言って。

倉科 然 DISCORD文芸部

言って。

「あかり、見てごらん夜空で一番大きなあの星がお月様だよ」

「うん!あかりしってる!!」

 春の少し冷えた夜風が吹き抜けて桜の葉が空に舞う。

「じゃああの星は?」

 幼い私に父は地平線に近いよく光る星を指差し言った。

「えーわかんない!パパ知ってるの?」

 アパートのベランダには私と父、二人きり。母はキッチンで夕食を作っていた。

「パパはね、知ってるよ」

 あれはね、父はそう言いながら微笑んだ。

 もう一度夜風が吹いて、桜が舞った。


 

 




 私はうだるような暑さで朝8時前に目が覚めてしまった。

 今日は土曜日、仕事は休みだ。市立病院で医療事務をしている私。土曜日はどこか気が抜けてしまう。

 寝ぼけた頭でどんな夢を見たのか思い出そうとするが思い出せない。

 軽く朝食を摂ってから歯を磨いた。

 午前9時前、ちょうど今日1日の予定を模索しているときにiPhoneが鳴った。

 着信は母からだった。

「もしもし? お母さんおはよう」

 と私が言うと

「あかり元気にしてる? ちゃんと食べてる? もうお母さん心配しているのよ」

 と一呼吸でまくしたてられた。

「大丈夫だよちゃんと食べてる。それを聞きにわざわざ電話してきたの?」

 全く県外に就職したならまだしも、一人暮らしといっても同じ市内で車を使えばすぐなのに心配しすぎだ、と私は思った。

「そうねえ、それもだけどあかり今日20歳の誕生日じゃない? 渡したいものがあるの」

 あ、と私は声に出してしまった。自分の誕生日を忘れるなんてと少し自分にうんざりした。

「そうだったね、渡したいものってなに?」

「それがお母さんにもわからないのよ」

「どう言うこと? 手元にあるんじゃないの?」

 うーんと母はうなると

「お父さんがね」

 と続けた。

 私は息を飲んだ。

 

「ただいまー」

 私は午前10時すぎには実家に戻っていた。道中車の中は8月の日差しでクーラーが効かないほどだったので、玄関を開けた時の涼しい風が心地よかった。

「あかりおかえりなさい、それと誕生日おめでとう」

 母はニコッと笑うと私をリビングに通した。

「お母さん、それで渡したいものって?」

 私は、はやる気持ちを抑えきれなかった。

 その気持ちとは裏腹に母はゆっくりとアイスティーを淹れていた。

 あかり、お父さんの事なんだけど、と母は独り言のように呟いた。

 私は今まで無意識に父という存在を頭の端の方に追いやっていたから、ドクンと心臓が跳ね上がるのがわかった。

「お父さんね、あなたが20歳になったら渡すようにって私に箱を預けていったのよ」

「お父さんが? 私に?」

 母はアイスティーとたっぷりの氷の入ったコークグラスを私の前に置いてから、リビングの隣の和室から紅い模様の入った箱を持ってきた。

「中身は何?」

 母は首を横に振る。

「私もまだ開けていないの」

 私の目の前に小箱を母が置いた。

 私は1回深呼吸してから小箱に手をかけた。


 箱の中には便箋が入っていた。

 緊張した手で折ってあった便箋を開く。

 そこに書かれていた文字はいかにも男の人の字だなと私は思った。

 

 20歳になったあかりへ

 から文章は始まっていた。

 

 20歳になったあかりへ、この手紙があかりの元に届いているということはあかりは成人したみたいだね。パパはとても嬉しいよ。あかりは大学生かな? それとももう働いているのかな?

 パパも20歳のあかりが見てみたかったよ。パパの予想だときっとママに似て美人さんになっていると思うなあ。

 今手紙を書いている時、まだ小さいあかりはママと一緒にぐっすり眠っているよ。パパはいつもあかりの寝顔をこっそり見るのが好きだった。

 あかりとは少ない時間しか過ごせなくて申し訳なかった。でも、それでもパパはあかりのことをいつも一番に考えていたし、ママのことも同じくらい好きだ。

 あかりは住んでいたアパートのことを覚えているかな、このアパートのベランダはいつの星がよく見えていたね。昨日の夜、あかりとベランダに出た時、あかりがお月様のことを知っていてパパは驚いたし成長を感じられて嬉しかった。あの星の名前も覚えているかな? パパより。


 その日の晩私は電車とバスを乗り継いで昔自分が住んでいたアパートに向かっていた。

 昼間は暑かったのに、なんだか夜は少し涼しかった。ちょうどあの日の晩、そう夜桜が舞っていた夜のように。

 電車とバスを乗り継いで1時間くらいかかった、やっと辿り着いたその場所にはもうアパートは無くなっていた。代わりに綺麗に整地された駐車場が広がっていた。まるで私の心の空白みたいにぽっかりとその場所はひらけていた。

 鞄の中から父からの手紙を大事に取り出す。ずっと心の中で避けていたのだ、父のことを。

 私と母を置いて逝ってしまった父を。

 時間は午後10時をとうに回っていた。

 もう一度手紙を読み直す。

 そこには私が拒絶してきた過去と今が交差するように父の字が書いてあった。

 ずっとずっと胸を刺す痛みを、その感触を気がつかないふりをしてきた。

 ごめんねパパ、私大切なモノを忘れていたよ。

 あなたの笑った顔、私を叱るときの真剣な顔、胸に抱かれたときの温かさも。

 これから私は進まなきゃいけない、でもそれは過去を捨てることではないのだ。だから私はこの手紙でもっと私は前に進める気がした。

 本当は直接言って欲しかったけれど、白血病に侵されていた父には手紙という手段しか残されていなかった。手紙から目を空に移す。とてもとても空が高くて、あの時みたいな星空は見えなかったが、私の心はとても穏やかで、あの時のアパートはもうないが、私の心はあの夜にいて、空を見ていたら父の温もりで一筋の水滴が頬を伝った。

「パパ、私前に進めそうだよ。今までごめんね」

 きっと私の人生が終わるまでずっと忘れられない誕生日になったよ。

 涙で視界が霞んだせいか、桜の花びらが一枚空を舞ったように見えた。



 

 



「言って。」ヨルシカのアルバム『夏草が邪魔をする』より

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言って。 倉科 然 DISCORD文芸部 @zen_kurashina

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