権利

 アポイントメントを受けて顔を出したのは平日昼のファミリーレストランだった。一番奥の壁際の席。指定の場所に視線をすべらせると、同じく私を見とめたのだろう少女と目が合った。数秒視線を交わし、お互いがお互いであると確認する。

 飛澤早希。高校三年生。彼女は「これから死ぬから取材して欲しい」と、私がよく記事を書いている出版社越しに私にコンタクトしてきた。メールでの数度のやり取りを経て、対面で会話する必要が出たので今ここにいる。

「初めまして。飛澤早希です」

「小松康隆です。この度はお引き立ていただきありがとうございます」

 簡単な挨拶をし、名刺を手渡して頭の天辺からつま先までを簡単にスキャンする。彼女本人に目立った特徴はない。ボブカットに簡単なセーターとジーパン。ただ、体の何箇所かに怪我があるようだった。左足に体重が乗っていない。


 彼女が私に書いて欲しいと訴えたのは自らが受けたいじめの話だった。「いじめ」と平仮名三文字に収めてしまえば他愛ないが、その内訳は恐喝、暴行、強盗、名誉毀損に当たる。きっかけは些細なことだったらしいが、彼女が自分に向いた仕打ちをくだらないと無視するにつれてそれはエスカレートした。

 教科書や鞄、制服など物的被害が出るに至って学校に訴えはしたが、担任が加害生徒を呼び出し直接諭したせいでいじめは更に悪化した。彼女は心の上では強かったが、腕力としてはもちろん多勢を相手に戦えるほど強くなかった。

 彼女が受けた「いじめ」の詳細は、私にとっては見慣れたものでもあったが、それでもこうして被害者当人を目の前にしてみれば心が波立つような気分がする。

「メールで言ってた『証拠』を聞かせてほしい」

 着席するなりそう言うと、彼女は自身携帯電話スマートフォンにイヤホンを挿して私に差し出した。


 彼女は二度、学校にいじめを訴えた。一度は担任の下策によっていじめのエスカレートを招き、もう一度は内申を盾に半ば脅すようにして追い返されている。それ以降彼女は、自分で戦うためにいじめの証拠を自分で収集していた。

 彼女が聞かせてくれた音声は二本。一本は二度目にいじめを訴えた時にその場に居た校長、教頭、学年主任、担任の発言。もう一本はそれを知って彼女の家に脅迫の電話を寄越したいじめ加害者の親の発言。どちらも明瞭に録音されており、文字に書きだすのも苦労は無さそうだ。

「よく録音なんてしたもんだ」

「録音されてることも知らないで、ざまあみろって、笑いを堪えるのが一番大変だった」

「逞しくて何より。――日記を見せてもらっても?」

 彼女は返答せず、ただそのノートを私に差し出した。日付、加害生徒の名前、被害の詳細、証拠の写真などが綿密にまとめられている。彼女は本当に、一人で戦うための武器を蓄え続けていたのだ。

「なんでここまで復讐の手筈を整えておきながら自殺なんてするつもりでいるんだ?」

 飛澤早希はすぐには答えなかった。かといって逡巡する様子もなく、ただ気怠げにコーヒーを啜っている。私を、ついさっき私が彼女にしたのと同じように頭の天辺から眺め回す。

「お説教なら聞くつもりはないから」

 飛澤早希はまっすぐに私を睨む。どうやら言い訳も誤魔化しも通りそうになかった。どうしてこうも賢しい子供にばかり巡り会うのかと苦笑する。

「何を望んでる?」

「報復」彼女は一瞬の間も置かずに答えた。

「それだけなら何も、死ぬことはないんじゃないか?」

「被害者のままでいるつもりは無いの。でも、あの場所にも未来にも、もう取り戻したいものが無い」

「だが」

「あなたは工藤直也を死なせてる」

 飛澤早希が挙げた名前は、かつて私が関わった殺人犯のそれだった。

 工藤直也は人を殺し、殺人犯である自分は死ぬべきとしてその通りに死んだ。十七歳だった。私は彼を取材し、彼が犯行に至った経緯をすべて記事に書いて雑誌に掲載した。

「あの記事を読んだのか」

 私が書いた工藤直也の記事を掲載したのは下世話なゴシップ誌だ。溺れた犬を目の当たりにしながら橋や堤の欠陥について騒ぎ、誰もその犬を助けようとはしない、そういう種類の雑誌。

「高校生が読むようなものじゃなかったはずだが」

「あの記事であなたの名前を覚えたの。底意地の悪い記事を書く人だと思って」

「虫の居所が悪かったんだ」

「彼を負い目に感じるのは構わないけど、私に彼を重ねて見るのはやめて。あるいは『子供』で十把一絡げにするのも」

 殺すような目で睨めつけられて私はまた少し笑い、右手を彼女の前に差し出した。

「私が悪かった。だがこっちにも記事執筆の都合ってもんがある、雑誌の発売日の兼ね合いもな。勝手に死なれちゃ困る。君には一番いいタイミングで死んでほしい」

 お互いの目的のために。付け加えると彼女は唇を笑みの形に歪め、私の手を取った。


 その直後に私がやったことと言えば、早希から預かった録音の文字起こしといつも通りの記事の執筆だ。学校名を出さず、個人名も出さず、ただ匂わせる程度に留める。都内の有名私立進学校で起きた陰惨ないじめとその詳細。作業の殆どは早希の集めた証拠品の羅列と並べ替えで済んだ。楽な仕事だった。

 私がよく持ち込んでいる雑誌にその記事は掲載された。そしてその数日後、いじめ加害者の進学先の大学に記事の内容を問い合わせる電話が複数入った。加害者とその進学先の特定をどういう手段で行ったかは全く不明だ。不思議な事もあるものだ。

 とにかくその問い合わせにより次年度の入学生に猜疑を抱いた大学が、その生徒を推薦した高校に真偽を問い合わせた。高校はまず早希に連絡を入れたが、早希が「通話を録音しています」と言うなり手のひらを返し、いじめの再調査を行う旨と謝罪とを述べて電話を切った。

 そしてその直後、具体的にはその日の夜、早希の家にいじめの主犯格である相原梨衣の親から電話が入った。

「こんなに都合よく話が進んで、ちょっと不安になるね」電話越しに聞く早希の声は落ち着いている。予め想定していた事態だったためか、特に狼狽はしていないようだ。

「不安がることはない。思う壺だ。約束は?」

「取り付けた。明後日の十四時、駅前のファミレスで会うことになってる」

「上出来。君の通っていたのが私立の進学校で助かった。おかげで学校側は体面を守るために彼らを切り捨てることを選んでくれたらしい」

「自分たちだけは安全圏にいようとしててむかつくけど」

「その辺も心配はいらない。策はある」

 楽しみにしてる。早希の声は事実、楽しそうだった。

「さて」

 考えるべきことはそう多くない。することもそう難しくはない。ただ、役者が足りない。私は携帯電話を手に取り、数えるほどしか登録されていない電話番号のうちのひとつにコールした。


 二日後、約束の時間の三十分前にはこちらの手勢が揃った。早希は私と私の呼んだもう一人の男を交互に見て、それは誰だという視線を私に送った。

「知人の弁護士だ」

 ぞんざいな紹介を受けた高田が「急に呼ばれて駆けつけてあげたんだ、友人と言ってくれてもいいんじゃないのかな」と文句を言うのを黙殺する。呼んだのはたしかにこちらだし、二つ返事で快諾してくれたのもありがたいとは思っているが、この男を友人だと紹介するのは気が進まない。

「高田です。康隆から話は聞いてる。本日はどうぞよろしく」

 言いながら差し出された右手に、早希は少し戸惑ってから同じく右手を差し出した。

 ブランド物のスーツにきっちりと撫で付けた髪、高そうな時計と同じく高そうなよく磨かれた靴。薄笑いを浮かべる高田義弘は、性格を除いてほとんどすべてのパラメータが常人のそれよりも高い。人の懐に入るのもお手の物、その分敵に回せば誰より恐ろしいことを知っている。

「私は近くの席で待機してる。何も無いように気をつけてもらうが、何かあれば証拠は押さえる。それも一応空手の有段者だ、心配しなくていい」

「『それ』扱いはあんまりだ」

「ただの指示語にいちいちつっかかるな。――ワイヤレスのイヤホンマイクを用意した。こちらで受信して録音できる」

 私が差し出したそれを、早希は両手で受け取った。ボタン電池で動作するそれは耳の中にすっぽりと収まる大きさで、早希の髪型ならばまず相手に気取られることはない。

「高田、よろしく頼む」

「相手さんからどういう発言を引き出したら『売れる記事』が書ける?」

 わざとピントをずらした軽妙な返答を受けて私は苦笑する。頼もしい限りだ。

「私、どうしていればいいの」

 三文文屋の書くゴシップ記事の心配までしてみせた高田と裏腹に、早希はまだいくらか心配そうな表情をしていた。イヤホンマイクを握る手が僅かに震える。

「飛澤さんは自分を守ることを一番に考えて。泣いてもいいけど怒らないこと。それと」高田は一度言葉を切り、口元に人差し指を当てて片目をつむった。「俺を信じて」

 一瞬間を置いて、早希が吹き出す。

「日常的にウィンクする人なんて初めて見た」

「お前いい加減に自分が中年だってことを自覚しろよ」

「昔は女子高生なんてこれでイチコロだったんだけどなあ」

 高田は苦笑するが、それは二十年前の話だ。


 マイクの音声を確かめる。高田がマイクチェック代わりに雑談してくれている。音がちゃんと聞こえていること、録音の体制も整ったことをメールで伝え、相原梨衣とその母親が訪れるのを待つ。

 だが実際に訪れたのは相原梨衣とその母親ではなく、おそらくいじめ主犯格グループの母親一揃いだった。中年と言って差し支えのない年齢の女性が複数人、どかどかとやってきて、早希を見つけるなりそのテーブルに座る。

「そちらの方は? 飛澤さんのお父さんかしら」

 挨拶もなしに話を始めたのはおそらく相原梨衣の母親だろう。早希のところに電話をかけてきたことを含め、母親グループの中で娘同様にリーダー的存在であることは想像に難くない。

「校内の問題などを取り扱っております、高田義弘と申します。今回の件を刑事事件として提訴するに際し、飛澤早希さんの担当弁護士として本日、同席させていただきます」

 おそらくは大人数で押しかけて脅迫するつもりだったのだろう彼女たちは、高田の自己紹介を受けて少し狼狽えたようだった。

「そんな、刑事事件なんて大袈裟な」

「刑法二百三十五条、窃盗罪。刑法二百四条、傷害罪。刑法二百四十九条、恐喝罪」

 淡々と罪状を読み上げる高田の声に、「子供の言うことを真に受けるなんて、弁護士さんも貧乏でいらっしゃるのかしら」と誰かの声が被さった。

「刑法二三一条、侮辱罪」

 ぐ、と息の詰まるような声が上がる。高田が笑っているのが見なくともわかる。

「全て立派な刑事犯罪です。未成年者とはいえ、それなりの制裁は受けていただきます」

 ガタリと椅子を立ち上がる音がして、それに対して高田が「ちなみに」と声を被せた。「他人に対してコップの水をかけることは刑法二百八条、暴行罪に当たります」

 どうやら母親グループの一人が、高田にコップの水をかけるべく立ち上がったようだった。「刑法二百八条」の部分を強調する言い方は威嚇の側面が強い。

「名誉毀損で訴えますよ」恥にか怒りにか、その声は震えている。

「法廷で恥をかかれたいのであればお好きに。親切心で申し上げておきますが、こちらは民事であれ刑事であれ、家裁であれ高裁であれ戦う準備があります。勝てる自信も」

 高田の声は揺れない。余裕どころか、いっそ愉快そうですらある声色をしている。

「とはいえ我々も裁判は避けたい。時間も労力も掛かり過ぎます。なのでこちら、私共で示談書を用意させていただきました。ご確認ください」

 テーブルの上に示談書が示される。生憎私のいる席から母親グループの面々の反応は見えない。こんな金額、と悲鳴じみた声だけがイヤホン越しに聞こえてくる。

「学校内でのいじめにおける侮辱行為は五十万円の罰金判決になった判例があります。傷害罪の罰金も五十万円。まったく法外な金額ではない」

「子供のしたことでしょう!」

「それは許すための言葉であり許されるための言い訳ではありませんよ」

 高田の声に現れたのは狼狽や焦燥ではなく、静かな怒りの色だった。当然も当然、「子供のしたこと」は私の地雷だ。同時に、私の地雷だと知っている高田の地雷でもある。

「先程も申し上げた通り、窃盗、傷害、恐喝、侮辱は全て刑法に抵触するものです。被害届を提出し、立件することができる。それに、『未成年だから』と言って責任を逃れようとなさるなら、その逃れた分の責任は飛澤さんではなく保護者であるあなた方が取るべきものです」

「いじめなんて、される側にも何か問題があるものでしょう。一方的にこちらのせいだというのもどうかしら」

「報復すらを禁止するこの国の法の前でそれは言い逃れにはなりません。たとえば飛澤さんがあなたのお子さんに何かしたのであれば、それは別個に罰を受けるべきものです。罪は相殺されるものではない。――まだ何か仰りたいことはありますか?」

 テーブルが水を打ったように静まり返る。その場の誰一人もが二の句を継ぐことができなかった。表情を伺うことのできる位置に座らなかったのが惜しい。

「あなたたちの選択肢は二つです。一つ、刑罰を受け入れること。そしてもう一つ、賠償金を支払うこと」

「脅迫するつもりなの」

「ご冗談を。金銭で解決して差し上げようというのはむしろ我々の譲歩です。それと、先程は申し上げませんでしたが恐喝は本来罰金で解決されるものではなく、少年院送致処分になるべきものです」

 少年院送致処分という言葉をわざわざ強調し、ほんの少し間を置く。よく考えろと、言外に示している。

「この程度の額で未来を買うことができるなら安いものでしょう?」

 結局それが相手にとってのとどめになった。


「すごかった」

 早希は半ば呆然として呟く。声音には畏怖と安堵とが綯い交ぜになっている。結局、高田はその場ですべての人間に示談書の署名捺印をさせた。あとは早希の両親に確認させ、署名捺印の後にコピーを送付する手筈になる。支払いは一括、猶予は半月だ。

「簡単なことだよ。証拠は揃っていたし、負けるはずがない」

「まあ、あそこまで立て板に水で喋れることは単純にすごい」

「口先で商売してるからね。いやあすごかった、康隆にも見せたかったな、あの光景。実は見たかったでしょ? みんな真っ青」

 それはもちろん、見たかった。だが、今回は仕方ない。

「でも、弁護士なんて連れて来ちゃって、――お金って、どれくらいかかるものなの」

「気にしなくていい。こいつはただのサラリーマンだ。俺がラーメンでも奢っておく」

 急に呼びつけて弁護士を名乗らせた高田は、普段詐欺まがいの訪問販売をしているだけあって口が立つ。不測の事態にあっても狼狽を表に出さず、勝負を勝ちか引き分けに持っていくのが得意な男だ。弁護士を名乗らせて疑われもしないあたり、味方にしてさえおぞましい。

「元司法浪人って言うと聞こえはいいかな。さっき話したことは一応、嘘じゃない」

 高田は笑う。事実、高田の言ったことに嘘はなかった。ただし相手に勘違いさせるための言い回しを使っていた部分は確実にある。「少年院送致」という言葉から「前科」を連想する人間はそう少なくもないだろう。実際に少年院送致で前科は付かないのだが。

「でもそれ、……違法行為なんじゃ」

「弁護士として費用を取らなければセーフじゃないかな。示談書は一応、素人が書いてもかまわないものだしね」

「呆れた」

 苦笑いした早希は、呆れたというよりは安心したような表情を浮かべていた。


 早希の両親は提示された示談書に目を白黒させ、書面と高田を数度見比べ、早希と同じく弁護士費用のことを気にした。高田は「娘さんがほとんどの資料を揃えていてくださったので、ほとんど書面の作成しかしていません。金額的なご心配は必要ないかと」と前置いてから、二人を介さなかったことや勝手に話をしてきてしまったことについて謝罪し、早希の両親をひどく恐縮させた、らしい。私は同席しなかったので伝聞だ。

「まあ、あれくらいしないと実は結構問題だからね、未成年弁護」

 弁護士を騙って示談金を巻き上げることは問題視しないくせに、高田は妙なところで律儀だ。あるいは全力で弁護士を騙っているだけか。

「支払いは?」

「示談金入ってからでいいですよって言ってきた。どうせ名刺の番号に掛けても繋がらないんだけどね。指紋の付いてる原本も置いてきちゃったけど、まあ飛澤さんのとこなら平気でしょ」

 指紋もどうせ定期的に削ってるし。さらりと物騒なことを付け足して高田は笑う。


「で、康隆は何?」

 席にありつきスーツのジャケットを脱いだところで、高田は唐突に切り出した。表向きの柔らかい口調が剥がれてきている。

「何って何だ」

「わざわざ俺を呼びつけたっていうのはそういうことだろ。そうじゃないなら弁護士の真似事くらい自分でやればいい」

 弁護士の真似事だけなら確かに、私でもできる。多少記憶が古いとはいえ、法律の知識も一揃い程度はある。だが今回は相手と同じように早希も騙す必要があった。私では既に顔が割れている。それに、

「生憎、説得力のある人相じゃない」

「まあ確かにちょっと安っぽいとは思う」

 安っぽい人相とはどういう意味だと問い返そうとして、それをやめる。どうせろくな返答は来ない。私は頭を掻く。

「……死ぬと言ってる」

 注文したラーメンと餃子を受け取り、割り箸を割る。高田は律儀に胸の前で手のひらを合わせる。

「折角やり返したのに?」

「学校にも未来にも、もう取り戻したいものがない、だそうだ。子供を死なせるのは気乗りしない」

「康隆が攫って逃げちまえばいいんじゃね」

 いい加減な返答。

「お前なんかに頼った俺が馬鹿だった」

「ジョークだジョーク。なにも娘と同い年の子供攫って逃避行なんて本気で勧めたりしねえよ」

 娘。高田の軽い言葉に混ぜられた小さな棘が不意に刺さる。目の端で高田を睨むが、当の本人はこちらを見ていなかった。

「うちの子供は七歳だ」

「一九九八年度生まれ。同い年だろ」

 私は言葉に詰まる。一九九八年から既に十八年が経つ。飛澤早希から初めて連絡が入った時に脳裏を掠めたそれを、改めて眼前に突き付けられたためだ。

「お前のそういう躊躇いなく手札を切るところは信用に値するがな。――何が望みだ?」

「そりゃあもちろん」高田は唇の端を吊り上げ、相貌を歪めて、指を一本私に向けた。「替え玉だ」

「……好きにしろ」

 高田は掴みどころのない男だった。それは昔から変わらない。稼げるからと言って弁護士を目指し、稼げるからと言って犯罪まがいの仕事もする。金に固執しているかと思いきや、ラーメン一杯で今回のような面倒を引き受けたりもする。

「詳細、何か掴めたのか」

 高田の声色は暗くも明るくもならない。私の沈黙をどう受け取ったのか、高田は黙ったまま替え玉を器に受け取った。麺を啜り、チャーシューを食み、餃子を口に放り込む。

「あれからもう十年だ。刑事訴訟法第二百五十条によれば、なっちゃんのケースは公訴時効十五年。わかってんだろ」

「わかってる」

 殺人事件ならば公訴時効は無い。だが致死事件には公訴時効がある。殺人と致死の何が違うのかとここ十年、幾度と無く考え続けてきたが、答えは明白だ。対する法律が違う。公訴時効もそう、罰則もそうだ。

「しかし『未来を取り戻す』ってのは良い。センスのある言い回しだ。うかうか死なすのは確かに惜しいな」

「惜しいかどうかの話じゃない」

「まあ手段はある」私の台詞に言葉を被せながら、高田はげふりと盛大に息をついた。「鬼が出るか蛇が出るか、一か八かもわかんないけどな」


 いじめと学校ぐるみでのその隠蔽、保護者からの脅迫などの詳細が雑誌に掲載されたのはそれから数日後の事だった。それに加え、雑誌では伏せられていた学校名やいじめ主犯格の進学先がネットメディアに掲載されたせいで、高校や進学先の大学には問い合わせが殺到したようだった。

 騒動の余波を受け、窃盗や暴行を行ったうち主犯格の三名は無期停学処分および大学推薦取り消し、関わった残り四名も長期停学。とはいえ卒業までもう三ヶ月と無いのだから、退学にはならずともこのまま留年が関の山だろう。

 ついでに隠蔽工作を行ったとして高校側の信用も大きく損なわれ、校長、教頭、学年主任および担任教師は停職処分ないしは降格処分を受けている。

「ここまでするなら何のための示談交渉だったの」

 早希は呆れと蔑みとが混ざったような声で言った。大事を取って小さな会議室を借り、そこでの対面だった。

「あれはこちらから持ちかけたんじゃなく向こうから呼びだされただけだったろ」

「でも示談書だって書いたのに、今度はこっちが犯罪者になるんじゃないの?」

「ならない」私は即答する。「飛澤早希およびその両親は緘口が示談の条件だったが、今回は弁護士の持っていた情報がうっかり悪質なライターに流出、情報を手に入れたそいつが勝手に書き立てただけの話だ。誰も契約は破っていないし、悪いのは情報流出をやらかした高田とかいう弁護士だ」

 まあ、高田義弘とかいう弁護士はそもそも存在しないのだが。ついでに言えば学校の組織ぐるみでのいじめ隠蔽については今回の話には全く無関係で、その点については責められる謂れすら無い。

「呆れた。底意地が悪いとは思ってたけど、ここまでする?」

「君はめでたく悪徳文屋を引き当てたってことだな。感想は?」

 訊くと、早希は少しの間目を閉じ、何かを思い出すように視線を横に向け、それから顔いっぱいに笑顔を浮かべた。歓喜には違いないだろうが、まったく晴れやかとは言い難い笑顔だった。

「ざまあみろ、って感じ」

「こっちも、おかげさまで出版社から金一封が出た。ありがたいことだ」

「感想を聞くために呼んだの」

「まさか。君が今もまだ死ぬつもりでいるなら話をしておこうと思っただけだ」

「お説教なら聞かないから」

「説教じゃなく取材だ。君が自殺したタイミングでその悲劇を書き立てれば、また金一封がもらえるかもしれないからな」

 ひらひらと大入り袋を示してみせると、早希は「最低」と眉根を寄せて笑った。


 携帯が鳴る。液晶に映った「飛澤早希」の名前を見て通話ボタンを押す。

「思ったより早かったな」

「どうして」早希の声は低く、震えている。「なんであんなことしたの」

「なんのことやら」

「とぼけないで」

 またあの目をしているんだろうと思った。おためごかしも言い逃れも許さないという、あの殺すような目を。

 数日前、私は早希を介さず彼女の両親と連絡を取った。彼女が死ぬつもりでいることを告げ口したのだ。

 それは高田の案だった。鬼が出るか蛇が出るかは彼女の両親次第だったが、一度会って話した限りでは心配なさそうだというのが高田の意見だった。

 「取材」の名目で聞き出し録音したそれを聞いて、早希の両親はひどくうろたえ、だが今回入った示談金で引っ越しができそうだとわかると即座にそれを決めた。早希が私のところに掛けてきたことを鑑みると、おそらく殆どの手続きが終了しているのだろう。

「簡単なことだ。私は最初から君を死なせるつもりはなかった」

 信じてたのに。恨みがましい声がして私は笑う。早希は幼い。信頼や信用が武器になりうると思っている。十七か八の子供から信頼されることが、私にとってどういう利益になりうるだろうか。「信じてたのに」という言葉は私に対して武器たりえない。


 だが、そう思えるうちはまだ、望みがある。


「俺を信用した君の負けだ。第一、味方をすると言った記憶も無い」

「本当に、――本当にあなたって、」最悪。受話器から落胆とも絶望とも怒りとも取れない声がする。

「何とでも言え。そもそも君の命はまだ君のものになっていないんだ」

 死ぬなら自分で市民税払うようになってからにしろ。私の言葉を彼女は黙って聞いた。泣き叫びも怒鳴りもしなかった。飛澤早希は聡明な子供だった。

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命を綴る仕事 豆崎豆太 @qwerty_misp

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