猫と私

無糖

第1話

おい猫。そこをどけ。


他人様の家の前に居座るな。私が家に入れないだろう。



辺りは薄暗くなり始めている。この時期に長い間外に出ていたらきっと蚊に刺されまくってしまって、私は痒み地獄へと堕ちるだろう。

だからさっさとそこをどけ。



さっきから猫はじいっと私を真っ直ぐに見つめて微動だにしない。私は何だか動くのもためらわれる。あの猫に威圧されているようで、負けた気がして癪だ。私も精一杯にらみ返しているつもりだが、一向に効き目がない。



ああ、もう嫌だ。これだから猫は。私は猫なんか好きじゃない。

図々しい。ふてぶてしい。人間を何だと心得ている。


なのに私の周りには猫ばっかりだ。左隣の高倉さん家に3匹、右隣の斉藤さん家に4匹、裏の黒井さん家に2匹。私は幼い頃から猫に囲まれて暮らしてきた。

今、私の家の真ん前で私を家に入らせまいとしている奴は、斉藤さん家の三毛、名前はフウ。この住宅地ではフウちゃん、フウちゃんと住民にもてはやされている。なんて憎たらしい。



おい寝そべるな。しまった。


少し気が緩んだ隙にフウは玄関の前にぐたっと寝転がり始めた。


くそ、もう少しにらみを効かせておくべきだった。甘かった。



やはり猫より犬だ。最近は猫ブームだかなんだか知らないが、私の周りには猫派の人が多い。友人ら曰く、猫系男子はかわいいのだそうだ。犬系男子だってかわいいだろう。猫耳より犬耳の方が萌えると思う。


犬は猫とは違って従順だ。こちらが飼い主だぞ、と示せば逆らうことはないし、首輪とリードをつけておけばとりあえず安心だ。


ところが猫はどうだ。あっちこっち自由に歩き回り、眠たければ眠り、腹が減れば食い、都合のいい時にはめいっぱい甘え、かと思えば時に飼い主にさえ威嚇する。自由奔放、自由気まま。自由と言えば聞こえはいいが、要は自分勝手なのだ。


もし猫のような人間ばかりだったらどうなると思う?社会は崩壊だ。

犬のような人間がいたら大変都合がいい。従順で利口。社会を円滑に回すのに、犬のような人間はとても便利だ。



元々人間なんて色々なしがらみに囚われているのだから、自由になんて出来るわけはない。

要するに、人間は猫にはなれない。



ああ、そうだ。その通り。私は猫が羨ましい。

私は猫になりたい。


あんなふうに自由になれたらとずっと思っていた。

私は結局首輪で繋がれて、縛られている。毎日、毎日。名前も形もない主人に飼われる従順な飼い犬。



おいあくびするな。

人がせっかく密かに心のうちを暴露したというのに。


まぁ、そんなことはどうでもいい。私が犬か猫かなんて本当どうでもいい。全く関係ない。

今私がしなければならないのは、家に入ることだ。



私は猫が羨ましく、憎く、そして苦手だ。

というか、動物全般苦手だ。何となく怖い。触ったりとかは出来ない。食わず嫌いという言葉があるように、私は触らず嫌いだ。

現に今、私は玄関から7、8メートル程離れて奴とにらめっこをしている。道の真ん中辺りまで出てしまっているから、とても危険だ。ここが閑静な住宅街で良かった。



なぜこいつは頑なにどかないんだろう。ニャアと鳴いてみるわけでもないくせに、じっと私を見つめてその場を動こうとしない。


本当に勘弁してくれ。私は一日中頑張って働いて帰ってきてもうクタクタなんだ。飼い犬的生活はとても疲れるんだ。早く休ませてくれ。



もぉー、と私はその場にしゃがみ込んだ。

何もかもが上手くいかない。それなのに私は帰宅さえままならないのか。

しかも猫相手に。



日はもうすっかり落ちてしまって、街灯に明かりがともり始めた。


じろりとと再度奴をにらみつけると、玄関の前の階段に寝そべっているフウとほとんど同じ目線の高さになっていることに気がついた。今度は真正面から目が合った。いつもは上からの角度からしか見ていなかったが、この角度から見ると、奴は案外かわいらしい顔立ちをしている。


こいつも本当は疲れて眠たいのかな。

ふとそんなことを思った。

なぜだか今はちょっとだけいつもよりも近づける気がして、私はしゃがんだままジリジリとフウに近づいていった。



4メートルくらいのところまできた。フウは動かない。



「寝るなら自分の家で寝なよ。ここは私の家だから。」



私がそう言うと、フウはパチパチとゆっくり瞬きをして起き上がると、後ろ足で頭を存分にかいてから、何事もなかったかのようにひょいと歩き出して斉藤さん家の塀の向こうに消えてしまった。



想いが通じたのだろうか。分かり合えたのか。


猫は話しかけるなんて初めてだ。でもこれで安心して家に入ることが出来る。

今日はもう疲れたから寝よう。

晩ご飯もお風呂も明日の準備だってもう全部適当でいいから、今日は眠たいからさっさと寝よう。




翌日、朝自転車に乗ろうとすると、自転車の前には奴がいた。

私は例に漏れず数メートル前で固まる。フウは置き物のようにちょこんと座って、じいっとこちらを見つめている。



ふざけるな。いい加減にしろ。

昨日の今日で何なんだお前。早くどけ。電車に間に合わないだろう。


ああー、と大きくため息をつきながら空を仰いだ。今日はやけに天気がいい。青く澄み渡った、雲一つない晴れ空。このままこいつに構っていたらきっと日焼けするだろうな。


いいか、私の白い肌が日に焼けてただれる前に、




おいフウ、そこをどけ。





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猫と私 無糖 @tamagan

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