第38話 この先を、きっと二人で歩いていく 下 【改訂版】

 俺にはエっちゃんの過去話、驚く内容っていうより話盛り過ぎッて感じなんだけど……ごく普通のことを話すみたいにカラカラ笑っているエっちゃんと、どこか疲れたような顔の友人麻里ッち。二人に俺を担いでいる様子はない。

 嘘みたいだけど……本当の話なのか。

「わかった、信じるよ。信じるけど……それが何故、今のこの見る影もない姿に?」

「見る影もないとか言うな」

 軽く肩をすくめると、エっちゃんが“なぜ?”を教えてくれた。


 エっちゃんが通っていたのは地域の普通の公立中学で、そこで彼女は常に断トツの成績を誇っていた。当然ながら彼女は学校の中でも別格の秀才だったらしい。

 そんな彼女が当時モブ扱いだった目立たない智史君に告白され、まさかの熱愛に。

 おべんきょマシーンが急に人間みたいになったので、二人が付き合い始めた時は大騒ぎになったらしい。それは彼女の成績を学校自慢のネタにする層から、智史君がエっちゃんを「堕落させた」と非難される事態にまでなったのだそうだ。

 エっちゃんの話だけだといまいち信じられないけど、横の友人も当たり前みたいに頷いているので本当だったんだろう。マジか……。


 そんな無責任で勝手な外野の声で智史君が潰されてはたまらない。

 エっちゃんは付き合うことで一切成績を落とすようなことは無いと宣言し、その後も悉く抜群の結果を収めて実績で雑音を踏み潰したそうだ。

 その話に差し掛かった時のエッちゃんの張り付いた笑顔はどこまでも冷たく、瞳は危険な猛獣のそれだった。俺は自分の本心をさらす素顔の彼女を、初めて見た。

「でもね、業腹じゃないの成績なんて私だけの問題。秀才がいるから学校の評判が上がるのなんてついでで、一個人の評価を全体の栄誉と混同すること自体がおかしいんですよ」

 ガラス玉のように感情のこもらない瞳で俺を正面から見つめながら、地の言葉が出て来た“エっちゃん”。いや、もう“悦子さん”と呼んだ方が良いのだろうか。

 そこに立つ少女は俺の見知った姿から何一つ変わっていない。いつもふざけているギャルっぽい見た目から、ボタン一つかけ直していないのに……触れば指を切りそうな、ヒヤリと冷気をまとう優等生に印象を変えていた。

 隠れ肉食女子の沙織ちゃんに守銭奴文奈ちゃん。みんなどこかおかしいけど、実はおちゃらけてたエっちゃんが一番壊れていた。

 氷のナイフのような悦子さんが続ける。

「そんなのを気にするんなら生徒に頼らず、教員が総出で模試でもなんでも受ければいいん。まして私の成績が落ちる『かも』って可能性で智君が責められるのは、お門違いも甚だしいんじゃないですか?」

 見た目だけはそのままな、だけど見たこともないほどに怒りを垂れ流すエっちゃん。俺が怒られているわけじゃないのに、今の彼女は背筋が凍るほどに怖かった。

 微笑んだまま黒いオーラを振りまく少女は、パンっと手を打ち鳴らして大きく腕を広げた。

「それで思ったんです。予定通り八洲女子に受かったので、私は高校に入ったらように“堕落”しようって」

 そこまで語ったエっちゃんがニパッと笑い方を変え、声がまた急にいつもの軽い調子に戻った。

「んでね、高校からはこのキャラで通しているのさ! 生真面目なガリ勉が恋愛にかまけると、成績も落ちてないのに痛くもない腹ばっかり探られるっけどね。逆にふざけたお調子者が成績がいいと、意外に出来がいい子って見られて高評価に見られるんよ!」

 さっきまでの冷たさなんて微塵も見せず、いつもの能天気さでバカっぽい理屈を語るエっちゃんだけど……これがだと見せられた今、俺は何と反応していいものか。

 黙って見ていた麻里っちが、ちょっと疲れたような声でエっちゃん劇場に割り込んだ。

「ほんと、凄いでしょ? を見るのなんて二年ぶりかな……高校入ったら、目の前にいるのに別人なんだもの。一か月ぐらいは同姓同名じゃないかって疑っていたわ」

「なんだよお、って確信が持てるまでに一か月もかかったのかよ」

「そのあと一学期の間中、本物の悦子は殺されてそっくりな別人が成り代わっているんじゃないかって怯えていたわ」

「アッハハハ、麻里っち推理小説の読み過ぎ!」

 いや、俺も麻里っちに共感するわ……変わりすぎだろエっちゃん。こんな子だったのなら、俺やゴンタなんか掌で転がすのも簡単だったかもしれん。エっちゃんが沙織ちゃんの味方で本当に良かった……。

「まさか、エっちゃんの強烈な性格が智史君のためのダミーだなんてな……」

「ムフフフ、驚いたか!」

「逆にさ、智史君はそのハリネズミみたいな前のエっちゃんのどこに惚れたんだろう……」

「ねー、不思議ですよねえ……」

「ハハハ! あんたら口を慎めよ? 智君の前でおかしなこと口走ったら、デスソースを二、三本まとめてイッキさせるからな?」


 気がついてからずっと気になっていたエっちゃんの事は判った。

 思ってたのより三倍くらい闇が深くて、聞かなきゃよかったかと今後悔している。

 しかし……。

「いくら勝手な連中に横槍刺されたからって、そこまでするかね……」

 俺の何気ない呟きを聞いて、意味もなくその場でくるくる回っていたエっちゃんがピタッと止まる。そして肩越しに十七歳とは思えない妙に色気のある流し目を俺に向け、彼女は妖艶に微笑んだ。

「本気で愛しているからこそ、彼の為にできることは何でもしようと思うんだってそうですよ? 恋する女のその気持ち。いつか判るといいですね、?」




 エっちゃんと麻里っちはこれから本屋に行くらしい。傘を指先で回していたエっちゃんが、別れ際に俺を指さした。

「そうそう、ついでだから一つ言っとくわ」

「なんだ?」

 エっちゃんがニッと愉快そうに笑った……この子、笑顔だけで凄えバリエーションがあるな。京老舗の女将か。

「サオリン、結構エッチだから」

「いきなり何を言い出すんだよ!?」

「ああ、ごめん。言い方間違えた」

 エっちゃんが後頭部をポリポリ掻きながら言い直した。

「サオリン、結構スケベだから」

「何一つ言い方変わってないぞ!?」

 俺の抗議を受けて、エっちゃんが腕組みして「むぅ……」と唸った。

「なんつったらいいのかなあ。こう……サオリンて真面目で清楚で明るくて、ちょっと抜けてて幼稚なところがあるじゃん?」

 それは認める。

「だから絵に描いたような品行方正なマジメちゃんなんだけど……あの子の話だと、四歳の時にもうマコチンとすぐに結婚して子供を作ろうと思っていたって?」

「ああ、俺も先日聞いてびっくりした」

 沙織ちゃんには悪いけど、さすがにこの話は俺も引いた……。

「そんでサオリン、今でもその話を当たり前みたいに思ってんのね。あの子の恋愛観、基本のところで“何でもありバーリトゥード”だぜ」

「それは……俺も思った」

「あたしの経験則で言うとそういう子はね」

 エっちゃんが自分の胸を親指でトントン叩いた。

「ストッパーが初めから壊れているから、のめり込めば込むほど深みにはまるからね」

「エっちゃん、何かと思えば自分の話かよ……」

「いやん、それセクハラだよ!」

「自分で言い出したんだろうが!」

「ウハハハハ! ま、サオリンは結構重い女って話さ。気を付けて頑張んな!」

 爆笑しながら去っていくエっちゃん……なんつーか、素顔にしても仮面にしても爆弾みたいな女だ。アレとずっとアツアツなんだから、智史君もすげえなあ……。


 彼女たちの背中を見送っていて、俺はいろんな顔を見たわりにエっちゃんの印象が実はそんなに変化していないのに気が付いた。

 あれ? なんでだろうな……。

 その理由を考えていたら、不意に智史君のおとなしめの容貌が脳裏に浮かんだ。

「そうか……エっちゃんがどんな性格でも、智史君を愛している顔が変わらないからかな」

 秀才で策士で演技が巧くて……そんなエっちゃんも智史君の事では、いつでも全力な恋する乙女だった。

 一人雑踏に立ち止まってそんなことが頭に浮かび……クサ過ぎるセリフを吐いた自分に赤面した俺は、せかせかと現場を歩き去ったのだった。



   ◆



 ケーキを買って帰ってくると、管理人さんがエントランスにデッキチェアを出してビールを飲んでいた。

 ……共用区画を私物化した上に勤務時間に飲酒とか、この人ホントやりたい放題だな……まあ、いいや。

「ただいま帰りました」

「おう」

 よく見れば、サイドの丸テーブルにはすでに空いた缶が二つ転がっている。そしてこれから開ける予定の缶も三つ。

「管理人さん……いくら暇でも仕事中にビールはまずいでしょ」

「何を言うか」

 ちょっとおかんむりの管理人さんが腕時計の日付を指先でトントン叩く。

「今日は公休だ」

 あんたの休みの日なんて知らんがな。それにしたって共用区画エントランスにこれはいかんでしょうよ。

「あー……それでも書類を見てるあたし、ワーカホリック」

「あんたが社畜に入るんなら、蝶々トンボも鳥のうちですよ……」

「すっげえ馬鹿にされた気がする。未来の義息子むすこに」

「今のうちにマウント取って行けって言ったのはあなたでしょう」

「君のオツムでよく正月の話なんざ覚えていたな」

 管理人さんが伸びをした。

「それにしてもなー……沙織もついに片付くか……」

 感慨深げに呟く管理人さん。沙織ちゃんが売れ残りみたいな言い回しだけど、彼女一人っ子だよね? あと、まだ交際始まったばかりだからね? 今すぐ結婚みたいに言わないで。

「……こいつらが結婚したら、うちの家事どうしよう」

「自分でやれよ」


 飲むのに飽きたのか机と椅子を片付けながら、管理人さんがぼやいた。

「沙織も妙に頑固なところがあるんだが、まさか幼稚園児の初恋が十年越しで実るとか思わなかったわ」

「それは俺もびっくりでしたけどね」

「後ろをついて回っていた“ちっちゃいサオリちゃん”に告白されて、どうだった?」

 意地の悪い笑みを浮かべた管理人さんに聞かれて、俺も思わず苦笑いする。

「俺、ずっとモテないし女子に声をかける意気地もないし。自分でとても彼女なんかできないって思ってましたけど……地元を離れた知らないところに、ずっと俺の事を想っていた幼馴染がいるなんて考えてもみませんでした。びっくりもしたけど、そこまで沙織ちゃんが想っていてくれたことが嬉しくて、感動しましたね」

「そうだなあ」

 管理人さんも頷き、少し残ったビールをぐびっと飲み干し……ちょっと遠い目になった。

「だけど、重いよな……何のリアクションもしないで十二年も片思いって、おまえ……」

 それは言わないでやって……。




「ところでもうすぐ、俊雄さんが転勤で戻ってくるんだがな。覚悟はいいか?」

 そう、春から沙織ちゃんのお父さんも戻ってくる。

「俺と沙織ちゃんが付き合い始めた事は……?」

「さすがに話したよ。実は“次のイベント”がバレンタインと見込んで邪魔しに戻ってくるつもりだったみたいなんだが……そうなってからでは大騒ぎなんで、その前にくっついた事を報告しておいた」

「パパさん、なんと?」

「『節分に告白だと!? くそっ、バレンタインの妨害を予測していやがったか、あのガキ!?』だって。さすがにとんちんかん過ぎる勘違いなんで、一月末の誠人君の誕生日だとツッコんでおいた」

「ははは……」

 お父さんが帰って来たら、にぎやか……というか凄いことになりそうだ。

「で? 対策は」

 問いかけて来た管理人さんの顔はニヤニヤ笑っている。他人事みたいな興味本位の色が強い。だろうな。

 大丈夫、俺もパパさん対策はちゃんと考えておいたのだ。

 俺は面白がっている管理人さんにきちんと向き直って頭を下げた。

「あとはそちらでなんとか収めてください。よろしくお願いします、未来の義母おかあさん」

「全部あたしに丸投げなのかよ!?」

「さんざん好き勝手やってくれたんですから、それぐらい面倒見てくださいよ」




 俺が別れて階段を上ろうとした時、後ろで管理人さんのスマホが鳴った。

「ハイハイっと……あれ、どしたの? 誠人君? ちょうど良かった、今話してたとこ」

 俺の名前が聞こえたので足を止めたら、管理人さんがこっちへスマホを投げて寄こした。どうでもいいけど自分のスマホを投げ渡すとか、相変わらず思い切りが凄いな、この人。

「千咲から」

「母さんから?」

 いぶかしく思いながらも電話に出ると。

『あ、誠人?』

「母さん、沙織ちゃんに聞いたよ。管理人さんと親友なんだって?」

『そんなことより』

 そんなことって……よく考えれば、母も管理人さんと類友って言われれば納得する性格だったわ。

『あんた、春休み帰ってくるな』

「はいっ!?」

 いや、自分でも期間短いし正月みたいな特別感もないし、どうしようとは思っていたけど……いきなりなんなの!?

『詩織から聞いたんで、あんたに想像を絶するスーパー彼女ができたって夕飯の時に話をしたらね?』

「ああ……それが?」

『先を越された智美が、絶対あんたをぶっ殺すって荒れてんのよ』

 ……もう一人いたよ、めんどくさいヤツが。

 姉ちゃんも自分は努力足りないわりに僻み屋だからな。ゴンタといい勝負だ。知能の限りを尽くして邪魔して来る沙織ちゃんパパを見習え……いや、鬱陶しいから見習わなくていいわ。

『どこかから拾ってきた工事現場の警備員人形にあんたの顔写真貼ってね、毎日藁人形みたいに電動ガンでベアリングの球を撃ち込んでいるのよ』

「俺の電動ガンを勝手に持ち出すな!?」

 しかも金属のベアリング球なんて、本気で殺傷力出てるぞ……。

『毎日毎日やってるもんだから、粉砕された人形がもう三体目』

「母さん、ちょっと近所の工事現場を菓子折り持って廻った方が良いかもしれないぞ?」

『そのうち白髭のお爺ちゃんカーネル・サンダースを誘拐して来るんじゃないかって、あたし今から心配なの』

「それやったら夕方のニュースに出るからな!? 絶対にやらせるなよ!?」

『んだから、帰って来たらあんたの命がアブないわけよ』

 彼女が出来ただけでリアルに命が危ないって、うちはどんな修羅の家だ……。

『なのでこっちの事はいいから、春はそっちで可愛い彼女とニャンニャンしてなさい』

「こっちはこっちで、春には『娘を傷物にした!』って怒り狂ってるナイスミドルが彼女と同居し始めるんだけど」

『俊雄君? あー、あり得るわ……ま、そっちの事は知らないわよ。自分で何とかして』



   ◆



 この一年本当に色々あって、まだこれからも色々続きそうで。

 それでも、これからの生活にワクワクしているのは……きっと、俺の隣に沙織ちゃんがいてくれるからで。


 俺は自分の部屋の扉を開けた。

 一年暮らした見慣れた部屋に入ると、既にそこにはパーティの準備が整っている。

 俺が買ってきたケーキを出しながら「ただいま」と言うと、三度目のバニーコスを着て待っていてくれた沙織ちゃんが満面の笑みで返事をしてくれた。


「お帰りなさい誠人お兄ちゃん! 再会一周年……一緒に迎えられて嬉しいです!」


 俺も微笑みながら言葉を返す。


「ありがとう。そして……これからも、よろしく!」

「はい!」




 沙織ちゃんの最高の笑顔を見ながら、俺は思う。


 きっと。


 ずっと。


 これからも二人で、俺たちはこの先を歩いていくのだ。

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最近のワンルームマンションには、なぜかバニーちゃんが付いているらしいです。 山崎 響 @B-Univ95

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