第6話 神の助手

 俺の部屋に、その少女はいた。俺が連れてきたのだから当たり前ではあるのだが、自分の領域に他人が存在するという違和感と、なんだかわからない罪悪感は拭えない。

 もちろん、見知らぬ少女を部屋に連れ込んでどうこうしようというわけではない。むしろどうしようというのか、それはこの少女に問いただしたい。

 瑞々しすぎる髪と、声の幼さ、そして体型から、中学生ぐらいの少女ではないかと推測したが、顔の輪郭がつかめない俺には断定しようがない。銀髪ではあるが日本語を喋っているので、ハーフかなにかだろうか。

 その少女が交差点の真ん中で、俺に言った。

「あなたが神様ね。私は神様の手伝いをしにきた」

 交差点の神。確かに俺はそう自負しているが、それを公言した覚えはない。そんなことをすればどういう目で見られるか、俺は常識を理解している。どういう目で見られようと、その表情が読み取れない俺には関係ないのだが、そんなことは関係ない。ふむ、俺は少し混乱しているようだ。こんなにも蒸し暑く、立っているだけで汗が噴き出てくるのに、この少女は何故こんなにも涼しげな顔をしているのだろうか。いや、これも違う。涼しげな顔かどうかは分からないが、口調や全体の雰囲気からそういう顔をしているのではないかと予測したまでだ。

「神の助手、それが私」

 言葉が出てこない俺に、同じ内容を繰り返す少女。次いで彼女は自分のことを長門零ながとれいと名乗った。

 いかに車通りの少ない交差点とはいえ、こんなところで立ち話をするものではない。とりあえずは道の端っこでという俺に、少女は、レイは、斜め上にあるひとつの窓を指さした。

 そこは俺の部屋であり、俺が存在できる唯一の場所であった。普段、見下ろしている場所から、そこを見上げると青空は全く違って見えた。

 眩しく、何故だか清々しい。妙な感覚にとらわれていた俺が、再び目を戻すと、少女はそこにおらず、家の玄関を開けていた。

 家族の目に触れてもあれなので、俺は部屋へこの少女を連れてきた。そういうわけだった。

 もしかしてこの少女は物の怪か何かの類いではないだろうか。もしくはついに俺の頭がおかしくなってしまい、幻覚を見ている可能性もある。

 話をするべきなのだろうか。追い返すべきなのだろうか。ベッドにちょこんと座ったレイは、当たり前のように本を開いた。

「助手、といっても主な業務はあなたの側にいること。私のことはお気になさらず」

 あとは本をめくる音だけが、ゆっくりと流れる。とりあえず俺は、少し背もたれの高い、体重を預けると自然とリクライニングしてくれる、いつもの椅子に腰を下ろした。

 こんなときでも、俺は交差点に目をやってしまう。習慣といえばそうなのだが、ここに座るとそれぐらいしか見るところがない。また誰かいたらどうしようという緊張感がいくばくかあったが、紛れもない日常しか、そこにはなかった。

 パソコンから、SNSに状況を記してみる。

「何故だか部屋に見知らぬ少女がいる件」

 ――ついにやっちまったか。

 ――アニメの見すぎだ。妄想乙。

 見知らぬ多数から否定的な意見が寄せられる。それらのコメントに、少なからず俺は同意する。こんな状況、易々と受け入れられるものではない。

 パソコンと向き合い、時に交差点に目をやっていると、次第に冷静さを取り戻してきた。

 まず、今の状況、俺の頭が正常であるならば、という大前提があってこそだが、相当やばい。

 例えばこの少女が家出少女だったとしよう。適当に話をつくって俺の部屋に上がり込んだ。あるいは、この少女がなんらかの犯罪に巻き込まれていたとしよう。何者かからの目を欺くために俺の部屋に上がり込んだ。

 どのような仮定であっても、今ここに警察が踏み込めば、俺は確実に捕まってしまうだろう。未成年の少女を部屋に連れ込んだ、変態引きこもりニートとして。ニートではないし、引きこもりでもないわけだが、きっとそう報道されてしまう。

 人生が詰んでしまうかもしれない危うい状態、それが今だ。現状を打破する必要がある。

「あ、あの……」

 こんなときでも、年下の少女が相手でも、言葉に詰まってしまう自分がもどかしい。

「大丈夫。今度は失敗しない」

 鋭利さを感じるほど、澄んだ声だった。

「い、いや、そうじゃなくて……」

 またしても言葉を紡げない俺だったが、ここで諦めるわけにはいかない。

「帰ったほうがいい。あるんだろ? 帰る場所」

 つい最近、見知らぬ相手に吐いた、いや、打ち込んだセリフを、今度は声に出して読み上げた。

「………………」

 しばらくの沈黙。

 その後、ひどく機械的な調子で、少女は呟いた。

「型式NGT00プロトタイプ長門零、属性インストールを申請、…………クリア」

 不可解だ。最近の若者は皆こうなのだろうか。その考えが頭をよぎったところで、それは俺の嫌いな、大人の責任逃れの言葉だと気付いた。

「これで大丈夫だよ、お兄ちゃん!」

 きゅるん! という効果音が聞こえてきたような気がした。声まで変わっていないか? というかそもそも、何が大丈夫なのかすらよくわからないが、ますますもってわからなくなってきた。

 もうどうでもいいや、と思い始めてきたが、部屋に居座られている以上、なんとかせねばなるまい。

 俺はレイを家族になすりつけることにした。一階にあるキッチンにレイを連れて行く。ちょうど、お昼どきだ。母が料理を作っている。

「なんか変な子がいるんだけど」

 俺はなるべく親に迷惑をかけないように生きていきたい。そう思っていたのだが、この際やむを得ない。

 すると、意外な返事が返ってきた。

「また喧嘩? いいから早くご飯食べなさい」

 何がいいものか。むしろご飯を食べている場合ではない。俺は反論したが、全く聞く耳を持ってくれない。どころか、普通にご飯を食べ始めている。

 どうやら母はこの少女を、自分の娘、そして俺の妹として認識しているようだ。

「だから大丈夫だって言ったでしょ、お兄ちゃん」

 ドッキリか何かかと思い、隠しカメラを探してみたりしたが、そんなものはあるはずもなく、俺はおかしくなり始めた世界を嘆かずにはいられなかった。

  

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