分かたれた世界の架け橋

成井露丸

プロローグ

プロローグ 強襲!海底資源庫!

「くそう! なんで敵艦がこんなに居るんだよ!」


 海の中に浮かぶ艦影を目の当たりにして直人は思わず不平を口にする。こんなはずじゃないのに――と。前面の強化ガラスに内挿された透過性スクリーン上にはソナーの情報から再構成された視覚情報が提示される。そこには潜水艇の群れが浮かび上がっていた。


「敵艦、なおもその数を増やしています! 十艘目、ソナーにかかりました」

「マジかよ!?」


 高速潜水艇キリシマの操舵室に女性の声が響く。空中――といっても海中に浮かぶ潜水艇の中なのだが――には三次元ホログラムで若い少女の姿が浮かんでいた。

 背中まで伸びた黄金の髪と白い肌。


「アリス、こちらの迎撃オプションは何がある?」

「検索します。――オプションは3つ。高速航行による撹乱、振動波による攻撃、タンクによる直接打撃です」

「どれも微妙だな……」


 直人の音声を認識した巡航支援システムが推論結果を弾き出す。そのインタフェース――宙に浮かぶ少女が口を動かして伝えるとともに、前面のガラス上にも選択肢が箇条書きで示されていた。いずれも実行可能ではあるがデメリットも明らかだ。タンクによる直接攻撃なんて、逆にこっちのタンクが潰れて資源を持ち帰れなくなるじゃないか、と直人は暗澹たる思いに沈んだ。

 そのガラス越しには五艘ほどの潜水艇が視認できた。多分、残りは後方か側方かだろう。直人は思わず眉間に皺を寄せる。簡単なミッションだと思っていたのに。

 そうこうしている内に、続いてスクリーン上に泡を吐きながら幾つかの物体の姿が徐々に大きくなってきた。


「魚雷が接近しています」

「マジかよ。海側ダスマーの奴らはなんて野蛮なんだ! 捕り物にそんなに資源を使っているんじゃないよっ!」

「……泥棒がそんなことを言っても説得力無いと思います。マスター」

「こんな時にそんな高性能な日常会話機能の性能は見せつけなくて良いから、アリス!」

「あと十秒で着弾します」

「あわわわわ、っと、位相防壁トポロジカルバリア展開ッ!」 

計画プラン以上にエネルギーを消費しますが、構いませんか?【受諾アクセプト】か【拒絶リジェクト】でお答えくだ――」

「ええい、いちいち聞くな! アクセプトッ!」

「承知しました」


 スクリーンのコマンドラインに実行命令が表示されると同時に一瞬ガラス越しの海が昏くなり、そして、操舵室足元の揺れが一瞬収まる。位相防壁トポロジカルバリアが海中の空間と潜水艇の界面に展開されたのだ。そして、きっかり十秒。椅子ごと揺すられる感覚を直人は覚えた。大型地震のような衝撃。


「着弾二発。残りの魚雷の自動回避に成功しました。艦体の損害は未だ軽微。エネルギー及び酸素消耗率、計画プランより10%増加。計画プランの最適化計算による評価を実行。――完了。ミッション完遂は可能な範囲内ですが、現時点で制約違反確率は1%程度増加」


 揺れた操舵室の椅子にその身体を深く沈み込ませた直人は、さっき口にしたばかりの言葉をもう一度弾き出した。

「――こんなはずじゃなかったんだけどナァ」

 とぼけたような語尾は、自分自身の緊張をほぐすため。

 こういう状況で焦っても何の得も無いことなんて、資源管理局のキャリアを通じて嫌というほど知っている。

 大沢直人が実施中の仕事――海側ダスマーからの資源強奪ミッションは海中で暗礁に乗り上げた。



 西暦2119年。世界は陸側ランド海側ダスマーに分かれていた。

 西側ウェスタン東側イースタンに分かれていた世界はもはや昔話の中の出来事。今や「西暦」という言葉で時間を語ることすら、どこかに古めかしさを覚える。海側ダスマーでは既に西暦は用いてられていない。陸上にしがみつく陸側ランドの人間ばかりが西暦なんていう前世紀的な時間の中で生きている。

 高度経済活動と世界大戦による環境破壊により、陸上における人間の生存圏は急速に失われていった。人々は陸上の非汚染地域で肩を寄せ合って生きるか、海中へと新たな生存圏を求めるかが迫られた。

 しかし、文明とは環境適応として進化する知能と人類社会の上で成立するもの。資源豊かな海中へと逃れた人々はその文明の上に接ぎ木をすることさえ出来ず、海側ダスマーにおいて科学技術文明の進化は止まった。一方で、陸上に残った人々は限りある資源の中、それでも、科学技術文明を前に進め続けた。資源制約の困窮に喘ぎながらも。まるでそれは科学技術というミームの断末魔の叫び。

 世界は二分化した。――陸側ランド海側ダスマーへと。



「アリス。エヴァナブルクの資源管理局の本局に通信は繋がるかい?」

「駄目です。海中であることと、旧式ではありますが敵艦から妨害波ジャミングが展開されていて通信帯域が確保出来ません」

 

 直人は舌打ちした。自分自身で判断せざるを得ない。まぁ、これまでだって半数以上のミッションがそんな感じだったのだが。

 それだったら初めから権限を自分にくれよ、とも思う。資源管理局はつくづくブラック企業だと、いつものように直人は自らの不遇を呪った。


 大沢直人はエヴァナブルクの資源管理局で働く特務員。資源管理局は陸側ランドの生活が維持できるように、あらゆる資源を「管理」する使命を持つ機関である。資源管理局などというと平和を維持するための倫理的に真っ白な公的機関のように聞こえるが、現実はそんな生易しいお花畑ではない。

 資源管理局が管理する資源は地球上の資源であり、それには陸上も海中もない。その資源を陸側ランドの生活維持のために管理するのだ。つまり、海中から資源を強奪することだって、正当な業務として含まれる。たとえ、その資源の所有権を海側ダスマーが主張していたとしても。

 この仕事に疑問を覚えたことが無いと言えば嘘になる。しかし、資源の多い海側ダスマーがその地球上の豊富な富を独占することも理不尽なことであり、その正当な分配を受けることは陸側ランドの人類が持つ自然権であるという考え方が常識として浸透していた。

 そもそも陸側ランドの人間は、海中に逃げて文明の進歩を止めた海側ダスマーの人間を劣等種として認識している。同じ人権を持つ存在とは認めていないのだ。だから、海中の出来事に心を痛める人間は奇特で懐古的なヒューマニストだけだろう。


 今回のミッションは海側ダスマーの居住区の一つシゼルカンドにある資源保管庫の強襲と、資源の強奪――もとい、管理にあった。事前の情報では海側の保安部隊に接敵することなく潜入出来るルートだったはずだった。それなのに、気付けば直人の操る高速潜水艇キリシマは骨董品のような海側ダスマーの潜水艇十艦に包囲されていたのだ。

 いくら骨董品でも、兵器まで積んだ野蛮な時代の潜水艇である。無視して巡航して、やり過ごさせてもらえる気もしない。そして、実際に手荒い歓迎を受けているわけである。


「さらに魚雷来ます。五秒後着弾」

位相防壁トポロジカルバリア維持!」


 再び操舵室を衝撃が襲う。一瞬、スクリーンが暗転するが、すぐに表示は復活する。しかし、その一瞬が、直人に「このままでは、本当にヤバいかもしれない」という認識を深めさせた。それは計算のみで構成された思念体――アリスにとっても同様だった。つまり二人が行ったのは陸側ランドらしい理性的思考。


「マスター、このままではミッション遂行は困難です。本艦自体の維持、及び、マスターの生命維持も困難となる未来の観測確率が上昇しています」

 人工知能らしい合理的な確率推論結果を示すアリス。それは、直人の直感とも完全に一致していた。「仕方ないな」と、直人は溜息をつき心を決める。


「アリス。航行記録に映像情報しっかり保存しておいてくれよ。理由なくミッションを放り出したって本局で評価されたら堪らないからな」

「戦闘記録の常時保存は既に自動実行しております。陸上に帰還後、本局に提出いたします」

「じゃあ、問題ないか――」

 ひとりごちて、直人は自らの椅子の肘掛けの端をぎゅっと握った。そして、前方に向けて目を見開く。


「これよりキリシマは海側ダスマーの潜水艇迎撃に移る。アリス。振動波による全面攻撃の準備!」

「了解です。エネルギー及び酸素の使用率はどのようにしましょう?」

「エネルギーも酸素も帰投可能な分量さえ残れば問題ない。全部ぶち込んで生きて帰るぞ!」

「イエス、マイマスター」

 宙に浮かぶ少女が凛とした表情で前方を向く。少女は白い腕を上方へと掲げた。


「――位相振動子フェイズオシレーター起動。キリシマの船体界面に位相空間フェイズスペースを展開。アトラクターを形成します」

 再び、海流の揺れが収まり、位相空間フェイズスペースに包まれた状態固有の穏やかな揺らぎが直人の神経系を駆け抜ける。


位相振動波フェイズウェーブ――発射イグニッション!」

 直人の声に呼応するように、アリスがその言葉を復唱する。

 刹那、キリシマの操舵室から見える海中の世界が光と闇の振動を起こし始めた。

 

 海中を伝わる振動波は一瞬で、高速潜水艇キリシマを取り囲む十艘の潜水艇を変形させ、沈黙させ、海の藻屑と化したのだった。海に逃げた陸上文明の残滓は、そうやって、また一つ、海の中へと還っていくのだ――。



 半日後。陸側ランドの港町エヴァナブルクの波止場には、黒いレザースーツに身を包んだ、機嫌の悪そうな男が立っていた。

 ミッションを「完全失敗」という最悪の結果で終えた大沢直人は海に向かって中指を立てている。口をへの字に曲げて。彼は海の向こうに落ち行く夕日から目をそむけると、脇にある愛機のオフロードバイクに跨り、街の中心にある資源管理局本局に向かってアクセルを回すのだった。

 


 西暦2119年の夏が始まる。

 この「作戦失敗」が、より大きな騒乱の引き金でしかないことに、この若い資源管理局員は気付いてさえもいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る