004 これぞ我らが国民食

 たまの贅沢、と言っても頻度と度合いは人それぞれだ。ささやかな晩酌を週末の楽しみにしている人もいれば、年に1度の記念日に贅を尽くした食事をする人もいるだろう。どちらも「たまの贅沢」と言おうと思えば言える。ましてや天使のことだ。人間のそれよりもつつましやかな贅沢観を持っているに違いない。そういうわけでラミントンは待った。待ったが、享楽的な悪魔のことだ。「誰かと一緒に食事をする」という一種の快楽を、なかなか我慢できるものではなかった。ボスを誘えばぶつくさ言いながらもちゃんと付き合ってくれるのをラミントンは知っていたが、やはり何も知らない相手に手取り足取り教えるのはよいものだ。結果から申し上げると、ラミントンがブロンディの部屋の前に立ったのは、オムライスを一緒に食べてからきっかり10日後であった。もう少し間を開けるつもりだったのだが、もはや我慢の限界である。

 チャイムを鳴らすと、こなれた私服姿のブロンディが嬉しそうに顔を出した。


「誘いに来てくれたの?」

「そうとも。悪魔が来たにしてはいやにうれしそうだな、天使ちゃん」

「だって退屈だったんだもの」

「上よりずっと娯楽があるだろうに」

「でも、誰かと喋りたくって。先輩も、そんなにしょっちゅう会いに行くわけにいかないし」

「成程ね。じゃあ今日はオレと飯を食いながらお喋りしよう。そんで、気が向いたら堕っこちてくれればいい」

「気が向いたらね」


 天使はくすくす笑って、着替えてくるからと引っ込んだ。


 ***


「今日は何を食べに行くんだい」

「この国の国民食とも言われている、メジャーどころを食べる」

「おお……」


 ブロンディは目を輝かせて、自分より上背のあるラミントンを見上げた。羽がついていれば飛び回りそうな顔だ。ラミントンはラミントンで、自分が初めて「アレ」を食べたときのことを思い返していた。あの時の衝撃は羽があれば窓から飛び立ってぐるぐる回りたいくらいのものだった。ブロンディがどんな反応をするのか、見ものだ。

 前回と違って交通機関は遣わず、徒歩だけで約15分。よもやま話に花を咲かせているうちに、すぐ着いた。

 オムライスの店とは違い、いかにもなチェーン店の様相をした四角い建物に入り、適当な椅子に座る。カウンターの中ではスタッフが忙しそうに動き回っていた。まだ午前中だが昼には近く、客の入りはそこそこであった。すぐにスタッフがお冷やを持ってきてくれる。興味深げにきょろきょろ店内を見回すブロンディをつっついて、ラミントンは2つ折りのメニューを広げた。


「今日はカレーライスだ」

「カレーライス」

「知ってる?」

「風のうわさに聞いたことはある……全部茶色いなあ。何が違うんだい?」


 ライントンはメニューをひとつずつ指さして、丁寧に説明をした。まずベースのカレーが4種類。チキン、ポーク、ビーフ、野菜。トッピングで追加の肉や野菜、揚げ物等を追加できる。「まずはそのくらいにしときな」ということで、季節のおすすめや変わり種のカレーは説明を省かれた。


「オムライスのときに聞き忘れてたけど、宗教上の理由で飲み食い出来ないものとか、単純に嫌いなものってあるのか?」

「決まりで食べられないものはないよ。嫌いなものは、まだわからない」

「結構緩いんだな」

「先輩はタバコも吸ってた」

「……その先輩、ほんとに同類なの?」

「一応」

「一応……?」


 なにやら疑問を残しつつも食べたいカレーを決めて、トッピングの選定に入るころには疑問など忘れ、あれが合いそう、あっちもおいしそうと悩むこと暫く。意見の固まった2人はスタッフを呼び、希望のカレーを期待とともに注文した。


「辛いんだって?」

「それも風のうわさで? 中辛で頼んだから、滅茶苦茶に辛くはないと思う」

「わたし辛い物って食べたこと、なくて。大丈夫かな」

「あー……」


 天使は基本的に食事をしない。摂ってもわずかに、嗜好品程度だ。ブロンディは今まで食事を全くしない派だったそうなので、以前食べさせた菓子パンとオムライスセットのみが、彼の味覚の世界を構築していることになる。なので、苦みや辛みはまだない。もし珈琲を飲ませることになったら、その時は甘いカフェオレから始めようと誓うラミントンであった。


「最悪、オレが2人前食べるから、お子様カレーを頼むといいよ」

「検討しよう。でもまずは食べてみてからだ」

「意欲的だな。頼もしいぞ」


 そうこうしているうちに注文のカレーがやってきた。ラミントンはポークカレーにトンカツ、ブロンディはチキンカレーにチーズとスクランブルエッグだ。


「頂きます」

「頂きます」


 ルーとご飯の合わせ目にスプーンを入れてひと掬い。ルーがこぼれないよう少々控えめにだ。それを迷わず口に運んで咀嚼する。ラミントンのやり方をよく見て、ブロンディもそれに倣った。この店の中辛は、ラミントンとしては少々物足りないのだが、その分ルーの旨みがよくわかるから良しとする。トンカツの端の1片にざっくり噛みついたところで、さてブロンディはどうしているかと目をやった。

 彼は止まっていた。

 おそらく2口めを掬おうとしているのであろう姿勢のままで、難しい顔をして固まっている。

 やはり辛すぎたか。

 ラミントンの視線に気づいたブロンディが動く。スプーンはそのまま、口だけで。


「味が複雑すぎて、よくわからないよ……」


 あまりにも情けない顔と声に、ラミントンは思わず苦笑した。


「不味くはないんだな」

「たぶん……」

「じゃあもうちょっと食べてみ。あったかいうちに」

「そうする」


 首をかしげながらぽつぽつとカレーを口に運ぶブロンディ。自分のカツカレーをつまみながら、その様子を面白そうに見ていたラミントンだが、あるところでハタと気づく。

 ペースが上がっている。

 前回のオムライスでわかったとおり、ブロンディは決して食べるのが早くない。だけれどスプーンの動きに迷いがなくなっていた。トッピングの部分を抉ると、味わっているのだろう、暫く動きが止まる。そうでないときに止まっているのは具でも拾ったときだろうか。

 トンカツをざくざく飲み込んで、ラミントンは尋ねた。


「美味いか?」


 ブロンディは無言でうなずいた。眼に星が降っている。最初の困惑はどこへやら、お気に召したらしい。

 ラミントンはにっこり笑って、自分のカレーをやっつけにかかった。


 ***


 帰り道でもブロンディは、ちょっと浮いているのではと思うほど幸福な顔をして、今度は一人でも外食に行ってみたいとの意気込みを表明した。地上の楽しみを知るのはいいことだ。ラミントンがそう言って激励すると、彼はちょっと寂しそうな顔をして「でもそれじゃあ、きみが誘ってくれなくなるんじゃないか」と尋ねた。


「そんなわけないだろ。まだオムライスとカレーだけだ。世間にどれだけ美味いものがあると思ってる」

「パイとマフィンも教えてもらったよ」

「全然足りない! これからもお前を引っ張りまわしてやるから、覚悟しろよ」


 ブロンディは眼に星を降らせて、嬉しげに頷いた。

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