2 ベニタでお買い物
彼女達と出会ってから数日後。
一真は三人の少女達にベニタと呼ばれる街に連れてこられていた。
何でもここら辺では一番大きな街だと言うが、正直なところ一真にとってどうでもいいことだった。
彼女達は自分達の話す言葉をラスティル語だと言った。ならば、恐らくはここはラスティルという国で、ベニタはラスティルの街の一つと言うことなのだろう。
だが、知らない世界の知らない国の知らない街のことに大した感慨など抱かない。
精々が「街並みは中世のヨーロッパのようだ」という感想くらいだが、一真は本物の中世のヨーロッパの風景などよく知らない。ヨーロッパに旅行したこともない。
そんな高校生の大半がイメージする「中世ヨーロッパの街並み」は異世界に飛ばされたアニメや漫画の主人公が「まるで中世のヨーロッパのような街並みだ」と述懐するときなどに見ている風景ではないだろうか。
正に今の一真がその主人公そのもので、要するにネットで得られる程度の知識しかない一真にとっては、ゲーム世界の風景と、本物の中世ヨーロッパの風景の区別などつかないということだった。
ただ、漠然とやはり自分は異世界に来たのだと理解した。
それはこの数日、このベニタに来る間でもそうだった。
どうやって見つけたのか不思議なくらいの洞穴にしか見えない遺跡の入り口から出ると、山の中だった。
その山を降りると何もない。
草原を横切るような一本の道があるだけ。道も勿論アスファルトで舗装などされていない、土の地面をならしただけのものだ。
それからここに来るまで誰ともすれ違わなかった。
無論、自動車も自転車も見かけることはない。
そして、それ以外にも異世界を意識させることはあった。
ただでさえ普段から長距離など徒歩で移動することなどない現代日本人の一真は、普通に靴で歩いても足に豆が出来てつぶれたりするだろう距離を、裸足で歩くはめになった。
半日もしないうちに足の裏が傷だらけになり、激しい痛みで歩けなくなった。
その度に神官のセリシアが治療してくれた。
それは魔法だった。
彼女が祈るように杖を一真の足にかざすと、両足が光に包まれてあっという間に傷がふさがり、痛みがなくなるのだ。
こんなものは一真のいた世界には存在しないものだ。
その治癒の魔法は一真にここが異世界だと強く認識させた。
治療される度にセリシアに「短小」とか「早漏」とか男の尊厳を傷つけられる罵倒が投げつけられ、聞き流すのに苦労はしたが。
そんなわけで一真は靴や靴下などは物凄く大事なことと、ここが異世界だということを改めて思い知り、自分は平均かそれ以上のサイズのはずだという思いを強くした。
そんなことがあったのたが、今は靴よりは服がほしかった。
ここら辺で一番大きいというベニタの街は、人もそれなりにいた。
建物の中や、道行く人たちがじろじろと一真を見てくるのがわかる。
その人たちの髪の色がカラフルなのには驚きもあった。本当に黒髪や金髪とかがいないのだ。
しかし、それは今は重要ではない。その色とりどりの髪の色をした人達から向けられる視線が痛いのだ。
街に来てわかったことたが、エリス達の鎧や服はかなり上質で高価なようだった。周りの人達と比べると服の色にムラがなく艶も全然違うのだ。
セリシアがエリスとレイチェルは貴族と言っていたし、レイチェルは家名も名乗っていたからそうなのだろう。
そして、セリシアの神官の法衣と呼ばれるものもやはり、高価なもののようだった。
有り体に言って、身分の高い立派な格好をしているということだ。
そんな三人の後ろにいる、布を被ったみすぼらしい子供。
ここ数日体を洗うことも出来なかったので、肌を露出させていないエリス達と違って一真の手足は剥き出しで、垢と土で汚れていた。
そんな一真に人々は痛ましいような、可哀想なものを見るような、中には露骨に蔑んだ目で見てくるものもいた。
もしかして奴隷が連行されていると思われているのではないだろうか。
アニメなどの異世界ものでは主人公が異世界に召喚された先で可愛い奴隷の女の子を買ったり、助けたりして一緒に旅をしたりするが、今の自分はその逆で可愛い女の子に連れられる男奴隷に見えているということなのか。
そんなわけで一真は街に入って程なくして、服が欲しいとエリス達に要求した。
エリスは振り返ると少しだけ微笑んだ。
「大丈夫よ。今、服を売ってる店に向かってる」
歩きながら優しく答えてくる。
レイチェルも同じ様な表情をしている。
「………………」
一真はその視線にいたたまれない気持ちになる。彼女達の優しさには生暖かさが含まれていた。
言うならば、我儘な子供をあやす母親のような。
原因はわかっている。
ここまで来る道中、一真はエリス達に必死に訴えたのだ。
自分は異世界から来たのだと。
自分が生まれてたからどんな風に生きてきたかと言うことから、一真のいた地球のことを色々説明したのだ。
だが、彼女達は全く信じなかった。異世界という概念はあるらしいが、それはここでは空想の産物であって、人が作る物語には出てくるのだが、本気で信じているものなどいないのだという。
なので、言葉を尽くせば尽くすほど、一真は彼女達に「空想の世界と現実の世界の区別がつかない、ちょっと頭があれな残念な人」として認識されてしまった。
年下だというレイチェルにまで頭を撫でられながら「わかってますぅ、わかってますよぉ」と適当になだめられる始末だった。
屈辱的だったがよく考えてみれば当たり前のことだった。
一真のいた地球だって、アニメやゲーム、漫画の中だけで異世界という設定が当たり前のようになっただけで、実際にそんな世界など存在しない事は誰でもわかっている。
一真だけが今は実在することを知り得たが、それを元いた世界の人間に伝えることはできない。
たがそれを知る前の一真なら、もし向こうで「俺は異世界から来たんだ」と裸同然の姿で宣言する人間がいてもまともに相手にすることはなかっただろう。
だからエリス達の反応は当たり前の物と言えた。
こんな異世界ファンタジーから飛び出したような格好の人間に言われるのは甚だ釈然としなかったが。
一真がそんな周りの視線と、エリス達からの哀れみの視線に耐えながら歩いていると、一軒の店の前でエリスが立ち止まった。
どうやら目的の店についたようだ。
結構広い店内には服だけでなく、下着やら靴やらもあり、装飾品が一式揃えられる様だった。
ただ、その下着が……。
「これはエリス様。ようこそいらっしゃいました」
店に入った四人の姿を見て、奥のカウンターからでっぷりとした恰幅のよい中年の男が近づいてきた。
他に誰もいないところを見ると店主らしい。
エリスとも顔見知りのようだ。
髪の色は紫をしていた。一真からはとっても奇抜な髪に見えるが、エリス達は気にもとめていない。
やはりこういう髪の色が珍しくない普通のことなのだ。
「本日はどのようなご用件で?」
店主の問いかけにエリスは後ろにいた一真を指し示して言った。
「彼の着るものと靴をね………」
「左様で……」
見るからに怪しげめ汚ならしい格好をした一真を見て、店主は一瞬だけ怪訝な顔をしたが、すぐににこやかな笑顔を見せる。商売人の鑑のような行動だ。
「少々お待ちを、見繕いますので」
そして、そう言うと店内をどたどたと歩き回り、手に持ったかごに服を入れていく。
「どうぞ、着てみてくださいな」
それほど待つことなく一真の前にかごが置かれる。
一真はその中から下着を取り出した。
「トランクスとブリーフだ………」
先程目に入ったが、やはりそうだった。それは材質こそ違えど形状はトランクスとブリーフそのものだった。
異世界なのに?
一真は下着というと何となく腰巻きや、ふんどしっぽいものをイメージしていたのだが、出てきたのはこれだ。
下着に違和感を感じないのは有り難いが、それとは別の違和感を感じる。
もしかして、女性物の下着も見たことのあるような物なのだろうか。
一真は店主が持ってきた台に腰を下ろし、トランクスをはきながらエリス達をさりげなく見た。
まあ、下着は勿論のこと鎧や服の上からでは体型すらもわからないのだが。
「てめー、何を人の胸をじろじろ見てやがるんだよ?」
セリシアが睨み付けながら言ってきた。
さりげなく見ていたつもりなのは一真だけで、彼女からは丸わかりだったらしい。
もはや、その事自体は気にならならないくらいずっとだがセリシアは、一真を馬鹿にしたような、汚物でも見るような目で見下ろしてくる。
「布の下でごそごそしやがって、こんなところでまさか人をオカズに逸物いじってんのか?」
「うおおおおい!」
余りにも直球なセリシアの物言いに一真は慌てて立ち上がって叫んだ。
「何を言ってるんだお前は! 俺は下着をはいているだけだぞ!」
「どうだかな………私が美人だからっていやらしいことしてきたら神罰をくらわすからな?」
「お前だけはねーわ」
一真は思ってることをそのまま言った。
セリシアは美人であることには間違いはなかったが、性格が壊滅的に悪いことを短い付き合いでも理解できた。
常に一真を見下し、好意的な様子など欠片も見せない。
神官だというが、慈愛の精神というものも一切感じられない。
エリスはセリシアが一真の足を魔法で治療したときに魔法を見て不思議がる一真を不思議そうに見ながら、「神の奇跡の神聖魔法じゃない」と説明してくれたが、奇跡なのはそのとかじゃなくて、この神官らしさが全くないセリシアがその神聖魔法とやらを使えること自体ではなかろうか、と思ったものだ。
「………いいから早く着なさいよ」
エリスが呆れたように言った。
セリシアはふん、と鼻を鳴らすとそこから離れていった。
エリスはそのセリシアをじっと見つめる。悲しそうな顔をしている。
一真は肌着と服を着ながらそんな二人の様子を見ていた。
この二人、あまり話しているところを見かけない。と言うよりエリスとレイチェルはよく話すのだが、その二人とセリシアはそれほど仲が良くないように見えた。
無理もないか、と一真は考えた。セリシアの性格であれば一真だけでなく誰が相手でもまともに付き合えるとは思えない。
取り合えず、着終わった。
その間に用意された靴は紐で絞めるもので、やはり材質以外は馴染めるものだった。
服はエリス達のような旅装束と言うよりは普段着といったものだ。
伸縮性がなく、ざらついたような肌触りで着心地は良くはない、靴も固く履き心地は悪い。たが、我慢するしかない。
ここは異世界なのだ。いつ帰れるかわからないし、無い物ねだりをしていたらきりがなくなるだろう。
エリスはかごに残った残りの服を、別のところに置いてあった売り物の袋に詰め込むと、店主に代金を支払っている。
十円玉を少し明るくしたような色をした硬貨だ。銅貨だろうか。
どうするのだろうか、と思っているとエリスはその袋を一真に渡してきた。
紐がついており背負ったり、脇に抱えたり出来るものだ。
「……………」
戸惑い、黙っているとエリスが仕方無いな、という風に笑いながら言ってきた。
「あげるわよ。着替えとかもないと困るでしょ?」
「そうだけど………いいのか?」
「いいわよ。どうせそんな高いものでもないしね」
そんなことをはっきりと店の中で言ってしまうあたりは貴族らしいとも言えるかも知れなかったが、エリスからは純粋な気遣いも感じられた。
一真に対しても頭が残念な人の面倒を見ている、ということだけでなく一真個人としっかり向き合おうという誠実さが伝わってくる。
セリシアとは真逆で根っからの人の善さがエリスにはあった。
そんな性格だからか三人の中ではリーダーのような立ち位置になっているようだ。
一番の年長者であるということもあったろうが。
「わかった、有り難く受け取っておくよ」
一真が頭を下げると、エリスはまた微笑んだ。
性格の美しさが、見た目の美しさにも出ているような綺麗な笑顔だった。
四人は買い物を終えると店の外に出る。
一真は一抹の不安を抱えながらエリスに尋ねる。
「これからどうするんだ?」
まさか、ここで放り出させる事はないだろうか。そのために服と靴だけは買い与えたとか嫌すぎる。
「貴方、自分の国に帰りたいんでしょう?」
言われて、国じゃなくて世界です。とは言い返さない。
流石にもうこれ以上残念な人間扱いされると心が折れる。
「そこで、レイチェルと相談したんだけど………」
エリスが隣のレイチェルを見る。
レイチェルがエリスを引き継いだ。
「私のぉ……父上にぃ、会いに行こうと思うんですぅ」
レイチェルが怯えながら言った。さっきセリシアが色々言ってきた辺りから一真から距離を取っている。
心なしかエリスの影に隠れるように身を守っているように見える。
「レイチェルのお父さん?」
深くは考えず心を無にして答える。そうしないとガラスのハートが砕けてしまう。
「今回のぉ、依頼も父上からのものですしぃ、報告もありますからぁ……それに父上なら何か知っているかもぉ……しれません」
依頼とは一真と彼女達が出会ったあの遺跡の調査のことだろう。
しかし、帰る方法がわかるかもしれないとはどう言うことなのだろう。
疑問が顔に現れたのか、エリスが答えてくれた。
「レイチェルの父上はここの領主なの。それに宮廷に仕える魔導士でもいらっしゃるから、色々なことに詳しいのよ。貴方の国に飛べる魔法や、魔法道具を知っているかもしれないわ」
なるほどと一真は納得した。とにかくここで放り出されないならそれでいい。
「わかった、じゃあ、今からいくのか?」
エリスが首を横に振った。
「今日はここで一泊するだけ。明日領主の街に向かうわ」
「ここにいるんじゃないの? ここの領主って言うからてっきり………」
「ここっていうのは、この地域って意味よ」
「ちなみに……そこまでどのくらい?」
凄く嫌な予感がした。
「そうね、歩いて一週間くらいよ」
エリスは事も無げに答えたが、一真は勘弁してもらいたかった。
靴を手に入れた所で現代日本人にその期間歩くのはきついのだ。
一真はげんなりとした。
異世界から来てから全然いいことないな。ふとつく溜め息に哀愁が漂っていた。
異世界勇者の冒険譚 エムックス @masaide
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