reason for war

 本来ならば幸運だったと言うべきだろうが、拍子抜けしたと表す方が正確だった。ここまでの過程——年月と犠牲を綯い交ぜにした――を鑑みれば、苦節の果てに到達した〈コフィン〉内部を進むことは容易かった。

〈コフィン〉は〈イーバ〉にとっての拠点だった。それ故に、重戦車型をはじめとした〈コフィン〉そのものを崩壊しかねない火器を内部に設置することはできなかったのだろう。

 シャーレイ=プリンセスから提供された構造図を頼りに、第三特殊戦隊は二手に別れた。アンジェロとサレマナウ、ジョンとアメリアは後続部隊を引き上げるために〈コフィン〉下層を目指した。残り六機——スガヤが指揮する精鋭達——サラトガ、コハル、マルコ、ソウメイ、フラットとシャーレイは〈コフィン〉上層を目指す。

〈オルアデス〉の鉄爪を穿たせながらの猛進。生身の兵士であれば脅威となるのだろう機関銃も、〈オルアデス〉の外装を盾とすれば警戒に値しない。同調したサラトガとコハルの連携により良好な視界クリスタルクリアが維持され、一同は〈コフィン〉外縁部を抜けて中央区画へと踏み込んだ。

「……異様な光景だ」マルコが言った。

 そこには無人の歓楽街が広がっていた。かといって無音ではなかった。ストリートに連なる店の軒先には新鮮な商品が並べられ、調理の音、清掃の音、客を求める呼びかけの声——それら総てが機械人形によって形成されていた。

 精巧な人形だった。誰もがシャーレイの姿を脳裏に浮かべ、モニターに映る人形と比較した。相違点を見つけることは非常に困難だったが、それでも人形だと判断したのは、それらが同じ言葉、同じ動作を延々と繰り返しているためだった。次の刺激、あるいは指令が訪れるまで、変動することのない張りぼての営みが続けられるのだろうと想像できた。

「前進だ」

 指令を出してからスガヤは気付く。

(我々はあろうことか敵地の只中で足を止めていた。それが数秒のこととはいえ、警戒を怠っていた。だが、何もなかった。我々の気を削ぐことが目的ではないとすれば――)

《シャーレイ》

《残念だけど、叔母の意図は私にも分からない。少なくとも五年前、船がまだ宇宙にあった頃は、ここはこんな様子ではなかったわ》


 空虚な喧騒を切り裂いて〈オルアデス〉は進む。

 続く上層階は農場だった。屋外に出たのかと見紛うほどに明るい。

 植えられた作物は見知ったものが多かった。たわわに実ったトマト、黄金色の穂で傾いだ麦、あの蔓はイモだろうか。農夫としての機械人形がそこかしこに見える。汗を流しているものは当然ながらいない。

 食は豊かさの象徴だった。荒廃した都市の中央で、最も豊かな場所はここだった。

「悪趣味だ」誰かが吐き捨てた。反論の声は上がらなかった。



「そろそろ聞かせて欲しい」

 牧場、化学工場、発電所、汚水処理場、焼却処分場——生活に必要なあらゆる生産と処分を担う区画を抜け、次の階層へと向かう道中でフラットが切り出した。

「何を?」

 計器を見つめながらシャーレイは返す。無線通信は切られていたが、フラットのギフトならば、直接声を届けることも可能だろう。

「一億人の〈イーバ〉を内包しているからくりを。質量としてはあり得ない。ならば遺伝子として保管しているのかといえば、ドクター・シュタットフェルトの検査でも判明しなかった」

「私は四次元ポケットを持っている。これでどう?」

「ドラえもんか。誰に教わったのやら」

「アンジェロよ。彼、懐古主義の収集家コレクターなの」

「それで、本当のところは」

「直に辿り着くから、ここで言葉を重ねる必要はないわ」

 シャーレイの瞳は前を向いていた。

 淡く燃え上がるヒナゲシの瞳。シャーレイの由来。

(俺が電子世界と共鳴するように、彼女は一億人の〈イーバ〉と共鳴しているのだろうか)

 それは途方もない数だった。もしも声が聞こえているならば、自我が圧し潰されても不思議ではない。共鳴——否、それはもはや狂気と言っても差し支えない。鳴動するままに崩れ落ち、塵芥となってもまだ削ぎ落せるものがあると主張する。

 そこに自己はあるのだろうか。自己を存続させるためのエネルギーはあるのだろうか。

 思わず首を振っていた。

 階段を昇り詰めると隔壁があった。核シェルターと遜色ないほどに強固な作りだったが、フラットが介入するや否や、静かに開いた。そうでなくても開いていただろう。その扉を通るべき人物が、フラットの背後には座していたのだから。

 透明なガラス様の筒が林立していた。整然と、ひしめき合うように。

 ただ一本の通路が正面に延びていて、遠く中央にのみ明かりが見えた。

 フラットの意識が錯綜する。部屋の管理システムへと侵入/照明をオンにした。

 ざわめきが静かに沸き起こった。

「悪趣味だ」サラトガとコハルが同時に言った。先程の独言は彼女達だったのかもしれない。

「これは……」唸るように唱えたものの、マルコは二の句を継げない。

「神の冒涜に他ならない」マルコの続きを、ソウメイが引き継いだ。

「シャーレイ=プリンセス。説明を求める。これらが君の言う一億人の〈イーバ〉か?」

 スガヤの冷静な追及が無線機を通して届く。

「重ねて問おう、プリンセス=リトルマザー。これらが、〈イーバ〉が地球人類に戦争を仕掛けた理由か? この標本の群れを形成することが目的だったのか?」

 ヒトが収められていた。男と女、無数のヒトが沈黙を保ちながら瞑目し、髪を逆立てるようにしてくゆらせていた。巨大な人体実験場——反射的な認識に生理的嫌悪を覚え、彼等がそうして収められるまでの経緯へと思いを馳せたとき、根源的恐怖が臓腑へと焼き付いた。

 目を逸らしたくなった。しかし、そうする者は誰一人としていなかった。

 第三特殊戦隊の精鋭達は自意識を限りなくフラットへと抑え付け、観察と探索へと切り替えた。しかしながら、そうした感情の抑制コントロールは訓練によって獲得したものではない。PFCの海で修繕と強化をされたといった記憶が、眼前の標本に対してある種の親近感を抱かせたのだ。

 義眼の男ブラインドマン=スガヤがギフトを行使した。サングラスの裏で常に閉じられていた目が開かれ、五角形ペンタゴンが立体的に組み上げられた〈複眼バズアイ〉を露わにした。

 すでに部屋中に展開されていた端末から情報が送られてきた。原理としては偵察型リコネサンスに近い。しかし、巨大なプロセッサーによって処理される偵察型と違い、スガヤが得た情報は彼自身の脳内神経ネットワークによって処理される。

 ヒトの脳は三割しか稼働していない。残り七割のブラックボックスを任意に開放リリースする覚醒した男アンチ・ブラインドマン、それが第三特殊戦隊を率いる男のギフトだった。

「説明を求めよう、シャーレイ=プリンセス。〈イーバ〉とは何だ」

 すべてを俯瞰したうえの結論——「彼等は根源をヒトとしながら、その実態は紛い物だ。〈イーバ〉は何故にこれだけの贋作を用意した? 否、何故にそうする必要があった」

 目を凝らすうちに――意識を向けるうちに——他のメンバーにもスガヤの追及する所以が判明した。戦場で掻き集められた標本だとすれば在り得ない/完全な躰/一切の欠損を介在させない健康的な若人の体躯/それだけが林立する檻の中に収められていた。

 複製だ、直感的に理解した。

 原本はすでに形を失い、それに秘められていた情報だけが継承されたのだと理解した。

新たなる渡星者の創造ネオ・アストライア

 シャーレイは告げた、これまで秘匿してきた事実を覆い隠すことなく。

 なぜ明かさなかったのか――その理由は明白だった。

 実例を示されようとも、この光景無くしては、到底受け入れ難いことだからに過ぎない。

 生命は生命から生まれる/それが地球人類の普遍的な認識。

 情報から生命が生まれる/それが〈アストライア〉の常識/肉体を捨てた種族の生態。

「私達は情報生命体です。このからだは有機物をブレンドして作り上げただけの形骸——私とは、プリンセス=リトルマザーとは〈コフィン〉中枢のコンピュータに記録されただけの電子信号でしかないのです」

 脱出の瞬間とき——××が渡星者アストライアとなることを決断した瞬間——選択肢はふたつ、提示されていた。肉体を連れていくか/手放すか。前者は大量の資源を要求した。後者は多大な生命を箱舟に乗せることができた。種族としてのカタチを失わないままに狭窄の道を進むか、生命として未知のカタチになることを承諾したうえで数多の同胞と共に旅立つか。

 肉体はまた作ればいい/彼等にはその技術があった。

 果てなき航路だが、存続への活路/その伴連れを選別することを躊躇した。

「つまり、一億人を内包するとは――」

 フラットは背後の少女へ実眼を向けた。

〈イーバ〉のものと思っていたその肢体、その特徴。それらはすべて人工物でしかないという。ヒナゲシ=シャーレイ・ポピーの髪と瞳、尾骶骨から下りる尻尾、それらのモデルは〈アストライア〉に起因するのか、それとも別の種族によるのか。

「私は解除コードです。あの場所へ到達すれば、私は一億人の〈イーバ〉を目覚めさせます。そしてまた――」その存在が情報であるが故の隷属方式「彼等にウイルスを流し込むことでこちらの手駒とします」

「我々が〈イーバ〉と呼ぶ兵器どもも、それで止まるのか?」

「残念ながら……」そこまで都合よく組まれてなどいない。シャーレイは頭を振った。

「彼等はここで眠る〈アストライア〉の複写物コピーです。そしてまた、叔母の支配するシステムに属します。オリジナルが肉体カタチを得たところで、システムそのものが崩壊するときまで、彼等の銃口は〈オルアデス〉に向けられることでしょう」

「だが、莫大な戦力が手に入る」スガヤが呻くように言った。

 ガラスの銀柱にて眠る肉体。

〈アストライア〉の魂の器として用意された有機体。

複写物コピーが〈イーバ〉を動かしている。……それならば、その情報源オリジナルもまた……」

〈イーバ〉の内へと充填することができる。

 フラットは戦慄に揺さぶられ、しばし平静を忘れた。

 背後でシャーレイが浮かべた酷薄な笑み、薄桃色の唇が曲線を描く。

『情報生命体が機械生命体へと挿げ変わるだけです』

 非難されれば、少女は意に介することもなく言い放つだろう。

 生命を道具たらしめること、生命を消費することに一切の抵抗を見せない。

「一億人を殺す引き金は、俺ではなくアンタの指にかけられていたようだ」

「彼等を殺すのは〈イーバ〉です。私は生命のカタチを定めるだけです」

「詭弁だ」

 辟易すると言わんばかりに吐き捨て、しかし、〈オルアデス〉は動き出した。あてもなく征野を駆け回ってきたこれまでと違い、確信めいた力強さが感じられた。

 コンソール――部屋の中央——までの道行を一歩ずつ縮めていく。フラットを守護するように随伴する〈オルアデス〉の群れ。鋼鉄の蜘蛛は〈アストライア〉を目覚めさせるために進む。

 人形の胡乱な瞳だけが闖入者を見ていた。

 闖入者は人形の虚脱した瞳に監視されていた。

 電子世界の声は聞こえない。〈複眼〉の警戒網にかかるものもない。

 一方で、サラトガとコハルの〈共感覚シナスタジア〉は忍び寄る敵意を『色』として捉えた。

「上方に敵機!」

 それは静かな来襲だった。天井が音もなく刳り貫かれ、〈オルアデス〉の戦団へと立ちはだかるように白銀の影が舞い降りた。鋼鉄の蝶、鋼鉄の四足獣、陸の戦艦——そのどれとも違う。

 二足で体躯を支える姿、ヒト型の〈イーバ〉——新たなる〈イーバ〉のカタチ。

《リトルマザーの護送に感謝する》

 丸みを帯びた頭部と思しき箇所から無機質な声が発される。

《貴官らは任務を果たした。故にここで、黄泉の国へと進むがよい》

 ヒト型の背後が淡く煌めいた。敵意は殺意へと『色』を変えた。

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征野のカナリア 亜峰ヒロ @amine_novel_pr

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