エピローグ

エピローグ1 直人、結、ネギ

 海からの風が大通りを吹いている。エヴァナブルクの空は快晴だ。その風の中を突き抜けるように、オフロードバイクのセローが駆け抜ける。居住地域を抜けて、商業区画の外れで、勢い良く後輪を滑らせると、その二輪車はログハウスのような平屋建の店舗の前に止まった。

 黒いレザースーツに身を包んだ男は、愛機から降りると、両手でフルフェイスヘルメットを外した。その下から現れた青年の顔は一週間前よりもずっと清々しいものだった。


「ただいま、結。戻ったよ」 

「――あ、直人。お帰りなさい」

「いや〜、直人はん、今日も、男前でんな〜。お邪魔してますわ〜」

 その店『キリノグラスクンスト』の扉の鈴が鳴ったあとに返ってきたのは、桐野結の柔らかくて綺麗な声だった。それに続いて、カルガモのがさつで訛った声。


「おい。なんで、ネギやんは、いっつもこの店にいるんだよ?」

 今日は二人の時間を過ごせるかと思ったのに、と直人は心の中でため息をつく。昼下がりに抜け出して恋人に会いに来たのに、このカルガモが居るとせっかくの雰囲気が台無しである。そんな男の純情を知ってかしらずか、カルガモの商売人はペチッと額を叩いた。


「いや〜。やっぱり、結はんのガラスはジェナブロニクでも人気ですしなぁ〜。これから通商条約が結ばれたら、シゼルカンドでも良く売れるかもしれまへん」

「ネギやんはほんと商魂逞しいよなぁ」

「直人はん、それ、褒め言葉でっせ。商売人は商魂たくましくてナンボやさかい〜」

 ネギやんの台詞に肩を竦めてみせると、向こう側で結が可笑しそうに口許に手を当てていた。


「体調は大丈夫?」

「……ええ。ありがとう、もう大丈夫よ」

 結がそう言うので直人は「そっか」と返し、フルフェイスヘルメットを店のカウンターに下ろした。結も、あの動乱で、幾つもの擦り傷だけではなく、心にも傷を負っていた。しばらくは、店も閉めて臥せっていたのだ。


 カルガモのスイレン姫の暗殺未遂事件に端を発した、海側ダスマーのシゼルカンド軍によるエヴァナブルク侵攻事変から一週間が過ぎていた。直人や結、資源管理班班長エノハ、そして、カルガモのスイレン姫やアジュガ、クロガモの若者スミの活躍により、事態は沈静化された。様々な経緯やすれ違いはあったものの、主だった責任はシゼルカンド軍のノア・カーティス・カムロギ大佐によるものとして両国で処理される方向だ。

 もちろん、破壊された町並みや、重症を負った人々の傷が、一週間で癒されるはずもない。失われた命は戻らない。それでも、一週間の時を経て、エヴァナブルクは前に進もうとしていた。


「まだ、調子悪いようでしたら、カモ商会特製の飲み薬でも売って差し上げましょか〜? 結さんやったら、通常価格から……う〜ん、三割引き! いや、四割引きしまっせー! あいたっ!」

「――ちょっとは静かにしろ」

 人差し指で直人がネギの額を弾くと、結が可笑しそうに笑った。ネギも頭を抑えながら、笑いを取れて満足そうだ。


「ねえ、ネギやん。クロガモのスミくんは、その後どうしてるの?」

 スミ。動乱で命を落としたクロガモ族族長のダイヤの息子。心の優しい、強い男の子。彼が居なければ、ネギだってどうなっていたかわからないし、先の動乱だって、上手く収束できていたかは分からない。

 しかし、彼はすでにクロガモ族の群れを追放された身。ただ、同時に、ダイヤの息子であり、この動乱においてノアの諫言に惑わされることなく、正義を貫くことの出来た若者。そういう意味で、彼の立場は今、クロガモの追放者とも勇者ともどちらともつかない不安定な状態にあった。


「あ〜、スミやんなら、今は、教会で和平条約の調印式に居てると思います〜。いや〜、スイレン姫とお近づきになりましたからね〜」

「お近づきって……まさか」

「いや、直人はん、あんまり下世話な妄想はあきまへんで」

「う……ネギに言われると、なんだか腹が立つ」

「ま〜、それでも、スイレン姫もアジュガも、スミやんが次のクロガモ族長になってくれたらイイなぁ〜、とは思ってはるでしょうなー。平和思想が似てはるさかいに」

「そうね。そうなったら素敵ね。……お姫様と王子様の恋物語かしら?」

 そう言って目を輝かせる結に、直人は一つため息をついた。


「そろそろ、モニター点ける?」

「あぁ、頼むよ」

「さてと、お姫さまの勇姿、楽しみですな〜」

 

 結がリモコンでモニターの電源を入れる。通電を知らせる電子音が小さくなり、画面が明るくなる。その映像は、会場に選ばれた教会の内部を映していた。既に、多くの人が集まり、中央に造られた一段高いステージには、エヴァナブルクの代表と、あらためて海側ダスマーの特使となったスイレン姫の姿があった。


 その画面を見ながら結はふと気づき、視線を直人の左腕に下ろす。そこには、いつも彼が二の腕に身につけている端末の姿が無かった。

「あれ? そう言えば、今日はアリスちゃんは?」

「ん? ああ、アリスなら、今頃、海の中だよ? キリシマで、シゼルカンドに向かっているよ」

「直人なしで?」

「まぁね。今回はただの護送任務だから、少数のスタッフさえいれば、あとはアリスの自動運行システムで、なんとでもなるから、俺は待機だってさ」

「そっか」

「そういうこと」

 改めて、直人は結の隣の椅子に腰を掛けると、モニターの画面に目を遣った。陸側ランド海側ダスマーのこれからを作る、歴史的な瞬間だ。


「さて、始まるみたいでっせー」


 和平条約の調印式。スイレン姫の奥には、クロガモの若者――スミの姿があった。





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