アルマナイマ博物誌 星降りバカンス

東洋 夏

1

「ちょっともう無理。きれいな海を見て美味しいものを食べてなおかつ昼寝したい」

「今すぐやれるだろ」

 アムはトゥトゥの顔を見上げた。

 こちらにも流石に疲れの色が見える。

「ここで実行したくないの」

「ドクも面倒くさいやっちゃなあ。クウコウ嫌いなのかよ」

「どちらかと言えば嫌い」

「あ、そ。変なの」

 トゥトゥは、観念したというように深々とため息を吐く。

「まあ俺も嫌いだけどな」

 ふたりはアルマナイマ国際宇宙港の正面玄関に「CLOSED」の注意書きをでかでかと貼り付けてから歩き出した。

 ここに「CLOSED」が通じる知性体はアムしかいないのだけれども。

 セムタム族は汎銀河系共通語など話さない。

 久しぶりにフル稼働した滑走路の上を、扁平な整備機がゆっくりと走り回っている。

 データ通信をしないタイプなので、電子機器を受け付けないアルマナイマ星の環境下でも、何とかだましだまし使えているものだ。

 サンダルに履き替えた足の裏がじんじん痛い。

 午前中の元気な太陽の光が容赦なく目を刺している。

 この一カ月のお祭り騒ぎはひどかった。

 それというのも、<ポーラー>という著名な自然系チャンネルがアルマナイマ星を取材し、その映像が全銀河を駆け巡ったからである。

 青い海、白い砂浜、文明に汚されていないセムタム族の人々、なんと目立ちたがりの龍まで数匹顔を出し、ナヴィゲーターは汎銀河系の住民として唯一この星に常駐する女性言語学者ドクター・アムとセムタム族の青年。

 センセーショナルな番組だった。

 色々とこの星にとって不利益な状況が重なり、孤軍奮闘しきれなくなったアムが渋々引き受けた取材だったけれども、おかげで「どうしてこの辺鄙な星の権利を守らなくてはならないのか」という情報発信ができたのでよしとしなくてはいけない。

 番組の反響は大きく、リクエストが余りにも多かったため、アルマナイマ星は期間限定で旅行客を受け入れることになった。

 汎銀河系の住民がアムひとりであるならば、国際宇宙空港のスタッフも必然的にアムひとりである。

 毎日毎日、観光客の相手をした。

 観光客も行くところは限られている――そもそもアクティビティはセムタム族の文化ツアーと、空港島のトレッキングしかない。

 必然少人数ごとの受け入れとはいえ、アムはすべての観光客の相手をすることになる。

 そして異文化にある程度寛容なセムタム族といったらトゥトゥくらいなものだから、こちらも大車輪であった。

 精悍な顔立ちと引き締まったプロポーション、エスニックな佇まいは観光客に大人気で、ツーショット写真を撮りたいのにカメラが正常に動かない――前もって動かないと警告していたのに絶対に聞かない知性体が必ずいる――ことにアムは何度苦情を言われたことか分からない。

 甘いもの好きなトゥトゥに観光客がチョコレートバーを渡そうとするのを阻止する活動もアムの領分である。

 まあ、そんなわけで、ふたりとも疲れ果てているのだった。

「ヴァケーションのため」と殴り書きした休暇申請が宇宙港管理機構に速やかに受理されたのは不幸中の幸いである。

 


 空港島の南の浜から海に出た。

 観光客が無遠慮に引っ掻き回したトゥトゥのカヌー<稲妻号>も、何だかくたびれて見える。

「あーあ」

 と、踏み舵を漕ぎながらトゥトゥは大きなあくびを天に放った。

 鋭い犬歯が陽光に輝く。

「寝ないでよ。お願いだから」

 アムは帆を調整しながら船尾に向かって言う。

「北に行くのね?」

「おう」

「珍しい」

 アムが知る海域は、空港島から南がほとんどである。

 それもトゥトゥが好んで南部へカヌーを走らせるからで、空港島を半周しなくてはならない北部への航海は数えるほどしか経験していない。

「クウコウが見えない方がいいだろ」

「ああ、それで」

 アムはトゥトゥの思いやりに感激した。

 空港島の北東部は岩山になっていて、そちらからのアングルならば確かに国際宇宙空港のターミナルビルは目に入らないだろう。

ありがとうエポー、トゥトゥ」

どういたしましてアエラニ。俺もおんなじ気持ちだったからよ」

 海底が見えるほど透明度の高い海は、ふたりの出航を歓迎しているようだった。

 束の間カヌーが作る影の下を小型海龍が横切っていく。

 太陽が波をきらきらと輝かせ、波は風と遊んでいる。

 カヌーが波を乗り越えるたびにしぶきが肌を心地よく冷やしてくれた。

 アムに手伝えることはあまりなく、あるとすれば引き続き帆の微調整をするくらいである。

 船首側に陣取っているが、トゥトゥの方が遥かに視力が高いので、見張りの役にも立ちそうにない。

 かと言って釣りをするにも速度が出過ぎている。

 そんなわけでアムはノートを開き、今後の観光客に対するプロモーションとその対応についての考察を書き留めることにした。

 島に着いたら絶対に考えたくないので、今のうちに考えておくのである。

 そのくらいのことはアムとて学習するのである。

 じゅうぶんに速度が出て、進路をしばらく変えなくてもよいと判断したころ、トゥトゥはようやく踏み舵の役を離れた。

「さてドク」

 船底に張り渡された板の上にどっかと腰を下ろして、トゥトゥは手招きした。

「そろそろ聞きたいことがあるだろ」

「ええ。まず、そうね、今回は何処へ行くの?」

 にんまりと笑ってトゥトゥはこう答える。

「決めてねえんだな、これが」

「あら」

 アムは面食らった。

 てっきり、いい感じの島を知っているものだと思っていたのに。

 だが本来セムタム族とはそういう民族なのだろう。

 カヌーさえあれば生きていけるし、行先はその時の気分で決める、というような。

 海が彼らのホームグラウンドだ。

「誰も住んでなくて、食うもんが沢山あって、木陰が気持ちよさそうな島にしようぜ」

 トゥトゥはうっとりと言う。

 あ、これはストレス溜めたな、とアムは思い、そして反省する。

 観光客の視線に晒されたことで、トゥトゥも疲れたのだ。

 彼ら彼女らの視線は、何だか、未知の動物を見るような無遠慮さがあって、しかもそれが無邪気な、罪のない感情から出ているものだから、アムは何度も気後れしたものである。

 しかし自分がセムタム族をそう見ていないとも言えないと思えば、複雑な気持ちになった。

「私も賛成。あと、砂浜がきれいで、珊瑚礁に囲まれている島ね」

 ああそうだなあ、そりゃあいいなあ、と空の遠くを見ながらトゥトゥが言ったので、アムは今度のツアー客の相手は出来るだけ自分がしようと決心したものである。

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