傾聴ロボット

山南こはる

第1話

「……お父さま」

 声がした。その柔らかで甘い声が“娘”のものだと認識するまでに、睡眠状態にある私の脳には数秒の時間が必要だった。

「お父さま、起きて下さいまし」

 彼女はそう言って、小さな手で私のことを揺り動かした。ちょうど人間の七歳児の平均と同じ大きさの手は、血の通った温もりを模倣し、私の意識を覚醒の域へと引きずり上げる。


「お父さま、お目覚めになりましたか?」

 薄曇りの空が天窓から見えた。この辺りは年中曇っており、晴れる日は月に数日しかない。

「あ、ああ……」

 湿度は高く、それでいて風がない。四季はあやふやだというのに、冬だけはきちんと寒い。外界に鮮やかな緑はなく、ただひたすらに枯れた様な色の草原が広がるだけだ。

「お父さま、お食事は召し上がりますか?」

 時計を見た。九時五十五分。朝食にしては遅いが、昼食には早すぎる。

 私をのぞき込む“娘”の視線。大きな濃い灰色の目がパチリと瞬きした。私は彼女の親切な提案を受け入れて、

「頼む。軽めのものでいい」

「紅茶とコーヒー、どちらになさいますか?」

「コーヒーで」

「分かりました、お父さま」

 “娘”はそう言って踵を返した。書斎と地続きのキッチンは片付いている。私が綺麗にしたのではない。それも全て、彼女の功績だ。

 彼女は手際よく料理をする。卵を掻き混ぜ、ベーコンを焼き、パンをトーストする。ほとんど空っぽの冷蔵庫を開け閉めし、パタパタとキッチンの中を往来しているのを見て、私は軽くため息を吐いた。

「お父さま、牛乳がもうありません。それと、卵も残り二つです」

「注文しておくよ」

 一番近くの町にも、馬で半日掛かる。電話で頼めば、食料品店の親切な店員が車でやって来て、新鮮な食品をごっそりと持って来てくれるのだ。私達の生活は、ほとんどその親切な店員である彼に懸かっているといっても過言ではない。

 私の“娘”、カーパスは、頼りない歩調で木製のトレイを持って歩く。トースト、ベーコンエッグ、昨日の残り物の豆のシチュー。水面を見れば分かる、コーヒーはきっと泥の様な味がするだろう。

「どうぞ、お父さま」

 カーパスは私を招き、向かい側の椅子に腰掛ける。今はもういない娘のミリアムが使っていた食器を、彼女は今日も申し訳なさそうに使う。

「パンには何を塗られますか?」

「マーマレードをもらおうか」

「コーヒーにお砂糖は入れますか?」

「じゃあ、もらおうか」

 他の“カーパス”なら、私が答えなくても、的確な対応をしただろう。彼女にそれができないのは、ひとえに私の行動パターンが一定化されておらず、予測が困難だからに他ならない。私はあえて答えを一元化していないのだ。まるで彼女を試すように。そして何より彼女を“カーパス”ではなく“娘”として扱うために。

 カーパスは私の向かい側で、豆のシチューをスプーンですくって口に入れた。

 カーパスシリーズの最新作。そのプロトタイプである彼女は、人間と同じ様に飲食をすることが可能であり、排せつ機能も備えている。

 量産型はまだ、製造ラインには乗っていない。多分、これからも乗る事はないだろう。彼女こそが最新であり、最後のカーパスシリーズなのだ。




 ストレプトカーパス。

 これが彼女の正式名称だ。

 二十年前、医療機器メーカーであるフォレストハート社が発売した“傾聴ロボット”だ。 “ささやきに耳を傾けて”という花言葉を持つ、紫色の可憐な花。その名を冠したシリーズは最初、幼い少女の姿で発売された。

 デフォルト名は“カーパス”だが、それは所有者が好きに決定できる。好みにできるのはそれだけではない。顔の造形、身長やスタイル。機械のボディを覆う皮膚の色や、カメラを搭載した義眼の色、あるいは声。そして何より、AIの人格までもを、自由にカスタムできる。

 私はフォレストハート社と提携し、カーパスシリーズを開発してきた。実際、カーパスは私のアイディアであり、生みの親であった。

 最初、カーパスは医療用ロボットだった。医療、福祉現場で、子供や高齢者、障害者の話に耳を傾ける、話し相手のAI搭載ロボットとして開発されたのだ。話し掛けやすい様に、見た目は七歳の少女をモデルとした。人の顔を覚え、声を覚え、性格や思考を覚え。そしてある程度の回答や行動パターンを予測し、患者や子供達に愛のある対応をする。それがたとえ機械による疑似的なものだとしても、人材難とされる医療現場には、一定の需要はある。フォレストハート社はそう考え、傾聴ロボットに巨額の開発費用を投じた。

 名前の由来になったのは、私の妻だ。彼女は花が好きだった。私がこのロボットの開発について語ると、ネットで一枚の画像をダウンロードして見せてくれた。イワタバコ科の、紫色の花。花言葉は“ささやきに耳を傾けて”。忙しい医療現場の人々が拾い切れないささやきを、全て拾い集められるように。そんな願いを込めて、私はその少女のロボット達に“ストレプトカーパス”と名前を付けた。


 病院や老人ホームを中心に、カーパスは少しずつだがシェアを伸ばして行った。医療機関が導入しやすいように低価格路線を打ち出すと、意外な事に、食い付いてきたのは一般の購入者だった。

 これに目を付けたフォレストハート社の開発担当は、新たなコンセプトへと踏み切った。

 “あなたの友人を、家族を、恋人を。あなたの話を聞いてくれる、傾聴ロボット”。そう大々的に広告されてから、カーパスシリーズは順調な売れ行きを示した。

 最初のシリーズは七歳の女の子をモデルとした、決まった顔の量産型しかなかった。私たち開発チームは日々努力を重ね、次のシリーズからはカスタム要素を取り入れた。まずは性別と年齢、そして身長。年齢は五歳刻み、身長は十センチ刻みで用意したが、若い男女のボディを中心に、爆発的にヒット、品薄状態が続いた。

 シリーズが進むにつれて、カスタムメイドの要素はいよいよ色濃くなった。顔の造形、機械の体を覆う人工の皮膚の色。モデルとなる人間の写真を持ち込めば、それに酷似した顔にカスタムできるようになったのもその頃だ。最も値段は跳ね上がったが、それでも常に需要過多で、造形技師達は常に過剰労働を強いられた。

 頭髪と眼球の色、疑似声帯から発せられる声。ありとあらゆる外見が、所有者の好みによって、カスタム可能になった。

 だがフォレストハート社の企業努力はそれだけに終わらなかった。外見だけではなく、中のAIもまた、所有者の好みや行動パターンを解析し、それに沿う人格を形成するようにアップグレードした。

 フォレストハート社はそういった情報を常に収集し、より所有者の意に適合したAIを開発した。データによると、所有者の大部分が、自分を肯定してくれる、優しい性格のAIを好んだ。

 所有者の自己を否定しない、全てを受け入れてくれる設定の人格。それは時に友人であったり家族であったり、恋人だったりした。だが男性ユーザーには女性型のカーパスが、反対に女性ユーザーには男性型のカーパスがより多く売れている事から、所有者達がカーパスを疑似的な恋人や配偶者として購入していたという事は、誰の目にも明らかである。

 カーパスが社会に認知されると同時に、彼ら彼女らの服を売る店が台頭した。人間が着ているような服ではなく、より可愛らしく、よりコスプレチックでフィクションめいたデザインの衣類が、店頭に数多く並んだ。そんな衣装で着飾り、造形をより自分好みにカスタムしたカーパスを連れ歩く事が、若者を中心に、人々のステータスとなった。多くの人々が、親馬鹿ならぬカーパス馬鹿になっていった。


 そうやってカーパスは飛ぶように売れ、最新型シリーズの予約は秒単位で完売し、旧型シリーズも品薄状態が続いた。中には複数のカーパスを所有する人間も、少なくなかった。

 カーパスの恩恵はもちろん、開発元であるフォレストハート社にももたらされた。私の所にも、多額の報酬が入った。私自身、金やものに執着する気はさらさらないが、それでも家族を養っていかなければならない。

 妻と娘のミリアム、三人の穏やかな生活。閑静な住宅街の一戸建て。周囲の家庭のほとんどが、家政婦用にカスタムされたカーパスがいたが、我々の家にはいなかった。料理と家事、そして庭いじりが好きな妻がいるから、必要性がなかったのだ。妻の管理する花壇にはいつだって、私達に豊かな生活を与えた、紫色のイワタバコ科の花が咲いていた。


 より所有者の意に沿った人格を。より所有者を愛するための優しさを。私を含めたフォレストハート社の開発メンバーは、そうやって日々、人々の愛すべき偶像を、加速的に進化させていった。




 ストレプトカーパスシリーズは絶頂期にあった。だが高みにいるからこそ、その転落劇は激しいものだったのも、否定できない。

 ある年、国が発表した調査内容は、フォレストハート社に大打撃を与えた。ここ数年で、婚姻率と出生率が、著しく低下したのだ。政府は原因について言及しなかったが、あらゆるマスメディアがカーパスシリーズを叩いた。

 自分好みの親や子供、恋人となってくれ、疑似家族を形成するカーパス。所有者の耳に痛いことを言わない、どこまでも優しい傾聴ロボット。人々は、愛すべき他人よりも、カーパスの方を選んだのだ。人々は自分の手で、他の人間と繋がることを、止めてしまった。

 気の合わない友人、問題を起こす子供、理解のない親。時に冷たい感情を持つ生身の人間よりも、人々はカーパスと共にいる事を望んだ。全てを肯定してくれる友人、子供、親、恋人。自分自身のコピーのような偶像を、もう人々は手放す事ができなかった。


 政府やマスメディアが、どれだけカーパスが危険なものだと喧伝しても、それでも売り上げは止まることなく、増加の一途をたどった。

 カーパスはありとあらゆるところで活躍した。人と同じだけの、いいや、それ以上の能力を有する彼らは、人間社会の労働パイを奪い始める。有能なロボット達は、賃金もなしに、文句も言わずに働く。カーパス達は人間の仕事を奪い、結果、街には失業者があふれ返った。


 そして、合計特殊出生率が1.0を割った年、政府はついに、カーパスシリーズの販売停止、並びに新規の開発の永久凍結の措置を命じた。

 最大の目玉商品であるカーパスシリーズを失ったフォレストハート社は経営が傾き、やがて倒産した。カーパスには希少価値が付き、生活の為に愛する偶像を売る人間もいれば、売買する為にカーパスを誘拐する犯罪者も現れた。国は大混乱に陥った。

 私達一家は責任追及の手を逃れる為に、それまでの暮らしを捨ててこの地へやってきた。閑静な住宅街の穏やかな暮らしとは一変した、荒野の質素な生活。心労ですっかり老け込んだ妻と、十代半ばになっていたミリアム。

 そしてもう一人、家族がいた。私が自宅で個人的に開発を進めていた、カーパスシリーズの最新作。開発途中の彼女を含めた家族四人、わびしく静かな生活が始まった。




 ほどなくして、妻は病に倒れて死んだ。ミリアムもバイクを乗り回し、夜な夜な街へと出掛けては、男と遊び呆けた。やがて、彼女も家を出て行った。

 男の車が外に乗り付けられ、家に入ってきたミリアム。彼女のお腹が少しだけふっくらしているように見えたのは、もしかしたら私の勘違いかも知れない。

「お父さん、私、もう出て行くから」

 予測は着いていた。数週間前から、彼女は身辺を整理し、必要なものはどこかへと運んだようだった。私はそれを止めなかったし、もう止める気力もなかった。

「お姉さま、お茶をどうぞ」

 カーパスがティーカップの乗ったお盆を手に、ミリアムに上がるよう勧める。だがミリアムは右手でカーパスの頭を激しく殴打した。

「カーパス!!」

 私は叫んだ。倒れるカーパス。投げ出されたお盆、ティーカップが叩き割れる、甲高く澄んだ音。ミリアムは右手を押さえ、不潔なものでも触ったかのように、その表情は不快に凍り付いている。

 ミリアムは時々、こうやってカーパスに当たり散らした。ミリアムにとって、彼女は家族でも何でもない。父の発明したロボットに過ぎないのだ。

 娘がカーパスに暴力を振るう。その都度私はミリアムではなく、カーパスの方を庇護し、可愛がった。彼女のボディを覆う人工皮膚が怪我をしていれば、新たな皮膚を培養して移植する。関節の可動域を確かめ、必要があれば何度でも修理を行った。その間ミリアムがいつも寂しそうな、悔しそうな顔をしていたのを、私はつい最近まで知らなかった。

 私はカーパスを助け起こす。彼女が繊細な皮膚をティーカップの破片で切らないように気を付けながら、小さな体を抱き起す。

 それを見てミリアムは、ますます憎悪の表情を険しくする。

 彼女は言った。

「しょせん、ロボットじゃないのよ」

「ミリアム……」

 違う。そう声を張り上げたかった。この子はただのロボットではない、と。だが彼女は、私に言葉を挟む余地を与えない。

「愛玩用のロボットを可愛がって、それで満足して……。他人と傷付け合う事を怖がって、人と繋がる事もできなくなって……。お父さん、あなたそれでいいの?」

 ミリアムはそう言って、ふと顔を背けた。いつの間にか大人になっていた娘は、愛玩用ロボットのカーパスが決して浮かべられないような、ひどく人間じみた表情をしている。

「私は……」

 自己弁解をしようとした私の言葉を、彼女は聞かない。そして一言、

「そんなの、ただの気持ちの悪い自慰と一緒じゃないの」

そう吐き捨てて、彼女は大股で踵を返す。叩き付けるように扉を閉めて、家を出て行く。あれから今日まで、彼女がこの家に帰ってきた事は、一度もない。

 あの時も今も、私はミリアムに返す言葉を持たなかった。彼女の言う通りだと思った。私は他のカーパス所有者と同じだ。自己憐憫に浸り、自分を否定しない優しき偶像を求める。人間種族という、他人の心を傷付ける事ができるものに生まれた事を嘆きながら、それでも死ぬ事はできなくて、ただひたすらに、気持ちの悪い自慰行為を止めることができないでいる。

 今までずっと、私だけは違うと思っていた。カーパスを生み出した私だけは、カーパス達の本質を見失っていない。あの子達は医療用ロボットであり、本当に愛するべきは血肉の通った家族であるべきだと、そう信じていた。

 だがそれも間違っていた。私にとって最早、血を分けても思い通りにならない人間の娘よりも、長い間、自分が開発してきた、従順なロボットの娘の方が、ずっと愛おしかった。

 私もまた長い年月を掛けて、カーパスがなくては生きていけない、人間のカスに成り下がってしまったようだ。




 食後、とめどない事をぐるぐる考えていた私は気分が悪くなり、長椅子の上に横になった。食器を片付けた後、カーパスは心配そうに、こちらをのぞき込んでくる。

「お父さま、どうなさいました?」

 そう言ってくれるカーパスの頭を、私はそっと撫でた。柔らかな髪の毛、幼い少女の頭蓋骨。この中に機械でできた脳回路が入っているだなんて、開発した私ですら、もう信じられない。

「……ああ、大丈夫だよ。大丈夫だ」

 人間と見分けの付かない表情。ミリアムがいなくなった今となっては、ただ一人の愛する娘。


「カーパス」

「はい?」

「私の話を、聴いてくれるか?」

「はい」

 カーパスは微笑んで頷き、私の取り留めもない泡沫のような話に、耳を傾ける。




 お父さま。どうか、あなたの話を聞かせてください。

 私は傾聴ロボット、ストレプトカーパス。

 この私に、あなたの思いを、聞かせてください。

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傾聴ロボット 山南こはる @kuonkazami

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