第64話-エピローグ。「期間永遠」

 全てのものには期限がある。


 アマチュアボクシングの試合は六分間。

 高校生活は三年間

 弥生の命は六年と三ヶ月。

 そして……優月と篤の一ヶ月。


 終わりが来ることには相対して始まりがあり、篤はその始まりの場所に来ていた。

 右脇には今どき珍しい筒入りの卒業証書。左胸には桃色のチューリップが刺さっている。

見渡した桜並木に花はまだ咲いていない。


 だが篤の記憶でここがもっとも輝いていた日にも桜は咲いていなかった。

 それは当然だ。優月と出会ったその日は十月の末だったのだから、桜が咲く期間ではない。思い出して胸ポケットから一枚の写真を出す。


 懐かしいあの日。あれから二年以上経った。


 感傷に浸っていると、後ろから肩を叩かれて振り返る。幾人もの後輩女子にボタンをせがまれるのをやっと抜け出してきた妹尾竜也がそこに立っていた。


「なに黄昏ちゃってんだよ。闘う首席くん」

「うるせえ、プレイボーイ生徒会長」


 あいかわらず下世話に笑う竜也の脇腹に、篤はいつも通り右フックをかました。


「っでぇ……! てかプレイボーイとか言っちゃってくれるけどよ、篤だってかなり人気なんだぜ? さっきも俺のとこに来てた子の半分くらいは、みんなオマエ目当てだったんだからな! んで悪いけど、あしらいきれずにすぐそこにいる。ほれ、校門裏」


 竜也の指差す方を見ると、数人の女子が固まって隠れるようにこちらを見ている。あれをどうにかしてくれと竜也に頼んだのに全く効果がない。篤は呆れてため息をついた。


 篤の周りにはいつの間にか竜也と同様に人が集まるようになっていた。無愛想にしているにも関わらず、時折女子に遊びに誘われたり、連絡先を聞かれたりするのだ。


「ほらな、前に俺が言った通り、篤もモテ要素あるんだって。それに強いし、今じゃ頭も良いしよ。なんたって四月からは国立の医大生だもんな。正直本当にここまでくるとは思わなかったな」

「まあな。俺もまさかこうなるなんて思ってなかった。おまえに関してもだけど……」


 篤はこの春から大学の医学部に入る。もちろんボクシングは続けているが、それと同じくらい大きな目標が、ある日を境に芽生えたのだ。


 それが優月が日本を発った日。あの日、空港からの帰りに篤が中野に頼んだ事は「医者を目指したいから勉強を教えてくれ」ということだった。


 拳だけでは救えないものがあるとわかった篤にとって、それは先を考えずにでてきた言葉だった。かなり安易なスタートだったが、一度口に出したことは曲げたくない性格。それからは毎日ボクシングと勉強漬けになった。予想以上にスパルタな中野のカリキュラムに追われながら、轟にも相談しにいく。


 だからといってボクシングを怠ることはない。力が無いと救えないものだってあるのだ。


 つまりは文武両道を徹底したことしよって、篤はいつのまにか学校は首席卒業。そしてボクシングでもかなり大きな結果を残すまでに至っていた。


 それに人付き合いだって昔ほどではないが良好にしている。もう誰も篤のことを避けて通らないし、むしろ尊敬の目で見ていた。


 一方の竜也はその人望を活かして生徒会長になった。敏腕で人当りも良い性格は誰からも好かれ、竜也が中心となった最後の文化祭はおおいに盛り上がり、お祭り事が苦手な篤でも楽しむことができた。


 今や、学校で二人のことを知らない者はいない。


 篤が一つ意外だったのは、竜也がいまだに当時の彼女と付き合っているということだ。

 プレイボーイのようで実は一途な友人を不思議に思ったが、よく聞くと優月を想う篤の姿に感化されたのだとか。それがどういうことかはわからないが、悪い気はしなかった。


 ちなみに竜也とは三年目にまた同じクラスになり、担任は轟。

 卒業式に泣きながら震える声で生徒の名前を呼ぶ轟はあまり変わっていない。たまに「早乙女くん、勉強だって愛の力ですよ!」だなんて屈託のない笑顔で言ってくる時もある。

 あいかわらず子どもっぽさが抜けきらない教師だと思う篤だった。 


 そんな思い出に再び浸ろうとする篤に竜也は言葉を紡ぐ。


「懐かしいな……。もう卒業だぜ? あれからも色々あったけど、やっぱり優月ちゃんとの出会いが篤をこんなに変えたんだよな。本当にすげえよ。篤もあの子も……」


 篤は黙って肯く。

 そんな篤を見て竜也は自分のことのように嬉しそうな顔をした。


「んで……もうすぐなんだよな?」

「ああ、そうだ。というかもうその時間が過ぎてんだけど……」


 篤が時計に目を落とすのと同時に後ろの方がざわめき、二人のボタン狙っていた女子たちが驚いたように「綺麗……」だの「超美人……」だの溢す。その声に篤と竜也は振り向いた。


 後輩女子の群れを颯爽と掻き分けるように一人の女がこちらに向かってくる。


「噂をすれば……だな。じゃあオレはあそこの後輩ちゃん達と仲良くやってきてやるから、篤は楽しんで来いよ」

「おう、ありがとな」


 変わらぬ握り拳でのハイタッチを交わし、竜也は手を振ると歩き出した。

 その竜也と向かってくる女は軽く会釈を交わし、篤に近寄るごとに少しずつ駆け足になる。走ると頭についているお団子の形をした複雑な髪がバウンドし、そいつはとうとう篤の前で止まった。


 式に合わせて華やかなフォーマルドレスを纏い、顔には二年前とは少し違った、でもナチュラルでぴったりなメイクをしている。


「ごめんねっ! みんな懐かしかったからさ、つい話しこんじゃって」

「いいよ。というか久しぶりだな、優月」


 言うと相原優月はぶわっと目に涙をためた。


「本当だよ……、篤の馬鹿……どんだけ頑固なの。ちゃんと医大に合格して、卒業するまで会わないとか……、あたしがどれだけ寂しかったと思ってんのよ!」

「忙しかったんだからしょうがねえだろ。それに彼女じゃないんだから会わなくたっていい――」

「そういう問題じゃない!  辛かったもん……」


 優月はおもいっきり篤の胸に飛び込み、篤はそれを優しく包んだ。

 互いの左胸が静かに高鳴り、その音に浸るように二人は温もりを確かめ合う。


「心臓。ちゃんと動いてんな」

「うん。あのインチキ魔法が効いてくれたよ」


 その言葉に篤は苦笑いをした。


「二枚のメダルを接着剤でくっつけて表しか出ないようにするとか、ほんと篤ったら考え方が子どもだよね……あの時は思わず笑った」

「でも効果があったんだからいいじゃねえか」

「まあね……。あれずっとお守りにしてたんだ。結局そのまま留学になっちゃったしさ。寂しい時はいつも握りしめてたよ。たまに日本に帰ってきても篤は忙しくて全然会ってくれないし、もう篤よりもメダルの柄のイルカちゃんの方が好きかも」

「おい、なんだよそれ……」

「ふふっ、冗談」


 こぼれる涙を拭いながら優月は笑う。


「とりあえずいっぱい話したいことだらけだけどさ、最初に弥生ちゃんに報告しに行こ? 無事卒業できたこととさ、こうして二人でまた出会えたのはきっと弥生ちゃんが空から守ってくれたからって気もするし」

「ああ、俺もそのつもりだよ。けどその前に一つ話したいことがあるんだ――」

「そうなの? 奇遇ね、あたしもなんだ」


 篤が真剣に言いかけて見つめると、優月はその大きな瞳を間髪入れずに篤の目の前まで迫らせて瞼を閉じた。


 もう二人に距離はなく、そして、


「中野。今よ! やりなさい!」


 少し向こうの茂みからナースが一丸レフを構えて、それに篤が気を取られた刹那。

 互いの唇が触れ合って、フラッシュが焚かれる。


 熱くて、甘くて、溶けそうで、なんだかよくわからない感情を顕わにした篤に優月は悪戯に笑った。


「やられた……。でもやられてばっかりも癪だな」


 そう言って篤は強すぎるくらい優月を抱きしめると、そのまま抱き上げて叫ぶ。

 確かな愛の言葉を。


 そして優月も満面の笑顔で言い放ち、篤は「もちろんだ」と返す。


 二人の笑い声を春暖の風が遠くへとなびかせていった。

 それは永遠という期間の始まりを知らせる鐘だったのかもしれない。


 

「――期間限定であたしの彼氏になりなさいっ! 今度はちゃんと寿命が来るまでねっ!!」



 全てのものには期限がある。

 それは永遠のようで、しかし、必ず終わりがくる。

 だからこそ、その瞳にうつる一瞬は、美しく、儚くて、愛おしいのだろう。

 ずっと、この先も。

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