七夕生まれの君に星空を

伊古野わらび

七夕生まれの君に星空を

 誕生日はいつも雨だった。晴陽はるひという名前なのに、しかも七夕生まれなのに、記憶にある誕生日は決まって雨。梅雨の真っ只中ゆえ仕方がないと言えばそうなのだが、それでも織姫と彦星の再会を邪魔しているのは自分のようで、毎年酷く落ち込んだ。ごめんね、織姫様、彦星様。

 傘の必要のない一日が欲しいとまでは言わない。でもせめて、星空を少しでも眺められる程度には晴れて欲しいというのは、贅沢な願いになるのだろうか。


「なら、今から星空見に行こうぜ!」


 そう言ってくれたのは、今の彼氏の祐輔ゆうすけだった。丁度五年前。その日も朝からずっと雨が降っていた。

 誕生日だというのにテンションの低い晴陽の手を引いて、連れて行ってくれたのは、街の図書館。その建物の中に併設されたプラネタリウムだった。設置された当時は最新鋭の機材が導入され話題になったというが、今ではすっかり寂れてお客さんの数も少なかった。かくいうこの街育ちの晴陽も訪れたのは、その日が初めてだった。プラネタリウムを見ること自体も。

 初めて見上げた人工の星空。実際の空を見上げるよりも多数の星が瞬くあの光景を知った衝撃と感動を、晴陽は今でも忘れることができない。外の雨から隔離された空間で、まるで星空を独り占め、いや「二人占め」しているかのような感覚。低空飛行していた筈のテンションは、いつの間にかあの星空の彼方まで上昇していた。

 どこまでもどこまでも流れていく天の川。その天の川を目指すかのように、高く高く。

 あまりに夢中になっていたから、そんな晴陽を祐輔がどんな表情で見守ってくれていたか、晴陽は知らないままだった。その時は、まだ。

 それから、晴陽の誕生日である七夕の夜は、決まってプラネタリウムを見に行くようになった。毎年上映される内容は同じで、夏の大三角と七夕の物語を解説するものだったが、それでも晴陽は十分満足だった。今まで見られなかった織姫様と彦星様の再会を、人工の星空とはいえ見ることができて、贅沢だと思っていた願いを叶えることができて、しかもそれを叶えてくれるのが大好きな恋人だとか、こんな幸せなことがあってもいいのだろうか。

 やがて二人は大学を卒業し、それぞれ社会人として働きだしても、七夕の恒例行事は変わらなかった。休日である今年もまた、二人連れ立ってあのプラネタリウムを見に行く。やはり今年も雨が降っていた。でも、晴陽のテンションは落ち込まない。水たまりを踏む足取りは寧ろ軽く跳ねているくらい。

 ただ、今年は勝手が少し違っていた。プラネタリウムの入口に貼られていたお知らせに、晴陽のテンションは急に落ち込んだ。


『プラネタリウム閉鎖のお知らせ』


 老朽化と収益低下が理由だった。この夏いっぱいで、あの人工の星空はなくなってしまうらしい。つまり、今年で七夕の星空観賞会も終了ということだ。

 不安げに隣の恋人を見やると、祐輔もまた寂しそうに微笑んだ。驚いていないところを見ると、どうやら以前から知っていたらしい。


「最後だからさ。ちゃんと見納め、しないとな」


 すっかり足取りが重くなった晴陽の手を引いて、祐輔が中へと促す。相変わらず、お客さんの少ない客席の間を移動して、すっかり定位置となっていた座席へと座る。まだ寂しさとか驚きとか、そんな複雑な心境を引きずったままだったが、今はとにかく最後の星空に集中しようと晴陽は天井を見上げた。これからあの七夕の夜空に変わる筈の古ぼけた天井のスクリーンを。

 そして始まる上映。その日見上げた星空は、やはり初めて見た時と同じように素晴らしかった。もう覚えてしまったナレーションをなぞりながら星を目で追う。

 その時、初めて晴陽はプラネタリウム上映中の祐輔の表情を垣間見た。ほんの一瞬のこと。それでも、晴陽は星空以上に忘れられないものを見てしまった。

 晴陽が今まで星空にばかり気を取られて見ていなかった祐輔は、上映中に星空を見てはいなかった。ただ晴陽のことだけを見つめていた。いつも賑やかで笑顔を絶やさない彼が、酷く緊張した面持ちで、ずっとこちらを見ていた。

 一度気付いてしまうと、その視線を無視することはできなかった。ナレーションの声も、もう耳に入ってこない。頬に視線が刺さるようで気になって集中できない。どうして、今までこの視線に気が付かなかったのだろう。いつも晴陽を見ていたのだろうか。毎年いつも。それとも、今年だけ?分からない。でも、どうして。

 結局、最後の筈の星空を晴陽はきっちりと目に焼け付けることができなかった。祐輔の視線から逃れるように、星空を見上げるふりをして、ただ顔を赤くすることしかできなかった。

 上映が終われば、きっといつもの彼に戻っているだろう。その予想は半分当たって、半分外れた。

 確かに笑顔は元に戻っていた。ただいつもなら次は何処何処へ行こうぜと明るくリードしてくれる筈の祐輔が、プラネタリウムを出ても何も喋らない。

 何かが違う、誕生日の夜。


「祐輔?」


 不安を覚えて名前を呼ぶと。


「晴陽」


 ようやく振り向いた彼は、プラネタリウムで見たのと同じあの緊張した面持ちで晴陽の手を取った。

 図書館との共同の出入り口から出てからさほど離れていない所だった。屋根の下で雨には濡れない位置。もう図書館も閉館間際の時間で、雨のせいか人の気配は非常に希薄だった。世界は相変わらず雨音に支配されていて、街灯の光すら雨の景色の中では滲んで見えた。

 握られた手は震えていて、今まで見たことも感じたこともなかった祐輔の様子に晴陽が戸惑っていると、彼は自身を落ち着かせるように大きく一つ深呼吸した。


「晴陽」


 もう一度名前を呼んで。


「……プラネタリウムが閉鎖されるって聞いて、ようやく決心がついた。もうプラネタリウムを頼れない。でも、晴陽には変わらず星を見せてあげたい。だから」


 今年の誕生日プレゼントは、これを。


 そう言って左手を持ち上げ、通されたのは。

 雨の中でも光る、小さな一番星。


「今の俺だとこれで精一杯だけど、貰ってくれるか、この星。それで」


 その後続く言葉を聞くより早く、体が動いていた。


 結婚してください。


 その言葉を唇で閉じ込めて、晴陽は祐輔の首に腕を回した。その左手の薬指には、今まで見た中で一番美しく輝く星を宿した指輪がはめられていた。

 プラネタリウムがなくなっても、七夕の日に雨が降っても、晴陽はもう落ち込まずに済むだろう。雨の七夕の夜は、晴陽にとっては誕生日の夜で、大事な大事な記念日になったのだから。


【了】

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