005 永いお付き合いのための1杯

 天使が我が家にやってきた。

 というとこじゃれた映画か舞台劇のタイトルみたいだが、事実なんだから仕方ない。チャイムに応じてラミントンが自宅のドアを開けると、そこには紙袋を提げたブロンディが立っていたのだった。文字通りの天使の笑顔で「遊びに来ちゃった」と言われれば、火急の用でもない限り、招き入れずにはいられない。それはこの悪魔も同様であった。


「よくうちがわかったな。教えてないのに」

「最寄りの悪魔の気配を追ってきたんだ。きっときみだろうって思った」

「そんな簡単に……ま、オレも気配隠してないもんな。今日は暇だしゆっくりしてけよ。今、お茶淹れるな」

「あ、待って! お茶、これにしてほしい」


 手持ちの紙袋の中から出てきたものを認めて、ラミントンが相好を崩す。


「随分オツなもの持ってきたな」

「先輩がね、これにしなさいって。あとこれ、お茶請け」

「……先輩、やってくれるなあ」


 天使の紙袋の中身は、そば茶とそばかりんとうであった。


 ***


 電気ケトルがカタンと鳴って、お湯が沸く。それを急須に注げば、部屋中にあふれる香ばしい匂い。ラミントンはたいていのお茶を愛している。ゆえに、そば茶も愛する。自分では手軽なティーバッグの紅茶ばかり飲んでいるので、そば茶なんて久しぶりだ。それこそ自分の先輩、もといボスに教えてもらったとき以来ではなかろうか。お菓子はただのかりんとうでもそれ以外でも十分美味しいのに、わざわざそばかりんとうというあたり、ブロンディの先輩も食い道楽に違いない。重ね重ね、本当に天使だろうか。もしかすると他にも近所にニスロクの徒が徘徊していて、ラミントンがブロンディにしているようなやりくちにはまって堕ちかかっているのかもしれない。

 うっすら色のついたそば茶を盆で運んでいくと、ブロンディは「いい香りだね」と相好を崩した。とても悪魔と対峙する天使とは思えない。もっとも彼はそれっぽかったことなど、まだ1度もないけれど。


「先輩は何でそば茶にしたんだろうな。ほかにもお茶はいろいろあるのに」

「きみが箸を使えなかったらいけないからって言ってた」

「なんだそりゃ」

 

 そこだけ聞くと意味不明もいいところだ。さらに事情を聞き出すと「箸が使えても麺類は上級者向け」といった言葉から、本当はそばそのものを贈りたかったようだ。頭をひねるラミントンだったが、ブロンディの「そばじゃなきゃいけないわけでもあるのかな」でピンときた。


「引越そばか……!」

「それは何?」

「引越をしたときに、『細く長くお付き合いしましょう』って意味で、近所にそばを配る風習があるんだ。もうだいぶすたれているけど、先輩はそれをやりたかったんじゃないかな」

「あー……あの人、やりそう」

「でも、オレは箸使ったり麺をすすれるかわからなかったから、次善の策でほかのそば製品になったんだろう。先輩、気遣いできる上になかなかにマニアだな。普通、そばかりんとうなんて現地人じゃないと知らないぞ」

「ちなみにラミーはそば食べられるの?」

「食べられるぞ。ブロンディはどうだ?」

「そもそも箸がうまく使えないよ。すするっていうのもまだわからないし」

「あんたとラーメン食べられるのは、もうちょっと先になりそうだな……。それまでは、フォークとスプーンで食べられる美味いもの、いろいろ教えてやらあ」


 そこまで言って、そばかりんとうを齧る。ぽきんと頼りなく折れて、噛めばさくさくと口の中に広がり、甘みとほんのりとしたそばの香りを残していなくなる。余韻をそば茶で流し込めば、これがうまくないはずがない。ブロンディもそれに倣った。相変わらず、瞳には流星がある。


「あんたのそれ、綺麗だけどさあ。見とがめられたらことだぜ。最近この辺りも物騒で、退魔士がうろうろしてるって聞くし、やめられるならやめたらどうだ?」

「退魔士なら天使は管轄外でしょう。大丈夫大丈夫」

「オレが悪魔だと気づかれないで『保護』されかけたくらいだからなあ。あいつら、けっこう頭ポンチだぜ」


 だからせめてオレみたいにすればいい、と、ラミントンはサングラスをくいと上げて見せた。成程確かに、それで彼の特徴的な瞳は隠れる。だけれどブロンディは「わたしには似合わないよ」とくすくす笑って、それがよほど面白かったのか、細めた目にまた星を降らせる。ラミントンもあまり人のことは言えないが、この駄々洩れの気配、霊感のある一般人も振り返ってしまいそうだ。自分が言うより、1回連中につかまったほうが警戒心がついていいかもしれぬとラミントンは思った。


「何か失礼なことを考えているだろ」

「悪魔だからな。失礼なことの10や20、いつでも考えているさ」

「でもきみって悪魔らしくないよねえ」

「聞き捨てならねえな」


 かりんとうをつまみながらブロンディのいうことには、ラミントンは親切すぎるのだという。様々な美食を教えるのは誘惑の一環だからまだしも、それを食べさせたからと言ってブロンディがなびかずともどこ吹く風のところ、そもそも「悪事の匂い」がしないところなどを挙げられた。確かにラミントンは、悪魔の中でも怠惰なほうだ。悪事らしい悪事を働かず日々を楽しく過ごしている。そのほうが天使にとってはいいのではと返せば、ブロンディの返事も「そうかもしれないね」だった。


「悪魔がみんなきみみたいだったら、天使はきみたちと対立する理由がなくなりそう」

「天使もみんなあんたみたいだったら仲良くできるのになあ」


 どちらからともなく起こる笑い声。

 こうして、うららかな午後はゆっくりと過ぎていった。

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天使と悪魔の食べ歩記 猫田芳仁 @CatYoshihito

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