賢者の石を求めて
成上悠也
賢者の石を求めて
児童期
「エレナ、エレナ」
ドアを強く叩く音とまだ声変わりしていない少年の声が小さな木の家に響き渡った。何事かとその家の主人がドアを開ける。
「お、おじさん、おはようございます。エレナはいますか」
少年は息もたえだえにたずねた。家の主人は、落ち着きなさいと言って、少年を家の中に招き入れ、入ってすぐ近くにある肘掛椅子に座るよう促した。まだ落ち着くことができていない少年がやっと椅子に座った時に初めて主人は質問に答えた。
「まだエレナは寝ているよ。こんなに朝早く一体どうしたんだいカール」
「えっとねー……あっ」
カールと呼ばれた少年は、話し始めようと口を開いた瞬間に両手で口を押さえた。
「だめだめ、これは僕とエレナだけの秘密なんだ。おじさんには教えないよ」
「おや、それは残念だ」主人は笑顔で言った。
「そんなことより早くエレナを起こしてきてよ」
「分かった、分かった。母さん、エレナのことを起こしてきてくれ」
主人が大声で言い、居間の奥のドアの向こう側から女性の声がそれに応えた。カールは、落ち着かない様子で手足をばたつかせながら待った。
「エレナ」
居間の奥にあるドアからパジャマ姿の女の子が姿を現した。いかにも寝起きのようで、髪はぼさぼさで右手で目をこすっている。
「どうしたのカール、こんなに朝早く」
エレナはもう一眠りさせてくれと言わんばかりに大きなあくびをした。
「見つけたんだよ。あの材料が市場に売ってたんだ」
「え、本当」
一瞬で眠気が吹き飛んだようだ。エレナの眼は今やカールと同じくらい輝いている。
「うん、今その材料は秘密基地にある。早く行こう」
「うん」
エレナがパジャマ姿のまま外へ飛び出そうとすることをエレナの父親が腕をつかんで引き留めた。エレナは駆け足で居間から出て行き、ものの一分もしないうちに着替えて戻ってきた。ようやく出発できると思った時、今度はエレナの母親がエレナだけではなくカールも引き留めた。香ばしいパンの香りが部屋中に立ち込める。カールとエレナは飲み込むようにパンを食べて今度は引き留められないうちに急いで家を出た。
「それで、材料が見つかったって本当なの」エレナは疑わしげに聞いた。
「うん、本に載っていたものと全く一緒だったよ」カールは即答した。
二人は町はずれの森に向かった。その森に太陽の日差しが降り注ぎ、木々の間から、地面がまだら模様に照らされていた。日差しは温かく、木陰は涼しいので、ピクニックをするには最適の場所だ。しかし、二人は森林浴を楽しむことをせず、一心不乱に歩を進めていく。まるで何かに取りつかれたかのように。
ほどなくして、二人はこの森で最も大きな木の根元にたどり着いた。そこの根元にはカールとエレナの胴回りを足しても足りないくらい幅の大きい長方形の石があった。二人はそれぞれ両端に立って息を合わせてその石を横にずらした。この石は、幅はあるが厚みはない石だったので、子どもでも二人で持てば軽々と動かすことができた。石の下には底が見えないほどの深い穴と頼りない縄梯子があった。カールが先に縄梯子を使って穴の中へ入り、エレナもそれに続く。
地に足がついて、カールは奥に進みテーブルの上のランプに火をつけた。
この秘密基地はとても狭く、真ん中に木のテーブル、右端に小さな本棚があり、カールとエレナが自由に動ける空間はほとんどなかった。エレナもカールと同様にテーブルに近づき、テーブルの上にある黒い灰のような物体をまじまじと見つめた。
「これがそうなの」
「うん、これが賢者の石を作るための最後のプリマ・マテリアだ」
エレナはまだ信じられないようだった。カールは近くにあった本を広げて挿絵と見比べるように言った。エレナは目を行ったり来たりさせ、最終的には納得したようだ。
「後はこれをフラスコの中に入れれば賢者の石が完成する。そうすれば、僕たちはお金持ちになれる」
カールは恍惚の笑みを浮かべた。エレナは、テーブルの上にあるフラスコの中を見つめていた。フラスコの中では数種類のプリマ・マテリアがすでに結合していて、この世のものとは思えないどす黒い色を放っていた。
「うん、これで賢者の石ができる。お母さんとお父さんに楽をさせてあげられる」
「それじゃあ、いくよ。これを加えて完成だ」
カールはこぼさないように黒い灰を一粒残らずフラスコの中に入れた。
青年期
「ねぇ、カールまだやるの」
「当たり前だろ。今度こそ絶対成功するって」
透き通るような美しい女性の声に勇ましい男性の声が答えた。女性は乗り気ではなかったが、それでも文句を言うことなくカールについていく。
「やっぱり無理なんじゃないかな。賢者の石を作るの。もう十年以上もやってるじゃん」
「無理じゃない。絶対にできるはずだ。だって本に生成方法が書いてあるんだぜ。エレナは先人の遺志を信じないのかよ」
「そういうわけじゃないけどさー」
二人は例の秘密基地へ向かった。子どもの時は、重かった入口の石も今では軽々持ち上げられるようになっていた。
秘密基地の中は、十年前とほとんど変わっていなかった。ただ、机の上にありとあらゆるプリマ・マテリアと多くの失敗作があることを除いては。
カールは、ポケットから小さい白い包みを取り出してそれを開いた。中には白い粉が入っていた。
「今度は絶対に成功するはずだ」
カールはその白い粉をフラスコの中に入れ、近くにあった黒い粉をさらに加えた。エレナは作業をしているカールの様子を少し離れたところから見つめている。
二つのプリマ・マテリアを加えてカールはフラスコを持ち上げてゆっくりとかき混ぜた。二つの物質は混ざり合い、結合していく。カールは、フラスコを金網を敷いた三脚台の上に乗せ、下から火で熱し温めた。プリマ・マテリアとしての原形はすでに壊死していた。
数分熱しても変化は現れなかった。カールはまだまじまじとフラスコの中にある混沌とした物質を見つめていたが、エレナはうとうとしていた。カールはエレナには目もくれずに変化を見逃すまいと食い入るようにフラスコを見つめていた。
「カール、いつまでそうしてるつもりなの」
我慢できず、エレナがたずねた。もう腹の虫も限界だ。しかし、カールはエレナのことを完全に無視した。いや、エレナの声が全く届かないほどに集中していた。エレナは大きなため息を一つついた。
「私、お腹すいたから先に帰るよ」
その時だった。
「きたー」
カールが突然大声を上げたので、エレナは驚いて後ろにのけぞった。エレナがカールの視線の先にあるフラスコを見てみるとそこから蒸気が噴出していた。
「変容の前兆、腐敗の蒸気だ」
白い蒸気は瞬く間に部屋中に立ち込めた。フラスコの中の結合した物質は黒化している。
「やっと賢者の石ができる。僕たちはこれで大金持ちだ」
さきほどの空腹はどこへやら、エレナはカールの隣でフラスコの中にある黒化した物質をカールと同じようにじっと見つめた。
成人期
「はい、お弁当」
「ありがとう、じゃあ行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
カールは最愛の妻エレナから弁当を受けとり出発した。今日は休日で仕事は休みだった。しかし、カールは朝早くからやるべきことがあった。賢者の石の錬成だ。十年ほど前に黒化まで進んだ物質は結局賢者の石にはならなかった。それから一度もうまくいかなかったが、カールはエレナと結婚した後も毎週秘密基地、もとい実験室に通いつめた。エレナは結婚した辺りから賢者の石の錬成を諦め、実験室には来なくなっていたが、カールの情熱に水を差すことはしなかった。夫の少年のような生き生きとした目を見るのが好きだった。エレナはわずかな希望を持ちながら、今日も家事に励む。
二人の間に子どもが生まれてもカールは賢者の石を錬成することを諦めなかった。カールは、子どもがまだ言葉を理解できていない時から実験室に連れて行き、この石がどれだけ素晴らしいものか聞かせた。何年も何十年も錬金術を続け、成功の片鱗も見えなかったが、カールはそれでも賢者の石の存在を信じて疑わなかった。
老年期
「結局、賢者の石できなかったね」
「ああ、本当情けないよ」
白髪で顔に深いしわが刻みこまれたカールとエレナは実験室にいた。そこには大量の本とプリマ・マテリア、そして、結合した物質の残骸が散乱していた。二人は立っていることが辛くなったので、椅子に腰かけた。
「あの子、あなたの研究をつがずに街を出て行ってしまったけど、錬金術を継がせなくて良かったの」エレナが問いかけた。
「いや、これは僕とエレナの問題だ。子どもに継がせる気は全くなかったよ」
「そっか」
「いろいろ迷惑かけてごめんな」
「いえいえ、私は迷惑だなんて思ってないわよ。私はねそういうカールのひたむきなところがすごく好きなのよ」
エレナの突然の告白にカールの顔が紅潮した。
「大金持ちになるために錬金術を始めたのに、結局貧乏な暮らしだったな。これならその時間をしっかり働けばよかった」
「何言ってるのカール。私は、今までの時間は全然無駄だと思ってないわよ。錬金術のおかげでカールと結婚できたし、あの子も生まれた。それにカールも、私だって、錬金術を通して自分探しができた」
「エレナ……」
「もう私たちの命は長くない。それまで自分たちらしく生きましょう」
「死ぬまで僕たちらしくか。そうだな、その通りだ」
二人は実験室を出て、石の両端に立って息を合わせてその石を横にずらし、実験室もとい秘密基地への入り口を閉ざした。
賢者の石を求めて 成上悠也 @narukamiyuya930
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