きみのなまえ
江山菰
○○○
私は、宇宙飛行士です。
太陽系から遠く離れた星系の人類未踏の小惑星を探査するという任務についていました。
そして宇宙服をつけて、クレーターだらけで荒涼とした固い地面の上にクルー数名と降り立ちました。
狭い宇宙船の中、変わり映えのしないメンバーの顔とモニターに向き合っていると、こんな世界でも天国に思えます。
私は本当は人が嫌いでした。
人と四六時中顔を突き合わせているのは本当に苦痛でした。
でもそれを隠し通して、厳しい訓練を経てやっとこの職を得、この任務につくことが出来たのです。
文句は言えません。
周囲に気取られてもいけません。
私は国の名誉と、私の家族の誇りを背負って、ここに来たのですから。
だけどやはり、我慢にも限界があるのです。
個人行動は厳に慎まなければならないのですが、私は作業用パートナーや調査機器を積んだバギーから離れ、近くの恒星が微弱に照らす中、荒れた岩盤の上を歩いていました。
300mほど離れたところで、私は奇妙なものを見つけました。
子ども用のプールほどの小さなクレーターのふちに凭せ掛けるように、なぜかクマのぬいぐるみに酷似した明るい茶色のもじゃもじゃのものがちょこんと置いてあるのです。
不思議なことに、体温もなく呼吸も脈動などもなく、でも生きている感じがします。
地球から離れて、ホームシックや人嫌いやらで自分がおかしくなったのかと思いました。
つぶらな目をしたそれに手を伸ばして触れようとした途端、はっきりした声が頭の中に聞こえました。
とても可愛らしい声でした。
「ぼくのなまえは○○○。きみたちのいう『いきもの』ではないけど、『いきもの』でなくもない」
驚きました。
このくまのようなものが、鼓膜を介さず直接脳に話しかけてきたのですから。
「いのちもないし、こころもないよ」
私は呆気にとられてしばらく口が利けませんでした。
「ここにずっといる。むかしから、これからも」
この生き物だかそうでないのか微妙なものはそう言ったきり無言になりました。動いたりなどはできないようです。
生物と無生物の区別は、地球上の物差しを当てはめて人間が作ったものです。
だから広いこの宇宙で、人間が作った基準では無生物というくくりに入ってしまうのに確かに生きているというものがいても、全く不自然なことではないのです。
私は辺りを見回しました。
周囲の状況から、計り知れないほどの年月を独りここで経てきたようでした。
他に誰もいない星で、この一点に座って。
「私は、地球というところから来たんだ。ここに何かいいものがないかなって探しに」
一応話しかけてみましたが、もう無反応でした。
私のことを知りたいわけではなく、ただ自分のことを話したかっただけなのかもしれません。
これを一緒に探査している同僚たちに見せると、情緒もくそもなく
「捕獲!! 標本採取!!」
となりそうな気がしました。
それは、○○○に対するのみならず、宇宙の秩序や、自分の中にある倫理の冒涜に思われました。
私はこの不思議なものとちょっと握手して、結構な重量感があることに驚きながら
「会えてうれしいけど、もう行くよ。元気でね」
と言ってそばを離れ、探査作業へ戻りました。
幸い○○○は誰にも見つからず、作業はさくさくと進んで私たちは2時間の滞在の後、地球への帰還の途につきました。
その星を離れるとき、モニターで外を眺めながら
「ああ、○○○は一人であの星にい続けるんだな。私が死んだ後もずっと」
と思うと何だかひどく寂しくなりました。
きっと○○○は寂しいという感情も何もないのでしょうが。
****************************
そして、私は何ごともなく地球へ帰り、3年ほど宇宙飛行士を続けたあと地上勤務となって今も宇宙を眺めつづけています。
あのとき、○○○に当てはまる言葉は、はっきり聞こえました。
この夢を見てから10年以上たった今でもその名前を覚えています。
しかし誰にも教えるべきではない気がするのです。
今でも私は、夜空を見上げるたびに
「○○○がいる星は、本当にあるのかもしれない」
と思います。
<了>
きみのなまえ 江山菰 @ladyfrankincense
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