7月7日、君を想う
明里 好奇
シーグラスのような
それはきっと、確かな約束のようで。それはきっと、不明瞭な境界線のようなもので。それでもぼくたちにだけ見える糸のようなもので、だからきっと、今もまだ持っている色ガラスの欠片のような、そういう類のものだろうと思っている。
7月7日、君を想う。
「ここで会ったが百年目……!!」
「あはは、今年も元気だねえ」
「なんで乗ってくれないの……!!」
「えー? 全力で楽しんでるのにー? 酷いなあ」
「ええ、分かりにくいー……」
「見るからに残念そうな顔しないでよう?」
二人で話すのは、少しだけコツがいる。きっとそれは何でもないことで、今までだってそうだったし、きっとこれからだって同じなんだと思う。
彼女がきゃらきゃらと笑うのを眺めながら、持参したアルバムを広げる。色とりどりのアルバムの表紙。二人で過ごした今までの記憶と出来事がすべて手のひらの上にあるみたいで、しかしそれらが過去のものだという事実に少しだけ寒くなる。
「あ、今年も持ってきたのアルバム! それからこれ!」
「お、ラムネだね。いいね、冷たい……!」
「冷やしてきたもの、とっておきよ?」
二人でラムネの瓶で乾杯をする。ここはとても静かだから、瓶のぶつかる軽い音がしっかりと鼓膜に残った。きっとこの音を何度も思い出すことになる。忘れてなんて、やらないんだ。
飲み口のラベルを剥がして、蓋を強く押し込む。その時にしっかりと手のひらで瓶の口を包むようにする。こうすると、吹きこぼれが少ない。横でぴゃっという小さい悲鳴が上がる。君は何年経っても、ラムネを開けるのがへたっぴーだなあ。
瓶からあふれた透明な液体が彼女の手のひらや指を濡らす。ラムネの蓋は噴出する勢いで落ちてしまっているから、泡が落ち着くのを待つ。きっとこうなるだろうと思って、ハンカチを持参してきて正解だった。彼女にそれを手渡して、代わりに瓶を持ってやる。
「いい匂いする、柔軟剤変えた?」
「よくそんなところまで……! そうだね、変えた。お気に入り」
「私もこれ、好きー」
水色のハンカチを拭いた手で、口元に当てて数回深呼吸をしている。逃すまいと、香りを堪能している。逃げないから安心してほしいのに、それを伝える言葉が出てこない。
優しい沈黙が二人の間に流れる。並んで座るのは、もう習慣のようなものだ。ぼくが右で、左にきみ。
弾けるような君の声がする。少しだけ、寒いんだ。君は大丈夫かな。君は、寒くないといいと願う。
「これ! なつかしいなあ」
「ここで、君と会うようになったときのものだね」
「写真を残そうって、言ってくれたんだよね」
「それで、君がアルバムとラムネを二本持ってくる」
「そうだね、そう」
「どうしたの?」
不安そうな君の顔が、うまく見れない。
「どうもしないよ。大丈夫まだ、時間はあるんだ」
なけなしの言葉は、自分に言い聞かせているようなもので、それでも君を少しだけ安心させられたらいいと、やっぱり願う。
二人の間の少しだけ前に、ラムネの瓶を並べて置いた。もう残り少ない。かすかな光を湛えて、瓶の首のあたりでビー玉が光る。少しだけ、視界が悪い。もう、でもまだ、もう少しだけ。
「だいじょうぶよ、そんな顔しないで」
君の手が、ぼくの頬に触れる。少しだけ指先が冷たいのは、ラムネのせいだけじゃないのを知っている。少しだけ震えているのも、知っている。けれど、知らないふりをしてその指先ごと頬を包んだ。
「最後じゃないのに、最後じゃない、のにね。……恐くて、たまらないんだ」
見ないようにしていた自分の内側の声が、熱い涙と一緒に零れ落ちた。見せないようにしていたのに、ああ、みっともないなあ。君はそれを笑わずに、聞き届けて。
二人っきりのこの場所で、口づけをした。
「もう、本当に泣き虫なんだから、大丈夫よ。一年なんてすぐに経っちゃうんだから、ねえ、私も、恐くないなんて嘘だけど、また一緒に居たいから」
どこかで何かが満ちた。視界が白く霞んで、認識すればすぐに、真っ白になった。君に触れていた感触も、触れていた左側の体温も、ラムネ瓶の冷たさも、君の指先の感触も。
ぼんやりとあけた瞼に水滴が沁みる。まつ毛に浸透した涙は、きっと二人分だ。見慣れた天井は、デスクライトだけの光源でにじむように見えていた。きっと彼女も、どこかで同じように目覚めただろう。
今日だけ、一年越しで彼女に会える。いつかきっと、抱きしめたいと思って時間切れになってしまう。腹の上に載っているのは、重たいアルバムと旧式のポラロイドカメラ。数枚の写真と一緒にベッドに散らばっている。それだけが、ぼくを勇気づけた。
7月7日、もうすでに君に会いたい。
「はじめまして、先生」
新しく担当になった少女はまだ白くて細く、でも間違うはずもなかった。声を聴いて、喉が絞まるようだ。体がこわばって、指先まで硬直してから、深呼吸をした。
「きみの、担当になりました。どうぞよろしくお願いします」
できるだけ平静に装って、普段はしない握手のために手を伸ばした。その手をすり抜けて勢いよくベッドから飛び込んできた彼女を、腰より少しだけ上で受け止める。ああ、ベルトのバックル、痛くなかったかな?
「私、ずっと知ってたのよ、あなたがどこかに居るって、近くに居るって、知ってたの」
ぼくだって、そう思っていたさ。そうは言えずに、年甲斐もなく、恥も外聞も投げ捨てて、止められずに泣き出してしまった。声は出せない、息を詰めて、溢れるだけあふれさせた。
「もう、本当に泣き虫なんだから」
彼女の優しい声が腹のあたりから聴こえて、確信に縫い留められた。
7月7日、君を想う 明里 好奇 @kouki1328akesato
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