第35話

 23区内の西に位置するところに私の姉の大学があった。


「あー、私の姉の春佳」


「えー似てない」


 失礼なことを言っているというのはすぐに分かった。

 私と姉の比較。そんなこと、小学生の頃からずっとされているからだ。

 姉はどちらかと言えばお人やか。……少なくとも通常の学校生活では。それに比べて私は乱暴、狂暴。


 姉は学校では喧嘩など経験せず特に教師に困らせることもなく育っていった。それに比べて私は喧嘩もしたし、進路担当の先生に噛みついたことだってあった。

 親は一緒なんだよな。とその当時の中学の進路担当の先生が言ったレベルだ。

 実に失礼である。私は紛れもなく原島の血が流れている。


「今度、市役所言って出生記録とか提出しましょうか」

 と冗談で先生にいったら、ぜひそうしてくれといってきた。しかもかなり真面目な顔で。


 とまぁ、私と姉は反対の性格をしている。

 何よりも私とまったく違うのはその容姿であるだろう。


 私は男勝りの格好をしている。それに対して姉は緩やかなウェーブに茶色に髪を染めていた。

 まるでモデルのようだ。

 高校生の頃でも彼女はスタイルがよく数多くの男子を虜にしてきた。その姉がその美貌にさらに磨きあげて来ていた。


「へー、あなたにも友達がいたんだ」


 と姉の評価。

 こっちもこっちで失礼である。こいつらは私のことを何と思っているのだが。


「そしてこの子が噂に聞いていた原井さんね」


「噂に……ですか? それって悪い意味での?」


「んにゃ。バドミントンが強いって」


 姉の手には既にラケットを持っている。


「取り敢えず着替えてきな。一戦するよ」


 そして姉はそういった。

 その後、私と原井はそのまま体育館に備え付けられている更衣室で着替える。


「原島さんの姉ちゃんってバドミントン強いの?」


「まぁ、全国大会にいくレベルには」


「へぇ。姉ちゃんの時でも埼玉けやき強かったでしょ」


「うん。その年の全国大会優勝チーム」


「その埼玉けやきの人を倒したの?」


「当時エースだった人を倒して埼玉県大会優勝」


「すごっ」


「すごくはないよ。その後全国大会ですぐに負けたもん」


「その姉ちゃんが負けた人って?」


「北六甲高校の花園雅」


 すると彼女の着替えていた手が固まる。

 それはそうだ。花園雅といえば、私たちの世代のバドミントン選手なら誰でも知っているような有名人である。

 次のオリンピック大会の団体戦のメンバー入りはほぼ確定とも言われているほどの実力。もう既に彼女は国内ではなく世界を見ている。


「敵ながら凄かった。あんなの人間じゃない」


 私はあの時の姉の試合を思い出す。鳥肌が立つ。試合に出ていたわけでもないのに。試合をしたというわけでもないのに。

 まず、怖かった。

 花園雅はずっとコート内で不適な笑みを浮かべていた。どうしてあんな顔が出来るのだろうか。全国大会の生か死かしかないあの舞台であの表情。

 人を気につけても何とも思わないサイコパスのような怖さがあった。


「出来れば避けたい。あの人と戦いたくない」


 最悪なことに花園雅は私たちの一つ上である。つまり高校に年生。全国大会に出場すれば確実に彼女と当たることになるだろう。

 勝てない。

 今のままでは勝てない。

 それが原井だとしても。


 そんなの生でみた私だから分かる。

 大原でも瀬南でも勝てない。やつと勝とうだなんてそんなこと無謀な挑戦である。


 それなのに私は、全国大会優勝だとか何とかと言っている。矛盾している。勝てないことが分かっているのに私はバドミントンを続けている。


「そっか。花園雅さんね」


「そう。奴は宮本とかとは比べ物にならないぐらいに強い」


 私は気づいた。

 彼女が少しだけ顔に薄ら笑みを浮かべているということを。

 どうしてお前はそんな表情をするのか。


 私は不思議でしょうがない。


「楽しみだね」


「何が?」


「全国大会でその人と戦うということ」


「アホか」


 やはりこいつはアホだった。それか花園を知らないか。彼女を知っている人なら嘘でもそんなことをいえないはずだ。

 いや、こいつの場合どうだろうか。

 花園を知っていたとしても何か同じようなことを言いそうな気がしてきた。


「そう簡単に勝てないんだぞ」


「勝てないかもと思ったら、楽しもうよ」


 原井の着替えは終わった。彼女はラケットを手に持つ。


「ダメ元で勝てるかもだし」


「アホか」


 私はこの世で一番の呆れ顔を見せた。


 そのまま私たちは着替えが終わり体育館へ戻る。

 既にそこにはバドミントンのコートが準備されていた。


 それから準備体操、軽い慣らしを始める。


「それじゃ、まずは私と原井さんから試合するね」


「私は?」


「主審をお願い」


 と言った感じで私主審の、線審なしの試合をすることに。

 先のサーブ権は原井。


 ならしの練習を見ている限り、姉の実力というものは衰えているようには見えなかった。

 まだまだ高校生の県大会ぐらいなら上位を狙える実力はあるし、宮本とかでも倒せそうな感じがする。


 それと同時に疑問。

 どうしてバドミントンをやめたはずの姉がこれほどの実力があるのだろうか。

 あれ以来、あの夏の時以来姉はバドミントンから距離をおいていたはずである。


 バドミントンをやめた時の姉は、こんなスポーツをしなければよかった。そう後悔をしていた。

 だから姉はその後ラケットをみることなどなかった。

 そう思っていた。


 しかしあの体のキレは……


「ラブオールプレイ」


 試合開始をコールする。

 原井はサーブを打つ。それから後ろへクリア。早速原井がスマッシュを打つ。

 流石、原井。そう言えるぐらいにまっすぐなスマッシュ。球速もでているし、コースも丁度姉がいないところへ狙っている。


 これは決まっただろう。


 だから勝手にコールの準備をする。

 しかし……


 姉はそれをあっさりととった。

 それもカットレシーブと言われる技術で。


 そのレシーブされたシャトルは、激しく回転をしながらネット際に落ちる。

 原井は体をくの字に曲げてなんとかそのシャトルをとった。


 するとそれはポンと上にあがった。

 やらかした。


 すでに体幹が曲がっている彼女はそこから動くということは至難の技となる。さらにあがったシャトル。絶好の打ち込みチャンス。


 原井からしてみればそれはもう完全な詰みだった。


 姉はそれを激しく打ち込む。プッシュと呼ばれる技。


 原井のコートに転がるシャトル。

 そしてニッと笑みを浮かべる姉。


 やはりだ。

 どうみても姉はバドミントンを続けている。あの時からずっと。

 あの動きのキレのよさはそれを証明していた。


「姉ちゃん! どうしてバドミントンを続けて……」


 いたんだと質問しようとする。


「主審、コールを」


「さ、サービスオーバー1-0」


 サーブ権は姉にうつる。

 スッと伸びた背筋、右手にラケット、左手にシャトル。美しい。なんと美しい姿勢なんだろうか。


 思う。


 あの時、失っていたと勝手に思っていた姉は実はずっとそこにいたんだと。


 不思議だ。


 どうしてあそこまでボロボロにされた姉がバドミントンをやめなかったのだろうか。


 姉は、サーブを打った。


 同じだ。


 コートでニコニコと笑う彼女のその表情。それが重なる。あの時の、自分が恐怖と感じたはずの花園雅と。

 私が嫌いなはずの花園雅が、私の大好きな姉に乗り移った。


 乗り移ってしまった。


 そのはずなのに。


 私は今の姉も好きであった。

 その理由は分からない。


 でも思う。


 姉は楽しそうである。そして姉は輝いている。


 今度は姉がスマッシュを打った。

 ラインギリギリのスマッシュ。原井はそれをとることができない。


「2-0」


 それからもすっかりと姉のペース。

 どんどんと原井から点差を離していく。


「5-0」


 すっかり五点差。


 でも笑っている。


 どちらも。原井も姉も。

 本当に気持ち悪い試合だ。だけどこういう試合もいいのかもしれない。


 また二人打ち合う。

 姉がスマッシュ、原井はレシーブ。しかし体が曲がる。原井のスタートダッシュが少し遅れる。

 それをみたそのレシーブを山なりに、後ろへ返す。


 フットワークが遅れてしまっている原井。

 このシャトルをとるのは難しいだろう。

 そんなことを思っていたが……


 彼女はシャトルに背を向けた。そしてその場に止まる。

 シャトルは彼女の頭の後ろを通過しようとする。

 それをパシン。シャトルに背を向けながら、彼女はスマッシュを打った。


 ハイバックスマッシュだ。


 それは姉のコートに刺さった。


「サービスオーバ1-5」


「嘘……そんなことできるの?」


「はい。そんなこともできるのです」


 と満足気に原井は言った。

 実に楽しそうである。


 そういえば、原井はハイバックスマッシュの練習をずっとしていた。

 しかし彼女はそこで打つことはできない。

 ハイバックができていもそれが中途半端にシャトルがあがってしまい、逆に打ち込まれたりしていた。

 少なくとも実践向きではない。


 そのような技を今、ここで見せてきたのだ。


 それから試合はどちらとも有利とは言えない展開となった。原井が点をとって、姉が点をとって。その繰り返しである。


 そして最後は、


「21-19」


 原井が逆転をしてそのまま勝利した。

 どちらも肩で呼吸をしている。それぐらいの熱戦だった。


「私さ……結局バドミントンをやめることができなかったんだよね」


 と呼吸を整えながら姉はいう。


「バドミントンが楽しいから。でも一度母に辞めるっていったあとに大学でバドミントンサークルに入るのはちょっと私の少なからずのプライドが邪魔をしてしまって」


 姉は原井に手を差しのべる。


「ずっと私は寂しくバドミントンを一人でしていた。技を磨いていった。走り込みをした。でもやはり一人」


 そしてその手を原井がとる。


「だからこうやって試合できてよかった。やっぱり楽しかったよ。やはりバドミントンは一人ではできない。ねっ、そうだよね我が妹よ」


「うるさいな」


 私はコートの中に入る。

 そして一言。


「ほら、どっちか入れよ。どっちもつぶしてやる」

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shapeless 長井音琴 @charon6918

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