架け橋
サイドワイズ
第1話
「テラー!台所の牛乳取ってー」
夏の猛暑が真っ盛りのとある日。
リビングで充電中だった私を若い男性がお呼びします。
お呼びになったのは浩二さま。私のご主人様です。
「ただいまお持ちいたします」
コンセントに差し込まれた無線式の小型充電器から離れ、台所へ。
緑と茶色に彩られた私の体は音もなく移動し、冷蔵庫の前までたどり着きます。
台所の一角に鎮座している黒の冷蔵庫は、身長がやや低めに設定されている私から見ると巨大に見えます。
冷蔵庫の一番上の段にある牛乳パックにアームを伸ばしますが、一向に届きません。人間のように背伸びが出来れば良いのですが......
「あーそうだった。テラは背が低いんだったな」
なかなかリビングから戻ってこない私を訝しんだのか、浩二さまが私のそばにやってきます。
暑いのか、薄手のTシャツをめくり団扇を仰いでいます。
「テラが使えるように冷蔵庫も買い換えないとなぁ」
「申し訳ございません」
「いいって。テラはそういうデザインなんだからしょうがないよ」
私のつるりとした頭を浩二さまは笑顔で撫でて下さいます。
「それくらい自分でやりなさいよ......」
「えー」
「っていうか、わざわざ冷蔵庫買い換えるの?別に良くない?」
「なんで?」
「だって冷蔵庫ってそこそこ高いじゃん。そんな余裕ないよ」
「そっかぁ。なら仕方ないなー」
浩二さまをはハキハキとした口調でたしなめる女性は美帆さま。
ベージュ色のTシャツと、コットン素材の柔らかそうなパンツという涼しげな服装の彼女は、私のもう一人のご主人様です。
「それよりさぁ、これどうなってるの?」
「なに?」
浩二さまがテーブルに腰掛け、牛乳をグラスに注ぎながら美帆様に問います。
「これ。金額が合わないんだけど」
「どれどれ」
美帆さまが浩二さまに小型の携帯端末を見せます。
どうやら、私が以前計算した家計簿についてのお話をされているご様子です。
「ここ、今月の残金と現金が合わないんだよね」
「どういうこと?」
「今月は残金5,900円残ってるはずなの。
でも手元には4000円しかないのよねぇ」
「テラの計算間違いじゃないのか?それとも美帆が数え間違えてるとか?」
「ならもう一度テラに計算させましょうか。テラ、ちょっと来てちょうだい」
美帆さまに呼ばれたのでリビングへと向かいます。
「お呼びでしょうか」
「今月の残金をもう一度計算して頂戴」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
数日前に美帆さまに渡された数値データを元に、今月の残金を計算します。
計算は瞬時に終了し、結果を携帯端末に表示させます。
「やっぱり変わらないわ」
美帆さまが怪訝そうな表情を浮かべます。
「テラが計算したのなら正しいんじゃないのか?」
「確かに、一年くらいテラに家計簿を任せてるけどこんなこと初めてだもんね」
浩二さまと美帆さまが私をまじまじと見つめます。人間なら恥ずかしくなって顔が赤くなっている場面でしょうか。
私は事の真相を知っているのですが、それは「言うな」と浩二様から命令を受けています。
ロボットである私にとって、一部の例外を除いて人間の命令は絶対です。
「申し訳ございません」
「テラが謝ることないよ。
きっとどっかにお金が紛れてるか忘れてるんだ」
浩二様はそしらぬ顔で嘘をつき続けます。
この嘘には理由があるのですが、上手く美帆様に伝わるでしょうか。若干不安です。
「なに?私の管理が適当だって言いたいの?」
浩二様の発言が気にかかったのか、美帆様の声色がややつっけんどんになっています。
「そんなこと言ってないよ」
「言ってるようなものじゃない!」
言葉を交わしていく内に、美帆さまの顔が次第に険しくなっていきます。
「言ってない!とにかく落ち着けって」
目に見えて機嫌が悪くなっていく美帆さまを、浩二さまが焦ってなだめようとします。
そんな浩二さまの行動は空しく、美帆さまは腹に据えかねているようです。
人間を不機嫌にさせてしまうのはロボットの原則に反します。
しかし、この場合は美帆さまが落ち着かれるまでは素直に聞いておくのが正しいのでしょうか。しかし、私の態度を見て、ますます機嫌を悪くされる場合も想定できます。
高度な問題に、私の頭部がにわかに熱を帯び始めます。
「大体ね、こんな不良品が無くたってお金の管理くらい出来るわ!」
怒りが頂点にまで来たのでしょうか。美帆さまは勢いよく立ち上がり「こんな不良品」と言いながら私を指さしながら言いました。
「おい!ちょっと間違えたからってテラを不良品呼ばわりするな!」
浩二様が勢いよく立ち上がり叫びます。
その勢いで牛乳が入ったグラスが地面に落ち、床に大きな模様を作ります。
しかし、それはお二人には見えていないご様子です。
美帆様はその小柄な身長からは想像もつかないような気迫で浩二様を睨んでいます。
浩二様も負けじと睨み返していますが、少し気圧されているように見えます。
「なによ!不良品を不良品って言って何が悪いのよ!」
「言葉を選べよな!ロボットだって傷つくんだぞ!」
「へーそう!浩二は私よりロボットを優先するんだ!人間よりロボットを優先するんだ!」
もういい!浩二なんかずーっとロボットと仲良く暮らせば良いよ!」
美帆様は叫んだ後、キッと私と浩二様を睨み、スタスタと自分の部屋に向かわれました。
「......なんだってんだよ畜生」
残された浩二様はボソっと呟き、どかっと椅子に座りなおします。
リビングはまるで嵐が過ぎ去った後のように静かになりました。
テレビに映ったバラエティ番組の賑やかな音声が虚しく響いています。
「なぁ、テラ。俺はどうすればいいんだろうな」
お二人が床に散らばったガラスを踏んでケガをしないように掃除をしなければ。
掃除用具が置いてある物置に向かおうと、テーブルに背を向けた時です。
浩二様が弱弱しく私に問いかけてきました。
「まずは落ち着きましょう。時間が経てば仲直り出来るはずです。
今までお二人を見てきた私が保証します」
振り返り、がっくりと俯いている浩二様にそうお伝えします。
「そうかなぁ......」
浩二様の頭は上がりません。
床の掃除と浩二様を励ますこと。どちらを優先しようか判断しかねます。
「なぁ、美帆の様子を見に行ってくれないか?俺じゃ逆効果だろ
床の掃除は俺がやるからさ」
「いえ。それは私のお仕事です。浩二様のお手を煩わせる訳には......」
「いいんだよ。今は何でも良いから手を動かしたい気分なんだ」
「かしこまりました」
気落ちしている浩二様にガラスの掃除をお任せするのは危険です。
しかし、人間の心理とは複雑な物なので、きっと私には理解できない心の動きがあるのでしょう。
「かしこまりました。どうかお気をつけて」
「ああ。テラも頼んだよ」
「はい」
リビングを出ると廊下を挟んだほぼ真正面に美帆様のお部屋があります。
3度ノックし、声を掛けます。
「なに?」
扉の向こうから美帆様のくぐもった声が聞こえました。
そのトーンが波形。泣いていたのでしょうか。
「美帆様。テラでございます。入ってもよろしいでしょうか?」
「......いいよ」
「失礼いたします」
ドアを開け、部屋に入るとベッドに座り込み、可愛らしい熊のぬいぐるみを抱いている美帆様が目に映ります。
美帆様の部屋は、ドアを開けているとリビングから丸見えになってしまいます。
「ドア閉めて」
リビングにいる浩二様には見られたくないのか、私が部屋に入るなり、美帆様はそうおっしゃいました。
「美帆様、気分は落ち着きましたか?」
「......最悪よ」
「大変申し訳ございません」
涙声でそう返されてしまいました。
どうして良いのか分からず、佇んでいると美帆様がぽつりぽつりと話し始めます。
「浩二はなんで私を信じてくれないんだろう。そりゃ、ロボットに比べれば私なんて頭悪いし要領悪いけどさ......
恋人なんだから信じてくれたっていいじゃない」
美帆様は自分の心にもそうするように、ぎゅうとぬいぐるみを押し潰しました。
可愛らしいぬいぐるみの顔がぐにゃりと歪みます。
お二人の関係はこのままではいけません。私の人工知能は一つの決断を下します。
「美帆様、もう一度だけ浩二様とお話なさってください。」
「なんで?」
「浩二様とお話してすればきっと美帆様のお気持ちは晴れるはずです」
「いや」
私の言葉をただの気休めだと思ったのでしょうか。美帆様は不満げに私の言葉を拒否します。
「お願いです。このままお二人の仲が悪くなるのは、お二人にとって良くない事です」
「そんなこと言ったってもう遅いわよ......」
「詳しくはお話しできませんが、浩二様は美帆様にとある事を隠しています。
しかしそれは、やましいことではなく、むしろ美帆様が大変ばれ喜ばれるようなことです」
「え!?」
俯いていた美帆様がガバッと顔を上げます。
「それだけでも浩二様にご確認いただけませんか?」
最後の賭けでした。「祈るような気持ち」とは今の様な事を言うのでしょうか。
「......わかったわよ。
その代わり、テラも一緒に来るのよ。元はといえばあんたが原因なんだから」
喜び、怒り、迷い。恐らく、様々な感情が渦巻いたのでしょう。
お返事まではしばらく間が空きました。
美帆様はベッドから立ち上がり、手でそわそわと髪を整えたり服のしわを伸ばしたりしました。
きっと心の準備をしているのでしょう。私の頭内部の冷却ファンも回転数を上がっていきます。
「よし」
準備が整ったのでしょう。美帆様は真っすぐ部屋の外を見て歩き出しました。
部屋のドアをそっと閉め、私も後に続きます。
ベッドに置かれたぬいぐるみは元の形を取り戻していました。
美帆様とリビングに戻ると、浩二様はテーブルに座ってテレビを見ていました。
床を見ると、無残に砕け散ったガラスと模様を作っていた牛乳は綺麗に掃除されていました。
「ごほんっ」
「ん?あっ」
ぼんやりとしていた浩二様は、美帆様の大きい咳払いで私たちに気が付かれたご様子です。
ガタガタと椅子を揺らし、立ち上がります。
「あ、えっと......」
しかし浩二様は、まるでカラクリ人形のように口を開けたり閉じたりしています。
なんと声を掛ければいいか迷っているのでしょうか。
「あの、さ。その......
実はさ、これを美帆に渡そうと思ってたんだよ」
「渡す?私に?」
意を決したのか、浩二様は部屋の棚の引き出しを開け、割れ物を扱うかのように慎重に中に入った箱を取り出しました。
その箱は赤と白で彩られたリボンで丁寧に包装されており、一目でプレゼント用だとわかります。
「それって......」
「今日は付き合ってから3年目の記念日だ」
「覚えててくれたんだ」
「そりゃ覚えてるよ」
美帆様の表情が驚きに満たされます。
「折角だから驚かせてやろうと思ったけど失敗しちゃったな」
「どういうこと?」
「お金の事。実は俺の命令でテラに数字をごまかしてもらったんだよ。
テラには悪い事をしたな。もちろん美帆にも」
すまなかった。と、浩二様は私たちに頭を下げます。
「ロボットである私に謝る必要はございません。
しかし、お気持ちはありがたく頂いておきます」
「ああ、ありがとう」
浩二様は私に言い、そして表情をうかがうようにそっと美帆様を見ました。
「反省してくれているならもういいわ。記念日を覚えててくれたから帳消しよ」
先ほど泣きはらしていたのが嘘のように、爽やかな笑顔で美帆様は答えます。
それを見て安心したのでしょうか。浩二様はほっと息をつきます。
「それより、それはなんなの?」
先ほどまでの不機嫌な気持ちは完全に過ぎ去ったのか、美帆様がそわそわと浩二様が持っている箱を指さします。
「ああそうだ。はい」
「なんだろう」
よほど気になったのか、箱を受け取るなりいそいそと包装を解いていきます。
美帆様はびりびりと豪快に開封されるので、床に包装紙が落ちます。
「せっかく綺麗に包んであるんだからもっと丁寧に開けろよ」
「うるさいなー」
そんな美帆様を浩二様が咎めます。
しかし、その口調に棘は無く、言い返した美帆様の声も明るく弾んでいました。
「これ!昔欲しかったやつ!浩二がおそろいは嫌だって言ったやつ!」
「あの頃はこっぱずかしくて買えなかったんだよ......」
中身は可愛らしいライオンの絵でデフォルメされた写真立てだったようです。
本当に嬉しかったのか、美帆様は両手を上げ、喜びを体いっぱいに表現しています。
「ありがとう浩二!大切にするね」
「あ、ああ。そうしてくれると助かる」
ぱっとひまわりが咲いたような笑顔を浮かべる美帆様を見て、浩二様が顔を赤らめます。
「こんにちは。お昼のニュースをお伝えします」
まるで空気を切り分けるように、つけっぱなしになっていたテレビからかしこまった男性の声が聞こえました。
「そういやもう昼だな。よし!今日は俺が作るよ」
「今日は私も一緒に作るわ。浩二だけだとちゃんとした物が出来るか不安だし」
「なんだよそれー」
お二人の会話はすっかりいつも通りに戻っていました。
浩二様も美帆様も楽し気に昼食の相談をしています。
「じゃ、そういうことだからテラは充電でもしてなさい」
「了解しました。何かあればお申しつけください」
食事のご用意は私の役目なのですが、お二人がご自身で作りたいとのことなのでお任せします。
美帆様の言葉に従い、充電器に近づきます。
「冷蔵庫になにがあったなー」
「一緒に確認したいからちょっと待って」
美帆様がキッチンへ向かおうとして、ふと私に振り向きます。
「不良品だなんて言ってごめんね」
美帆様が申し訳なさげに私に頭を下げてくださいました。
想定外の出来事に、私の頭部がかすかに熱を帯びます。
「ありがとうございます。美帆様」
「先に茄子切っとくぞー!」
「ちょっと待ってってばー!」
浩二様の料理がよほど危なっかしく思えるのでしょうか。美帆様は慌ててキッチンへ向かいました。
「適当に切ればいいんだろ?」
「ちょっと待ってってば。まずは手順を確認しなきゃ」
和気あいあいと料理をするお二人の光景と共に、夏の午後は緩やかに過ぎていきました。
架け橋 サイドワイズ @saidowaizu0973
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