003 食べ損ねたアレ
ラミントンは少々いらだっていた。誰に何をされたでもなく、ただ自分のしくじりを急に思い出してという、なんとも自分勝手ないらだちかたである。そのいらだちは一人でも解消可能なものではあったが、少々思うところによって、彼は同伴者を求めた。
既にチャイムは鳴らしている。返事もあった。にも係わらずなかなか相手は出てこない。ほんとに出てくるだろうかと一抹の不安がよぎったところで「ごめんよ」と、取ってつけたような服装のブロンディが顔を出した。
「パジャマだったんだ。着替えに手間取って」
「奇跡で着替えられないのか?」
「なるべく人間らしく暮らしてみたほうが、発見がたくさんあるって先輩から聞いてね」
「うん。それなら仕方がない」
「それで、今日は何の用かな」
ラミントンは胸に垂らしたニットタイをぐりぐりと弄った。
それに不思議そうな顔をしているブロンディへ、同級生の女の子に好きだというように遠慮がちな言い方で、今日の目的を切り出す。
「外に……飯、食いに行かないか」
躊躇の理由はいくつかある。
まずはこの天使を外食なんて贅沢な行為に駆り出したらよろしくないんじゃないかってこと。次に、自分のもやもやを他人を巻き込んで解消することが恥ずかしいってこと。最後に――何かあったような気もするが、忘れてしまった。
「外食というやつかい? いいね、行ってみたかったんだ!」
対するブロンディは好奇心ではちきれそうに、前のめりで手を広げてみせた。パイとマフィンの味が忘れられないのだという。本来食べ物を必要としない身体なので、いわゆる普通のご飯を食べず、お菓子の味をずっと反芻して暮らしていたようだ。3度の食事を至上の悦楽としているラミントンは「可哀想に」と胸がいっぱいになってしまい、いらだちは押し出され、いま食べたいものに対する熱烈な思いだけ、残った。
「店もメニューもオレの指定だぞ。いいか?」
「勿論。わたしが選ぶよりずうっといい」
「違いない」
ブロンディはステップを踏みそうな足取りで中に引っ込むと、よそ行きなのだろう、柔らかな砂色のジャケットを軸にした服に着替えてきた。ズボンの尻ポケットに突っ込まれた財布はキャラメル色をしていて、髪の色とよく合っていた。
「財布はいいのに。オレがご馳走するよ」
「どうして? 互いの立場に大きな差がなければ半分ずつ出すんじゃないのかい」
「大きな差はある」
「具体的に」
ラミントンはもったいぶって、きょとん顔のブロンディに人差し指を突きつける。
「まず、オレはこっちじゃ先輩。後輩にご馳走して、先輩風を吹かせてみたい。んで、もうひとつ……オレはあんたを『美食』で誘惑して、あわよくばこっち側に堕としたい。誘惑される側に金を払わせるのも、ちょっとねえ」
「律義な悪魔だな、きみって。悪魔がみんなきみみたいだったらいいのにね」
「そんで、天使がみいんなあんたみたいだったら楽ちんなのに」
「なんだい、それ」
「そっちこそ」
けらけら笑って肩並べ、踏み出す足は1歩、2歩。きょうのランチは、文字通り悪魔のみぞ知る。
***
ブロンディにもレストランの前知識くらいは漠然とながらもあった。だが2人が辿り着いたのは住宅街の、坂の中ほど、「オムライスあります」の看板がなければ見過ごしそうな料理店だ。ブロンディ内のレストラン像とはなんだか違う。小さくほかのメニューも出ており、オムライスの専門店というわけでもなさそうだ。いまいち状況が呑み込めないブロンディを引っ張って、ラミントンはその中に入っていく。
「こんにちはァ!」
「いらっしゃいませ……あらあ、ラミーちゃん! 久しぶりねえ、元気だった?」
「元気元気。これ、友達。おかみさん、オムライスセット2個ね。どっちもケチャップで」
「はいはい。ちょっと待っててね」
着物に割烹着をつけ、すらりとした「おかみさん」はキッチンに消えた。まだ開店間もない時間のようで、客はラミントンたちだけだ。従業員もまだおかみさんだけらしい。
テーブルにつくことができて、ようやくブロンディは落ち着いた。落ち着いたので、質問が出来る。
「店主とは親しそうだが、彼女も関係者なのかい?」
「いや。オレがちょいちょいここで飯食ってるから話すようになっただけ」
「ラミーちゃんとは?」
「愛称ってやつだな。アンタも呼んでいいぜ」
「検討しよう。……して、オムライスセットとは?」
「オレのいちおしでこの店のいちおしだ。特製オムライスにスープとサラダがついてこのご時世に650円也。ライスはバターとケチャップが選べるけど、オレが断然ケチャップ派だからアンタにも食べさせたくって」
「肝心のオムライスがわからないんだけど」
「いいから食ってみろ。食えばわかる」
そうこうしているうちに、肝心のオムライスがやってきた。「ごゆっくりねぇ」と笑顔で言っておかみさんが去っていく。ラミントンは相好を崩し、ブロンディは目を見張った。
そのオムライスはよくあるような紡錘型のものではなくて、丸く盛り付けられている。ふんわり焼かれた卵はあくまで黄色く、それを汚さないよう周りにデミグラスソースが流されていた。スープはコンソメ、サラダは千切りキャベツが主体のシンプルなものだ。
「頂きます」
「……いただき、ます」
スプーンの構えがおっかなびっくりのブロンディに対して、ラミントンはひとくち、ふたくち、がっついた。卵を崩しながらケチャップライスに巻き込んで、飲むように食べ、お冷やをひとくち。ため息ひとつ、もうひとくち。
「……美味し」
「うん、おいしい」
ブロンディはラミントンを参考にしつつも、卵をお上品に切り分けて、ようようひとくちめを口に入れたところだ。半熟以上完熟未満のやわらかな卵、風味豊かなケチャップライスに歯ざわりのよい玉ねぎのみじん切り、目に鮮やかなグリーンピース、やっぱりこれがなきゃ始まらない、一口大に切り分けられた柔らかい鶏肉。ソースをつけて食せばまだ違う味わい。ブロンディが味わいながら半分も食べたころには、ラミントンの皿はすっかり空になっていた。もちろんサラダとスープも例外ではない。早々に「ごちそうさま」を唱えて、お冷や片手にふんぞり返る。
「ブロンディ、単に遅いのか? 小食なのか? 食べきれないならくれ」
「遅いんだよ。慣れてないからね。これは全部わたしの」
「ちぇ」
「きみは暴食の業を背負っているようだね」
「ま、あるだろうな。ベルゼビュートの系譜のものだから」
「そうだったんだ。お似合いだよ」
「褒めても何も出ないぞ」
褒めたつもりのないブロンディは胡乱な顔をしたあと、残りのオムライスを平らげる作業に戻った。
***
帰路。
悪魔と天使は肩を並べて真昼の住宅街を歩いていた。ここから2人の最寄り駅まで、徒歩10分と電車が3駅だ。おなかを満たす満足感と、まだ舌に残る高揚感。2人はそれぞれにうっとりしながら、ゆっくりと歩いた。
「美味かったろ?」
「うん、それはもう」
「明日も行こうぜ」
「……それはダメだ」
「なんでまた。うまかったならいいじゃないか。これからもオレがいい店に連れていってやる」
「贅沢はたまにするからいいんだよ」
「たまにならいいのかい、天使ちゃん」
「うん。先輩が言っていた」
「さばけた先輩だな。そいつ天使か? ……まあいいや、たまになら贅沢もいいんだな。そうしたら、たまの贅沢の日をオレにくれよ。そうしたら、とびっきりの贅沢にして返してやろう」
ブロンディは少し考えるふりをして勿体つけた。そのあとで意味深長な笑顔をつくるとこう答えた。
「是非頼むよ、ラミー」
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