神様のわがまま
いなほ
神様のわがまま
七夕は、星々の川を渡って、会いたい人に会いに行く日だ。
だから、少しは信じてもいいんじゃないかって、思ってしまう。
同じ世界にいなくても、この川を渡ったらあなたに会えるんじゃないかって。
――――
「神様ってわがままだよね」
恨めしそうに星空を見上げる君の横顔を僕は見続けてきた。
最後に君に会った七月七日――つまり七夕のときも、君は同じことを言って、その美しい容貌を悩ませていた。
「それを聞くのは二度目だね」
僕がからかうと君は困ったように僕から目を逸らしながら、
「だって――七夕といえばそう思わずにはいられないんだよ」
と呟く。
仕方ないじゃん、と俯く君がどんな表情をしているのか、よくは分からない。どうやら君は僕のほうを見たくないらしい。
わざわざ会いに来てくれたのに、その態度はあんまりじゃないか。
「君は変わらないね」
そう言いながら、僕は心でため息を吐いた。人は誰しも時間の流れには逆らえない。君だけは例外だなんて、いつの間に僕はそんな生ぬるいことを考えるようになったのだろう。
「あなただって」
君はやっと僕のほうを向いた。初めて見た困ったような笑い方も、君であれば何でも綺麗だとしか思えないんだから、僕は相当まいっているんだろう。
「あれからもう七年か」
「……うん」
ぴくりと、君が震えたのが分かった。それが分かっていて、君にあの日のことを突き付けるのは――心のどこかで君を恨んでいるからかもしれない。
「……ほんと、神様はわがままだね」
思わず喉の奥から低い声が出て、君がまた震えた。幾度となく君の口から放たれた言葉が僕から出ると、どうして君はそんなに怯えるんだろう。
「わたしがそう言わなければ、あなたは……
まだ生きてたのかな」
でも、そうやってはっきりしたところは変わらない。
「……そりゃそうだろうね」
だから僕も昔と同じように、君に容赦をしない。
「そっか」
暗闇のなかで七年ぶりに君の姿を見たときから分かっていた。君はあの日と違うこと。でも君は悪びれたりはしなかった。それはあの日と同じだった。
……君のそんなところが、僕は好きだったんだと思い出した。
いや、今でも。
君がいたから、僕は「神様のわがまま」から逃れることが出来たんだ。
「ずっと聞きたかったけど聞けなかったこと、聞いてもいい?」
「質問の内容が分からないから、答えようがないな」
「そっか、そうだよね。あなたはほんと……変わらない」
君が浮かべる笑みは見慣れたものになった。あの日と同じ……厳密には違うんだろうけれど、よく似た、恐れ知らずの笑みだ。
「怒ってる?」
「何に?」
「わたしだけが……生き残ったこと」
やっぱり君が怯えていた理由は、それだったのか。
「どうして?」
「不公平だから」
「何が?」
「わたしだけが生き残って、君だけが死ぬ……こっちの世界ではそれを不公平と呼ぶし、その事実を世間様が知ったらわたしは非難される。違う?」
「多分そうだろうね」
「だから……気になっただけだよ。あなたも怒ってるのかなって」
少し腹が立った。答えなど分かっているはずなのに、君はどうしてそんなことを聞くんだ。
「随分、君らしくもないことを言うんだね」
「だから聞けなかったの」
「じゃあ最後まで聞かなきゃよかったのに」
文句を言うと、君は優しさを滲ませて笑っていた。そんな表情を見たのは、僕が君を殺すことを了承した時くらいかもしれない。
「生きてるとね、“らしく”はいられないことばっかりなんだよ」
君の言う通りだ。だからこそ、あの日僕は、君の提案を受け入れた。
「でも……それを僕の前で見せるのは、反則じゃないかな」
「あなたは、正しい。でもね……わたしも完璧じゃいられないんだよ」
さっきの完璧な笑みとは打って変わって、泣きそうな君の表情が僕の眼前に迫った。
「こんなこと言うのは間違ってると思うんだけど……わたしのほうが君を恨んでると思う」
「何で?」
「一人で死んじゃったから」
君が言いたいことはすぐに分かった。
何でこんな簡単なことに気づけなかったんだろう。
僕が君に向ける恨みなんて、君が抱えるものに比べれば余程軽い。
「連れてってよ。
神様のわがままはもう……うんざりだよ」
君の瞳に浮かぶ苦しみは、今にも溢れ出しそうだった。それを必死にこらえているのは君が僕より七年も多く生きているから、それだけ僕より多く、生者の罪と苦しみを背負ってきたからなのだろう。
「もし死者となっても、君を連れていくことが出来るなら……僕はとっくにそうしてるよ」
泣き出しそうな君の肩を抱き寄せて、首元に唇を寄せる。僕も泣きそうになった。
「たぶん、チャンスはあの、一度きりだった。それを失敗したのは……僕だ。ごめん……ごめん。謝らなきゃいけないのは僕のほうだった」
抱きしめても君は微動だにしない。「怒ってる?」というセリフは僕が君にいうべきものなんだと気づいた。
「君を一人にして、ごめんね」
君がそっと僕の背に手を伸ばした。そのかすかな温もりが妙に心地いい。
「……ううん」
雫が君を包んだ腕にこぼれ落ちる。君がどんな顔をしているのか、分かっていた。だけど、僕はとても見られない。
君の苦しみは、痛いほど分かるから。
……案外僕も、君と同じ業を背負っているのかもしれない。
出会ったときも今日みたいに、皆がロマンチックに浮かれていた。
引き裂かれた男女が一年に一度逢うことができる日。それが「七夕」という日が存在する理由だ。
それなのに、君は言ったのだ。神様はわがままだと。ロマンチックでも何でもないと。
自分が結婚させたくせに、二人が自分の思うようにならなかった引き離して、一年に一度だけ逢わせてやる。そんなわがままが通用していいのかと。
でも“神様”がそういうものだってことは君も僕もよく分かっていた。いや、その言い方は少し誤解を招くかもしれない。条件が揃ってしまえば人間の親だって、子供の前では“神様”になる。そのことを身をもって、心でもって知っていたのだ。
そして見えずとも僕達は互いを分かり合った。
ずっと同じ穴にいる僕達の願いは一緒だった。
だから七夕という日に、君は僕に殺されることを選び、僕は君を殺すことを選んだ。
そして、その願いを僕は叶え、君は叶わなかった。だから僕達は救われなかった。
僕は君なしでは、君は僕なしでは、救われることなど出来ないのだ。
たとえ地獄に落ちようとも。煉獄の炎で焼かれようとも。そんなことは何でもない。君でなければ僕の一切を裁くことなどできない。僕の一切を赦すこともできない。
「今日……会いに来られて、よかった」
ふと不思議に思った。本当は君に会ったら最初に聞くべきことだった。
何で君は、ここにいるの?
「君はどうやってここに来たの」
「どうやってと言われても……今日は七夕だもん。会いたい人に逢える日、それが七夕でしょ?」
顔を上げると、君が不敵に笑った。少しも違わずにあの日の笑顔だと、今度こそ僕は思った。
やがて君と僕はゼロ距離に到達して、境界線は限りなく無に等しくなった。そんなことになったのは、あの七夕の日以来だ。
心とは反対に君は温かく、その熱を奪う権利があるのかと、いくら僕でも逡巡せずにはいられなかった。
でも今、君の温度は、なんだか僕と同じような気がしていた。
そうか。そうだったのか。
やっぱり君は……変わらなかったんだね。
今宵も空に川が流れる。目を逸らしたくなるほど、眩しくて綺麗な川だ。きっと織姫と彦星が今頃、あの場所で逢っているのだろう。
二人はきっと綺麗なものを見続けてきたのだろう。だけど君も僕も、そんな美しいものに触れたことなど一度もない。これからもきっと、触れることはないだろう。
僕にとってはそれでも構わない。最初から望んでもいない。君が僕の側にいてくれるなら、僕はどんな暗闇のなかだって生きていく。
完
神様のわがまま いなほ @inaho_shoronpo
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