変数



あっちのやつは?

中肉中背と言ったこれと言ってなんの特徴もない客の言葉だ。

彼は自分よりも心なしか体格のいい個体を指して尋ねた。

体格だけじゃない、顔つきも少しは男前かもしれない。

同じ遺伝子個体を比べることの失礼は承知だが、大量の同じ顔を見続けているのだ。

この程度の息抜きは許されるだろう。



ええ、あなたがもしも高校でハンドボールに転向していたらああなっていたでしょうね。



彼が小学生の時に齧ったらしいプログラミングを、投げ出さなかった場合の個体を横目で見ながらいつものように返した。

どうやら彼が指さした個体も、私が視線をやった個体も彼と同じくさして大成することもなかったようで、

同じような程度の仕事をしているらしい。

少々、余計なことばかり頭を使ってしまったが、

この職場で考え過ぎることほど無意味なことはない。

私はぼんやりとした気分で仕事に戻った。



決まりきったガイダンスを繰り返さなければならない。

質問も大抵は予想できる範囲だ。



さて、技術上はヒトのクローンはもちろん、高度な遺伝子操作により望むとおりの人間を生み出すことのできるところまで我々は到達しました。

しかし、私達は所謂デザイナーズベイビーを生み出すために必要な哲学的試練を乗り越えることはできませんでした。



よろしいですか?



ここまで話し終えたところで、後方の若い女が手を挙げた。



ええ、と笑顔で続きを促す。



中華連邦内では極秘裏に行われていると伺いましたが、どうなんでしょうか。

人材という面において明らかに私達を優越していますよね?



賢しそうな女に見えたが、

よくある質問の一つであった。

なるほど確かに、

中華連邦領内では極秘裏に作られているという噂もあるし、

以前の共和国の時代から考えると異常なまでの国力の回復を見る限り、

その噂を肯定するしかないようにも思える。

しかし、中華の遺伝子技術で我々が高度な医療を実現していることは確かであるし、

私がこの苦痛極まりない仕事についていることも確かである。

とはいえ、それをそのまま伝えるわけにもいかない。



はい、民間レベルではそういった噂もありますね。

結論からお伝えすると、噂に過ぎません。

まず、仮にそういったことが行われているとすれば許されることではありません。

確かに連邦は優れた遺伝子技術を持っていますし、

我々を含めてそこに追いつける国はありません。

しかし、それを彼らが開放しているからこそ私達や子供たちが病への不安を感じることもなく過ごせています。

何より、我が国を含む多国籍の研究チームが連邦とともに働いています。

この開かれた社会で極秘裏にそういったことを行うのは難しいかもしれませんね。

何か他に質問はございますか。



このあたりで普段ならばアニマルライツの団体が、

家畜の遺伝子操作について噛み付いてくるのだが、

今回は誰もいなかったらしく実に平和であった。

私はつい、若干の上機嫌で話を進める。



さて、話を戻しますね。

私達は選択を繰り返して生きてきました。

同じ数とは言わなくとも、近しい回数の後悔もあったと思います。

選択において必ず後悔の念を覚えるということは、心理学的にも肯定されている当然のことです。

あのとき野球に打ち込んでいれば。あと少し受験に必死になっていれば。ピアノを習っていれば音楽的才能があったのではないか。

様々なレベルでの後悔は尽きないものです。

私も、もう少しだけ筋トレでもしていればモテたのかもしれませんね。



反応はなかった。

たった今余計なことを付け足したことに既に後悔をしている。

この仕事において考え過ぎることは無駄であるのだから、

気にせずに続けた。



しかし、人生は一度きりであるし、自分の才能がなにか、正しい選択はどちらかというものはわかりようがありません。

これは今の技術でも残念ながら確認することはできません。

才能と言ってもある程度外部要因に左右されるため、非常に変数の多い人ひとりの人生を考慮しシュミレートするというのは、あまり現実的ではないのです。

故に、人が自身の才能や可能性の答え合わせをするためには、

目安として25歳を上回る必要があります。

これまでの人生をもとにできる限り変数を減らし、

遺伝子情報をもとにシュミレートするのです。

それの体験施設がここだということですね。

皆様の手元の端末からあり得たかもしれない貴方の姿を確認することができます。

人によってはその姿を見て自身の適性を知ることができるかもしれませんね。

ここでの説明は以上になりますが、

なにか質問はございますか?



いつもどおりに締めくくる。

通例通りここでも質問がチラホラと出た。

その中からなんとなく面倒な雰囲気のない一人を指し示した。



ありがとうございます。

この施設でできることは理解しているのですが、

この施設のそもそもの目的がわかりません。

なんのために開放しているのでしょうか。



嘘をつく必要のある質問だった。

本来の目的で言えば、

政府の政策の下準備である。

現状、人口回復の兆しも見えない中、

この国が国力を維持するためには一人あたりの生産性を上げる必要がある。

よって、その人が最も成果を上げる分野を特定し、そのための人生を歩ませる。

そのための技術こそがこのシュミレートの目的である。

つまるところ、その技術の民間への理解と普及の助走段階として、

未だ本来の目的には程遠い現状の技術で以って、

自分の持っていた可能性を知りたいという生産性の欠片もない、実にしょうもない好奇心を持つ物好きに対して、

このシュミレートの結果をサービスしているのである。

そのナビゲーションをするのが私というわけだ。

このことを建前に直して伝えなければならない。



遺伝子技術について理解していただくことが目的です。

私達がクローンやデザイナーベイビーへの哲学的試練を乗り越えられなかったように、

未だに遺伝子技術に関しては私を含め生理的に抵抗を覚える方が多くいらっしゃいます。

もちろん、そのスタンスは全く咎められるものではありませんが、

適切な理解のもと、適切な判断をしていただきたい。

その上で次の世代にこの技術を残すか否かを考えなければならない。

そのための材料として、

遺伝子技術で何ができるのか、何ができないのか、今のところは何をするべきでないのか。

そういったことをお伝えするための場所です。

他に、質問はございますか。



珍しく他の質問者も遠慮したのか、

これ以上の質問は出なかった。



では、各々の端末からデータベースへお好きにアクセスしていただいて結構です。

適宜質問もお受けします。



少しの後に声をかけられた。



こちらの個体は何なのでしょうか?



真っ先に個体に関心を示した男性だ。

少し訝しむ声でほかと調子の違う個体を指差す。



あなたの両親が今よりいくらか不仲であった場合のあなたですね。

反骨心から家を出ますが、自堕落な生活が災いします。



なるほど、私の天職はこのナビーゲーターだったのだろうと思いながら返答する。

ちなみにこの男は、少なくともシュミレーションの限りでは大した才能は発現せず、

なんの面白みもない結果の凡夫である。

こういった結果や、自分の歩む道が最も才能に溢れているという結果であれば良い。

もしも、いま自身で歩む道が最も才能に恵まれないものであればどう受け止めるのだろうか。

やり直しが効くわけでもなく、

ただ、これまでの積み重ねを否定されるだけ。

全くの拷問にしか思えない。

それとも、自身ですら理解できない自分を、機械を通して理解するつもりでいるのだろうか。



仕事を終え、郊外の施設から都市部の自宅へと戻る。

通勤としても金銭としても郊外に住んでしまえば楽なのだが車の運転が好きなことと、

なによりも、自身の人生が遺伝子によって郊外に固定されてしまうような気がして、自宅だけは都市部に借りている。

ソファに腰掛け、不思議と1000円まで上がってからは価格が据え置かれたタバコに火をつける。

途端に室内の空気清浄のためのシステムが作動する。

とはいえ、静音性も高く、働いていることがわからない程には発達したものであるが。

喫煙文化はついになくなることはなかったが、

喫煙する場所に関しても、喫煙することのできる人間に関しても、実に厳しく規定された。

前者に関してはこの部屋のような空気清浄システムが十分に誂えられた空間でなければ認められないし、

屋外での喫煙はよほどの僻地でなければ許されない。

条例による過料の設定しかなかった路上喫煙も、

この監視社会では即座に発見され、刑法によって規定された罰則を受ける。

後者に関してもなかなかに厳しいもので、

喫煙に由来する何かしらの疾患を発現する遺伝子を持っていないことが条件となっている。

肺がんや気管支に関する病気はもちろん、

依存症やその他考えつく限りの病名が対象である。

私にはそれらを発病する遺伝子がなく、

人類全体でほんの一握りのナチュラルの喫煙者であることが許されている。

とはいえ、そういった遺伝子への操作も可能であり、

治療によって喫煙することが許された者たちは非常に多い。

ちなみに、デザイナーズベイビーを製造する連邦では、

20年ほど前からの新生児の殆どは日本の法律においても喫煙が許可される遺伝子配列だと聞く。

ちなみに、大麻やアルコールなどの嗜好品についてもほとんど同じような状況である。

私はアルコールを好まないが、

遺伝子的には許可を受けている。

こうして、ソファの上で自身の適性にあやかっていると、

常々理想的な遺伝子配列あるいは、適正の活かし方を考えてしまう。

人類の理想はどこにあるのだろうか。

それは、私の理想とは異なるのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

便秘のときに読むとちょうどいい長さのSF。 寿司 @zumis

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ