シン・シルバー・ラヴ・ロマンティック

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シン・シルバー・ラヴ・ロマンティック

 世界は終わった。

 巨大な隕石が地上へと降り注ぎ、巨大な怪獣が昼夜を問わずに街を破壊しつくしている。もちろん人類もそんな危機的状況に直面してただ手をこまねいているだけではなかったのだが、あまりの非常事態に混乱が混乱を呼び、さらに未知の病とでも言うべき巨大な現象が蔓延し始めたことをキッカケとして、内からも外からも、社会から文化から人間というものは一気に崩壊しきっていった。

 阿鼻叫喚という言葉が、掛け値なしに今を表現していた。その言葉が、これ以上ないほどにしっくりきていた。

 世間では辞世の句を詠むものが後を絶たず、どこもかしこも諦念の空気に支配されてしまっていたのだが、一方で、終わってしまうからこその団結力を見せるものたちもいた。ネットを使って生存のための情報を拡散して助け合いを詠うことが、一種の流行はやりとなっていた。これが人類最後の流行りゅうこうになるのかもしれなかった。

 歴史というものの本当の終わりを、世界は目前にしていた。

 でも、それでも僕たち三人は、本当に終わってしまったのだろうか?



          ○



「私、昨日、ふられたの」

 華代かよのその言葉に、龍一郎りゅういちろうは思わずドキリとした。

 学校からの帰り道、車一台分の幅しかない緩やかな上り坂を、龍一郎は華代と並んで歩いていた。

 車道と歩道の境目のない道には、龍一郎と華代の二人だけしかいなかった。左右に立ち並ぶ家々からも人の気配は感じられず、よもやゴーストタウンと見紛うほどの静けさがあった。龍一郎たちの下校を見計らうようにして舞い始めた雪が、その寂しさを一層助長させていた。

 龍一郎は、折りたたみ傘を取り出して、さした。それは自分のためではなく、横にいる華代を雪で濡らさないためだった。長くつややかな髪と、歩くのに合わせてかすかに届く香りと、彼女のか細くも芯の通った声と、汚れのひとつもついていない制服やそこから伸びる白く細い手足に、肩にかけられた鞄はもちろんのこと、靴下や靴の先にいたるまで、彼女というものをできるだけ守り抜くために、龍一郎は傘を華代寄りに持って傾けて、彼女を覆うようにしていた。

「間に合った?」「でも遅かったね」「ごめん」といつもと変わらない淡々とした調子をへてから、そのあとで、華代は彼女がおよそ言いそうにもなかった言葉をその口から飛び出させた、だから、龍一郎は戸惑わざるをえなかった。

 龍一郎は、しかし、その動揺をおくびにも出さなかった。

「誰に?」龍一郎は聞いた。

有紀ゆうきに」華代は答えた。

 華代も華代で、龍一郎のほうを見向きもしない。

 華代のことをよく知る人間は、龍一郎の他にはひとりだけしかいなかったし、龍一郎はそれで十分だと思っていた。そのひとりが、今彼女の言った有紀という男であった。

 龍一郎と華代と有紀の三人は、小さいころからよく遊んできた同い年の親しい友だち同志だった。その関係は中学校に入ってからも続いていて、三人一緒にいることが当たり前で、だから、二人でいる今がひどく珍しく、つまり、華代の突然の告白にも少しの前置きが仕込まれていたということに他ならなかった。そのことに気を回すことができなかった龍一郎は、だから大きく揺れ動かされてしまったのだった。

「幻滅した?」

 ここにきて華代は、彼女らしくない茶化すような声音を投げかけてきた。

「別に」

 そんな彼女に、だから龍一郎は素っ気なさで対抗するしかなかったし、それに、それだけでは我慢できずに「でも今ってそんなことをしている状況なのかな。学校でもネットでも散々騒ぎになっているんだから、愛だの恋だのって浮ついている場合じゃないんじゃないかな」と、どう返されるのかがわかりきっていることを、あえて口に出していた。

 華代に限ってはだからということもないのだろうが、さっきの可愛らしく冗談めいた様子は気の迷いだったとでもいうように「学校とかネットとか、そんなものが私たちのなんだって言うの? 世間は世間で、私たちは私たち、まわりがどうなろうとどうであろうと、今ここにいる私たちには関係がない、知ったことじゃないわ。私たちだって今この時この場を真剣に生きているの。私たちの必死さを否定できる人間なんて、この世界にはいないわ」と、龍一郎が知るところのいつもの彼女がそこにいた。

 二人の歩いている道は、くねりながらも前へと進み、目的地である大通りのバス停へと続いていた。歩幅は小さく、まだまだ遠いが、それらを妨げるものはなかった。もしあったとしたら、それはつもり始めた雪くらいだっただろうが、二人の足をもつれさせるためには、あと数日は必要になるだろう。

「それから。もしこれからも私たちとして必死に生きていきたいのなら、心にもないことは言うべきじゃないし、心にあることでも、見知らぬ誰かに聞かれてしまったら終わりなの。私たちは言葉で生きているんだから、言葉をなによりも大切にしなければならない。自分の中だけだからと油断して思い考えてしまうだけで、それは遠からず形になってしまうものだから」

 彼女の言ういわゆる言霊の話は、龍一郎も幾度となく聞いてきたものだった。そのせいなのか、龍一郎と華代の会話はいつも簡素なものとなっていて、まわりの人間からはそれこそ親しいそれとはかけ離れたものに見えてしまうらしく、いつも一緒にいることが不思議に思われてしまうほどだった。

 さらに龍一郎にとってその教えは、たとえ華代がいない場だったとしても同じ強度で保たれていた。そもそものところ、龍一郎にとっては華代のいない場というものが存在していなかったし、華代のいない場という考え方が理解できなかった。龍一郎は当たり前のこととして、どこにおいても華代に対して後ろめたさを抱かないようにと常に言葉に気を配っていたし、言葉を大切にして生きるべきだと常に心に留め置いてきた。そのために龍一郎は自分の感情をおいそれと、外にはもちろん自分の内にでさえ、簡単には漏らさないようになっていた。

 ところが今の龍一郎は、だからこそ、その教えを破ってでもこれまでの失態を帳消しにしようとしていて、いつもよりも言葉多めにしていた。

「そうかもしれないけれど、もう他人事じゃないよ。被害はもうこのあたりにまで広がってきているんだから、明日は我が身だよ。ほら、向こうのあの山を見てよ、この前の一戦で山頂付近が大きく削られちゃったじゃないか。もしあんなものがこっちに来でもしたら、人間なんかひとたまりもないよ」

「だとしても、私たちの必死さに比べてみれば大したことがないじゃない。今の世の中、生きていくための物も知恵もあふれかえっていて、むしろ手に余っているくらいなのに、なにを今更中途半端なことを言っているの。言うのなら、せめて、もっと傲慢にならないと、そうじゃないと不公平だわ」

 はたから見れば他愛のない無機質な会話だったのだろうが、龍一郎には華代の苛立ちがはっきりとわかった。彼女がなにに対して苛立っているのかと言うと、それは歴史だったり時代だったり、言わば自分たちには手出しのできない巨大な存在に対してなのだろう。華代と龍一郎が歩いている今というものの土台になっているもので、どうしても土台としなければならないもので、だから華代は苛立っているのだろう。

「生きるという言葉が死から遠ざかってしまった私たちにとっては、もう生きるということは、つながるということになったのよ、そう誰かが置き換えてしまったの。つながれなければ生きてはいけないし、つながっていないのは生きていないのと同じこと。だから私たちはつながろうとするし、つながろうとしてきた。もし私たちが死ぬのだとしたら、それは大切なつながりをなくしたとき。だから大切なつながりを壊すことが殺人となり、それがいつのころからか、なによりも重い罪になったのよ」

 龍一郎は華代の言葉を聞いて「それを今、ここで言うのか」と心の中でつぶやいた。そして、どう返されるのかがわかりきっていることを、それでもまた口にする。

「それならいっそのこと銀貨運動に参加すればいいんじゃない? 『いいことをすれば、きっといいことがある』っていう合言葉のもとで、みんなネットでつながりあっているじゃないか。今までの生きることのために、今の生きることを実現しているんだから、まさにぴったりだと思うけど」

「シルバーコインチャレンジなんてただの欺瞞じゃない。『きっといいことがある』だなんて、おこがましいし、浅ましいし、卑しいわ」

 華代の今度の苛立ちは、もっとずっと直情的で、個人的だった。

 ただ今度の苛立ち相手も、ある意味では巨大なむれであり無数の個であったため、状況的に見ても、到底現実的だとは言えなかった。

 ただそうだったとしても、彼女の苛立ちは本当であって、だから彼女の必死さは、あたかも彼女自身を現実へと押し進めていくようだった。それに引っ張られるようにして、龍一郎も足を運んでいく。

「私はこの失恋を純愛にする」

 ついに二人は細道を超えて、大通りへと合流した。といっても、相変わらず人通りはなく、車もまったく走っていない。バス停までの道のりはこれまでと同じように、二人の関係を変えずに進んでいく。

「純愛というのは究極の生だと言えるわ。その人に一途で、その人としかつながらない、その人のためならば、命を犠牲にしたとしても足りないほどに、その人に一生を捧げるということ、その人との瞬間を永遠に続けていくもの。そうすれば、失ったことへの深い悲しみは尊ぶべき生きる糧となる」

 そこで華代は龍一郎のほうを向き、龍一郎の目を見た。

「そのために私は、彼の形をしたディルドを手に入れなければならないの」

 雪は止むことを知らなかったが、龍一郎と同じように、華代を止める術は持ち合わせていなかった。それにきっと、はなから止めようとも思っていないのだろう。

「そんなもの、なにに使うの?」

「決まっているでしょう? それを使って、私は彼とセックスをする。そして今度こそ完全に、私は彼を失うの」

 華代の目は揺るぎなく、それらの言葉は当然のものとして彼女の口から届けられていた。

 華代は有紀の陰茎を模した張り型を相手にして、有紀と性交をすると言った。その言葉は、つまりそれがただの自慰行為ではないということを表していたし、なによりそこには彼女の強い意志が見て取れた。龍一郎も、それが快楽を追求するための単純な慰めにはなりえないとわかっていたし、だからこそその上で、華代がこの話を自分にしている意味というものも理解していた。

「これを見て」

 龍一郎は、華代が差し出した液晶画面を覗いた。そこには、張り形を作るための製作キットが映し出されていた。勃起した実際の陰茎を型取りして作るものらしく、作り方が図で丁寧に示されていた。

「これを使えば彼そのままのディルドが作れるの。ただし成功させるのが難しいらしいから、いかに彼を興奮させ続けるのかが問題ね。表面上を性的でいやらしくするだけでは、きっと足りないのでしょうね。だからもしかしたら、そこにこそ濃密なつながりが必要なのかもしれないわね」

 華代はそう言って、龍一郎から目を離した。そしてそれ以上、言葉をつなぐ様子を見せなかった。つまりそれは、逆にすべてを伝えたという彼女からの無言の言葉でもあった。

 それでようやく、二人はバス停に着いた。



          ○



 その日のうちに、龍一郎は有紀と連絡をとって、会う約束を取り付けた。

 そして翌日の早くから、龍一郎は有紀と二人きりで会い、そこで龍一郎は、するべきことだけをして、するべきでないことはしなかった。

 そうしてさらに翌日となり、龍一郎は再び華代と出会った。



          ○



 龍一郎と華代は学校からの帰り道、細道を歩き終えるかどうかといったあたり、大通りに差し掛かるちょうど手前で横におれて、双方の道に接する大きな神社の境内にいた。境内には広場があって、そこにはブランコや滑り台といった馴染み深い遊具がいくつも設置されていて、二人はそんな遊具たちをかき分けながら、ポツンと置かれたベンチの前に立っていた。

 龍一郎は、さした傘はそのままに手巾を取り出して、積もった雪を払い除けてからベンチの上に敷く。そこに華代は綺麗に座り、龍一郎もその横に腰をかける。

 真っ白になった地面には二人以外の跡はない。そしてきっとこれからも、二人以外の痕跡が付けられることはないのだろう。

「これ」と龍一郎は、華代に紙袋を手渡した。華代は、なにも言わずに顔色も変えずに、紙袋を受け取って中を見て、そして、中身を取り出して包みを解いて、疑う様子も躊躇する様子も見せずに、それを掴んだ。

「これが彼なのね、よくできてる」

 華代は龍一郎が用意した張り型を握って、握って見て撫でて、その感触を確かめるようにしている。そうしてから華代は、紙袋と包みを龍一郎に返した。

「始めるわ」

 華代はスカートの中に手を差し入れて、太ももからふくらはぎへと、下着を滑らせていく。そして、器用に片足ずつを上げながら、下着を自分の身体から取り去っていった。

 さっきまで華代の臍下部を守っていた下着は、それで役目を終えたわけではなく、今度は折りたたまれて、彼女の口の中へと入れられた。彼女はその布を上下の歯で噛みしめるようにしてから、唇を閉じた。

 それから華代は、スカートの中で無防備な姿をさらしているであろう陰部に向かって、龍一郎が手渡した張り型を滑り込ませていき、そして、目をつぶった。合わせて龍一郎も目をつぶる。

 龍一郎の潜んだ暗闇の中にはいつもと変わらない華代がいて、龍一郎の目にははっきりと華代の姿が映っていた。白い肌も細い手足も、髪も香りも声も、龍一郎の知る彼女のすべてがそこにあった。

 そして、彼女に向かい合うようにして、彼がいた。彼は彼女にゆっくりと近づき、彼女を包み込むようにしながら、愛おしく彼女を貫いていった。

 彼女は彼に抱かれていた。つぶった目で、彼女の膣口に彼の陰茎が挿入される様子を見ていた。それを龍一郎は、目をそらすことなく確かにしていた。

 華代は、喘ぎ鳴いていた。龍一郎は、喘ぎ泣いていた。

 二人とも、生まれて初めて、心の底からないていた。

 声は、誰にはばかられることもなく、なにかに遮られることもなく、雪に溶けることもなく、あたりの空気を弾いて拡散していく。

 しかし二人の声は誰にも届かない。龍一郎は華代の声を確かにしているし、一方の華代も同じように龍一郎の声を聞いているはずである、にもかかわらず、華代は行為を止めようとはしないし、龍一郎も行為を止めようとはしない。それは、お互いに本当のところを届かせ合っていなかったからなのかもしれないし、でも、もしかしたらむしろ、誰よりも濃密に届かせ合っているからこそ、二人は止まないのかもしれなかった。

 そこにあるのは二人の身体だけであって、座って目をつぶってするべきことをしている姿だけであって、だから二人は二人のために、それぞれにふさわしい声を出していた。

 そしてひとしきりなき終わったあとで、二人ともゆっくりと目を開けた。

 華代は、ことを終えて、すでに使い終わった張り型を取り出していて、持て余すように手の上に乗せていた。

「それじゃあ終わりにしようか」

 そう言った龍一郎は、片手で扱える程度の大きさの金槌を取り出して、華代に差し出した。

「そうね」

 それを見た華代は、まるで最初から決まっていたことのようにすんなりと金槌を手に取って、立ち上がった。それまで手に乗っていた張り型は、華代と入れ替わるようにしてベンチへと横たえられた。

 そして華代は、さっきまで自身と愛し合っていた張り型に向かって、無表情のままに、金槌を振り下ろした。二度三度と、彼女は金槌を振り上げて、また振り下ろす。手心を加えるような素振りはなく、しかし憎しんでいるような気配もなく、ただ目の前の張り型を打ち据えていく。

 張り型は叩かれる先からぐにゃりと潰れて平らになる。ぐにゃりぐにゃりと胴体がベンチに貼り付いていき、そのたびに足と頭は断末魔の叫びを上げるように雪空へと跳ね上がった。ものも言わずに哀願しているその顔を目にしながらも、華代は手を緩めることなく淡々としている。

 金槌を打つ華代を見ながら、龍一郎はその姿に自分自身を映していた。彼女の一打一打に合わせて、龍一郎も同じように金槌を振るっていた。彼の胴体に、彼の足に彼の頭に、迷いなく金槌を打ち付けていた。打ち付けるたびに彼の身体は反応し、生理現象としての叫び声を上げていたが、彼自身はきっと納得していたのだと思う、彼自身もこれが必要なことなのだと理解していたはずだ。だからその顔に浮かび上がってきた悲哀は、彼の不幸を呪うものではなく、残されていく自分と華代に向けられた哀れみと祈りだったはずだ。

 華代は手を休めない、ベンチごと怖さんという勢いで金槌を打ち下ろしていく。原型を留めなくなってもまだ鈍い音は続いていく。そうしないと彼は浮かばれないし、自分たちも報われることがない、そうしないと今までのすべてが無意味になってしまう、痛くても辛くても苦しくても、だから、やり遂げなければならない、龍一郎の思うそれはきっと華代も同じなのだと、彼女の一心不乱な様を見届けながら龍一郎は噛みしめる。

 気がつけば、彼のすべてが彼ではなくなっていた。

 まだぬめりの残る張り型だったものは、ところどころ白くなり、ところどころ赤黒くなっていた。肌色に強くこびりついているその赤黒い染みは、彼女の中から出てきたものなのか、それとも彼のものだったのか。金槌にへばり付いている拭いきれない赤黒い染みは、張り型から飛び散った彼女のものなのか、それとも彼のものだったのか。

 金槌を持つ彼女は赤く上気していて、傘をどかせばちょうどよく雪が舞い降りて、優しくほだされていきそうな顔をしていた。そんな彼女に自分を重ねる龍一郎は、彼女よりもはっきりと赤く汚れきっていた。

 龍一郎は、それでも、傘を閉じようとはしない。

 これまでと同じように、いつもと変わらずに、それは自分のためではなかった。

 華代と龍一郎が一昨日まで乗っていたバスは、二人を待つことなく、二人だけを残して、大通りを走り抜けていった。




                                     了


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