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 ふたりのイメージに合致する島は、半日ちょっと行ったところに見つかった。

 浜には居住者がいる印のラシ柱は立っておらず、深い緑があり、十分な高低差のある島。

 トゥトゥの頭の中にしまわれた海図と突き合せれば、ファムタプ島という名前だという。

 珊瑚礁を乗り越え上陸すると、さっそく探検を始める。

 日はまだ高い。

 夜の安全確保のためにも、島の環境を知る必要があった。

 という理屈がなかったとしても、ふたりは嬉々として出かけただろう。

 一カ月間、自由な活動が出来なかった反動だ。

 島の林は密だが危険を感じるほどではない。

 林の中には都合の良いことに海鳥のコロニーが見つかった。

 地べたに作られた巣の中には都合の卵があって、トゥトゥは一番外側にあった巣の中から卵を二つ失敬した。

 コロニーを形成しない海鳥の卵は取ってはいけないことになっている。

 それは、コロニーを作る海鳥の場合は多少外敵に襲われてもその島に戻ってくるだろうが、毎年巣をかける場所を変えるような鳥の場合は、セムタムが手を出したことで島に寄り付かなくなってしまう可能性があるからだ。

 その行動は鳥たちの活動を歪め、最終的にはセムタム族への災い――つまり食糧難として跳ね返ってくるだろう。

 セムタム族の英知のひとつだ。

 林の中にはいくつかの食用に適する野菜や豆が見つかって、それも収穫していく。

「沢山とれたわ」

「海ほど食おう」

 鼻息荒くトゥトゥが言った。

 汎銀河系の住民がというのと同じ意味合いで、セムタム族はという。

 アルマナイマ星の地表のほとんどは海に覆われているから、彼らにとっての山とはちっぽけなイメージなのだろう。

 そして、こういう時のトゥトゥの料理には、たいへん期待が持てる。

 アムはわくわくしながら、半ばスキップするように道を戻っていくトゥトゥの後に続いて歩いた。

 真水は途中のスコールで余剰が出るくらい溜まっているし、カヌーの陰に仕掛けた浅瀬用の魚とり罠に何か入っていればそれも美味しく頂けるだろう。

 もう一度書いておくが、アムは極めてわくわくしていた。



 さて夕刻。

 砂浜の食卓に並んだ料理にアムもトゥトゥも大満足であった。

 日が傾くまでに手早く完成したのも上出来。

 拳と拳をこつんとぶつけて、讃え合う。

 料理をすることは、その文化を知るうえで大きな助けになる。

「食べる」のはどんな知性体にも必要で、食にまつわる単語を覚えておけば飢え死にの危機は少なくとも回避できるものだ。

 そうでなくてもアムは食べることが大好きである。

 作る方は、さほど得意ではないけれど、セムタム族の<成人の儀>の時に基本的なレパートリーは覚えていた。

 アムの書付を読み上げよう。

 一品目。

 ラコ・ウィブの塩焼き。

 これは、地球ナマズに似たシルエットの生き物を丸焼きにしたものである。

 両生類のように思えるが、あいにくとアルマナイマ星には生物学者がいないので正確な分類が出来ていない。

 ラコ・ウィブはカヌーの陰に仕掛けた罠に入っていた。

 それも仲良く二匹。

 皮膚のぬめりを塩もみで落とし、その後にスパイス粉を擦りこんでいく。

 スパイス粉はセムタム族が必ず常備しているもので、しかも各々こだわりのオリジナルブレンドがある。

 海の上で暮らしていて、食生活が単調にならないようにする工夫なのだ。

 トゥトゥ・ブレンドは平均よりは少々辛めである(アム調べ)。

 最後に口に香草を噛ませて焼き上げれば、臭みのない塩焼きが出来上がるという寸法だ。

 身は白身で、見た目のグロテスクさに反して上品である。

 二品目。

 タパツ・フレ。

 汎銀河系の食生活でいうところの「カレー」だ。

 単にタパツと言うと汁気の少ないカレーを指す。

 これはカヌーの上で海に揺られながら食べるために、とろみのあるルーや、いっそドライカレーにするなどの工夫の結果である。

 対してタパツ・フレは水分量の多いカレーで、島に停泊している時にしか食べられない。

 セムタムがスペシャルな料理という感覚を持っている料理だ。

 今回は真水の備蓄が多かったので、奮発して鍋一杯のタパツ・フレを作った。

 林で取れた野菜と豆をメインに、本日のボーナストッピングとして茹でた海鳥の卵が入っている。

 野菜はウィ(アルマナイマのウリ)とオナオナ(これは小ぶりなナスのようだ)。

 豆はやや細長く、赤紫色をしている。

 トゥトゥ・ブレンド・スパイスをがんがん入れたので、かなり辛くなった。

 その二品に主食であるイモを蒸かして添え、さらにこれも林に自生していたフルーツを添えれば、かなり豪華なパーティーメニューの出来上がり。

 今宵は素晴らしいことにアルコールもあった。

 トゥトゥがカヌーに積んでいたのである。

 セムタム族の作る酒は度数こそ低いが、爽やかな甘みがあって、つるりと飲めてしまうので危険だ。

 杯を重ねれば流石に効いてくる。

 祭りなどの時にはアムもしばしば飲み過ぎることがあった。

 焚火を囲んで心置きなく夕食をとる。

 意外にもアルコールに弱いトゥトゥは、味見と称してひとくち飲んでから、たちまち上機嫌になってしまった。

 酔っぱらったトゥトゥが歌っては笑い、笑っては歌いを繰り返すので、アムはしばしば耳を塞がなくてはならない。

 何しろトゥトゥといえば、叫べば隣の島まで聞こえると評されるほどの大声の持ち主なのである。

 歌の聞き取りをしたいのは山々だが、ちょっとうるさかった。

 でも、今夜は文句も言わずに黙っていようとアムは思う。

 観光客がびっくりするからあんまり大声出さないでね、とお願いしたのを、この一カ月間忠実に守り通してくれたのだから。

 タパツの鍋が空になる頃、ようやくトゥトゥは大人しくなる。

 歌うのをやめると、電源が落ちたようにぱたりと砂浜に大の字になった。

「トゥトゥ、だいぶ酔っぱらったわね?」

「おう。空がピンクに見えらあな」

「ちょっとどれだけ飲んだの」

 アムが立ち上がって酒壺を覗き込むと、一抱えもある壺の中身が空になっている。

「嘘ぉ」

「ふぇへへへ」

 ごろんと寝返りを打ったトゥトゥが、猫のように笑いながらアムを見ていた。

 いたずら盛りの子供みたいな目で。

 その熱くなった頬をぺちぺちと叩き、

「流石に、飲みすぎ」

 とアムは言った。

 またトゥトゥは、ふにゃふにゃと笑う。

 仕方なくアムは真水の壺を持ってきて、ひと掬いトゥトゥに飲ませた。

「明日の朝は起きられないわよ」

「ドクが起きる」

「保証しないからね」

 日が暮れ、辺りはとっぷりとした闇に包まれる。

 赤々と燃える焚火の周りを、夜行性の羽虫がぶんぶん飛んでいた。

 いつもなら几帳面なトゥトゥは食器も全部綺麗に洗ってカヌーに帰る時分だけれど、今日だけは、どうやらはめを外したいらしい。

 セムタム族が砂浜で寝るなんて、本当に珍しいことなのだ。

 彼らはいつも、カヌーの中で寝る。

 今宵はアムも付き合うことにした。

 それなら、ふたりぶんの夜具をカヌーから出して、虫よけの香も焚かなくてはいけない。

 砂浜に体を押し付けて気持ちよさそうに寝そべっているトゥトゥを置き、アムは立ち上がった。

 歩き出そうとしたその足首を、そっとトゥトゥの手が触る。

「トゥトゥ? どうしたの、気分悪い?」

「いいや」

「そろそろ虫よけしなくちゃいけないでしょ?」

「いて」

「何て?」

「ここにいてくれよ」

 アムは心底面食らった。

 本当にトゥトゥは度を越して酔っている。

 こんな小さな声で、心細い子供が喋ってるような、トゥトゥの口調は初めて聞いた。

「どうしちゃったの」

 ころん、とトゥトゥは仰向けに戻る。

 アムはその横にしゃがんだ。

「どうしちゃったの、トゥトゥ?」

「なあドク」

 酔っ払いとは思えぬ真剣な口調で、トゥトゥは言った。

「ずっとここにいてくれるんだよな? つまり、ドクのいうところのアルマナイマに」

 ひたと据えられた深海色の瞳に、炎の赤が照り映える。

「一番難しい質問だわ」

 アムは正直に答えた。

「ずっといたい。でも分からない。私の力ではどうしようもできない事もあるから」

 トゥトゥの瞳が揺れたように思う。

 瞬きをし、その答えを聞かなかったことにしようというように、最終的にはぎゅっと目をつむった。

「トゥトゥ?」

 顔を反らしてトゥトゥはだんまりを決め込む。

 アムはいたたまれなくなって座り込んだ。

 観光客が来たことで、トゥトゥは外の世界に沢山触れたのだろう。

 自分の知らない世界にアムは属していて、アルマナイマにいるのは本来ならばイレギュラーな状態なのだ、ということに気付いて、感情を拗らせている。

 どう噛み砕いて飲み込むべきなのかわからない心。

 トゥトゥの大きな手に、アムは嫌になるほど小さな自分の手を重ねる。

 ぎゅっ、と握った。

 それを優しく握り返される。

「ねえトゥトゥ。私はあなたに、自由に生きて欲しいと思ってる。私がいることで、あなたのセムタムとしての生活がおかしくなっちゃうんだったら、それは嫌だな」

 蚊の鳴くような声で、ならねえよ、という返答があった。

「可愛いセムタムの女の子がいたら、そっちのお付き合いを優先するのよ」

 さらに蚊の鳴くような声で、アホかバハンガという返答があった。

 それから手の力がするりと抜け、静かな寝息が始まる。

 アムは音を立てないようにそっと離れ、カヌーの方へ歩き始めた。

 見上げれば空には満天の星、見下ろせば海面には光る魚の群れ。

 星々の間の細い道に、アムはちっぽけな足跡をつけて進んでいく。


 (了)

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