
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ほんの数百mほど歩いただけで、十数人の人間を見つけた。
皆、初めにここに来たときの彼のように「呆然とした」表情だ。
しかし、その見つけた人はどれを見ても何か訳ありな様子だった。
爪をかじり、何度もかじり、それが無くなってもなお、かじり続け、指をもかみ切っていく者、身体に力が入らない様子でダラリと座り込み、地面である雲に向かって何やらブツブツと繰り返している者、何も発さず、無表情にどこか遠くを見やる者などその様子は多彩なものだった。
情報を集めたいにしてもこのような訳ありな様子の者達に声をかけても面倒な事になってしまうのは目に見えている。
誰か、話しかける事ができそうなまともな人はいないのかな?
そう思いつつも彼は歩み続ける。
と、斜め前にしゃがんで泣いている赤髪の少女に彼の目がとまった。
他の人たちのように、「見るからに危なそうな」様子はない。
しゃがみ丸まって、泣いている様子は何か、リスのような小動物を思わせる。
泣いている少女をそのままおいておく気にもならないので、彼は
「どうしたの?なにがあったの?」
と、その少女に声をかけた。女の子は少しだけ顔を上げて瑶太を見たがすぐにまた下を向いて泣き続ける。
きめ細やかなつやのある肌が美しい美少女だ。
プニプニとしていそうなほっぺたは無意識のうちに触れてしまいそうだった。
こんな状況で知らない男に声をかけられてペラペラと喋る事ができる人なんて少数派だろうし、見るからに恥ずかしがり屋なこの少女が顔を少しでも上げてくれただけでも瑶太にしてみれば上出来だ。
「え……と。僕も何があったのか分からないんだ……。だから、どうやってここに来たのか、教えてくれないかな?」
できるだけ優しい声で彼は再度そう言った。
その甲斐もあってか少女はゆっくりと顔を上げて、瑶太の事を少し見てから、その小さな口を開いてくれた。
「あのね……。お父、さん……が、酔って……それで、いつもみたいに私を……殴って……ごめんなさいって雛、必死で言ったのに、許して、もらえなくて……悪い子にはしつけが必要だっ……て。持ってた焼酎瓶で……いきなり雛を殴ったの。その後……ものすごく痛くて……誰もっ……助けてくれなくって……そのうち痛みがなくなっていって、気づいたら……ここに、いたの」
途切れ途切れに、とても苦しそうに、泣きながら少女は言った。
名前は雛と言うらしい。
やはりこの子も死んだようだった。
父親に殺されるとは、どんなにつらいことだったのだろうか。
雛ぐらいの歳の子にとって父親はウザい。だけれども、居ないは居ないでなんか寂しい。
そんな存在が彼の考える父親像であるのだが、この子の父親はそんなことは無かったようだ。
子供は父親の言うことには逆らえない。それを分かって、子供に暴力を振るうということはどう考えても悪行であり、許せることでもない。
かといってもう死んでしまっている瑶太にとってはそれはどうしようもないことだった。
雛は自分のことを説明するうちに、また過去の、前世の事を思い出したのか、よりいっそう激しく泣き始めた。
彼は自殺こそしているが、全うで健全な一人の人間なので、辛そうに泣くこの少女、雛を見て、「それじゃあね。バイバイ!」などと冷たく言い放って去ることなどできない。
それに、この少女、雛は「どこか放っておけない」気がした。
しかし慰めの言葉など、到底見つからない。
見つかるわけがない。これ程までに心に深くついた傷を埋めるだけの言葉など……。
となるともう、これしか無い。
と彼は少ししゃがんで弱々しい細々とした腕を雛の背中へと回した。そして右手で雛の頭をぽんぽんとなでた。
雛の身体はひどく、冷たく感じられた。死んでいるのだし、冷たいのは当然なのかも知れないのだが。
彼が今雛にしているのは抱擁と呼ばれる行為だ。
後々、彼はこの出来事について雛に「いきなり今出会ったばかりの女の子にあんな事するとか……。今思うと犯罪だな。でも、なんか、なんかこの子の涙を止めなきゃって思ったんだよな。それで気づいたら雛は僕の腕の中にいた」と言っている。
「……うぐっ。……ひっく。あ、あいがと……お兄ちゃ……ん」
彼の胸にその顔をうずくめたままに、雛はそう言った。その声は少しだけ、ほんの少しだけさっきよりも明るい声だった。
なおも、雛の瞳から流れ出す涙が、瑶太のジャージに染み込んでゆき、ついには貫通して彼の肌を直接濡らした。
それは、じんわりと、暖かかった。
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少女、雛は生前、誰にも話を聞いてもらえることもなかったし、他人に気にされる事など一切無かった。
自分に暴力を良く振るってくる父は、もちろん痛いことをされるので嫌いではあったのだが、それでも、彼女にとっては自分に唯一反応を示す者だった。
なので、彼女は逃れることなど出来なかった。家から外に出たとしても、外にいる人たちはどうせ、自分のことを居ない人間のように扱うのだろう。そう思ったからだ。
それに、彼女にとっては何も反応されない、人としての反応を示してもらえない事は殴られる痛みよりも、辛いものだったのだ。
それほどに、生前の雛の周囲の環境というものは酷なものだった。
だからなのだろうか。雛は過去の自分の辛い経験と、これからどうすれば良いんだろう……。ここはどこだろう?という不安を入り交じらせながら、どうせまた、私なんて誰にも、誰にも気にもされないのだと泣いていた自分に笑顔で話しかけてくれて、自分を慰めるために今自分を抱きしめて、「大丈夫」と頭を優しくなでながら何度も言ってくれる名前も知らないこのお兄ちゃんに強い好感を持った。
そして彼女はお兄ちゃんに抱きしめられている時間に比例してドンドンと大っきくなっていく、その体験したことのない熱を持った、強い好感を「恋である」と、自分の中で定義した。
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一方、見ず知らずの少女を慰めようと今、頭をなで、励ましの声をかけながら抱きしめている彼、羽崎瑶太は初めに泣いていたこの少女を見たときの放っておけないと思った気持ちが何やら変化して、今自分の心に芽吹きそうになっているこの未経験の気持ちが一般的には何と呼ばれているかなど、このときはまだ、全く分からなかった。
この二人の出会いは後々世界を動かすことになる。
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