第36話 似た者兄妹
「はぁ……はぁ……」
頬から流れ出た血を乱暴に拭い、口いっぱいに広がった血の味に不快感を覚えながら、私は床に散らばったガラスや鏡の破片に風を纏わせ浮遊させる。魔力は沢山余っているのに使える魔法が制限されていることが、とてつもない程にイライラする。いっそ校舎のことなんて全く考えずに上級魔法をぶっ放してやろうか! と何度も思ったくらい。
その度に周囲の状況を見て、ダメダメと衝動を抑えたけど。
私が戦っているのは校舎の一フロアの半分程という狭いエリア。他の階や外が使えればもっと派手で楽に戦うことができるんだけど、それをすると外にいる傀儡の生徒に死人が出るかもしれないし、校舎が崩れて生き埋めに、なんてことが容易に起こる。
ただ、私がいる教室も窓ガラスが粉砕され、壁と天井は崩壊寸前という無残な有様。これ、修復するの大変そうだなぁ……私は一切責任取らないけど。
「壊したの、ほとんどあいつだし」
眼前にいる──正確には私が仕掛けた魔力の糸で拘束されている
いやぁ、大変だった。必死に攻撃を躱して、合間に攻撃を仕掛け、他の階に移動しないように誘導しながら魔力の糸をそこら中に張り巡らせるのは中々骨の折れる作業だったよ。でも、そのおかげで私を追いかけている間に奴の身体に糸が絡まり、気が付いた時には既に遅い、って感じにできたからね。
「さて……」
私は周囲に浮かせたガラスや鏡の破片を怪物に向けて投擲。肌の表面を浅く切り裂く程度の傷をつけた後、それらは床や天井、壁とあらゆる箇所に突き刺さった。
どのみち再生するし、本気で投擲しても意味がない。だから、おまけで傷をつけるくらいに留めておく。
これで準備はできたし。
「ォォォォォオオ……」
呼吸の音なのか、低い声にも聞こえるような振動を響かせた怪物はもがきながら私を見る。そんなことしても無駄って言ってるのに……もしかして、最後の悪あがき?
もしくは助けてくださいっていうメッセージ?
どちらにせよ、逃がす気はないし、ここで死んでもらうけど。
「ただ……どうやって心臓を砕こう」
依然といて、露出していた心臓部分には石の壁が構築されたままだ。このまま近づいて砕くのもいいんだけど、万が一がある。特にさっきから振り回しているあの舌は脅威。巨大な壁の破片を持ち上げるような力もあるし、私の首なんて平気で折ってしまうだろう。安全に倒すためには、遠くから心臓を砕く必要がある……あぁ、もう! こういう時にお兄ちゃんがいれば、一撃で仕留めてくれるのに!!
内心で文句を垂れつつも、私は指を怪物へと向けた。
精度は無い、威力も遠く及ばない。だけど、やるしかない。お兄ちゃんの変態的で人間離れした狙撃の真似事をするしかない。時間も迫っているし、覚悟はさっさと──と、その時。
怪物が身体を拘束していた糸を強引に引き千切った。
「!?」
驚愕し、私は大慌てで指先から光の矢を射出した。が、信じられない速度でそれを回避した怪物は壁を伝って私の元へと接近してくる。
チッ!! さっきから舌を振り回していたのはそういうことか!
ちらり、と引き千切られた糸を見て理解する。千切られた部分には、あの怪物の唾液が付着していた。奴の唾液には物体を溶かす作用があり、それを利用して糸の強度を下げたということ。殴ることしか脳がないと思っていたけれど……意外と頭脳派みたい。自分の能力を完璧に理解している。
肉薄と同時に振るわれた腕を、私は膝を折って回避。動くと骨折した部分に激痛が走るが、そんなことに構っている暇はない。痛みに構ってなんかいたら、死ぬ。
回避直後に後方に跳躍し、転がっていた木箱を蹴り上げて怪物の視界を覆う。その一瞬を利用し、私は紫色の雷を怪物に向かって射出。が、直撃寸前で腕を振るわれ、雷は鏡の破片が散らばる床へ。
雷を防いだ怪物は再び私の元へと突進し、私の首を掴もうと腕を伸ばす。身体を捻ってそれを回避し、離れ際に短剣で手首の腱を切断。
しかし──。
「う──ッ!!」
伸ばされたもう一本の腕に捕まり、私は首を掴まれた状態で壁に強く押し当てられた。魔法で身体の強度を上げているとはいえ、呼吸がしづらい。このままじゃ……首が折られる。
と、思ったのだけど、怪物は私をジッと見つめたままいつまでも首を折らずに姿勢を維持している。その間に、切断した腱が再生したらしく、何度も掌を開閉していた。
怪物は自分の勝ちを確信したのか、ニヤリと大きく裂けた口を歪ませる。
目の前で見ると本当に醜い姿をしていると思うよ。色々な魔獣をぐちゃぐちゃに合成したみたい。これを見て不快に思わない人はいないだろうなぁ。
なんて、今にも殺されそうな状況で考えることじゃないかな。あぁ、でも、別にいいか。怪物が勝ちを確信しているのと同じように、私も価値を確信しているから。
「──ォォォアアアアッ!!!」
勝利の雄叫び。
空間を震わす声を上げ、拳を力強く私に向かって振り下ろす。こいつの力なら、私の頭蓋はシチューみたいになっちゃうだろうね。
ただ……そんな例えに意味はないけれど。
私が口元を歪めた瞬間──怪物の腕が床に落ちた。断面からゴポッ、と血を流す腕に視線を向け、怪物は何が起きたのかわからない、と困惑の様子。
前言撤回。やっぱり、殴ることしか頭にない奴だったよ、こいつは。
内心でほくそ微笑みながら、指を鳴らした。途端、怪物の背後で幾つもの光が煌めいた。
「最初に撃った光の矢も、後で撃った雷も、不発なんかじゃない。わからなかったでしょ? どうして私が沢山のガラスや鏡を砕いて、床や壁に散らしておいたのかを」
「──」
「残念だけど、私はお兄ちゃんみたいな狙撃はできない。一つのガラス片だけで一ミーラの狭い箇所を狙い撃ちするような変態狙撃は。だから、私は何処にあたってもいいように、色んな所に破片を散らしたの」
最初に姿鏡を割り砕いたのも、移動した先で窓ガラスを砕いたのも、全部下準備。糸を引き千切られて、再び怪物が動き出した時のための。結果的に必要になったし、備えあればなんとやらだね。
「最初に撃った光の矢は終わり。だから、次は命を奪う雷の番だよ」
視界の端で弾ける紫の輝きを見て──言った。
「使うね、お兄ちゃん──死針雷」
小さくも高威力の紫電は怪物の背中を貫通し──胸にあった心臓を、壁の内側から破壊した。幾度も再生する壁を無視して心臓を破壊するのならば、壁で覆われていない箇所を貫いてしまえばいい。ガラスや鏡の破片が貫いているから、雷が身体を貫通する程度の強度しか持ち合わせてないことは確認済み。
心臓を破壊された怪物は大きく身体を震わせた直後に脱力。腕から解放された私は地に伏せる寸前の怪物を一瞥した──時。
「──ァ、リガ、ト……ゥ」
「!」
一瞬、人間のように微笑んだ怪物はうつ伏せに倒れ、一切動くこともなくなった。
……そういえば、そうだったね。これは、この人は、人間に魔獣の魔核を移植したなれの果て。私を襲って来たけれど、この人の意思じゃない。無理矢理身体を改造されて、命令されて、動かされていたんだ。
だから、この人も犠牲者。可哀そうな、敵の被害者なんだ。
「どうか、安らかに」
胸を締め付けられるような思いに駆られた私は膝をつき、怪物になってしまった彼に両手を合わせた。
宮廷魔法士です。最近姫様からの視線が気になります。 安居院晃 @artkou
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