命を綴る仕事

豆崎豆太

責任

 私が彼に初めて会ったのは、彼が逮捕されてすぐのことだった。


 有名私立に通う高校生が起こした殺人事件に興味がわいて、たとえ会えなくても行くだけ行ってみようと面会を申し込むと、存外あっさりと会うことが出来た。彼はどうやら弁護士に会うことさえ拒んでいるらしかった。

 アクリル越しに会釈した彼は、私のイメージする「有名私立に通う高校生」そのものと言ってよかった。整えられた髪、詰め襟まできっちりと閉じられた学生服。しゃんと背筋を伸ばし柔和に微笑む姿は彼の育ちの良さこそ彷彿とさせるものの、憂鬱や怒りを胸の奥にため込んだのち、ある日唐突に見知らぬ人間を惨殺してみせたあの殺人犯には到底見えなかった。

「初めまして」

 私が切り出すと、彼も「初めまして」と答えた。高校生にしては僅かに高く、だが落ち着いた声色だった。

「フリーでライターをしています、小松康隆といいます。名刺――は渡していいのかな」

「ああ、どうかおかまいなく。すみません、いただいても保管する場所がないので」

「では失礼ですが、口頭のみで」

「僕は、……こうして会いに来てくださっているんですから、きっとご存じだとは思うんですけど、工藤直也と言います」


 彼、工藤直也は殺人犯だ。


 事件当日、彼は「学校へ行く」といつも通り家を出た。ところが、彼は学校へは行っていない。家は両親の共働きで空いており、確認の電話を掛けた彼の担任の労は無駄に終わっていた。

 優秀でおとなしい生徒だった、どこかで事故に遭ったのではと気を揉んでいた、と、彼の担任はマスメディアに答えている。

 犯行は昼日中に行われ、被害者の絹を裂いたような悲鳴がその存在をあらわにした。唐突に腹を刺されてなお逃げ惑う被害者を執拗に追いかけ、繰り返しナイフを振り下ろす少年の姿は狂気を孕んでいた。

 遺影を抱えて泣き叫ぶ母親、憤る父親、それらを追いつづけたマスメディアのカメラ。振り下ろされる暴力は刃物ばかりではないなとテレビの前で苦笑したのは私だけではなかったろう。神戸連続児童殺傷事件からなにも成長していない。

 彼は凶器に使ったナイフを、あらかじめ用意していた。曰く、「計画性があるとなれば却って変な詮索をされないで済むと思った」そうだ。これは確かに彼の思惑通りに働いた。被害者と彼の間に面識が無かったことも作用して、事件の動機は彼の内面問題に終始するという方向に情報が動いていた。尤も、彼の好む漫画、小説、音楽のどこにも暴力性が見えなかったことで、報道は混乱を極めている。


「どうしてあんなことを?」

 月並みな質問にも、彼は柔和な笑みを崩さない。

「人を、殺してみたかったんです。自分の手で、直接」

「誰でもよかった?」

「誰でもよかった。むしゃくしゃしていたわけではないですけど」

 私の質問を混ぜ返して彼は笑う。人を殺めてみせたわりには、狼狽や心的疲労の影も匂わせない。

「失礼なことを聞くけど、――何かを殺した経験は?」

 猫を、と言って彼は、はにかむ、と表すのが一番正しいのであろう笑顔を浮かべる。

「なぜ猫を?」

「二年くらい前だと思うんですけど、怪我をしていた猫を拾ったんです」

 学校帰りの彼の目の前に、烏に襲われたのであろう猫が横たわっていた。彼はそれを拾い、手当をし、元気になるまで看病をした。そして、殺した。

「どうして?」

「父の膝で喉を鳴らしているのを見たら、なんだか裏切られた気がして」

 それからなんとなく、似た猫を見かけると許せなくなってしまって、七匹。彼は静かに付け足す。私はどこから質問していくべきかを掴みあぐねて少し黙る。

「お父さんが嫌い?」

「いいえ」

 即答して彼は首を傾げる。

「父のことは嫌いではありませんでした。尊敬していましたし、感謝していました。父は僕のことを嫌いだったようですけど」

「嫌われていると思ったのはなぜ?」

「さあ。まともに話したことがないので、なんとなく、としか」

 彼の父親は彼とまともに会話をしなかった。彼は猫を拾い、看病し、おそらくはその猫に懐かれていた。猫は彼の父の膝に容易く乗り、彼に懐くのと同じように彼の父親に懐いた。

 それを嫉妬とするならばその感情の流れは自然だ。だが、それが猫の殺害に至り、同じ柄の猫すら許せず殺すようになるまでになるのは自然とは言いがたい。

「君の父親はなぜ、君と話をしなかったんだと思う?」

「興味が、無かったんだと思います」

 彼の声が僅かに淀む。

「父はもしかしたら僕が猫を殺したことを知っていたかもしれません。父の膝に乗る猫を見ていた僕を、猫がいなくなった日の僕を、見ていたかもしれません。でも、何も言われませんでした」

「何か言われたかった?」

「……覚えていません」


 時間に阻まれて何度も会話を中断し、何度も彼の元を訪れた。会えない日はなかった。彼はどうやら、そのときまだ私以外と会っていなかった。

「被害者に恨みもなかった?」

「ありませんでした。そもそも面識がなかった。選ばなかったわけではありませんが、それでも死ぬほどの人ではなかったはずです」

「選んだ基準は?」

「当日の朝、電車内で電話しては大きな笑い声をあげていたので、それで。選んだというほど確固とした基準があったわけではありませんでした」

「それだけ?」

「人を殺すのに正当な理由って必要ですか?」

 聞き返されて私は返答に窮した。そうしてしばし考えた後で、それを否定する。

「そもそも『正当な理由』なんてよほど存在しない」

「どんな理由であれ、死んだ人の命は返ってきません。僕は人を殺し、被害者は亡くなった。それだけです。小松さんは何を期待していたんですか?」

「正直、記事の盛り上がりがいまいちなあ」

 私が苦笑すると、彼もまた、「ひどい人」と言って晴れやかに笑った。

「こんな事件を食べ物の種としか思ってない」

「文屋なんてそんなもんだよ。それに、『ひどい』だなんて殺人犯には言われたくないな」


 彼は私に話をするのと同じように取り調べにも応えているらしく、ある時「誘導尋問のようだ」と漏らした。

「誘導尋問?」

「あっちもこっちも、どうにか僕の発言をこねくり回したいように見えます。こうじゃないのか、本当はこうだろう、嘘をついてるんじゃないのか――うんざりしますね」

 少年の眉根が寄ったのを見たのはこの時が初めてだった。

「人っていうのは、仕事がどうであれ自分が納得するために会話する生き物だからね」

「『嘘をつくな』って昔からよく言われますけど、そういうのって大概『私の予想と違う返答をするな』って意味合いですよね」

「それを言うと烈火のごとく怒り始めるからな、やつら」

 小松さん、誰のことを言ってるんですか、と彼は笑った。つられるようにして私も笑った。和やかな時間だった。


 報道によれば、彼は学校で優秀な成績を収め、周囲からの信頼も篤く、将来もかなり有望だったようだ。テレビに繰り返し映る彼の写真はどれも輝かしく、加害者というよりもむしろ被害者然としていた。液晶に彼の父親が映り、私はつい身を乗り出す。父親は「息子と話ができないので事件のことはわからない、被害者の方々には申し訳ないと思う、詳細については答えかねる」という旨の事を言ってカメラの前から去った。なるほど、あれが直也の父親か、と胸中で呟く。

 一方の母親はというと、事件の原因を学校に求めて訴訟するしないの大騒ぎを始めているようだった。泣いてみせ、怒ってみせ、息子がいかにいい子だったかを切々と訴えている。虫も殺さないような優しい子だったと彼女は言い、私はそれを聞いて少し笑う。虫を殺したかどうかは知らないが、猫と人間は殺している。

 尊敬する父親、愛情深い母親。直也に興味を持たない父親、盲目的とも言える執着を覗かせる母親。並べればひどく歪んで見えた。


「珍しいよな、君みたいなケースは」

 私が言うと、彼は一瞬首を傾げた後で「ああ」と頷いて見せた。

「連続犯にならなかったことがですか」

「そう。君の場合――特殊ではあるけど、通り魔、に近い犯行になるよな。且つ、自分の力で人を殺してみたかったなんて言ったら、その次には『何人殺せるか』が来る場合が多いと思うんだけど」

「それは、実際ちょっと頭をよぎりました。でも、あまり被害者を増やしても申し訳ないので」

「彼女を殺して、何かわかったかい」

「はい」

 彼は笑う。それはまるで、陽光の中にいるような笑顔だった。

「僕は殺人に快楽を覚えます。おそらく、釈放なんてされたらまた人を殺すと思います」

「死刑を望む?」

「はい。僕は僕が死ぬべきと思います」

「だが、八王子通り魔は三十年だ。土浦連続殺傷と秋葉原は今のとこ死刑だが、あれは七人殺してる。一人殺したくらいじゃ死刑判決が出るとは思いにくいけど。まして君は未成年だ。少年法がある」

 私が言うと、彼の顔色が変わった。浮かんできたのは、狼狽や後悔やそういう類のものではない。強いて言うなら、強い嫌悪だった。

「未成年に殺されたら何か違うんでしょうか、被害者にとって」

「違わないだろうが」

「一人だったら殺しても償わなくていいんでしょうか」

「……それもそうだが」

「僕は、命は命でしか引き換えられないと思います。法律が復讐も見せしめも許さないというなら、僕は誰に罰せられるんです?」

「すまない、悪かった。――最後に一つ、いいか」

「……はい」

「なぜそこまで命を尊重しながら、殺しなんてしたんだ?」

 彼の表情が陰る。視線を落とし、歯噛みし、眉根を寄せ、唇を噛み、すこし、と小さな声を絞り出した。

「恨みがましい話を、してもいいですか」

「記事にしてもいい話?」

「『盛り上がり』になるかどうかはわからないですけど」

 彼は悲しいまでに聡明な子供だった。


 彼の母親は自らの夫、つまり彼の父親を尊敬していた。崇拝と言ってよかった。彼の父親は学歴、収入、およそ社会で評価されるパラメータのほとんどすべてがヒエラルキーの上位に居た。母は彼を父のように育てようとしていた。

 塾、友人、恋人、余暇、彼に選択肢は何一つ用意されていなかった。彼は聡明だった。彼は彼の母親が望むであろうことを間違えずトレースすることができた。

 彼の兄は母にひどく反発して、母は兄を見限っていた。母の期待の全ては彼に向いていた。彼の友人を罵倒し、恋人を嘲笑し、彼にふさわしい物をいつも自ら選んで与えた。彼はそれが母の愛だとわかっていて、自らに自由がないことを――それが本来与えられるべきものだということを自覚しなかった。


「自由がないって自覚した時には、僕に自由にできるものはなにもありませんでした。僕と友達になろうとする人はいませんでした。僕は遊びを知りませんでした。彼らとどう関係を築けばいいのか、何を楽しいと思えばいいのか、何を好きになればいいのか、わかりませんでした。僕の基準は全て母で出来ていました。

 母に阿って暮らす間に積み上げた信頼と期待は、僕には重すぎるものでした。僕はだけで、能力があったわけでも、真面目でも真摯でもなかったんです。ただ見放されるのが怖かった。他人を基準に全てを判断していたので、他人から、例えば母から見放されてしまえば何も残らないんです」


 期待を裏切るのが怖かった。裏切り者と糾弾されるのが恐ろしかった。けれどその期待は、答えれば答えるほど大きく膨らみ、彼を押し潰した。もう無理だと悲鳴を上げることができればよかったのかもしれないが、いつから無理だったのか、どこまで遡って母を傷つければ楽になれるのか、彼にはわからなかった。

 とある日、彼の前に傷ついた猫が横たわっていた。彼は猫を手当し、看病した。猫は孤独そうに見え、彼はその猫と孤独をわけあったつもりになった。そして、その猫がただ「父の膝に乗った」というその一点から、今までの孤独、悲しみ、怒りが吹き出し、猫を殺す結果を招いた。そうして彼は自らの感情と、母の持つ征服の喜びを理解した。

 怒り悲しむままに七匹の猫を続けて殺し、そうして次に限界を迎えたのが事件前日だった。彼は全てを捨てようと決めてしまった。


 彼には選ぶ権利があった。実際には無かった。

 彼には訴える権利があった。実際には無かった。

 彼には自由があった。彼には美しい未来があった。彼には夢があり、希望があり期待があり、その全ては彼のものではなかった。彼のものではなく彼のものであるそれらを、彼は最悪の形で放棄してしまった。


「僕にとって、人生で初めての大きな決断でした」

 彼は言う。

「今まで、将来の夢とか進学する高校とか、何もかも親の表情をうかがっていたんです。人の表情を見て自分の意見を決めていた」

「まるで自主性があるかのように?」

「そうです。間違った選択――これは『嘘をつくな』の話と同じですね。その人、親にとっての真実、望み、そういうものから逸れた選択をしないよう、いつも戦々恐々としてました。現状僕の命とか生活資金とか、そういうものを握っているのは親でしたから、間違えれば死ぬくらいの気持ちでいたと思います」

「君は親に恫喝されていた? あるいはもっと明確に暴力を受けていた?」

「いいえ。むしろ他所よりも甘かったと思います。でも、僕には判断がつかなかった。今まで間違わずに来られたから親が優しいだけで、間違えたらその途端親にとっての僕に価値がなくなってしまうように思いました」

「そうなれば生かしておいてもらえない、と」

「そうです」

「益々わからない。それなら、殺人を犯した自分をどうするつもりなんだ?」

「死刑になるのが妥当だと思います。……家族を殺人犯の肉親にしてしまったのは申し訳なかったですけど」

「えっと――ごめん、言葉が悪いんだけど、他に見つからない。他意はないから。自殺は考えなかった?」

「考えました。いつか、殺す人を選んだ、と言いましたけど、その中に自分も含まれていました。他殺を選んだのは、自分でやったことの結果を少しの間見ていたいなと思ったからです」

「死んだらなにもわからなくなるから」

「はい」

「後悔は?」

「していません。今、生まれて初めて人間になった気持ちです」

 彼の話が終わり、僅かな沈黙の後に私はため息を吐いた。すみませんと彼は言った。

「君はそれを誰かに話した?」

「いいえ」

「なぜ?」

「少なくともこの件の、僕が人を殺したことの、直接的な原因ではないからです。それに、こんな理由で殺された罪もない被害者が、あまりにも可哀想で」

「じゃあ、なぜそれを俺に?」

「……苦しくて、誰かに聞いてほしくて。でも僕はもう殺人犯です。こんなのは今更、言い訳にしかならない。言い訳をしたって、被害者の命が帰ってくるわけでも、被害者遺族の溜飲が下がるわけでもないでしょう?」

 それを聞いて私は少し憮然としてみせ、なんだ、つまり八つ当たりか、と返答する。八つ当たりですと彼は答える。

「正当な手順で以って斟酌される場に訴えたくはなかった。誰かに聞いてほしかった。だから、無名のフリーライターである小松さんを選んで話したんです」

「『無名の』は余計だ。事実だけどな。……君は、どうしてほしい? 同情してほしいなら耳触りのいいことは言える。悲劇性を煽れというならそういう記事も書ける」

「いいえ。聞いてくれてありがとうございます。十分です」

 私はつい、ため息をついた。

「ひとつ確認するが、君はこっちの記事を盛り上げるつもりはなかったな?」

 私がペンで彼を指すと、彼はいたずらっぽく口の端を吊り上げた。笑顔に似たものを作るのが、彼はうまかった。

「ああ言えば聞いてくれるかと思って」

「君はまったく小賢しい」

 そしてまったくの大馬鹿だ、と、私は声に立てなかった。誰に縋ればよかったのか、どこに逃げればよかったのか、どうすれば彼が彼自身の意思をもっといい形で取り戻せたのか、それを提示できないならばただの糾弾にしかならない。私は彼を肯定するわけにはいかなかったが、糾弾したくもなかった。第一、過去どうすればよかったのかなんて答え合わせはそれこそ彼を追い詰めることにしかならない。事件は起き、被害者は死に、彼は殺人犯になった。それは動かない。


 さて、と私は部屋に戻ってひとりごちた。面倒なネタを拾ってしまったのは否めなかった。私が普段取り扱っているのは少年犯罪、校内暴力、よしんば教師の不祥事にいじめ問題であって、家庭内の問題については書いていない。

 普段記事を書いている雑誌にこの話を持ち込んだところで採用してもらえるかどうか、採用して貰えそうなところに持ち込んだところで今度は私の名前が通るかどうか。無名のフリーライターが何のつてもなく少年殺人犯の独占取材を行い、彼の家庭の闇に触れた。その事実の信憑性は決して高くない。下衆な雑誌なら面白ければ買ってくれるだろうが、それが直也にどう映るか。傷つけられたところで甘んじて受け入れるであろう彼の何もかも諦めたような微笑みを思い出して歯噛みする。

 君は悪くないと言ってやりたかった。だが今となっては遅かった。彼は殺人犯だった。


 他方、彼の気持ちはそのあとすぐに踏みにじられることになる。ゴシップ誌にでかでかと掲載されたのは、彼の心神喪失説だった。それにより、『変な詮索をされないで済むように』といった彼の思惑は全く砕かれ、心神喪失の原因はなんだ、親の問題かいじめか、はたまた別の何かかと詮索が始まった。彼の部屋に有害図書の一つも無かったせいで、その詮索は荒唐無稽を極めた。両親に対する苛烈なバッシング、担任や校長の吊し上げ、同級生に対する詮索。

「すごいことになってる」

 私が彼に言うと、彼はこれまでにない強い怒りを見せた。

「弁護士の人が言うんです。君は心神喪失状態にあった、そのせいで殺人を犯してしまったって。こんな記事を作ってまで」

「その人とは限らない」

「僕はその弁護士とあなたにしか会っていません。取り調べの職員と弁護士とあなたと、嘘の情報を流して得をするのはあの弁護士の人しかいないと思います」

「成功報酬か。周到だなあ」

「少年法だってある、だそうです。どうして少年法なんてあるんです」

「子供の判断なんて所詮子供の脳みそ、ってことだろうな」

「僕は僕の判断で、僕の意思で、僕の力で人を殺したんです。それを、どうして無かったことにされなきゃいけないんですか。どうして僕の命がけの決断が踏みにじられるんですか。親を裏切るような真似までして見せたのに、僕はいつまで親の持ち物なんですか!」

 彼はアクリル越しに僕に怒鳴った。握った拳をアクリルに叩き付け、恨みとも悲しみともつかない表情を浮かべて叫んでいた。そのちぐはぐした姿を見て、生まれて初めて怒鳴り声をあげたのかもしれない、とぼんやり考えた。

「君はもう少し早く、自分が未成年であることに気が付くべきだったね。殺人の責任すら、――犯罪者の証すら、君には手が届かないものだってことだよ。君の命はまだ君のものになってないんだ」

「……小松さん、僕との会話をすべてどこかにばらまいてもらえませんか」

「有罪になるように?」

「そうです。そうしてもらえれば、僕は心神喪失なんかにされないで済む。僕は人殺しがしたかったんだ」

 シャツの胸の部分を握りしめ、身を乗り出して声を絞り出す姿は普段の彼からは想像もつかない。アクリルに押し付けられた左の拳が痛々しく色を変える。

「……君が一度無罪放免になってからの方が、よほど高く売れそうなんだがなあ」

 私が言うと、彼は数秒の間きょとんと眼を丸くした後でくつくつと笑い始めた。力が抜けたように椅子に座り直し、深く呼吸をする。

「随分――小松さんって、ひどい人ですね」

「言ったろ。文屋なんてそんなもんだ。嘘をつくわけでもない」

「それなら僕はここから出るとき、取材陣に向かって舌を出して中指を立てればいいんですね」

「笑顔でピースでもいい、君ならその方が似合うだろう。弁護士の嘘もバレる、世論も盛り上がる。きっと面白いことになる」

「なりますね」

「だから君はこれからも嘘をついてはいけない。死んでもいけない。私の食い扶持がかかってるんだ、是非宜しく頼むよ」

「こちらこそ。僕には小松さんが頼りですから」

 穏やかな笑いが面会室を包む。しかし、私にはひとつの確信があった。次に彼が彼の実験に注ぎ込むのは、おそらく彼自身の命だろう。


 そして、その確信はその後まもなく事実となり、彼の発言、遺書をまとめた私の記事は少しの間ゴシップ誌を賑わして、三ヶ月もしないうちに人の記憶から消え去った。

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