二十年目の大遅刻

仲咲香里

二十年目の大遅刻

 最悪だ。


 こんな日にまで遅刻する自分を心底呪う。常時持たされている会社用携帯への突然の連絡は、取引先からの発注ミスの苦情だった。


「タクシー!」


 全速力で後にした会社前の大通りで、両手を振って合図する。空車だと思ったそれは、オレンジの迎車を灯して走り去った。今日だけは暑いくらいの陽が差す昼間。表示灯の色を見誤ったのは、梅雨の雨に景色がけぶっていたせいじゃない。それだけ俺は、歳を取ったということだ。


「大至急、グランドホテルまで!」


 やっと乗り込めた三台目の車内で、急いで黒の礼服に身を包む。


 思えば俺の人生、失敗の連続だったと思う。


 大学受験。就職面接。告白、初デート、プロポーズ、出産、入学式、父親参観日……。


 全部遅刻して、怒られた記憶がある。


 どうせなら、離婚届への捺印も遅刻すれば良かった。



 今日、娘が選んだのは人前式。



 まだ小学生だったあの頃、計り知れないくらい辛い思いも、寂しい思いもさせたに違いない。けれど、神様ではなく、列席者へ永遠の愛を誓うという娘に思う。


 不甲斐ない自分と決別して、良かったのかもと。


 きっとその後、たくさんの素敵な出会いと、人の温かみに触れたんだろう。それが、この上なく嬉しい。


 会うのは実に、二十年振り。招待状を受けた時は、何かの間違いだと思ったほどだ。

 顔を合わせたら、月並みにおめでとうでいいのか、幸せになれよって父親面か。いやまず、ごめんなさい、か?


 スタッフに今から? って顔をされつつ案内された、ホテルのスカイガーデン。式次第は、最後のブーケトスになってた。

 それでも、ウェディングドレス姿の娘を一目見られて幸せだった。


 ブーケを持った娘が歩き出す。

 歩いて、俺の前で、立ち止まった……?


「はい、お父さん」


「え……」


「次は、お父さんに幸せになって欲しいの」


 振り向く視線の先に、少しだけ丸くなった表情の元妻と、娘の今の父親がいる。元妻と視線が合うと、照れたように目で笑った。


 歳月は流れど、君がそういう人だからこそ、プロポーズしたことを思い出す。別れを受け入れた自分が嫌になる。


 頼りなくて、君に苦労をかけてばかりだった俺が、今更言えることは一つしかない。


「ありがとう……」


 娘を優しい子に育ててくれて。

 娘との、俺のいない二十年間を、君が共にいてくれて本当に良かった。


 六月三十日。

 今日は俺の、五十回目の誕生日。

 君と娘には申し訳ないけれど、これ以上幸せな日なんて、俺の人生、無くてもいい。

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二十年目の大遅刻 仲咲香里 @naka_saki

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