第16話

 クルミと初めて会ったのは、爽やかな青空が広がる、とても天気の良い日だった。その日、仕事は休みにしていて、カイはただの趣味として絵を描きに外へ出ていた。

 ぽかんと浮かぶ雲。どこまでも青い空。木に止まる鳥。立ち並ぶ家。走り回る子供。眠っている猫。

 木の根本のあたりに座り込んで、早速絵を描き始める。ずっと絵を描いていても飽きないと言うカイを、友人たちはよく「変なの」と不思議がっていたが、完成した絵を見せるといつだって手放しに褒めてくれた。

 絵を描くことが好だったカイは、いつしか絵を見せることも好きになっていて、絵を描くことで人を喜ばせたいと思うようになった。だから、絵描きの仕事を始めたのである。

 真剣に絵と向き合っていると、外の音が聞こえなくなることはしばしばあった。その日も例外ではなく、ひたすら鉛筆を動かしていると、とん、と肩を叩かれた。

「わっ」

 驚いて顔を上げると、そこには見たことのないおばさんがいた。

「あ、ごめんなさいねえ。驚かせるつもりはなかったんだけど、声をかけても無反応だったから、つい」

 おばさんの後ろには、おじさんと、可愛らしい、カイとそう年の変わらなさそうな少女がいる。

「いえ、そんな! 気が付かなくてすいません」

 尻を払って立ち上がると、おばさんはカイの絵を覗き込んだ。

「上手いものねえ」

 カイが描いていたのは、町の風景だ。褒められて、カイは素直に喜んだ。

「ありがとうございます」

「あなた、もしかして絵描きの人? この辺りでやってるって、聞いたことがあるんだけど」

「そうなんです」

 店を構えて、まだ一年も経っていない。認知度はまだまだなく、発展途上中だ。

「この通りを一本向こうに歩いて行ったところに、店があるんです。もし良ければ、ぜひぜひいらして下さい」

 チャンスとばかりに、宣伝をしておく。地道な活動が大事だ。

「あなたは、どういった絵を描くの? 町の風景?」

「何でも描きます!」

 風景でも人物でも、何でもござれだ。息巻くと、おばさんは「まあすごい」と手を叩いた。

「じゃあ、私たち三人を描いてって言っても、描いてくれるの?」

「もちろんです!」

 絵の道具を無意識に抱える。今日は休みのつもりだったが、どうせやっていることは変わらない。

「今は別のお仕事中?」

「いえ。実は、今日は休みなんです。今は趣味で描いてただけなので。でも、お時間あるなら描きます! 描かせて下さい!」

 詰め寄ると、後ろで聞いていたツインテールの少女が、乗り気な調子で頷いた。

「こう言ってもらってるんだし、私描いてもらいたい」

 洗練されたような美少女だと、カイはその時初めて気づいた。まだ幼いため、可愛らしいという形容が良く似合うが、成長したらとんでもない美人になるだろうと思われた。眼福である。

 三人にベンチへと座ってもらい、カイは早速鉛筆を動かす。

 それまでも、たくさんの人の絵を描いてきていたが、この少女ほど美しい人を描くのは初めてだった。描きたい気持ちが高まり過ぎて、手の動きが追い付かない。三人とも良い笑顔でいてくれるので、カイも自然と笑顔になっていく。三人の、安心する幸せな空気感は、周りの人まで幸せにしてしまうようだった。

 けれどふと疑問に思うのは、一見すると家族に見える三人に、似ているところがないということだ。おばさんも愛嬌のある顔ではあるが、クルミのようなぱっちりとした二重ではないし、おじさんの丸い鼻も、クルミの通った鼻筋とは全く別物だ。けれど、三人の雰囲気は家族そのものだった。

「ご家族ですか?」

 訊いてみると二人に挟まれた少女は首を左右に振った。

「私は、お二人がされてるお店で働かせてもらってるんです」

 カイは納得した。しかし、三人の空気はただの雇用関係とは思えない親密具合だ。

「でも、すごく仲が良さそうですよね」

「私は、本当の家族みたいに思ってます」

「嬉しいこと言ってくれるなあ、クルミ」

「本当に。私もそう思ってるわよ」

 クルミ、と呼ばれた少女は静かにはにかんだ。カイは、羨ましくなった。

 すでに母を失くしていたカイは、血の繋がった家族も、家族のように大切に思える人も、いないのだ。

「すごく、素敵なご関係ですね。羨ましいや」

 描き終えると、三人に絵を見せた。

「本当の家族より、家族みたいですよ」

 笑うと、クルミは頬を赤らめて、照れたように微笑んだ。

 支払いを済ませると、クルミは絵を胸に抱いて一礼した。

「素敵に描いてくださって、ありがとう」

「モデルが良かったからですよ」

 あれほどの幸せな空気の中で絵を描くことは、稀だ。血の繋がった家族なのに、物々しい雰囲気を醸し出す家族もいる。そうすると、色が付いていなくても、自然と絵の中は暗くなる。そういうものだ。

「あ、あの」

 そのままお別れ。もしかしたら、町で偶然会う時もあるかもしれない。それくらいの気持ちでいたら、クルミはカイを引き止めた。

「私、この店で働かせてもらってて」

 鞄の中から、可愛らしい丸文字で書かれたチラシを取り出す。一番上に店名、うさぎや猫の絵と共に、メニューなどが書かれている。下の方には地図と住所、電話番号が書かれていた。カイの店からも近く、行きやすい場所だ。

「ああ、ご飯屋さんなんですね」

 センスの良いチラシに、感心する。カイは絵を描くだけなら得意だが、宣伝のためのチラシなど、センスが問われるような絵は描いたことがない。しかも、文字まで入っている。カイは、字を書くのがとても下手だった。

「もしよかったら、ぜひいらしてください。あの、今日のお礼にサービスしますから!」

 美少女に間近で言われて、カイはカクカクと頷いた。可愛い女の子に近づかれると、条件反射的に緊張してしまう。

「い、家からも近いですし、その、多分寄らせてもらうこともあると思います」

「本当ですか! ありがとうございます」

 礼を言うのはこっちなのに、カイは「いえ」とか「ああ」なんて言葉くらいしか返せなかった。礼と言われても、すでに代金はもらっているし。でも、クルミがあんまり喜ぶから、カイは何も言えなくなった。

「じゃあ」

 クルミは、おじさんとおばさんの腕を引っ張って、向こうへと歩いて行った。何やら顔を赤くして、三人で笑い合っている。

 カイは、チラシを何度も何度も眺めた。

 そして、一週間か二週間か――しばらくの後、その店を尋ねたのである。





「あーあ。惚れた方が負けっていうけど、本当にそんな感じ」

「え?」

「知ってる? 私、あの時カイくんに一目惚れしてたんだよ?」

「え?」

 突発的なカミングアウトに、驚きすぎて頭を思い切りぶつけたような気分になった。

「あ、あの時?」

「初めて会った時。絵を描いてくれたでしょ?」

 それは、二年ほど前の記憶だった。確かにそうだったと頷いて、カイはもう一度驚いた。

「一目惚れって!」

 カイは、両手で自分の顔を覆った。お世辞にもスイのような美形ではないし、背は低いし、取り柄と言えば絵を描くことだけだ。クルミだったら一目惚れされることはあるだろうが、自分に、と考えるとカイは「ありえない!」と首を振った。

「俺、今まで女の子にモテたためしないし、男前でもなく不細工でもない普通男って言われてるんだけど!」

「男は顔じゃないの」

 クルミはカイの言葉を両断した。

「で、必死に好かれる方法考えて、おばさんたちにも相談したりして。だから、やっと付き合えてすごく幸せだったのに、カイくんに幸せになってほしいみたいなこと言われて、かちんときちゃった。私のこの想い、全然届いてなかったんだ―って。自分にも、カイくんにも呆れた」

「う、うそだろ!」

「本当だよ。こんな嘘つくわけないでしょ。カイくんの絵、描いてる姿があんまりかっこよかったから。楽しそうに描くなあって」

 電車の音が近づいてきたが、カイはもう一歩も動けそうにない。幸せに殺されるとは、きっとこのことだ。

「嫌いになろうと頑張ったけど、目の前にしたら、やっぱりどうやっても大好きだった。困っちゃうよね」

 はにかんで、クルミはカイへ手を差し出した。と思うと、ぎゅっとカイの手を取る。

「手、握りつぶしたりしないから」

「そんな心配してないって!」

 いつだったか、ぽつりと零した言葉を根に持っているようだった。

 そのまま、電車に滑り込む。ちんちんと音が鳴って扉が閉まると、ゆっくりと電車は動き出す。客は少なくて、電車が走る音だけが聞こえる。

「き、緊張する」

「私の方がよっぽどしてる」

 どきどき。心臓が飛び出そうだった。

 手を繋いだまま、ごとごと二人一緒に揺れる。

 隣を見れば、耳まで真っ赤にしたクルミがこっちを見ていて、二人で一緒に笑い合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨宮探偵事務所へようこそ―絵描きの少年― 糸坂有 @ny996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ