the coffin

 その棺桶は美しかった。都市を焼き尽くし、人々を蒸発させた忌まわしき記憶を背負いながらも、それは見上げる者へと感嘆を覚えさせた。

 この五年間、浮かび続けてきたのだろう。

 地上十メートルで静止する〈コフィン〉の直下へとセルヴェス小隊は到達した。

 周囲にワイヤーアンカーを固定できるものはない。眼前に〈コフィン〉はあった。数え切れないほどの離別を踏み越えて到達した悲願の場所で、しかし、シデンは進路を見失う。

 時が停滞したと錯覚するほどの静寂。無意識に旋回させた主砲のトリガーへと、指をかけることすらなかった。

(ここが終着点なのか。これより先に、進むことはできないのか)

 言葉にすることはなかったが、セルヴェス小隊の胸を占めたのは受け入れがたい諦観だった。彼等の翼は手折られた。天空に座す〈死の揺りかごコフィン〉へと、どうすれば至れるのか。

〈オルアデス〉を回頭させた。

《隊長……》

 僚機から通信/真意を問う声/あるいは戸惑い。

「誰か一人でも辿り着いたなら、我々はあの高みへと達する」

 シデンは主砲を旋回させた。直上へと。

「〈コフィン〉へと先駆けるのは、残念ながら我々ではない。だが、それに何の問題がある。我々が欲するものは武勇だの名誉だのといったまやかしではない。この大地に華々しき文明を取り戻す、形ある勝利のみだ」

 集音器の感度を最大へと上げた。

 前触れもなくレーダースクリーンへと割り込む影。耳の奥で反響する懐かしい音。

 圧縮された燃焼ガスによって推進する、甲高くも澄み渡った噴流音。

 蒼穹に形成される一条の雲は、あまりにも非現実的で、懐古的で、重戦車型を鎮めたときでさえ歓喜に溺れることのなかった精鋭達に咆哮をもたらした。



 イソロク・シマ准尉とエレナ・シュタットフェルトの技術の粋にして、フラットの恩寵ギフトを加えることで完成した共同作品は、空と途絶された人類を再び高みへと誘った。

『プリンセス・オブ・イーバに問います』

『……シャーレイと。今はみな、そう呼びます』

『プリンセス・オブ・イーバに問います。偵察型リコネサンスの担うチャフとフレアの効果、及び意図的な侵入による推進機構エンジンの破壊。僕らが空から離れた理由は、この二つにあります。しかし、合点がいかないのは〈イーバ〉は〈ポッド〉という名の飛空艇によって兵士を輸送している事実です』

 透過性の金属翅が陽光を拡散することで、偵察型の展開する都市は時として真っ赤に染め上げられる。〈イーバ〉の支配する空は、無数の偵察型によって成り立っていた。

『あまりにも濃密に展開された〈鋼鉄の蝶スティールバタフライ〉の群れ。しかしながら、〈鞘〉は悠々と空を飛んでいる。偵察型は〈鞘〉の進路を妨げないように随時動かされている? 否です。いくら〈イーバ〉のプロセッサーが優れているとしても、あの数の機体を同時運用することは非現実的です』

『私も同じ考えよ』

 エレナは口を挟み、フラット機のイベントデータレコーダーに残された〈鞘〉の映像を拡大する。

 有機質めいた〈鞘〉が捩れ、ホウセンカのように〈イーバ〉を排出するその瞬間——偵察型は認められなかった。解析をいくら重ねたところで、機影すら見つからない。

『偵察型の動きはパターン化されている。それがどれだけ複雑に組み上げられているのかは分からないけれど、あの空は決して〈蝶の犇めく花園フラワーガーデン〉ではない。周期的な空白地帯があり、それが〈鞘〉の進路となっている。違う?』

 コレクト/シャーレイの返答。

『やはり、あなた方は優秀です。偵察型が――というより〈イーバ〉が地球上の生物を模している理由の一端はそこにあります。ヒトは蝶に警戒を払わないし、あれほどまでに小さければ、遠方から索敵することも困難でしょう?』

『プリンセス・オブ・イーバに問います。偵察型の飛翔パタンを、知っていますか』

 分厚いレンズを隔てて剣呑な視線が覗く。あるいは渇望か。

 空へと回帰することを希求する男は、知らず知らずのうちに舌を打ち鳴らした。

『飛翔パターンは日々更新されます。ランダムに。あるいは新しいパターンで』予測は不可能だと言下に示し、一方で、シャーレイは『予測が必要ですか』と首を傾げた。

『あなた方には〈カナリア〉がいるではないですか。電子世界の声を聴く彼ならば、補足が困難とされる偵察型の動きさえも、易々と掴むのでは?』

『……でも、グリムはこれまで空白地帯のことなんて何も……』

『それは、聴こうとしてこなかっただけのことでしょう?』

 フラットの〈エンハンスメント〉がどこまで成長しているのか、エレナは知らない。

 だが、彼ならきっと聞き分けるだろう。根拠のない確信を胸に、エレナは顔を上げた。

『シマ准尉、超特急で設計を見直します』

『あぁ、シュタットフェルト博士に見劣りしない仕事をしないと……胃が痛むよ』

〈カナリア〉は必ずやさえずるだろう。その声を届けなければならない。



〈オルアデス〉の積載を終え、特殊作戦群第三特殊戦隊は出撃準備を整えた。自機の操縦席で最後の点検を進めるスガヤのもとへ、アリョーシャから通信が入る。

《アロー、アロー。〈フライング・カーペット〉はいつでも出発できる。中佐の合図を待つ》

《了解。グリムリーパーくん、我々を導く準備はできたかね》

死神グリムリーパーの導きとは、大将の冗談は笑えんな》

《サレマナウ翁、そうでもない。どんなものであれ、神が傍にいることが大切だ》

《君の神は臍を曲げないのかね》

《神は寛容で慈悲深い。僕の信仰心が揺らがないかぎり》

《それでは是非とも、揺らがせてもらわねばなるまい。我々が一人も欠けることなく〈コフィン〉へと辿り着いた暁には、ソウメイも多神教へと鞍替えすることになるだろう》

 交わされる軽口を聞き流し、フラットはエレナ謹製のチョーカー型の端末を首につけた。直後、脊髄へ延びるように極小の針が体内へと穿孔を始めたことを認識する。針は空洞となっており、脊髄へと目前まで迫ったところで停止し、培養細胞からなるニューロンを伸ばした。神経伝達物質が放出され、シナプス間隙を経て第三の経路が形成される。

 フラットの認識を〈フライング・カーペット〉へと拡張する伝達経路。

 アリョーシャの口笛が鳴り響いた。

《準備完了だ、中佐。死神に操縦を委ねるリーブ・ザ・マニューバー

 管制塔より通信——離陸許可テイクオフクリアランス。フラットの干渉開始。スロットルレバーを前に、ブレーキはまだ解除しない。エンジン計器を確認したアリョーシャが《スタビライズ》と叫んだ。

 レバーをTOGAポジションへ。ブレーキを開放リリース。〈フライング・カーペット〉が動き出す。加速/離陸推力へ到達。アリョーシャから再度のコール――《スラストセット》

 離陸決心速度ブイワンへ到達。滑走路をひた走る〈フライング・カーペット〉を眼下に、シマは微笑んだ。あぁ、この瞬間こそ、この五年間待ちわびたのだと心中で叫びながら。

 機首が上がる。間断はわずかだった。〈フライング・カーペット〉が地面から離れる。

《飛び立とう、諸君。我々の有用性は、まさにこの瞬間、結実する》



 一条の雲を後尾へと残しながら、〈フライング・カーペット〉は飛来した。降り注がれた陽光の一片さえも反射させないと意気込むような漆黒の機体。

 フラットの認識が火器管制レーダーFCRに介入する。照射。ロックオンされたと認識したのだろう、〈コフィン〉の外壁に変化があった。太陽光を反射させながら白壁がスライドする。黒々と切り取られた〈コフィン〉の内部からせり出したのは、要塞砲もかくやと言うべきの砲塔だった。第三特殊戦隊の面々に緊張が走ったことは言うまでもない。

 だが、彼等もまた、セルヴェス小隊と同様に冷静だった。

《ご親切に、的を示してくれた》

〈コフィン〉の砲塔が爆炎に包まれた。撃ち込まれたミサイルによって砲塔が弾け、続けざまに連鎖的な爆発が起こった。〈イーバ〉側の弾薬へと引火したのだろう。

《崩壊した壁から侵入する。各員、最接近と同時に立体機動に移れ》

〈フライング・カーペット〉が急上昇、旋回する。下部ハッチが開いた。白壁を舐めるように飛翔、続々とワイヤーアンカーが射出され、〈オルアデス〉が滑り出た。

アリョーシャに操縦を委ねるリーブ・ザ・マニューバー

 疑似神経回路を切断/フラットもワイヤーアンカーを射出する。訪れた浮遊感、すぐに衝撃。巻き取り開始、白壁を駆け上がる。黒煙を掻い潜ると、亀裂を見つけた。

 人類は遂に〈コフィン〉の内部へと到達した。

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