後編 愛も生命も永遠に

 お前が落ち着くのを待って、改めて本題を切り出す。


「前置きが長くなったが、私たちは審問官に対処する必要がある。お前はどうしたい?」


「そりゃあもちろん、無実を信じてもらうしかないよ」


「厳しいな。話の通じる相手ではなさそうだ」


「審問官になるほどのお方なんだから、聖書を解釈する能力はあるんだよね。きっと話し合えばわかってもらえるはず」


「能力ではなく、信念の問題だ。お前が以前、愛を中心にした信念を語ったように、魔女には魔女の、教会には教会の信念がある。そして、教会の奴らは自分たち以外の信念を決して認めない」


「でも私、神様は信仰してるし、教えに逆らってるわけじゃ……」


「順番が逆だ。最初から、魔女がいると決めてかかっているんだ。中には話せばわかる審問官もいるだろうが、残念ながらここに赴任したのは違う。それに、決定的な証拠である熱の護符は回収しても、お前の場合は母に与えた薬や家畜への態度などで十分有罪になる。正面から裁判を受けて、ひっくり返せるとは到底思えない」


 お前はうつむいたまま必死で頭を巡らせているようだが、なにも出てこなかった。


「逃げるか?」


「……え?」


「夫と子供と、お前の父親と、すでに義父母は亡くなっているのだったな。お前と合わせて数人程度なら容易くかくまってやれる」


 お前は真意を計りかねるように目を細める。


「試してるの?」


「半分はな。お前がうなずくなら、本気でそうしようと思っていた。そうはならない確信もあったが」


「当たり前だよ。私が逃げたら、他の誰かが魔女にされるだけ……誰も傷つけたくない」


 さっきの男な、と言いながら、ことの顛末を聞いた中年男を見る。


「お前をかばい切れなかったと泣いていたんだ。むろん、いまのあいつは知る由もないが」


「子供のころよく面倒見てくれたお兄ちゃんのような人だよ。」


 お前は首をゆっくり回して、村とそこに生きる生命すべてを慈しむような熱い目で見つめた。


「気持ちはわかった。試して悪かったが、想定の範囲内だ。やはり私が、魔女の役をやるべきだろう」


「……なに言ってるの?」


 震える声のお前を、安心させるように優しく諭す。


「私は不老不死の魔女。人間がなにをしようとも、滅ぼすのは不可能なのだ。私がやられたフリをすれば、村人に被害はないし、審問官も満足して帰っていくさ。まったく心配はいらない。痛覚は遮断できるし、灰からの再生も問題ない。これが、私の本当の提案だ」


 これで問題は解決だ。そう思っていたのだが、なぜかお前は思い切り息を吸い込んだ。


「バカーー!」


 耳がきんきんする。


「バカ、バカ! 私が、誰も傷つけたくないって言ったら、だ、れ、も、なの! 家族と牛や羊、村の人達、それから魔女さん、あなたも入ってるに決まってるでしょ!? 私のこと、全然わかってない! ひどいっ、ひどい魔女さん!」


 ふぅふぅと、荒い息をはいてネコのように威嚇してくる。


「お前とはそれなりの付き合いだが、今日が一番罵られた気がするな……」


「のんきなこと言ってる場合じゃない! とにかく提案は却下です! ぜえぇぇぇったい許さないから」


「しかし――」


「体は傷つかなくても、心が傷つく。無実の罪で処刑されるなんて、認められないよ」


 改めて、お前の愛情の深さに打たれていた。だからこそ、報いたいのだ。


「私に、献身の機会を与えると思ってはくれないか」


「献身だなんて。もう十分してくれたでしょ」


 お前は、私の失われた左腕を痛ましい目で見つめる。


「こんなものは、単なる代償だ。少し冷たい言い方になるが、術の仕組みの範疇だ。人間の解釈が届くものではない」


「……」


「報いたいのは、お前が捕まった時――実感がないのは仕方ないが、もうひとつの未来でお前が捕まった時のことだ。魔女への責め苦は極めて過酷と聞く。お前が受けたであろう苦痛を想像するだけで、体が震えてくる。だが、審問官が私の家を襲撃することはなかった。お前が口を割らなかったからだ。文字通り命を賭して守ってくれたお前と、同じものを私にも味わわせてくれないだろうか」


「魔女さん、痛覚遮断なんて嘘でしょ」


「嘘ではない。可能であると言っただけだ」


「それ、使わないのって言ってるのと同じ。むやみに律儀というか、魔女には魔女の規範? があるのもわかるけど……やっぱりダメ。私が守りたいと思ったものを魔女さんにも守ってもらいたい。それが本当の献身だと思う」


 ははは、と観念して笑うほかなかった。


「お前は恐ろしい女だな。いいだろう、やろうじゃないか」


 想定外の方向へ未来は転がり出したようだ。腹をくくるしかない。


「勝利条件は誰も傷つけないことか。難題だぞ。念を押しておくが、極度に人を害する、あるいは道理に反する術は使わない」


「ちょっとならいいの?」


「なにが欲しい? 策があるのか」


「ううん。ないから、とにかくその審問官様を見てみたい。その人を知らないと、なにも決められないよ」


「敵情視察か。いい考えだ。どこの町に滞在しているは聞いているしな。ただ、午後にはこの村に着くのだから、こちらはすぐに出発しないと」


「遠くのものを見たり聞いたりする術はないのかな」


「どこの宿屋に泊まっているかまでは知らない。獣や鳥の感覚を我がものとする術はあるが、あまり遠くまでは届かないな」


「道の途中で捕まえる……? いや、怪しまれそう……」


「気にすることはない。時の魔女が、お前をあっという間に町へ送ってやろう」


「そっか! じゃあ出かけるって言ってくるね。村の入り口で待ってて」


 お前は、羊の世話をしている夫に話しかけている。夫は以前見た時より、日に焼けてがっしりしたように見えた。妻と子供を守っていける男だろう。ただ、異端審問官は相手が悪すぎた。個人が教会の権威に逆らえるはずもなく、戦うのならば魔女のように外法者が適任だ。


 ホウキなどを準備していると、すぐにお前が来た。


「魔女さん……腕? 治った!?」


「あのままだと目立つからな。土を捏ねてこしらえた偽物だよ。村で情報収集するのだから、認識避けを使っては意味がないだろう」


 左腕を動かすが、やはりぎこちない。急場しのぎ程度のものだ。


「魔女さんは時間を戻って来たんだよね。だったら自分の体も……」


「説明は難しいが、この時間の外で起きたことに変更はきかないのだ。私は、こういう形のものとして世界に刻まれてしまっているからな」


「う~ん、全然理解できない」


「それでいい」


「でも……もうひとつだけ。私にはこんなこと言う資格ないけど、知っときたい。時間を戻すのって、魔女の規範に反するんじゃないの?」


「簡単に言えば、影響の大きさだ。お前を蘇らせなかったのは、村人や家族が甦ったお前を受け入れないからだ。時間を戻す場合、世界をまるごとやり直すのだから、大きな影響など生じるはずもない」


「そんな理屈なの!?」


「お前を助け、同時に倫理も冒さぬ方法を魔女なりに実行したに過ぎない」


「魔女ってすごいんだね」


「人間を越えてしまっただけだ。さあ、時間がない。空の旅に出かけようじゃないか」


 宙に浮かぶホウキを示すと、お前は、ぱっと顔を輝かせた。


「わぁ! すごい、乗っていいの?」


「軽く腰掛ければいい。よし――では出発だ。今回は優雅さよりも速度重視、落ちるように作られていないが、怖ければ私の腰に掴まってもいいぞ」


「ふふ、怖いから掴まっちゃおっと」


 細い腕が回り込んできた。跳ね上がった心臓の鼓動をごまかすため、地を蹴る。


「わっ、わーー!」


 お前の悲鳴だか歓声だかを道連れにして飛んでいく。加速の術をかけたホウキは疾風のような速度だ。地にはそよぐ草原、村々からは窯の煙が立ち昇る。のんびり進む馬車を追い越す。遠くに霞む山嶺にまだらの雲が戯れていた。果てしない青の中を鳥たちと並んで――どこまでも。ああ、このままお前をさらってどこまでも飛んでいければいいのに。そんな夢を見るぐらいは許されるだろう。


 関門を飛び越えて、町の中に降り立った。お前の顔馴染みだという店を巡りながら買い食いしていると、すぐに情報が集まった。


「ここに審問官様が……」


 立派な門構えの宿は、この町で一番、位が高いらしい。質素倹約を旨とする聖職者には似つかわしくないものだ。お前は戸惑っているようだが、私はすでに嫌な予感がしていた。


「入ってみる……?」


「ここまでくれば、使い魔の術も役に立つ。やってみよう」


 路地裏で適当なネズミと心を通わせ、宿の中に放つ。カバンから鏡を取り出すと、ネズミが見聞きしたものが映し出された。音すら鳴らす魔の鏡にお前は驚いていたが、ある部屋の天井裏からの光景に息を呑んだ。ネズミの眼下には、神父服をまとった三人の男がいた。口ぶりから、異端審問官と、従者二人で間違いない。


「当たりだな」


「うん……あ、村のこと言ってるよ」


 男たちの談義に耳を傾けていたお前だが、どんどんと表情が引きつっていった。幻滅の見本のような顔で、ため息をつく。


「こんな人だったなんて……」


「権力を持てば人は腐る」


 鏡の中の男たちは、いかにして無知な村人をひざまずかせ搾取するかについて語り、魔女に仕立て上げた女の末期について淫猥な言葉を交えて笑い合っていた。聞くに堪えない。


「さて、どうする?」


「どう……って言われても」


「魔女としての倫理で裁くつもりはない。お前が決めるんだ」


「許せない。やっつけよう」


 お前は反射的に口にしてから一瞬自分に驚き、改めて覚悟を決めたように鼻息を鳴らした。


「私刑にはしない。公正な神の元の裁きを受けさせたい」


「証拠が必要だな。少なくとも捜査を始めさせるための証言がいる。もっとも、いま見たことを話したら、お前が魔女扱いされるだけだぞ」


「証拠はない……証言なら、いままで魔女狩りした村の人達から集められると思う」


「悠長なことをしている時間はないぞ。奴らはもう、お前の村に向かって動き出す。釘を刺すようだが、ごまかす程度ならともかく、大幅に人間の時間を止めるつもりはない」


「村……術……あっ! ちょっと聞いてほしいんだけど」


 一通り説明を受け、お前の策の大胆さに驚嘆する。


「そういう薬なら用意できるが……本気か。お前の負担が大きくはないか」


「私が守りたいもののためだもん。わがままに魔女さんを巻き込んでるのも、わかってるつもり。だから、がんばらなくちゃ!」


 握られた拳は、少し震えていた。


「ああ。魔女なりの形で手助けしよう」


 手をさすり勇気づけてやろうとして、土くれの左腕に気づいた。これでは上手くできそうにない。察したお前も硬直し、気まずい沈黙。私はとっさに、お前の手を取り唇に押し当てた。


「祝福の代わりに……」


「急になんなのっ。照れるから!」


 赤くなった顔はお互い様だ。笑いあったあと、宿屋に入っていくお前を見送る。さて、勝負だ。



 熱気のこもった室内で、がちゃがちゃと食器や杯がぶつかる音がする。審問官ら三人を囲んで、村での宴会だった。宿で審問官を訪ねたお前は、宴を設けるから夕刻に来るよう頼んだのだ。村へ取って返し、今度は教会の立派な方が来ると村人を説得して回り、なんとかこの場にこぎつけた。


 村の男も女も酒精の回った顔で、飲み食いを楽しんでいるようだ。そしてお前は、宴の主催者ということで審問官たちの杯に、かいがいしく葡萄酒を注いでいる。はらわたの煮える光景だが、すべてはお前の策の内だ。私の出番は――鼻の下を伸ばした審問官が、お前の尻へ手を近づけているのを、見逃しはしなかった。使い魔とした蜘蛛が飛び出し、下郎の手に噛み付く。審問官を心配するフリをしながらお前は、蜘蛛にだけわかる角度で微笑んだ。


 宴もたけなわというところで、お前はついに仕掛けた。人を魔女へと陥れるやり口、裁判費用の搾取方法や、肥やした私腹の使いみちなどを聞き出していく。卑劣で卑猥なたくらみを自慢げに喚く審問官に、村人たちの顔は険しくなっていった。剣呑な雰囲気の中、詰問する村人にも酔漢は上機嫌で答える。

 ただ酔っ払っているのではない。私が作った、心を素直にする薬の効果だ。お前は酌をしながら、こっそりと杯に薬を混ぜていたのだ。

 すべてはお前の策通り。酒ではなく怒りに顔を赤くした村人に審問官たちが引きずられていく。これだけの証人がいれば、事態を動かすちからになるだろう。


 お前は村外れの草むらまでやって来た。木陰から姿を見せた私は、いきなり抱きつかれた。


「怖かった……」


 のどかな農村で育った若い娘が、己の身を邪悪の眼前にさらすのが、どれほど恐ろしかったのか。想像を絶するものがある。それでも信念を貫き通す魂の、なんと気高いことか。


「お前の働きは敬服に値する。よくやった」


「魔女さんのおかげ。こんなの一人じゃ絶対無理だった。魔女さんが見守ってくれてるって、信じてたから」


「ああ……私はいつでもお前とともにあるよ」


「ねえ、私も――」


 魔女の能力を目の当たりにしたこと、そしてこの先私と時間が離れてゆくことも気にしているのだろう。言おうとすることを察した私は、鋭く制止した。


「気まぐれでも口にしてはならない。お前は人間として、多くの人に愛されている。お前もまた、たくさんの愛情を注いでいるのだろう。それらを冒涜するような考えは捨てるんだ」


「……ごめんなさい」


「お前が、私にも情をかけてくれているのは理解しているつもりだ」


「え?」


 雲が出ればいいのに、こんな時に限って月光が冴えている。私の火照った頬を月の光が濡らす。


「お前の愛は、私の中で消えることはない。出会った時点で私たちは永遠を約束されていたのだ」


「ふふっ、ふふふふ、さすがは時の魔女さん」


「ああ。そしてお前はただの人間だ」


「それってとっても素敵ね」




 短くも長い時が流れた。お前は新たな生命を育み、父を見送り、夫も病が連れていったが、長老として村に貢献した。お前の足腰が弱った頃には、森深い家に来るのが難しいお前と、適当なところで落ち合って昔話を楽しんだものだ。


 人の命には終わりがある。そんなものまで正確に測ってしまえるのは、時の魔女の業と言うほかない。


「やあ。月のきれいな良い夜だ」


 子供の事業が成功して、お前は立派な家を建てた。個室の寝台の上で、お前はゆっくりまぶたを開けた。


「天使様がお迎えにいらっしゃったと思ったけど、見覚えのある顔だわ」


「天使の出番はもう少しあとだ。私はお前を見届けにきた」


「そう……見覚えあるなんて冗談よ。目が霞んで見えないの。もっと近くに寄ってちょうだい」


 私は膝を折り、美しい刻苦のシワのある手を取った。


「ここに至ってはもう倫理の出番もないだろう。どんな願いでもこの魔女に言ってみろ」


「いいえ。十分幸せな人生をいただいたわ。あぁでも、ひとつだけ、大きな心残りがあるの」


「聞こう」


「私ね、魔女さんの名前まだ知らないのよ。ふふ、おかしいでしょう?」


「そうか……そうだったな」


「とても大事なことよ。知らないままでは、私の魂は地上をさまよう亡霊になってしまうでしょう」


「なんて脅し文句だ。お前には最後まで驚かされてばかりだな。私の名は――」


 お前は何度も、かすれる声で私の名前を呼んだ。名前を呼ばれるということは、こんなにも温かく、むずがゆく、胸が締め付けられることだっただろうか。いや、嵐のような胸中の思いはこんな曖昧な言葉では汲み尽くせない。私はただ、お前の手をさらに強く握った。


「ふふ。こんな、時でも、魔女さんは照れ屋なのね」


「参ったな。なんと言えばいいのかわからないだけだ。ただ……嬉しいよ。名を呼んでくれて」


あまりにも素朴な、幼児のような感想に我ながら呆れるが、お前は満足そうに微笑んだ。


「いま、もうひとつ、お願いが、生まれたの。これも叶えて、くれるかしら」


「言わなくてもわかる」


「さすが、私の――」


「ああ。私はお前のものだよ……おやすみ」


 耳元で、お前の名前をささやいた。おやすみ。魂に安らぎあれ。



 長い時間が過ぎた。村は発展を続けていたがある時、地震と疫病が重なり、人がいなくなってしまった。森の生命力は凄まじいもので、瓦礫の山をあっという間に緑で覆っていった。さらに時間が経てば、豊穣な生命が育つ場になるだろう。


 私はかつて村外れだった場所にいた。いまとなっては、草原と呼ぶのが適切なところだ。その中に、お前の名前が刻まれた碑が立っている。静かな、誰もいない地を、びゅぅと涼風が吹き抜けていく。

 森を出た私は、放浪の生活を送っていた。お前がいつか語ったように、愛も生命もいつまでもどこまでも巡ってゆくのだろう。それを見て回りたかった。そして、旅から戻ってくると、碑を磨きながら土産話をするのだ。


 こうして語りかけることも、お前との思い出として積み重なっていく。私はまた旅立ち、戻り、いつまでも思い出を増やしていくだろう。そして、いつかきっと私にも終末の時が訪れるだろう。その時はここでのんびり過ごせるよう願う。時の終わりまで、そしてその先までも、私たちの魂が離れることはない。


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不老不死の魔女はある娘を永遠に愛する 犬井るい @fool_zero

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