第5話『離別編』

 時は、戦国時代の日本。

 甲斐の武田信玄は、信濃を平定せんとして越後の上杉謙信と対立を深めていた。

 そのもっとも大規模なぶつかり合いが、世にいう 『川中島の戦い』 である。

 この合戦は一度では決着が付かず、長引く気配を見せていた。

 そして永禄4年(1561年)、両軍とも最大の戦死者を出したと言われる『第四次川中島の戦い』の火蓋が、ついに切って落とされることとなった——。



 死体、死体。

 どこまで行っても、死体。

 首のないのや片腕のないの、矢が目に刺さっているのや臓器が引きずり出されいるもの。

 通常の神経の持ち主なら、正視に耐えない光景である。

 合戦という異常な環境に身を置いたことのある者でなければ、たちどころに胃の中のものを全部吐いて、数日は食事がまともに喉を通らないだろう。

 この合戦で、武田軍・上杉軍合わせて6千名の死者が出た。

 名のある将兵クラスなら、分かる範囲で死体も回収するだろうが、雑兵(足軽)なぞ、丁寧に回収して葬ったりするつもりなどさらさらないようだ。ゆえに、そのまま放りっぱなしである。



 死体ばかりで埋め尽くされた大地に、動く影があった。

 死者の中で、たった一人だけ生者がいる。

 少年だ。

 年のころは、まだ10歳を過ぎたくらいであろうか。

 彼は死体には慣れているのだろう。どんなにひどい死体を見ても、眉ひとつ動かさない。

 それどころか、一体一体を実に冷静に見極めているのだ。

「……こいつはまだ使えそうだ」

 ある死体の前でそうつぶやいた少年は、かがみこんで実に慣れた手つきで、死体から鎧を剥ぎ取っていく。

 そう、彼は戦(いくさ)の終わった土地に入り込み、使えそうな槍や刀を拾ったり、鎧を死体から剥がして闇ルートで売りさばくことによって、生活の糧を得ているのである。

 普通に親のいる子どもなら、そんなことをさせるはずがない。

 この少年もまた、戦争の犠牲者だった。

 先の戦、『塩尻峠の戦い』で彼の父は戦死。

 母も姉も、敵兵に輪姦された後に殺され、家も略奪のあと焼かれた。

 少年は、生き抜くために死体と共に生きる道を選んだ。

 どんなに残酷なものを見ても、平気な感性を持った少年が誕生した。



 この稼業は、スピードが命である。

 早くにしないと、特に夏場などは死体の腐敗が早い。

 虫が湧くのは、別に平気だ。気持悪いのを我慢すればそれでいいから。

 ただ、肉が腐ってくると鎧を脱がす作業がやりずらい。

 臭いがきつければ買い手も露骨に嫌な顔をするし、苦労の割には二束三文の値段で買い叩かれてしまう。

 一番やっかいなのが猛禽類などの鳥と、野犬や狼の類だ。

 商品である鎧までかじってしまう上に、下手をすればこちらの身も危ない。



 少年の元に、一羽の鳥が舞い降りた。

「……何だ、こいつは」

 見たこともない鳥だった。

 初めて見る種類だ、という次元ではない。

 まず、発光しているのだ。

 体中から、無数の光の粒子を発散させているのだ。

 少年の限られた語彙の中であえて表現を試みるならば——

 それはまるで、『神様』だった。

 さらに驚いたことに、その鳥は人の言葉をしゃべった。



 少年よ お前はこの状況の中で平気なのですか



「ああ。別に、何とも思わないね」

 死体から鎧を剥ぐ手を休めずに、少年は平然と返答する。

 普通なら、肝を潰して逃げ去ってもおかしくない状況だが、一番大事なもの・つまり家族を最悪の形で失った少年には、もうこれ以上に恐れるべきことなど、どこにもあるわけがないのだ。

「ところで、あんたは?」

 神秘の鳥は、長い首を曲げて少年を見下ろした。



 私の名は 永遠

 初めからある者 終りまである者 いつでもいる者 どこにでも遍在する者

 そして人の生死を見届ける者——



「要は、カミサマみたいなもんか。じゃあ聞くが、何でおいらから親と姉ちゃんを奪った? 何でこんな戦乱の世をそのままにしておくんだ?」

 恐らく、その質問は人間から聞かれ慣れているのだろう。鳥は、フッと笑みを浮かべて寂しそうに目を伏せた。



 それは 説明してやれません お前たちが 自分で考えなさい 

 ヒントは、世界中に溢れています 神に丸投げするのは感心しません

 今のこの世界は お前たち人間が意志による選択の果てに 自ら望んで作り上げたのではありませんか それとも より高次な存在に何とかしてもらわないと自分たちは平和のひとつさえ作り出せないのですか

 それでは、お前たちは動物や虫以下です



「……まぁ、おいらには難しいことは分からないや」

 やっと、死体からひとつの鎧を剥がすことに成功した。

 腐敗臭もほとんどしみついておらず、なかなかの上物である。

 これなら、少しは高く売れるだろう。


 

 少年よ 名は何といいますか



「へぇ。一応聞くんだ。すべてお見通しなのかと思ったけどね!」

 久しぶりに笑った少年は、機嫌よく答えた。

「政吉(まさきち)っていうんだ。よろしくな」



 その日から、神秘の鳥は時々政吉の元に現れた。

 政吉と色々と会話をしては、帰っていく。

 ある時、政吉は鳥にこう尋ねた。

「あんたみたいなのは、世界中飛び回って忙しいんじゃないのか? 神様が、おいらみたいな者としゃべるのに時間を割いててもいいのか?」

 鳥は、羽の毛づくろいをしながら落ち着いた声で答える。



 ご心配なく 私には永遠の時間があるのです——



「……そっか。それはそれで、何だか退屈そうだな」

 少年の素直な感想に、鳥は少し笑った。




 そんな、ある日のこと。

「……い、生きてやがる」

 こんなことは、初めてだった。

 いつものように、戦場跡で死体を物色していると——

 動いた。

 完全に、死んではいない。

 政吉は、頭が真っ白になった。こんなケースは、初めてだ。

「これはどうしたもんか——」

 思考とは裏腹に、少年は反射的に体を引きずっていた。

 そして、近くで見つけた廃屋の中に負傷兵を担ぎ込んだ。



 たまたま状態の良い槍と弓も売りさばけたので、政吉の懐には若干の余裕があった。

 そこで、政吉は町に下って薬草を仕入れた。

 一日半もすれば、兵士は上半身を起して食事ができるようになった。

「ありがとよ、坊主」

 助けられた兵は政吉に感謝し、自らのことを多く語った。

「……そうか。あんた、上杉の軍のお人やったんか」

「そうだ。まさか敵地の武田領で助けてもらえるとは思わなかったぞ」

 彼の名は、長井小次郎時則。

「ま、長いから短く小次郎、と呼んでくれ」

「そんな、お武家はんにそんな失礼な——」

 少し元気の戻ってきた小次郎は、ガハハと笑った。



 その日から、政吉はけが人の小次郎を養った。

 余分に働いて、必ず二人分の食料を手に入れてきた。

 効く薬があると聞けば、わざわざ出かけて行って買い求めた。

 生活は決して楽ではなかったが、政吉は何だか訳もなく楽しかった。

 それは、両親と姉を惨殺されてから初めて味わう、喜びの感情であった。

 神秘の鳥は、時々やってきては仲睦まじい二人の様子を、目を細めて見守っていた。

 どうも、鳥の姿は政吉にしか見えないようで、いくら小次郎にあそこにいるじゃないか、と指さしてもいっこうに分からないようだった。



 今日も、楽しい夕べになるはずだった。



 今日は珍しく魚が手に入った。塩をまぶして焼けば、さぞうまかろう。



 小次郎の喜ぶ顔が、目に見えるようだ。

「ただいまぁ!」

 家の引き戸をガラッと開けると——

 いつものように、小次郎は床に横になっていた。それ自体は、不思議でも何でもないのだが、たったひとつだけいつもと決定的に違うところがあった。

 小次郎の首から上が、なかった。



「うわああああああああああああ」

 魚も米も放り出して、政吉は外に飛び出した。

 駆ける。

 石につまづいても、木の枝が腕を引っ掻いても、お構いなしに。

 そのうち、向こうから来る人の群れに気づき、政吉は草の茂みに身を隠した。

「……おい、こっちにはいたか?」

 どうも、それは10人ほどの武田信玄の兵だ。

「いや。しかし、さっきは驚いたな、上杉の兵の生き残りがかくまわれていたとはな。何としても、かくまっていた人間を探し当てなければな。武田領に住んでいながら敵を助けるやつなど、生かしちゃおけん」

 幸い、兵たちは政吉には気付くことなく去っていった。



 政吉は、動けなかった。

 しゃがみこんだまま、ガタガタと震え続けた。

 首のない小次郎の死体の様を思い出した政吉は、嘔吐した。

 胃液がせり上がってきて、きつい酸が喉を焼く。何度も何度も、ポンプのように胃の中のものを全部地面にぶちまけた。

 あれだけ、どんな死体を見ても平気だった政吉が、である。



 ……政吉



 あの神秘の鳥が、夕闇を背に光り輝く全身を空に現した。

 フラフラと歩く政吉の眼前に、無数の兵の死骸が現れた。

 また、合戦が行われたのであろう。

 もう、政吉は以前の政吉ではなかった。

 彼はガックリと地面に膝を尽き、赤い月に向かって吼えるように泣いた。



 分かってくれましたか

 お前は 小次郎一人亡くなっただけで それだけ泣いた

 生理的に受け付けず 吐いた

 なぜですか

 あれほど どんな死体を見ても平気だったお前が?

 それは 愛したからです

 心通わせたからこそ その死が痛ましかったのです

 お前がこれまで鎧を剥いできた兵は お前とは関係がなかった

 相手の生活がまったく見えてこなかった

 だが 小次郎は違った



 私は すべての人間を知っています

 そして 愛しています

 お前には分かりますか 私の悲しみが

 ここに転がっているすべての者たちは 私が失ったのです

 たったひとり心の友を失って お前がそれほど悲しむとすれば

 私の苦痛がどれほどのものか お前に分かりますか!



 どっと流れ込んできた。

 多分、これは鳥の感じている内的世界そのものだろう。

 少年が受け止めるには、強烈過ぎた。



 死、死、死、死

 愛、愛、愛、愛

 悲しみ悲しみ悲しみ悲しみ悲しみ

 あの人もこの人もその人もどの人もみんなみんな皆

 泣いている泣いている悲しんでいる悲しんでいる

 もういないもういないもういないもういなもういない

 幸せはどこに幸せはどこに幸せはどこに幸せはどこに

 もう笑わないもう笑わないもう触れないもう走れないもう抱けない

 イヤだイヤだイヤだイヤだ

 どうやったら救えるどうやったら救える

 どうやったら救えるどうやったら救える

 どうやったらまた笑ってもらえる

 どうやったらまたこの手で抱きしめられる

 失いたくない



 無数の死体の前で、政吉は泣き続ける。

 どれもに、両親があって愛する者がいてそれぞれの人生があって——。

 悔しかったろうなぁ 寂しいだろうなぁ

 無念だろうなぁ

 吐くものが何もなくなっても、政吉は胃液をも吐き続けた。

 政吉はもう、以前の政吉ではない。

 


 ……これで お別れです



 神秘の鳥は、泣きやまない政吉を静かに見つめる。

 翼を一振りすると、その黄金の巨体は一瞬で夜空高く舞い上がる。


 

 ……私からお前に教えることは もう何もありません

 達者で暮らしなさい——



 それが、鳥の最後の言葉だった。

 そして、鳥は二度と政吉の前に現れることはなかった。




 8年後。

 戦国の世は、風雲急を告げていた。

 勢いのあった織田信長が本能寺の変で最後を遂げ、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が明智光秀を破り、天下を平定せんと戦(いくさ)の限りを尽くしていた。

 そんな中。

 ある僧が寺を建立し、合戦の戦死者の死体を集めては、手厚く葬っていた。

 この活動は庶民の心を打ち、多くの信者・賛同者がこれに協力したという。

 もちろん、この僧は成人した政吉であった。彼が、縁もゆかりもないはずの戦死者の墓前で心から悲しんで泣き叫ぶ姿は、見ている者の心を揺さぶった。

 今日も、名もない戦死者の墓に政吉の読経が捧げられる。



 仏説摩訶般若波羅蜜多心経

 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時

 照見五蘊皆空、度一切苦厄

 舎利子 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色——



 朗々と響く政吉の声のはるか頭上。

 あの神秘の鳥が、舞っていた。

 慈しむような眼差しを地上に投げかけて、数回旋回した後——

 また、遠くへ飛び去って行った。

 その軌跡は、虹色の帯となって天空に残った。

 鳥は、次に出会うべき魂をさがしているのだろう。



 きっと。


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不死鳥 ~The Phoenix~ 賢者テラ @eyeofgod

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